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#45 ハイリー 旧友の相談事

 シェンケル家は、白を基調とした瀟洒な佇まいで、造りは古いがよく手入れされている。庭には枝葉を整えられた木が立ち並んでおり、私は友人たちとそこで剣の腕を競ったりしたのだ。

 

 懐かしい。この磨かれた飛び石に、蔦が絡んだ鉄の門扉。


 執事のバルデラン翁に迎えられ、ホールに足を踏み入れた。左右対称に作られたホールで最も目を引くのは、入り口正面にある階段で、十数段目で左右に分かれたそれは二階の壁沿いにぐるりと渡され最終的に合流している。

 天井を見上げると、明かり採りの窓がずらりと並んでいる。明るいのに、どこか寒々しい印象なのは、カーテンや絨毯が青か紺、もしくは灰色だからだろう。


「お、ハイリー、よく来てくれたな」


 なんだか先日も聞いたような第一声とともに、クラウシフが一階の奥の部屋から出てきた。ゆとりをもたせて裁断した生成りのシャツと、硬そうな生地の黒のパンツを身に着けている。髪もだらしなくない程度に整えていた。


「大変なときにすまないな」

「本来こちらが行かなければならないところを招いたんだ。むしろ、呼び立てて悪かったな。他にも予定があったんじゃないか」

「おととい、城に行って陛下に挨拶してきたが、それだけだ。問題ない。それよりアンデルの調子はどうだ?」

「アンデルは寝てる。薬が効いてきたようだ。もうすぐ医師が往診にくる。お前はくつろいでいてくれ、俺もすぐ行く。

 バルデラン、ハイリーを応接室へ」


 バルデラン翁が私の荷物を持ち、何度も通ったことのある廊下を先導してくれた。塗り替えたようで、過去、優しいアイボリー色だった壁は青みの強い白になっており、折り上げ天井には等間隔に新しい照明がついている。


 奥の壁一面が窓になっている開放的な応接室からは、庭がよく見渡せた。ここからは、イェシュカが亡くなったという温室は見えない。


 革張りのソファに座って待っていると、お茶とお菓子が運ばれてきた。いつの間にか人が入れ替わったのだろう、見たことのない若いメイドだった。クラウシフのぶんも用意して下がる。

 お茶をすすること三口目、クラウシフがやってきて、テーブルを挟んだ反対側にあるソファに腰を降ろした。葬儀のときより、顔色がいい。きちんと休めているのか。


「君の子どもたちはどうした? 姿が見えないようだが」

「落ち着かない状況だから、ケートリーに預けている。明日には戻ってくる予定だが、義母が孫たちを離したがらなくてな。上の子なんかは、アンデルにべったりだから、早く帰りたいとダダをこねている」

「上の子、……ユージーンかな? アンデルは随分可愛がっているようだな」

「ああ。あいつ、あれで子どもが好きみたいだぞ。

 あいつもなあ、気を張ってたし怪我もしちまったから、がっくりきたんだろうよ」

「アンデルからイェシュカのことを聞いた。大変だったな」

 

 あまりイェシュカの話を掘り下げると、彼らの生傷を抉りそうだったので、軽く触れるにとどめた。

 あっという間にお茶を飲み干したクラウシフは、空になったカップを置いて、脚を組む。


「ところでクラウシフ、アンデルについて相談したいこととは?」


 時間もないことだしと本題に切り込んだ。

 クラウシフは、ああ、と言って姿勢を正す。


「なあハイリー、お前アンデルの妻になる気はないか」

「はあ……?」

「そろそろあいつもそういうことを考えないといけないからな。イェシュカのことで手一杯で、なにもしてやれてなかったが、……ここを出るいい機会だろ。あいつは俺よりも、イェシュカのことで深く落ち込んでいる」

「そんなのは測れるものじゃないだろうし、アンデル本人の意思は?」


 古傷が疼く。

 なんでまた、君は涼しい顔で、一度は自分で求婚した相手にそんなことを言える? 喉元まで出かかった言葉をなんとか飲み込んだ。彼がもう気にもしてないようなことを、いつまでも気にしている自分がいかにも子供っぽくて腹が立つからだ。

 

「アンデルはまだなにも具体的に考えてないだろうが、関係ないさ。シェンケルではな、本人の意志より当主の采配が重視される。こと婚姻に関しては」

「それは君自身のことも振り返っての言葉か」


 数秒前の見栄を捨てて噛み付いてしまった。まるでイェシュカとの婚姻が、自分の望みではなかったかのような言い草に思えたから。誰に対しても甚だ不快な物言いだ。

 クラウシフは真顔でうなずいてみせる。


「そうだな。だからこそ、お前にはアンデルと添うてほしい。

 ハイリー、アンデルはお前が妻になると言ったら拒むまいよ。それどころか僥倖を噛みしめる。あいつはお前をずっと想っているからな」

「突然、なにを言いだすんだ。結婚についてろくに話もしてない弟の、その想い人が誰かは把握していると?」

「お前こそ、なぜそれを否定する? まさかまったく気づかなかったなんて白々しいことを言うつもりじゃあるまい」

「アンデルは弟のようなものだよ」

「本当に、お前は驚くほど傲慢で残酷だよ。あいつの気持ちを見ないふりしてきたのか、からかっていたと?」


 呆れたようにかぶりを振って、クラウシフが言葉を続けた。


「好きでもない相手に、毎月せっせと手紙を書くか? あれでもアンデルは同じ年頃の連中と比べてかなり忙しいんだぞ。

 お前からもらった手紙を、束にして大事にとっておくか?

 目立つことが嫌いなのに、目立ちまくるお前にダンスを申し込むか? 新月祭の話じゃないぞ。

 おい、なんだその顔。知らないわけがないだろう。お前たちが仲睦まじく踊った話は、面白おかしく吹聴されてる。俺の耳に入るのは当然だろうが。

 今でも、汚れた金の羽根を大事そうに机に飾ってるのは、ただの感傷か?」

「君に……傲慢で残酷だなんて、いわれる筋合いはない」


 頭がくらくらした。

 怒り? 羞恥? ……自分に無条件で向けられる好意を見て見ぬふりしながら享受していたことへの、罪悪感? 簡単に分類できない。


「失礼します、クラウシフ様、先生がお見えです」


 バルデラン翁の声に反応し、クラウシフが立ち上がる。


「考えていてくれ」

「あ、おいっ」


 クラウシフはそのまま部屋を出ていってしまった。

 私は、カップを手にしたまま、中途半端な姿勢でソファに取り残された。

 頃合いを見計らってきた女中が、お茶のおかわりをくれた。行儀が悪いとわかりつつ即座に飲み干し、もう一杯もらう。


 たしかにアンデルももうすぐ十八だし年頃だ。婚約し結婚するに適当な相手を見繕う時期に入っている。

 ただそれは、子が産めない女や、剣をとって自ら血みどろの戦線に立つ女や、八つも長じた年増が対象ではない。きちんとした家柄の、同じ年頃の、彼の隣にいてくれる女性を選ぶべきである。

 クラウシフにとってそれはイェシュカだった。というか、私ではなかった。そう、私では。アンデルにとっても、私はその対象に含まれない。


 確認した途端、ぎゅっと胸が痛んだ。頭の片隅をかすめては、直視を避けていたその事実。膝の上で拳を握って、気持ちを落ち着けようとする。今更なにを動揺している。もうずっと前、十三の夜イズベルの家にいったときからわかっていたことなのに。


 だが、現在のシェンケルの当主はクラウシフだ。彼がそういう話を持ちかけてきたとなると、私への嫌がらせや冗談では済まないはず。なにか理由があるのか。


 ――およそ妻向きじゃない私に声をかけるだけの理由が?


 ため息をついて、飲みかけの紅茶のカップを置いて、行儀悪く脚を組む。


 どうして、クラウシフは私に火のついた爆弾を投げてくるんだ。いつもいつも。小憎らしい。いちいち私を動揺させて、もしや楽しんでいるのか?

 一言、なにか言ってやらなければ気が収まらない。

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