#43 サイネル 副隊長の見たもの
サイネルは苦笑を禁じ得なかった。
ここは前線基地の士官の個室、彼の上官の寝床である。彼女に、自分が居眠りしていたらなんとしても起こしてほしい、早朝の便に載せたい手紙があるから、もしそれまでに自分のものが用意できてないようであれば絶対に、と頼まれて、ここにいる。先日の報告書の代筆の埋め合わせに渋々了承したのだ。
机に突っ伏して、のんきに寝息をたてているのが上官のハイリー・ユーバシャールである。完全に寝入っている。ゆったりした男物のパンツにシャツという楽な格好だ。有事に備え、寝間着というものはこの基地に存在しないことになっている。
彼女の腕が乗っているのは、上品な意匠の便箋の上だ。ハイリーの字は伸びやかで美しいが、その便箋に踊る字は几帳面でやや縦長である。その字が書かれた封筒をそこそこ頻繁に目にしているから、書いた人間の名前がわかってしまった。
アンデル・シェンケル。三英雄の血筋のシェンケル、そこの当主の弟である。ハイリーとは昔なじみで、十かそこら、年下だったと記憶している。
あまりに頻繁に彼からの手紙を受け取り、上官に手渡すということをしているので。そして、上官がアンデルの手紙の話をするときは、いつもよりさらに表情豊かになるから、いったいどんな文面をよこすのだろうと気になっていた。少しのぞき見してもバチは当たるまい、こうして寝こけた上官を起こしてやる対価だ、と先に支払われた対価のことはすっかり忘れたふりをして、紙面を覗き込んだ次第である。
――親愛なるハイリー
先日贈っていただいた珍しい種子を育てました。二箇所に分けて種を蒔き、生育過程を記録しましたが、ずいぶん開花までの時間に差が出ました。とても興味深いです。
外の花壇に種を蒔いたものは芽吹くまで長く、開花までもかなり時間がかかったのですが、温室に蒔いたものはその半分で花を咲かせました。そして後者のほうが花の持ちがよいのです。
種が採集された場所の条件に、外の花壇の方が近いのに。
きっとなにか別の条件があるのでしょう。それがわかれば、前線に近い場所にしか群生しない理由も解明できるかもしれない。
実は、開花した場所で花の色もそれぞれ違っていました。桔梗に似た形をし、萼が濃い紫、花弁は透明度が高く、先端に向かって色分かれするのですが、とくに白いものが幻想的で美しいです。いつかあなたが着ていた騎士服のようでした――
ここまで読み、サイネルは吹き出しそうになってしまった。
普通、女を口説くなら、花に例えるべきは女自身であって断じて服ではない。しかも騎士服。もはや褒め言葉と言っていいのかわからないではないか。
前口上も長すぎる。大抵の女はそのよくわからない花の話に飽きて、途中をすっ飛ばして読み、書き手が必死にひねり出した褒め言葉に目が行かないだろう。
女に慣れてないからなのか、相手がそこまで読んでくれると確信しているのか。ハイリーは特別気が長いわけではない。それを知らないのか?
しかし、サイネルは知っている。その気が長くもないハイリーが、自分の荷物の中に手紙の束を大事そうにしまいこんでいることを。きっと、捨てたものは一通もないだろう。そのくらいの嵩になっている。
数年前、ふと休暇をとり帰省した上官は、前線に帰ってきてみたら上機嫌で、それがしばらく続いた。何かいいことがあったのかと問うと、「そうだな」と言って詳細は教えてくれなかった。
その後、他の上官たちとの会話を継ぎ接ぎして、ヨルク・メイズ主催のパーティーに参加したらしいということや、誰かとダンスをしていたということを知った。しかも、その相手はシェンケル家の人間だとも。内政へのパイプを強化したい軍部の上層からすると、それは羨ましいことで話題になったのだろう。彼らは自分の娘や姉妹たちを御三家のひとつシェンケルに紹介したいと思っているから。
サイネルはぴんときた。きっとその相手はアンデル・シェンケルだったに違いない、と。ハイリーは当主のクラウシフ・シェンケルとも親しいらしいが彼から手紙が来た試しはないからだ。
同じ年頃の他の女だったら、こんなつまらない手紙に目を輝かせたりしない。もしかすると、この前線であまりに女として扱ってもらえないから大切にされている気がして嬉しくなってしまったのか。女扱いされるときはたいてい侮蔑ややっかみからの不当な評価、もしくは性欲のはけ口としての女性を求められる時だし、表面上は動じてないように振る舞っていながらも、実は傷ついていてひとりでため息をついているから。
それだったら、恋の相談でも持ちかけてくれば可愛げがあるのに。……年の差を考えるとそうもできないか、体面もあるし、とすぐに結論が出る。プーリッサでは恋仲の男女が年が離れている場合、男が多少年上であっても特になにも言われないが、差が開きすぎている場合や、逆に女が年上の場合は白い目をされることがある。
上官はいつも、はにかんで手紙を受けとる。騎士姫、戦姫などと呼ばれておきながら、その時以外に女性性をほとんど感じさせない彼女が、アンデルの話をしているときは、まるで少女のようで、見ているサイネルがむず痒いような甘酸っぱい気持ちになるのだ。
この年の女に「少女」だなんて言う方が失礼な気もするが、妙に男女関係に潔癖なところなんかは、適当かもしれない。いつか実るといいですね、とサイネルは半分本気でそう思った。
そして、彼は気持ちよさそうに寝息をたてる上官の肩に手を置く。




