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#38 ハイリー 明け方の交戦

 やっかいな連中が現れたものだ。


 まだ夜が明けきってない林を浮遊する死霊の軍勢は、障害物をものともしない。ものを透過するのがこの魔族のひとつの特徴だ。

 霞のように白く透けた体は空中に姿をくらまして我々を翻弄する。

 木が多いので馬の機動力はあてにならない。というか邪魔にしかならない。奥の林の炎に怯えて正常に働かなくなるのも危惧される。それゆえ、私たちは歩行(かち)での交戦を選んだ。


 祝福を受けた剣の輝きが、薄くインクを流したような明け方の暗さのなかで、ランプの光のように目立つ。


「いいか呪われるなよ、危険を感じたら迷わず魔石をつかえ」

 私の指示を、すぐにサイネルが伝播させる。


 死霊の暗い目に魔力が充填され、光りだす。薄闇の中ではそれが判別しやすく、呪いの発動を見逃さずに済む。兵士たちはすかさず魔石を投擲した。


 魔石が当たった死霊は、吸い込まれて消える。ただ、地面に落ちた衝撃で魔石が爆ぜて、また死霊が出てきてしまうこともある。呪いの成就を妨げられた死霊がふたたび光を目に宿すその間に、補助の兵士がその体を切って捨てる。


 甲高い、赤ん坊の笑声に似た悲鳴をあげて、死霊たちが汚泥のような体液を撒き散らし地面に落ちる。そして、ぐずぐずとほぐれて消えた。


 私は右手から繰り出されたひび割れた鉤爪を短剣で払い、返す刀で斬りつける。両腕を切り落とされた死霊が、最後の抵抗で瞳に光を灯した。発動を待つわけもなく、その眉間に剣を突き立て切り上げる。間欠泉のように黒い汚泥を拭き上げて、死霊は地面に落ちてもがいた。


 死霊、と呼んでいるが見た目がおとぎ話に出てくるそれに似ているだけで、人間の霊魂が具現化したわけではない。あちら側の、魔力を動力とする生き物なのである。学者の間ではもっと細かい分類もなされているようだが、我々は状態のいい封印済みの魔石を彼らの研究室に運ぶことはあっても、その先の分野にくちばしをつっこむことはしないから、詳しくは知らない。屠り方さえ正確に把握できていればそれでよい。


「サイネル、報告を」

「現段階では我が隊の損傷軽微、戦闘不能者三人、重傷者七名。しかしながら先発の斥候との連絡が途絶えています。警戒を怠らないよう」

「……今、なにか聞こえたか?」


 剣戟と怒号の合間に響いた不吉な音を、私の耳は拾っていた。

 剣を握りしめて耳を澄ます。

 部隊の進行方向、キューネル山脈方面から聞こえる。聞き間違いではない。


 きいきい耳障りな猿に似た鳴き声は前方のやや上から降ってきている。薄暗さで、そして上という死角で視認が遅くなった。体表の色が黒く空と同化していたのと、軽い体重で足場にした木々が揺れないからなお見つけにくかったのか。


「ひ、火蜘蛛だっ」


 誰かが声をあげたのと、上から青い炎の塊が降ってくるのに時間差はなかった。

 悲鳴と怒号があがる。急に周囲が明るくなって視界がひらける。


 突き飛ばしたサイネルが身を起こしたから無事であると確認して、私は剣を構え直す。


「隊長! 背中! 背中に着火してますよ!」

「大丈夫だ、サイネル、みんなを下がらせろ」

「はっ」


 私の命に即座に反応してサイネルが退却の笛を吹く。それを合図に、火蜘蛛が木のてっぺんからサカサカと下ってきた。お前に対する合図じゃない。

 白目さえあればしなびた中年男によく似た頭部に、八本もある手足。それらの長さはヒトの約二倍ほど。体はふさふさとした黒い絨毛に覆われてまんまるなので、独創的で、まあ可愛い方である。頭はあまりよくないはず。

 ただし、口から吐くこいつの炎はやっかいだ。水では消えない。本体を殺さねば燃え続ける、魔の炎だ。着火したら骨の髄まで焼き尽くされる。

 サイネルに着火しなくてよかった、事務処理する人間がいなくなったら私は脱柵を企てる。背中が燃えてるのが非常に痛いが、まだそちらのほうが耐えられる。

 いや、それより、数名の部下が地面を転がりまわっていることのほうが大事だ。


 立っている私の頭を噛み砕こうと、顎をばっくり縦に広げた火蜘蛛が一直線に跳んできた。やはり知能は低い。騙し討ちなどできない種だ。


 地面に転がり、頭上を通過する蜘蛛の腹に剣を突き立てる。外皮はそこそこ硬めだが薄く、卵の殻を割ったときのような手応え。白く粘つく酸っぱい臭いの体液が降り注ぎ、顔を背けた。反撃なんて予想してなかった蜘蛛の、耳をつんざく断末魔の叫びがこだまする。


 ぱっと目を開けたら、周囲は暗くなっていた。火蜘蛛の放った炎は完全に消えている。

 火傷で呻く負傷者たちをすぐに別の者たちが回収し後方へ下がっていく。さらに他の部下数人が、火蜘蛛の遺骸から戦利品を手早く集め始める。

 集団の頭になっていたのがさっきの火蜘蛛だったのだろう。あれほど湧いていた死霊たちがすうっと引いていた。


 後を追うか?

 駆け寄ってきたサイネルと目配せをしあっていると、近くに展開している部隊の狼煙代わりの笛の音が聞こえてきた。基地からの退却命令だ。

 サイネルが外套を肩にかけてくれた。炭になった衣服の成れの果てが、癒着した古い皮膚と一緒に剥がれ落ちる。その感触に鳥肌が立つ。新しい皮膚はすでに感覚も正常らしいと、安堵もする。


「隊長、背中が」

「気にしなくていい、無事で良かったよサイネル」

「突き飛ばされたときはしまったと思いましたが、相手があなたでよかったです。自分を庇って死なれたら後味が悪い。あなたはなかなか死なないので」

「ほかに言い方があるだろうに。ありがとう、とか」


 投げ渡された布で顔を拭う。べたべたしていてうまくきれいにできない。面倒になって放棄しようとしたら、サイネルに叱られた。迷惑だからちゃんとやれと。臭いだろうか。士気が落ちるのは困るので、四苦八苦しながら顔や髪についたものをゴシゴシ拭った。下手くそだったからか、布を奪い取られて、痛いくらい強くあちこちをこすられた。臭うしひりひりするし、最悪だ。


 あらかた身繕いが終わったのを見計らい、サイネルがめずらしく神妙な顔を作った。


「でも、今回は本当に申し訳ない。髪まで……」

「うん?」


 言われてみて、はじめて首の後ろに手をまわした。ざっくり編んでまとめておいた髪が、触れるとぼろぼろと落ちてきた。


「唯一隊長を女と判別するための特徴なのに」

「失礼だな、お前は。まったく……。あとで整えてくれ」


 イェシュカに会いに行ったらびっくりされてしまうな。何度となく彼女に結ってもらったこの髪は、そのたび褒められるのが嬉しくて手入れも頑張っていたのだ。このところサボりがちになって荒れていたが、短くなるなら手入れも楽になるだろうか。



 基地に帰還し、報告を済ませ会議に参加し、そこで負傷者や死者のおおよその数と所属を確認した。


 ビットの隊が半壊したのは、複数体の火蜘蛛に挟撃されたからだという。林という場所がいけなかった。木は、火蜘蛛の足場にもなってしまったし、可燃物が多くて被害を増大させた。


 戦死者、行方不明者の確認は、遺体が焼けてしまっていて身分がはっきりしないゆえにまだ完了していない。全体で見れば微々たる損害で戦果は上々だが、私は嫌な予感が拭えなかった。


 その夜私は食堂で、酒のグラスを前にじっと友人の到着を待っていた。明け方まで。

この話、読んでくれてる方がいらっしゃるのかなあ? と思いながら毎度更新してます。

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