#35 ハイリー 祝福と別れのとき
デボス部分に金箔を貼り付けた瀟洒な招待状を開封し、ため息をついた。初めて友人の結婚式の招待を受けた。送り主のクラウシフとイェシュカの結婚式は目前となっている。
本音は出たくないのだが、家の付き合いで父も兄も出席するのに私だけ欠席のわけにもいかない。
クラウシフとイェシュカの婚約から少しだけ月日は進み、私は無事に学舎を卒業した。彼らの結婚式が終わり次第、前線へ向かう。その日取りも具体的に決まっていた。
新月祭が終わってからというもの、クラウシフとイェシュカは常に一緒にいて、二人の世界を築いていた。他の人間が話しかけるのをためらうほどだった。私やドニーもそうだ。当然、ビットも。
なによりビットのことが心配だ。祭以降、ほとんど学舎に顔を出さなくなった彼を心配し、何度かドニーと二人で彼の家に訪ったが、具合がよくないと門前払いされて会えなかった。ちゃんと卒業できる分の出席日数は稼いでいたらしい、それだけはほっとした。
◆
入営後、実務的な知識は、その配属先で実際に携わって学んでいく。
早ければ数ヶ月で初陣だ。
胸が躍るし、緊張もする。いくら上官が身内とはいえ、命がかかる場所なのだから甘えは許されない。果たして自分の剣や槍が魔族相手に通用するだろうか。
結婚式の翌日朝には出立の予定なので、ここに来るのは今日しかない。そう思って、私は久々にイズベルの家の地下へ赴いていた。
テリウスと切り結んでいたあの地下室。今はちゃんと居室のようになっている。毎回、テリウスとうんうん言いながら家具を退かすのは手間だった。かといって、祝福の鉄扉の外にもう一部屋増築……なんて簡単にはできず、我々はまいどまいど、訓練の前の体を温める工程にその家具移動を利用してきた。懐かしい。さほど時間は経っていないのに、……まさか寂しいのだろうか、私は。
三人がけのソファにごろり寝そべっていたテリウスは、私の訪いにのっそりと身を起こした。
「おお、そういえば明日か? お前が出立するのは」
「明後日だ。その前に一応挨拶を」
敬礼した。ちゃんと式服を身に着けてきた。それが礼儀と思ったから。
「テリウス・ユーバシャール。あなたのおかげでこうして私は夢を叶えることができた。感謝しています。毎回殺されそうになったり慰みものにされそうになったのも、恨んではいない」
「どの口が嘯くやら」
くつくつ笑い、テリウスが私を手招きする。私は棒立ちのままだ。
「可愛くないなあ。別れの抱擁くらい、素直に受け取っておけ」
「結構です。出立前に腕を折られたりするのは勘弁願いたい。この服だっておろしたてだから汚したくないし」
「それより、一度オレに抱かれてみる気はないか? イズベルの言ったとおり、お前はなかなかよい娘になった。前線でどこかの男に襲われるまえに」
「そんな不覚はとらない。というかそんな不届き者になにかされるのも、今あなたに身を委ねるのも変わらないじゃないか。叔母上に恨まれるのも嫌だし。
それより、私が前線基地でよい相手とめぐりあって結婚する気になったとして、あなたを自由にするという約束を反故にしたら……と心配しておもねっていたほうがよいのでは?」
「お前、なにをしに前線に行くんだ。それに、お前が誰かに恋をするか?」
頬杖を自分の膝についたテリウスがにんまり口の端を上げる。意地の悪い男だ。冗談で返しただけなのに、言葉の選択を間違えた、と苦い気持ちになる。
「本当に、ここから出たくはないようだな」
「怒るなよ、冗談だろう。それにそんなことは言ってない。出られたらぜひ行きたいところが山程ある。旅はいいぞ、暑さ寒さが堪えるが自由気ままにやれるからなあ」
強靭な肉体と膂力、それから長い寿命――不老不死かもしれないがそれの証明は、おそらく有限の命しか持たない他人にはできない――を持ちながら、祝福の鉄扉に阻まれたテリウスはこの地下室を出られない。祝福の鉄扉の外、屋敷の周辺には、前線にも張られている魔族の出入りを制限するための、メイズによる結界が張られているから、たとえ地下を脱出できてもどこへもいけないのだ。
人は自由に出入りできる結界から出られないということは、やはりこの男、本質は魔族寄りなのだと思われる。
それにしてもメイズは、テリウスの存在を知っていながら、なぜユーバシャールの隠蔽に手を貸したのか。やはり三英雄を無下にはできず、かといって存在を公表もできないからか? 別段、テリウスに今更死んでほしいとか消えてほしいと思っているわけではない。数年のやりとりで、好きではないが多少情もある。だからこそ、純粋な疑問である。
「はああ……つまらんなあ。もうお前で遊ぶこともできないのか」
「私で、ってなんだ。私でって」
「いつだったかお前が恋煩いでしょんぼりしてここにきたときは、久々に胸が踊ったぞ。恋に悩む女ほど見ていて楽しいものはない」
「意味がわからない」
「また顔を見せに来い。間違えても、やすやすと魔族どもに殺されてやるなよ」
「と、魔族が言っていました……ふふふ」
小突かれそうになったので、私は身を翻し、ドアの前で一礼して部屋を出た。
青肌の男は頬杖を突いたまま、にやついてこちらを見送ってくれた。
◆
そして、結婚式当日。
途中から天気にも恵まれ、素晴らしい一日になる予感があった。
参列者は多い。シェンケルの家の付き合いは古く広く、特に文官つながりの出席者が多いようだ。普段はあまり彼らと関わり合いのない軍人の父も、見知った顔がかなりいるようで、挨拶に余念がない。私はその隣でしばらく愛嬌を振りまく役をこなしていたのだが、時間になり父と別れ、新郎新婦の友人が固まっているあたりに移動した。
大柄なドニーはすぐに見つけられた。品のいい礼装にふかふかしていそうな体を押し込んで、彼は私に丁寧に一礼してくれた。おどけた顔でだ。
「いい天気になったね。結婚式にふさわしい」
「そうだね。いやしかしハイリー、君のドレス姿は素晴らしいね」
「お褒めに預かり光栄だ」
おやつがなにより好きだったドニーが、世辞の一つも言うようになったかと揶揄したい気持ちになったが、そうなのだ、私たちはもう大人になってしまったのだ。教会で成人の祝福を受けたときより、今そのことを実感する。
「ビットは?」
「……たぶん、出席してない。そもそも招待されたのかな」
音楽が鳴り響き、二人で正面に顔を向ける。人が作った花道を、新郎新婦が歩いてくる。その頭上から、参列者が白い花びらを浴びせる。白いドレスに身を包んだ新婦、その手をとってエスコートする新郎。一服の絵画のように完璧な二人だ。
私は最前列から一列後ろに引っ込んで、拍手を送る。
歩くイェシュカは蕩けるような笑顔を浮かべていた。ああ、やはり彼女は美しくて可愛らしい。その横顔を見て久々に胸が高鳴った。誇らしく思うのだ、そして嬉しい。経緯はどうであれ、彼女が幸せになることはよいことだ。
その向こうでイェシュカをエスコートしているクラウシフと、一瞬目があったような気がした。
◆
化粧直し……を口実に、父の知人だという男のしつこいつきまといから逃げ出した私は、髪を整え化粧室から廊下に出た。新郎新婦の挨拶まわりの時間だ、中座したところで誰も気にしないだろう。
静まり返った教会内の廊下でついたため息は、思いの外大きく響く。そのくらい静かだったので、背後から聞こえたわずかな衣擦れの音にも気づいた。
白の正装を身に纏った新郎が、なぜかそこにいた。きちんと髪をなでつけている彼は、背後のステンドグラスを透過した光を浴び、輪郭を七色に染めている。
なんて声をかけるのがふさわしいのかわからず――なにせ、新月祭からろくに言葉を交わしていない――私は目礼し踵を返してその場を去ろうとした。
「ようハイリー。今日は来てくれてありがとう」
なんだって変わらぬ調子で声をかけられるんだ、この男は。呆れて、足が止まってしまった。腰に手を当て、ちゃんと向き直る。
「ようじゃないぞ。まったく……クラウシフ、君は外交を担うなら根回しというものを覚えたほうがいいのでは?」
つい苦言めいたただの恨み言――君のおかげで振り回されたぞ――が口をついてでて、いけない、と自戒する。
今日は、結婚式だ。ふさわしい言葉は別にある。
なにか言おうと口を開いたクラウシフより早く、私は声を出した。
「今日ここに招待してくれたことは感謝している。君のはともかく、イェシュカの晴れ姿は、絶対に見たかったんだ」
「……そうか。期待通りだっただろう。我が妻ながら美しくて困る。見せびらかすより閉じ込めておいた方が精神衛生上いいくらいだろ」
「大事にしろよ。ぞんざいに扱ったらどうなるかわかっているな。私の親友だぞ」
「イェシュカが聞いたら喜ぶな。あいつ、お前と話ができないと泣いていた。できれば見捨てずに相手してやってくれよ、頼むぜ」
この私が断れない筋運びに持っていくなんて、小賢しく、やはりクラウシフなんだなと納得する。なんでこんな清々しい気持ちにさせられるのか。
「当たり前だ。君は、昔っから私の一番の腐れ縁だし、イェシュカは死ぬまで、私の親友だ。わかってることじゃないか」
「ハイリーっ!!」
背後から強烈な体当たりを食らって、私はよろめいた。ドレスの裾を踏んづけなくてよかった。破って父に叱られるのは、子どものころだけでじゅうぶんだ。
ぼろぼろ涙をこぼす襲撃者――花嫁衣装のイェシュカを抱きとめる。クラウシフを探しに来たのか? 彼女の背後、廊下の角で尻もちをついたアンデルも見つけた。
イェシュカは髪や化粧が乱れるのもお構いなしに、私にすがりついて泣きじゃくった。
「ごめんね、ごめんねハイリー……。ごめんなさい」
子供のような、憚りもない泣き声だ。
何に対する謝罪か? すっとぼけるのも意地悪というものか。まだちくちく胸に刺さるものはあったものの、傷は癒えかけている、そう確信した。だから私はイェシュカを抱きしめ、その髪を優しく梳いてやった。赤い石の首飾りに絡んだ一房をそっと解いてやる。古めかしいそれは、たぶんシェンケルの代々伝わる宝物とかそのあたりだろう。つまり彼女は名実ともにシェンケルの人間になったのだ。今日を持って。
きっとこのまま、イェシュカとクラウシフが並んでいる光景が当たり前になる日がくる。そのころにはこの寂しさだって、笑い話にできるはず。
◆
式場から出るときに餞別にとドニーが珍しい細工の文箱をくれた。貝のきらめく真珠層部分を貼り合わせ模様をつくったというそのつややかな箱は、遠国ルジットから流れてきたものだという。美しくて実用的なそれを、私は感謝の言葉とともに受け取った。
ドニーはこれから諸国を回って修行し、商売をする実家の跡を継ぐという。会う機会は少なくなりそうだが、いつか美味しい酒を飲もうと再会を誓った。
友人との別れを惜しみながら、父とともに車に乗り込み、式場を去ろうとしたとき、私に声を掛ける者がいた。
「ハイリー、待って!」
アンデルだ。
礼服を着込み、髪を上げていると、その繊細な顔つくりにはっとさせられる。アンデルの母上も大層な美女で、別の男性と結婚する話が出ていたのに、前妻の喪が明けたばかりのシェンケル氏と電撃結婚したという。きっとそこには人知れぬ熱い恋物語があるのね、と母が話していた。その美しい女性の血を感じさせる成長ぶり。この一年で、彼は大人びた。外見もそうだが、内面も。傷ついた私を励まそうと、ナイトになってくれると言い出すくらい優しい子だ。それが嬉しくもあり心配でもあった。
車を降り、背が伸びて少し目線が近くなったアンデルと向かい合う。彼は艶のある布張りの薄い箱を私に向けて突き出す。
「これ、僕からの贈り物。持っていってほしいんだ」
「ありがとう、開けてもいい?」
箱に入っていたのは青みの強い金色で罫線が印刷された便箋と封筒だった。
きっと高かっただろうと思う。紙自体も白くすべすべで、厚みも均一。上等な品だとひと目でわかる。
「いいのかい、アンデル。こんな素敵な餞別をもらっても」
「ハイリー……その……」
そわそわ、視線をさまよわせていた彼は、意を決したように体側でぎゅっと手を握りしめて顔をあげる。
「時間のある時でいいから手紙をくれる? 僕も書くから、ハイリーにも書いてほしいんだ」
「それはもちろん。ただ私は無精者だからなあ、君を待たせてしまうかもしれないよ」
「それでもいいよ。待ってるから」
アンデルを抱きしめる。彼はすぐにぎゅっと抱き返してくれた。
いろいろなものが変わってしまったのに、彼は変わらない。そのことにたまらなく安堵する。こうなってみて、ああ、この子を捨ててどこかへ行くなんて考えるだけ馬鹿だったのだと確信した。もしそうしていたら、私はきっと、その後の自分を許せなかっただろう。
本当は、そばにいてその成長を見守りたいが――。
深呼吸して彼の頭頂部にキスをし、身を離した。
寂しげに顔を曇らせたアンデルに見送られ、私は式場を後にした。




