表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

27/102

#26 ハイリー かくして恋は終わりを迎え

 全身の毛を逆立て戸に背中が当たるまで下がった私とは逆に、イズベルはゆったりとした足取りでその男に向かっていった。


「テリウス様、我が兄フィトリスの娘のハイリーです。先日お話ししました通り、類まれなる力を継承しました。御覧ください、美しいかんばせでしょう? 三年もすれば、テリウス様好みの娘になります」


 叔母は、するりとその男の膝に横座りすると、媚びを売るしどけない仕草で男の頬を手で包んだ。男女が人前で密着するなんてはしたない。そのように教え込まれていた私は、急に『女』の顔になった叔母に戸惑う。


 忌避感から目を背けようとしたが、それよりはやく、男と視線がかち合って金縛りにあった。彼は太い腕をイズベルの華奢な腰に巻き付けて、じっと私の顔を覗き込んでくる。


 その目の色ときたら。明るく広がりのある青で、底が知れず、抗いがたい引力を持っているのだ。

 

「よく来たなハイリー。こちらへ」


 背骨が痺れるような低い声。複数人が一気に話しているように層を感じさせた。距離は開いているのに耳元でささやかれたと錯覚する。全身に、冷たい汗が吹き出す。いるだけで男が撒き散らす見えない圧力に、私は本能的に屈し、萎縮してしまったらしい。初めての自分の変化に、さらに恐慌を煽られた。


 伸ばされた手を掴むことなどできず、私はただただ棒立ちして、その場から逃げ出したい気持ちと戦っていた。もし背後の扉が施錠されておらず、押して開くのであれば一目散に逃げ出していたに違いない。


「ははは、まるで人馴れしてない子猫のようだな。よい、なにも急に今晩から相手をしろと言っているわけではない。イズベルからなぜここに連れてこられたかの説明は……受けてないようだな」

「テリウス様がなさるとおっしゃっていましたよね」

「そうであったかな。まあ説明するほどのこともない。ハイリー、お前にはオレのトギを命じる」


 トギ?

 聞き慣れぬ単語に思考が停止する。

 言葉としては知っている。自分とその単語の結びつきが理解できなかった。

 だが、男のたくましい胸にしなだれかかり、蠱惑的にくすくす笑うイズベルを見て、強制的に理解させられた。


 かっと血が沸騰する。伽? 伽だと?


 昔語りで権力者が、無垢な村娘をいいようにする。そんな胸糞悪い話を読んだ時に知った単語だ。

 なぜ私が、見ず知らずの男にこのような侮辱を受けなければなならない。


 動揺した私をあざ笑うかのように、ふたりは私を無視して口付けを交わした。わけのわからぬ展開で、私は言葉を失いただ呆然と、目の前の破廉恥な情景を見つめるしかない。足がぐらぐらするような羞恥と嫌悪に苛まれながら。


「んぐ」


 私が、いい加減にしろと怒鳴りつける直前に、イズベルの腕が外れた。男に手荒く引き寄せられたせいだ。嫌な音が聞こえて、私は肩をすくめた。


「ああ、すまぬな、イズベル」

「いいえ、……ほら、もう、治りましたので」


 イズベルが顔をしかめていたのは一瞬で、すぐに気遣うように笑ってみせる。怪我をさせられたのは、イズベルの方だというのに。


 男はイズベルを労るように、彼女の髪を梳る。時折力加減を間違えてか、白い頬に引っかき傷を作りながら、私を注視した。


「お前は力見の儀式でイズベルを凌ぐ力を示したのだとか。よくやった。オレのことは父親から聞いているか?」


 私は必死に首を横に振った。この汚らわしい生き物を、父がどう説明するというのか。父は魔族に知り合いが?


「そうか。オレはお前のことをよく聞いている。主にイズベルからだがな。

 まずは、自己紹介をしようか。テリウス・ユーバシャールだ。名前くらいは知っておろう? お前たちの言う、プーリッサの三英雄、始祖たる男だ」


 瞬間、恐怖と嫌悪を凌駕する怒りで金縛りが弾けた。


「なにを言う! 始祖がお前のような魔族であるわけがない」

「ははは、威勢がよいな。好い好い。しかしそれが事実であるぞ。オレも五百年前はお前たちと同じように白い肌をしていたのだ。ところが、前線で魔族共の魔力に当てられていたら、己に混ざる魔族の血が濃くなってしまったのか、このような容貌になってしまった。ギフトの濫用も原因かもしれんな」

「嘘だ!」

「なにを根拠に嘘という? お前たちがギフトと呼ぶ異能が、魔族の血が濃いものに発現することはさすがに知っているな」


 彼は、いきり立つ私をからかうように、眉を跳ね上げ口の端に笑みを刻む。


「だとしたら……だとしたら他のご先祖さまも前線でずっと魔族と戦っているのだから、同じように魔族になってしまうじゃないか」

「そうだな。だから慣例になっているのではないか? 戦場で命を散らすのが」


 私は言葉を失った。かつて調べた、先祖たちの末期(まつご)が脳裏によぎったのだ。


「魔力に当てられ、魔族化が進んだユーバシャールの男たちは、その正体が露見する前に、前線でわざと命を散らすのだ。遺体が戻ってこなくとも誰も疑問に思わないし、回復力を上回る怪我を負い損壊した遺体は、多少様子がおかしくとも、魔族共の仕業と思われて、誰も魔族化を疑わないだろう?

 この方法を思いついたのは、オレの長男でな。肌の色が変わり始めたオレに言ったのさ。『父上、英雄らしい最期を』とな。

 まあ、可愛い我が子が、可愛い我が国のためにした発言だ、老兵は従うべしと前線で魔族に殺されてみたのだが、なかなか絶命できなんだ。さらに魔族化は進み、このような顔になってしまったわけだ」

「そんな……そんな、でたらめだ」

「面白いのはそれからだ。

 五年ほど死ぬのに挑戦してみたが一向に死ねぬから、仕方ないので旅にでも出るかと、行き掛けの挨拶に我が家によってみたら、なんと、長男がオレと同じ理由で前線に送り出されて死んだという。

 お笑い種だろう?

 そこからユーバシャールの男で魔族返りが始まった者は前線で死ぬことになったのさ。名誉の戦死で家名を上げて、自らを葬る、なんとも合理的」

「信じない。もしお前が始祖様だというならどうしてこんなところに幽閉されているんだ」


 そう、まさしくこれは幽閉という言葉がぴったりだ。こんな、何重にもなった鉄の戸にさらに魔力で錆びつかないよう祝福までしているのは、この男をここに閉じ込めておく以外に、どんな目的があるというのか。

 私はきっと始祖を名乗る男を睨みつけた。


「さっきも言ったが、このようにみっともない姿のオレを衆目に晒せないと、子供たちは考えたらしいな。であればどこか遠くへ旅にでも出るさと提案したのだが、もしオレの正体が露見したら身の破滅だと、ここへ閉じ込められてしまったのさ。たしかに、身内に魔族がいたら、困るな。魔族狩りをしている家なのにな、ははは。

 やむなし、可愛い子らのためならばと我慢していたのだが退屈で退屈で。

 顔も似ない玄孫の代になって、あちらもオレを嫌悪して突っかかってくるしで、不満が爆発してちょっと暴れてみたら、一族総出で軍まで率いて止めにかかってきて、挙げ句にこの祝福付きの檻だ。

 どうやら本質が魔族に寄っているのか、普通の鉄の扉は破壊できても祝福付きの檻は破れなくてなあ。残念だ。ダメ押しに、屋敷の周囲にはメイズの結界まで張られては、ここにいると觀念するしかない。

 それでせめてと試みた交渉のかいあって、おもちゃをもらったのさ。本と酒だ。それから話し相手になる女。まあ、夜の相手もさせるがな、このように」


 イズベルが男の頬に自分の頬を擦り寄せる。私を挑発するように、目を細める。


「ただ、昔とは勝手が違うのが困りものでな。軽く力を込めると、華奢な女なんかすぐに死んでしまう。宛てがわれたどこぞの子ともしれぬ娘たちを短期間で壊してしまうから、当時の当主から苦情が来たのだ。苦情を申し立てたいのはこちらの方だ、別に殺人をしたいわけじゃない、勢い余って怪我させてしまうだけだ。それがわかっていながらこの仕打ち、あまりに虜囚への配慮がないだろうとまた暴れたら、今度は壊れても治るだろうと、自分の妹を差し出してきたのさ」


「いもうとを……?」


 私には弟も妹もいない。

 思い浮かんだのは、友人の五歳になる直前の弟――アンデルのほわほわした笑顔だった。小さな手で、一生懸命私の手を握りしめて、とことこ隣を歩く可愛い姿。このごろは言葉もかなり達者になり、兄のクラウシフに憎まれ口を叩くこともあるのだが、そんな様子にも和まされる。

 実の弟のようなアンデルを、このようなひどい目にあわされるとわかっていて差し出すなんて、死んでもできない。

 きっと、クラウシフだって私と同じだ。


 クラウシフの顔が脳裏に浮かんだ途端、目の奥が熱くなった。あの、お調子ものだがいざというときは頼りになる友人は、こういうときどう対処しただろう。考えてもわからない。とにかく今すぐ地下から逃げ出して、彼に話を聞いてほしかった。そんな馬鹿なことがあるかと鼻で笑い飛ばしてくれるはず。


「その娘は、イズベルやお前のように、ギフトが強い女でな。嫁いだが石女として婚家で冷遇されて離縁し戻ってきたのだ。可哀想だろう。身の置き場もなく年をとっていくだけだ。女で力の強い者は体が胎児を食らってしまうのだと言う奴もいたが、よくわからん。ユーバシャールとの縁故狙いで婚姻を望む家もあったものの、ユーバシャールの女は石女ばかりだという悪評がたってからは外に出さぬことにしたらしい。好きあって嫁いでも、他の女との間に産まれた子を育てるのはいろいろと問題が起こるからな。

 以来、我が子孫たちは強い力を持つ娘が生まれたら、オレのところへ捧げるようになったのだ」


 ではイズベルも、この男へ捧げられた生贄だというのか?

 彼女がひっそり、本家から離れた薄暗い家にひとりでいるのは、他の女子のように子を産めぬから、男の都合のいいおもちゃになるしかないからなのか?

 ――そして、いずれは、私も同じ道をたどるのか?


 急に、世界が暗く閉じる気がした。震えが走り、目の奥が熱くなる。


「お前はイズベルの次のオレの相手だな。ああ、別にイズベルに飽きたわけではないぞ。再生を繰り返すと、魔族返りが加速するし、なんのはずみに魔力切れで回復できずに死ぬかわからん。こやつには情もあるし、静かな余生を送らせてやりたい」

「そう思うなら、叔母上を解放しろ」

「おぼこにはわかるまいよ、傷つけるとわかっていても触れずにいられない情欲は」


 ふたりは見つめ合いまた唇を重ねた。私は今度こそ顔をそむけることができたが、叔母が鍵を持つ部屋から逃げ出すことは叶わず、ふたりの血の饗宴に付き合う羽目になった。

 目を閉じ耳をふさぎ、泣きたい気持ちをこらえるので精一杯だった。



 気づけば、私は叔母に手を引かれ、車に乗り込んでいた。血の臭いのまじる不快な地下室の空気が、肌にまとわりついているような気がして、私はずっと震えていた。おぞましくて、おそろしくて、一刻も早く家に帰りたかった。


 車中、強張った私の背を撫でながら、イズベルはうっとりつぶやくのだった。


「ああハイリー。わかったでしょう、可愛い子。あなたは始祖様のお情けを頂戴する栄誉に浴するの。なんて素晴らしい幸運かしら」


 夢を見るように、恋する少女のように、イズベルは繰り返した。

 地下で、一瞬でも彼女を「可哀想な犠牲者」と思った自分を、私は呪った。叔母は、すっかりあの男に心奪われ、私が自分と同じになることを喜んでいるのだ。それを最高に誇らしく嬉しいことだと。


 彼女に触れられたところがずぶずぶの汚泥に溶けてしまうように錯覚しながら、全身を苛む寒気に耐えるのに必死で、身を小さくするしかなかった。



 家に戻った私を母が出迎えてくれた。母は青白い幽鬼のような顔をして、私をぎゅっと抱きしめて、叔母の手からひったくった。

 叔母は上機嫌で帰っていった。


 床についても震えが止まらなかった私は、母に薬湯を飲まされ、眠れぬ夜を過ごした。母は、黙り込む私の背を撫でながら「ごめんなさい、ごめんなさい」とまるで罪を犯したかのように謝り続けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ