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#42 ハイリー 旧友たち

 パーティーの翌々日、私はアンデルが調整してくれたおかげで、イェシュカに会うことができた。数年ぶりに会う彼女は、痩せてしまっていたし顔色が優れなかった。それでも、お手製のクッキーを焼いて私を出迎えてくれた。クラウシフは仕事でおらず、イェシュカのこだわりで乳母もいない。だから子どもたちは休息日で家にいたアンデルが面倒をみていてくれて、私たちはゆっくり話す時間を持てた。


 イェシュカはだいぶ疲れているようだった。体だけではなく、心も。こうしたいという希望はあるのに、うまくいかない。子育てというものは大変なようだ。こちらの言うことを聞かないからって、魔族相手のように切って捨てるわけにもいかない。アンデルに助けられながらも、自分でできる限りのことをしたいという。


 そして彼女はさめざめと泣いた。ビットのことだ。ちょうど身重の時期に重なってしまい、彼女も葬儀には参列できなかったという。

 もう心はクラウシフに捧げたとはいえ、ビットへの情がすべて潰えてしまったわけではないのだろう。イェシュカが落ち着くまで、しばらく時間がいった。気になったのは、彼女がぽつりと漏らした言葉だ。


「もしビットと結婚したら、わたし、どんな人生を送ったのかしら……」


 故人を偲ぶ言葉だろう。やけに強く耳に残った。

 ……クラウシフとの結婚に後悔しているのだろうか。根掘り葉掘り聞かないくらいわきまえているから、私はなにも言わなかった。独り身の私には、他人の結婚生活にあれやこれや言うだけの知識も経験もない。


 別れ際にも、イェシュカは涙をこぼして「また遊びに来て。絶対よ」と何度も何度も私の抱擁をせがんだ。私には想像もつかない結婚生活の難しさがそこにはあるのかもしれない。あれほどの大恋愛を成就させても。


 双子を抱っこしたアンデルに、手紙を書く約束をしてシェンケル家を後にした私は、その足で懐かしい友人の元を訪れたのだった。



「やあハイリー、こんばんは。我が家へようこそ」


 にこにこと私を出迎えてくれたのは、ふくよかな体を上等な服に包んだドニーだ。国内外のあらゆる場所に出向いているとは思えないほど、身体の厚みが増している。これで馬によじ登れるのか、と不安になるくらいだ。


「なんだかすまないな。夕食に招待してもらって。ねだったみたいになってしまった」

「いやいや、今をときめく騎士姫が我が家をご訪問とあらば、それ相応のおもてなしをしないと」

「その騎士姫というのはやめてくれ……」


 ドニーの家は歴史だけはじゅうぶんのユーバシャールの屋敷より広く豪華だった。豊かであるとひと目で分かるほど、使用人も多い。さすが、豪商というべきか。


 廊下や食堂に並べられる装飾品も、見たことがない陶器や武器、美しいがどうやって描かれたのかわからない絵画、そもそもこれはなんなのかと首を傾げずにいられないような石の塊などさまざまだ。そのたくさんの装飾品のすべてがしっかり管理されているのだとわかる。埃一つ積もっていない。


 彼の家族は国外に出ているとのことで、食卓についたのは私とドニーだけだ。


 ドニーが引いてくれた椅子に腰を下ろし、温かなスープをいただいた。

 給仕が、スープの皿にレモンを一欠片置いていく。南の国・ルジットから取り寄せた魚の塩漬けを使ったスープで、柑橘類の汁を垂らすとさっぱりしてさらに美味しくなるのだという。海のないプーリッサで海水魚を食べるのはめったにないことだ。川魚は何度か食べたことがあるが、あれは癖が強くてはっきり言ってまずい。しかし、このスープは美味しかった。あっさりしているのに、深みがある味付け。


 果物を煮詰めたソースにじっくり漬け込み熟成させた肉や、食べられる花を添えたサラダ、さらに別の花を上に飾った美しい黄金色の煮こごり、白と濃黄の色違いのチーズを組み合わせたグラタンに、バラの香りをつけ金粉をふったシャーベットなど、見た目も面白く味も格別な料理が次々と出され、私の胃袋は悲鳴をあげた。それらすべてをあっさり平らげ、ドニーはにこにことしている。まだ余裕があるといって、鳥の形に固められた桃色の砂糖菓子をもぐもぐするのを見て、なぜか私が膨満感にぐったりする羽目になった。


 食後は互いの仕事の当たり障りない話を楽しんだ。出されたお茶は、木の皮を乾燥させて煎じたものだったが、爽やかな花のような香りがして、後味もすっきりしていた。美味しくてつい、一箱売ってくれと頼むと、ドニーは友人特価で対応してくれた。

 

「では君も来月にはまたルジットへ?」

「うん。そこでしばらく滞在するよ。買い付けをしたり新しい販路を確保したり……。ルジットは距離があるから、運搬の安全面や費用面、それから関税なんかでいろいろな問題が残るけれど、他の商家がまだ手を出してない魅力があるんだ。あそこの貝細工は素晴らしいよ、君にあげた文箱、まだ持っていてくれているかい」

「ああ、もちろん。とても美しくて、使い勝手もいいんだ。大事にしている。お気に入りの一品だよ。道中、くれぐれも気をつけて」

「ありがとう。まあついこの前まであの辺りは情勢が不安定だったからさらに商人たちの足が遠のいていたんだけど、落ち着いてきたからね、さほど危険はないと踏んでいる。これからが頑張りどきだ。

 ハイリー、また休暇が取れたら、今度はルジットにある別宅へぜひ遊びにおいで。海の景色というものは素晴らしいよ。浅黒い肌の人々の奏でる音楽は情熱的で、食事もとっても刺激的だ。歌の旋律は力強いのに悲しげで――」

「……いいなあ」


 旅に出たい、まだ見ぬ景色を見てみたいという冒険心は、未だ私の胸の奥でくすぶっていて、時折なにかの刺激をきっかけに疼きだすのだ。

 ドニーの語った海の見える景色というものに強く惹きつけられながら、私は彼に見送られて、遅い時間に帰宅した。


 そうして慌ただしい休暇は終わり、私は再び前線に戻った。

 テリウスに海を見たことがあるかと聞こうと思ったのに、会えず仕舞いになってしまった。渡すものも渡せず、次の機会を待つしかない。



 ――親愛なるアンデル


 先日の訪問、いろいろな調整をありがとう。おかげでゆっくりイェシュカと話すことができたよ。彼女も君がよくしてくれると感謝していた。

 また伺うときはよろしく頼む。


 さて、実はドニーに会う機会があって、とても素敵なものを得ることができたので、君に贈りたい。ルジットの砂浜に群生する木の実だ。現地では食用らしいが、鮮やかな朱色が美しいから装身具に用いれないかと山程仕入れてきたという。ふしぎな甘い香りがするだろう?

 高価なものでなくてすまないが、異国情緒を君にもお裾分けしたくてね。珍しい植物が好きだというが、これは対象外かな?


 ドニーに聞いたルジットの海というやつは素晴らしいよ、アンデル。

 絶えず寄せては返す波の音と、不思議な香り、見たことがない生き物たち。ルジットには、海の上に木を組んだ足場がそこらじゅうにあって、その上に木と石で小屋を建てて住むのだという。民家の床にはたいてい直接海につながる出入り口があって、そこを開ければ下の透明な水の中を泳ぐ赤や黄や紫の魚が見られるのだと。ときには人を食らう魚も出るが、友好的なものもいて一緒に泳いだりすることもできるとか。


 いつかルジットに行ってみたい。

 まだ見ぬ景色、まだしたことのないことにはどうしても心惹かれてしまう。それを体験してみたいと思うのだ。きっと素敵な思い出になるだろう。君もどうかな。

 

 もちろん、今までで一番の思い出は、君とのダンスだよ。君に手を差し伸べられたこと、そして踊ることができたこと、とても嬉しかった。


 このところ、いろいろと考えることが多くてね、正直気持ちがくさくさしていた。君に優しくしてもらって、持ち直した。これでしばらく頑張れそうだ。本当にありがとう。

 願わくば、また君のダンスの相手に選ばれる名誉が私に訪れますように。


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