#27 ハイリー 決意新たに
腰や下腹部を苛む疼痛が薄れたころ、なおどんより沈み込んだままの気持ちを持て余した私は、家にいた四兄にお願いして、剣の稽古をつけてもらった。あの晩のことを四兄はなにも言わないし、私も話さない。自然と口数は少なくなったが、その分、稽古は充実した。
母は、もう十歳の子供ではないのだから女らしくしなさいと、私が剣を持つことを嫌がるが、兄たちは、ユーバシャールの娘だ剣に親しんでよかろうと、私の肩を持ってくれる。
私がなぜそこまで剣に夢中になったのかといえば、同い年の友人のなかで自分が一番達者だという自覚があったからだ。とくによく手合わせしていたクラウシフにだけは負けたくなかった。彼がどんどん背が伸び腕が太くなり、近頃押し負けそうになるのが腹立たしい。その友人を、純粋な剣の技量でねじ伏せると、とても胸がすいた。
もちろん、それだけではなくて、無心になって剣を振ったあとは、言いようもない清々しさが待っていることを知っていたからでもある。
へとへとになるまで四兄に稽古をつけてもらい、汗とともに鬱憤や不安は消え、数日の間悩んでいた気持ちが定まった。
剣を置いて兄に一礼し問うてみた。
「私の剣技はよそで通用すると思いますか?」
兄はうっすら額に滲んだ汗を拭って、ようやく笑顔らしきものを作ってくれた。
「そうさなあ。まあ、悪くないと思うぞ。俺も来年には軍に入ることになってるが、手合わせした同期のへぼなヤツよりお前は勘もいいし筋もいい」
「身内の欲目はないですか?」
「そういうなら、俺の同期と手合わせしてみたらどうだ? そいつらと手合わせするくらいなら、俺は汗一つ掻かんぞ。兄上たちにも聞いてみろよ。
ただ、お前は女だからな、この先力業では勝ち残れまい。そこを工夫して、力押しでくるやつをいなせればな」
「いなす……。なるほど」
「どうしたハイリー。まさか、入営するつもりか」
「ええ。そのつもりで、父上にもお願いしようと」
からかい調子でにやついていた兄の顔が引き締まった。
「本気で言っているのか? 茨の道だぞ」
「不可能ではありませんよね。必要な条件は満たしています。健康だし、ギフトもあるし、剣技もこれからさらに磨きます。まさか女だからだめというのですか」
「そうだ。女の軍人は少ない。体力的に不利だし、多方面で不便な思いをするのは目に見えている。お前も少し考えればわかるはず」
「それでも、私は叔母上の家に行くよりそちらのほうが好ましいのです。というか、元からそういう願望はありました。それが『できたらいいな』から『必ずそうしたい』に変わっただけです」
叔母の家でなにがあるか、知っていたんだろう。兄は目を伏せ、ゆるく首を振った。
「父上がなんと言うか……辛い道だぞ」
「自分で選べば辛くはありません」
「それはお前がまだものごとをわかってないからだ。……だが、止めはしない」
兄は、私の肩を叩いた。そのまま掴まれ、励ますようにぐっと力を込められる。
◆
あの日以来、母は身体の調子がすぐれない。明らかに心労が原因だった。
母に軍人になりたいなんて急に話したら、よけい具合が悪くなってしまうかもしれない。そう思って、私は母に相談することなく父に話すことにした。気持ちがブレる前に、身近な関門は突破しておきたい。勢いが大事だ。
ちょうど二週間後に国主と会う予定があった父が、前線から戻ってきたので、夕食後に書斎に赴き、話をした。
私に甘い父のことだ、きっと渋々ながらも了承してくれると思っていた。
「そんなこと許せるわけがないだろう、ハイリーよ。あの方の要望を断れないということはこの際問題じゃない。前線でお前を命の危険に晒すなど、私にはできん」
「あんな男の言いなりですか」
「あの方、と言え。
先程も言ったが、それだけが問題ではない。イズベルを与えている限り、あの方は約束を守り地下から無理に出ようとはなさらないだろう。
たしかに可愛いお前をあの方に差し出すのは辛い。だが、前線にやるなどもっての外だ。愛しい娘を死地に追いやるなど……」
私にとっては、あの男に差し出される方がよっぽど死地に放り込まれるようなものだったが、それは言わなかった。私ひとりくらい、ぷらぷらしていても養う余力がユーバシャールにはあるだろうということも言わなかった。
名誉というものがいかに大切か実感したことはなかったが、両親や兄たちがそれをどれほど大事にしているかはよくわかっていた。居間に飾られた数々の褒賞のバッヂのきらめきを見れば子供だって察する。名誉のために、代々、戦死を尊び、異形に変わる血族を戦地に捨ててきた一族なのだから。
だが私は承服できなかった。
◆
「ほうほう。面白いな、お前は」
鷹揚にうなずき、青肌の男――テリウスはソファに深々と背中を預けた。開いた膝の上に軽く握った手を置いている。威圧感は相変わらず。正面のソファに座って向かい合うと、全身が緊張した。
叔母には席を外してもらい、この男との話し合いの場を設けてもらったのだが、彼女は多少不満そうだった。話す内容を教えなかったからだろうか。明らかにやきもちを焼いている。仲間はずれは嫌だなんて、子供のようなひとだ。
「多少の苦痛を我慢すればぬくぬくと生活できるのがわかっていて、魔族共になぶり殺しにされるかもしれない戦地に自分から行くというのか」
「あなたに飼われるのは多少の我慢では済まない」
「誰かほかに嫁ぎたい相手がいたのか?」
「いない。なぜすぐそういう色ボケした話になるのか。
私はもとから、可能であれば剣技を磨きたい、剣に生きたいと思っていた。だが母から、女は大人になったら結婚して子を成すのが使命と言われて諦めかけていた。
思わぬ形でその義務から開放されたので好き勝手しようと思っただけ」
「好き勝手!」
哄笑が地下に反響する。
「お前は好き好んで軍靴を履きたいというのか、変わった娘だ」
「あなたがうんと言ってくれれば、父もうなずいてくれると思う」
「加えて図々しい!」
涙を目に浮かべてひいひい言うテリウスは、これが天下の大将軍かと問いたくなるような姿だった。つまらないことで馬鹿笑いしているクラウシフとその仲間たちと、何が違うのか誰か説明してくれまいか。
「名誉のために、嫁がない私をそのまま置いてはおけない。
名誉のためにあなたをここから出せない。
名誉のために異形化した男は戦死しなければならない。
そんなに名誉が大事なら、もっと名を挙げればいいではないか。単純明快にそう思っただけです」
「それで父を飛び越えてオレのところへ陳情にきたのか」
「陳情ではなくて説得に。正攻法では自分ののぞみを叶えられないだろうから」
「なるほどなるほど。フィトリスにはオレから話してほしいということか。して、お前の望みを叶える対価は?」
「私がしかるべき地位についたら、あなたを自由にします」
「ははは、それはそれは楽しみだ、気長に待つことにしよう」
できぬと思っている様子だったが、構うものか。
黙り込んでいたら、テリウスがようやく馬鹿笑いをやめ、ふうと大きく息を吐いた。
「好い。では、フィトリスにオレが許可したと言おう。しかしあいつは認めまいよ。戦地で名誉を得るのはお前の兄たちでもできるが、オレのことをとどめ置けるのはお前だけだからな」
「どうにかしてください」
またテリウスの哄笑が部屋に響いて、私はうんざりため息をついた。
◆
素っ頓狂な声をあげ、クラウシフが黒い目を見開いた。
「軍に入る? お前がか?」
「なんだ、なにがおかしい。少なくとも、剣技は君より上だぞ私は」
夕暮れ時の学舎で、すべての講義が終わってから、私は一番付き合いの長い友人であるクラウシフに、たった数日前父に許可を得た自分の進路を話した。
このごろ背が伸び、制服の上着が窮屈そうなクラウシフは、変調をきたした声でくつくつ笑う。嘲笑だ。
「それは今だけだろ。ハイリー、お前、いくら頑張っても女なんだから、そのうち俺のほうが強くなっちまうぞ。ほれ、食うか?」
「食べる」
むっとしながらも、棒状に固められた練り菓子をひとつ受け取って口に含んだ。甘い。
手の指についた粉砂糖を、クラウシフがぺろりと舌で舐めとった。伏し目がちになったその顔が、大人びたなと思う。首も太くなって肩幅も広くなり、近頃真っ向から鍔迫り合いをすると完全に押し負けるようになってしまった。それを指摘されたのがことさら悔しい。敗北感を植え付けようというのか、膝をついた私に手を差し出したりする小賢しいやつなのだ、この男は。
つんと顎を上げて言い返してやる。
「そんな肉体的な優位だけに負けないくらい、鍛錬を積む予定だ」
「まさか、兵卒でやるわけではないんだろ? 士官でやっていくには、高等部で必要な座学の科目で一定の成績を収めないといけないんだぞ」
「君、私にそれを言うか?」
成績は良い方だ。それに、家族のほとんどが軍に属している私にそれを説く無意味さに、さすがに気づくべきだと思うのだが。
冗談や酔狂で言っているわけではないのだと、さっさとわかれ。
そう態度で示してやったら、クラウシフは肩をすくめた。
「またどうしてそんなこと言い出したんだよ。別段、しゃかりきになにかしなくとも、いいところに嫁にいって悠々自適に生活できるだろ、お前一応は名家の娘なんだし」
「なんだその言い方。私にだってやりたいこともあるし、事情だってあるんだ」
「なんだよその事情ってやつは」
にやにやしてクラウシフが私の肘を小突いた。隠しきれない好奇心。
さすがに、テリウスのことを話すことはできない。私は彼の真似をして肩をすくめ、はぐらかす。
「それよりクラウシフ、君の方はもちろん、家を継ぐんだろう?」
「長男だしな、面倒だがそのつもりだぜ。まったく、文官なんて性に合わない」
「だろうなあ」
「なんだよ、失礼なこと言いやがる」
「その言葉、そのままそっくり君に返すぞ」
また小突かれそうになったので、さっと躱したら悔しそうに舌打ちされた。いつになっても子供なやつだ。
近頃は小突かれると痛くて仕方ないから、避けるに限る。一度大げさに痛がったら神妙な顔で謝罪された。あれから多少手加減はしてくれているようだが。
いつもの流れで一緒に正門まで歩いていたのだが、途中思い出したように「だからなんで軍なんだよ」と言い出すクラウシフを煙に巻くのは手間がかかった。
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