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#33 ハイリー 矜持と決闘

 ちょうど教室から見下ろせる裏庭の真ん中で、二人は睨み合いをしていた。講師(おとな)たちは? そうか、今日は毎週定例の会議で本棟にほとんどが集まってしまっている。ここでの騒ぎが知れるまで、そして誰かが駆けつけるまでにまだ時間があるのか。


 腕を押さえたビットが、半身になって剣を構える。負傷した箇所をかばう構えだ。刃を潰した模擬試合用の剣だが、強く当たれば怪我をする。だらんと手が垂れているところをみると打撲か骨折か。真剣だったら腕が落ちていたところだ。見覚えのある揃いの意匠の剣は、剣術クラブの備品だろう。こんなことに勝手に使うなんて、馬鹿者ども。

 軸にする左腕を負傷してもう勝敗は決しているのに、ビットは構えを解かない。

 対するクラウシフは余裕で、息もあがっていない。

 

 ぱらぱらと円形に彼らを取り囲んでいる級友が、みな固唾を飲んで見守っている。そのなかに青い顔をしているイェシュカの姿があった。口を押さえて震えていたのだが、私の姿を見つけるとはっとなって叫んだ。


「ハイリー! おねがい二人を止めてっ」


 ちらり、クラウシフがこちらを見た。眉間に一瞬だけシワを寄せ、すぐに不敵な笑みになる。その隙を突いてビットが深く踏み込んだ。喉を狙った刺突、当たれば刃がなくとも死ぬ。

 

 私は体重の乗ったその踏み込みの前に割り込んで、ビットの手首を掴んだ。そこを軸にして彼の脇の下に自分の肩をねじ込み、脚を払う。大きな体が宙を舞い、一瞬の滞空のあと、どすんと鈍い音を立て地面に叩きつけられる。


「ぐ……っ!」


 弧を描いて跳んだ剣を空中で掴み、まだ立ち上がろうとするビットの首筋に突き付けた。観客から悲鳴があがる。


 殺意のこもった睨みが私に向けられた。ビットは元来物静かで、こんなに感情を顕にする男じゃない。


「なに馬鹿なことをしている! 勝負はついただろう。なおイェシュカを泣かせたいのか」


 ビットの灰色の双眸が、ちらっとイェシュカの方に向いた。そして悔しげに伏せられる。

 くたりと地面に伸びてしまったイェシュカは、気を失ったのかもしれない。周囲の女子が抱えるようにしてその場から連れ出した。


「なにをしているのです!」


 高い声がし、生徒の人垣が割れる。ようやく、講師たちが到着したのだ。彼らは仰向けに寝転んだビットの喉元に剣を突きつける私を見て、息を呑む。

 面倒なことになった。眉間に力がこもるのが、自分でわかった。



 医務室で診てもらうと、ビットの腕はひどい打撲傷ではあったが、骨折ではなかった。ちゃんと手当てをしておけば、いずれ癒えるだろう。


 上着を脱いで上半身裸になった彼が、包帯でぐるぐる巻きにされた腕を忌々しげに睨んでいる。数台のベッドが並んだ日当たりの悪い部屋は、日が沈んで暗くなってきたのもあって非常に陰気だった。


 いつも詰めている医師が経過の報告へ部屋を出ていき、ビットと付き添いをしていた私だけが残っている。他の学生はみな、もう学舎に残っていないだろう。失神したイェシュカは家の人が迎えに来て、とっくに帰った。クラウシフはもしかすると事情を聞かれているかもしれないが、そちらは知らない。とばっちりで散々問い詰められた私にあとで謝りにくればいい。


「一体どうしたんだ。クラウシフになにかされたのか」


 床を睨むビットに、私は声をかけた。粗末な椅子が、体重移動で軋む。

 先程まで、さんざん他の大人たちが問いかけても、この男は口を開かなかった。親を呼ぶと言われてもそれは変わらず、講師たちを閉口させていた。


「それも知らずにあの場に割り込んできたのか、ハイリーは」

「そうだ。ビット、もしあのままクラウシフの喉に剣を当てていたら、殺していたんだぞ。わかってるんだろうな」


 むっとした様子で、ビットはまた口をつぐむ。あえてそうしたのだと言いたそうな顔。


「なあビット、なにがあったか話してくれ。もしあいつがなにか君に無礼を働いたなら、決闘なんかせずにまずは抗議すべきだ」

「抗議、な」


 ぷっとビットが吹き出す。失笑、嘲笑。自虐の色もある。


「あいつは俺の前でイェシュカに求婚したんだよ」

「求婚?」


 意味がわからず、私は首を傾げた。


「イェシュカに、わざわざ級友の目の前で『結婚を前提に交際してほしい』と膝をついた。俺もその場にいた。当然、抗議したさ。しかし奴の言い分はこうだ。お前ら、正式に婚約したか?」

「本当にクラウシフがそんなことを?」


 信じられない。

 彼は別の女性を選ぶとわかっていたものの、その相手が恋人のいる子で、しかもその恋人がクラウシフ自身の友人ともいえる男。その選択は想像もしていなかった。


 なぜだろう、私はもう彼とはそういう展開がない、他人事だとわかっているのに、裏切られた気持ちになった。


「いくらなんでもふざけていると俺は強く抗議したがあいつは聞かなかった。正式に、ケートリーにシェンケルから婚約を打診すると言い出した。

 うちは……両親が反対なんだ、イェシュカと結婚するのを。だからまだ婚約に至ってない。それをいいことにあいつ、イェシュカの手にキスをして」


 テリウスに胸を蹴り飛ばされたときのようにぐっと息が詰まる。


「それで、どちらがふさわしいか、古式ゆかしく決闘するかと挑発されて……馬鹿だな、勝てるわけもないのに。これで俺は、イェシュカに今までのように気安く話しかけることもできない」


 額に手を当て黙り込んだビットは深く傷ついているように見えた。それはそうだ、学級内で知らぬ者はいないほど仲睦まじい恋人同士だったのに、その恋人を横から掠め取ろうと――いや、堂々と掻っ攫おうとした男に叩きのめされてしまった。

 正確には、ビットにトドメを差したのは私で、いまやそのことをすっかり後悔していた。


 クラウシフはなにを考えているんだ。

 どうしてイェシュカに? たしかに彼女は魅力的だが、それにしたって――。


 考えがまとまらないままだが、苦しげな顔のまま硬直している級友を慰めることにした。


「しかしビット、たとえクラウシフがイェシュカにちょっかいをかけようとも、あの子がクラウシフになびくわけないんだ。そうだろう? イェシュカを信じて」

「だが、もしケートリー家がシェンケル家から申し込まれた婚約を受諾したら? そうしたらイェシュカだって断りきれないさ」

「だったらふたりで逃げればいいだろう」

「逃げる?」


 ビットは、いつだかイェシュカがふざけて公園の池に彼を突き落としたときと同じ面持ちをしている。


「……はははっ」

「何がおかしいんだ。私は真面目に言ったんだ」

「いやあ、まさかハイリーの本性がそんなロマンチストだったとは思わず。すまないな」


 真にロマンチストだったのは、君の恋人を掻っ攫おうとしたあの男だぞ、と心で注釈を加える。口だけで実行しなかったが。


「しかし……そうだな。たしかにそうだ。俺は、イェシュカと一緒になりたい。両親に反対されたとしても。それに変わりはないんだ」


 自分を鼓舞するように、ビットは口の端をあげた。先程よりかは表情が明るくなっている。よかった。


「そうだ、その意気だ。応援する。もし駆け落ちするときは声をかけてくれ、なにか餞別をおくるよ」

「駆け落ちしなくても済むように祈っててくれよ」


 ビットが手を差し出してきたので私は彼と握手した。剣だこのある大きな手だ。


「それよりハイリー、君こそクラウシフとはどうなんだ? このタイミングで聞くのもなんだが、俺はてっきり君たちこそ結婚するのかと」

「あるわけないだろう、そんなこと。私とクラウシフだぞ」

「胸を張ることか?」


 おどけてみたものの、不意打ちで寄せられたその問いかけは、私の胸に鋭く刺さった。


 きっとイェシュカは大丈夫だ。そのときは私も、もちろんビットもそう確信していた。


 翌日から、公然とはじまったクラウシフの求婚に、周囲の女子たちは引いていたのに、いつの間にか憧憬を持って見つめるようになったし、男子たちだってその度胸を褒めそやすようになった。


 私は教室の端でその様子を白白とした気持ちで眺めていた。そういうことは時と場所を考えてやれよと諌めて軽い口論になってから、クラウシフとは口をきいてない。ビットもそうだった。イェシュカはひたすらに困惑した調子で、ときどき助けを求めるように私やビットに視線を送ってきた。そして、クラウシフの求婚を断りつづけた。


 ドニーは私たちの間に走った亀裂に戸惑ったようで、おどおどしていた。それを修復しようというのか、商家である実家で買い付けた珍しい異国の土産物などをみんなにふるまってくれたが、五人が同じテーブルに集まることはなかった。気を遣わせてしまって彼には申し訳ないことをした。


 イェシュカがクラウシフの求婚を断るたび、私はほっとした。ビットのことを思ってだ。そして、自分の手の甲に口づけたクラウシフのことを思い出して。

 クラウシフがうやうやしくイェシュカの前に膝をつくと、直視できないほど苦しかった。イェシュカも苦しげな表情をしていた。その表情に安堵していたのだ。


 だが、ある日、イェシュカは小さくうなずいた。


「わかったわ、クラウシフ。では明日、一度お茶しましょう。ただし、二人きりではなくてよ」

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