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#20 アンデル 葬列(前)

 私は包帯を巻いた腕を、布で首に吊った状態で、葬儀に参加した。体調不良が続いていたので、クラウシフやバルデランからは、無理せず別れの挨拶のみ参加し他は休んでいるように勧められたが、とてもそんなことできなかった。イェシュカの葬儀なのである。かといって、イェシュカの棺に花を供えるのは、辛く寂しい仕事だった。


 雨の式となった。


 私と甥たちは、黒い喪服に身を包み、同じく喪服のクラウシフの後ろについてぬかるむ墓地への道を歩いた。列席者は多かった。シェンケルにゆかりのある者、ケートリーにゆかりのある者、それからイェシュカ自身に縁のあった者。誰もが、元気だったころの彼女を思い、沈鬱な表情をしていた。


 棺のなかのイェシュカは、ケートリーが高額を支払って呼び寄せた腕のいい死化粧師のおかげで美しく粧っていた。頭部の傷は見えないように枕の周りの花で隠され、一体なぜこの綺麗な女性が亡くなってしまったのだろうと列席者を不思議がらせた。


 娘の早すぎる死に、ケートリー夫人は憔悴しきり、夫に腕を支えられようやく立っているような有様だった。彼女の方こそ、そのまま消えていなくなりそうだったが、それでも列席したいという気持ちは私も痛いほど共感できた。


 四歳の双子の甥たちは退屈さにきゃあきゃあ騒いでいて、六歳の誕生日を迎えたユージーンは事態をおぼろげながら察していたのか、硬い表情で私の隣に張り付いていた。物心がついていない双子はともかく、この子は母の狂乱の姿や暴力にきっと怯えていただろうし、今日からケートリーの家で世話になるのだとクラウシフに送り出されたり、しめやかな葬儀の場に連れ出されたりと、嫌なことが連続してその小さな身に降り掛かって、きっと心の負担になっていただろう。

 私はユージーンのことがとくに心配だった。イェシュカのように、彼まで心になにか暗いものを抱えてしまうのではないかと。だからその小さな手をギュッと握って、怖いものはないと教えてあげようとしたのだ。自分のほうが震えていたというのに、お笑い種である。


 クラウシフは、二度目の喪主ということもあってか、実に堂々と挨拶を済ませた。

 ヨルク・メイズならびに国の中枢を担う文官の歴々からの弔辞が読み上げられると、周囲の列席者からため息が漏れた。若く、将来この国を導くことを期待されている名家の当主、その美しい妻を見舞った悲劇を思ってだろう。あるいは、その将来有望な男の妻の葬儀に列席できたことを喜んで? ひねくれた考えが浮かぶほどには、城で繰り広げられるくだらない権力争いを目にしてきていた。


 イェシュカとの別れの挨拶の順番を待つ出席者たちの列がじりじり短くなっていき、その中に懐かしい太り肉のドニーもいた。彼はまるまるとした頬に涙の筋を作って、唇を震わせ、物言わぬイェシュカになにかを語りかけると、私たち親族に黙礼して踵を返した。傘からはみ出た厚く丸い肩や背中がじっとり雨で濡れ、今にもしぼみそうだった。


 列の最後尾は、赤い髪を黒い帽子に押し込んだハイリーだった。出席の連絡はなく、彼女は欠席だろうと思っていたので驚いた。至急の便による訃報が前線に届いてから、いつかのように無茶をしてこの場に駆けつけてくれたのは明らかだった。イェシュカの死の衝撃もあってか、普段は生気あふれる彼女のかんばせも暗く沈んでいる。


 彼女とイェシュカの別れの挨拶は長かった。イェシュカの白い頬に手を当てたハイリーは、じっと何かを語りかけるようにその顔を見つめていた。胸の前で組まれ、白いユリの花輪を持たされた華奢な両手をそっと撫でると、彼女はようやく立ち上がった。


 ハイリーと目が合った瞬間、私はそれまで胸のなかで凍りついていた激情が溶け出し、奔流となって荒れ狂うのを感じた。今すぐ、傘と甥の手を放り出して泥を踏み越え、ハイリーに抱きつきたかった。彼女の香りを胸いっぱいに吸って深く呼吸をしたかったし、この冷え切った体に、ぬくもりをわけてほしかった。

 だが、なけなしの理性がそうはさせなかった。私の手をにぎる甥の小さな手の感触が。


 クラウシフの合図に従い、親戚の男たちは棺を担ぐ。

 私は、腕を折っていたのでその列には混ざれない。甥たちは花束を持ち棺を追いかける役目がある。そこで私はユージーンを彼の祖父であるケートリー氏に託し、自らは棺の後を少し離れて追いかけることにした。


 棺の蓋が閉じられ、イェシュカの顔は見えなくなる。その段になって、ユージーンがぽろりと涙をこぼした。彼はそれでも立派なことに、渡された花束をしっかり持って、母の棺を追いかけたのだ。うっかり歩き出す方法を忘れその場に立ちすくんでしまった私とは違い、さすが兄の子だった。

 

 私が立ち止まっているせいで、列席者たちの行進がはじまらない。棺はどんどん先へ行ってしまう。行かなければ、と思うのに自分の足がまるで自分のものではないかのように力が入らず、私はぼんやりと立ち尽くしていた。


 肩を叩かれ視線を上げた。ハイリー。彼女が勇気づけるように強い目をし、私の傍らにいた。肘を支えてくれる。傘からはみでて濡れそぼっていた私の喪服をつかめば、彼女の手も濡れてしまうのに。


「アンデル、あと一息だ。さあ、足を前に出して。私も行く」


 雨にかき消されそうな小声だったが、私にはちゃんと聞こえた。そうだ、自分が行かなければイェシュカは休むことができない。はやく彼女を眠らせてやらなければ――。


 ぎこちない、ぜんまいじかけのおもちゃのような足取りで、私は歩いた。その距離が長かったのか短かったのかよく覚えていない。


 深く掘られた墓穴の前で待つ棺の隣に到着し、隣を見たらハイリーは他の列席者たちにまぎれていた。大きな体を小さく丸めて泣いているドニーの肩を撫で、彼女はなにか語りかけているようだった。


 列席者が次々に棺に土をかけ、イェシュカは眠りについた。最初と最後の一杯をクラウシフが担当し、私も、うまくはできなかったが、一杯だけ土をかけることができた。お休みイェシュカ、安らかに。そんな言葉を――心からの言葉を胸に。



 葬儀のあと、列席者たちには粗食が振る舞われるのが通例だ。

 生憎の雨で、さらにそのあとの豪雨の可能性もあり、式場の一室を借り切った振る舞いの席に残る人間は少数だった。ケートリー夫人は気分がすぐれないと帰宅し、その際に甥たちもケートリーの家に戻っていった。ユージーンが私と離れたくないと駄々をこね夫人を困らせたが、クラウシフが厳しい調子で名前を呼ぶと、渋々車に乗った。母を喪ったばかりの子供にそれはいささか厳しすぎると思わないでもないが――クラウシフにも余裕が無いのだろう。


 雨と怪我のせいでか寒気がしたので、私も中座することに決め、列席者に挨拶してまわっているクラウシフに声をかけようとした。


 クラウシフは、ハイリーと話していた。彼らが直接言葉を交わす姿を見たのは、いつ以来だったろう。以前は当たり前だった光景が新鮮に、いっそ不自然なように感じてしまうほど、久方ぶりだったのは間違いない。


 何かぽつぽつと言葉を発したハイリーが、下を向いた。彼女の二の腕を、いたわるようにクラウシフが叩く。

 その様子を、私は胸の疼痛とともに見ていた。

 私は励まされてばかりで、親友を喪ったハイリーの悲しみに寄り添うことができていなかったと言われた気がしたからだ。目を閉じ、なにかを語りかけるクラウシフのように、彼女の悲しみを分かち合う関係になかった。対等、その言葉を体現する二人を見て、相も変わらず、自分はハイリーに甘えてばかりの子供だと思い知らされた。クラウシフのようにもっと大人になれば、冷静に対処できるのか。そうも考えたが――私にはできそうにないとすぐに諦めの気持ちが胸に満ちた。なにしろ、兄と私が父を同じくしながらも、まったく似ていないということは、ここまでの人生で何度も確認済みの事実だったからだ。


 ちょっと離れた場所にぽつんとしていた私に気づいたのは、クラウシフの方だ。彼は大股で歩み寄ってきた。


「おい、顔色が悪いぞ大丈夫か」


 事故があってから彼と話す時間はほとんどなかった。イェシュカの亡くなった状況を話したときも、感情的にならず私に慰めの言葉を寄越すほど冷静な兄は、その時も私への労りに満ちた目をしていた。全くどうして、彼はこんなにも……頼りになると誇らしく思いながら、わずかに腹立たしさもあって、私はうつむいた。


「兄さん、申し訳ないけれど僕は帰ろうと思う。調子が悪いんだ」

「ああ、無理するな。……帰ってしっかり休めよ。メイドに温かいものを用意してもらえ」

「兄さんこそ、無理は禁物だよ。最後までいられなくて、ごめん」

「もう式は終わった。この先は適当に流すさ、会議のときみたいにな」


 さすがの兄も、冗句に冴えがない。

 よく務めた、とばかりにどんと背中を叩かれ私はたたらを踏んだ。

 クラウシフは振り返り、手招きする。

 

「ハイリー、帰るんだろう? 悪いがお前の車にアンデルを乗せてやってくれ。うちの車はまだ呼び寄せてないんだ」

「ああ、もちろん」


 一歩下がったところで見ていたハイリーが、再び私の傍らに立ち、肘を支えてくれた。どうしてか、あまり喜びを感じられず、クラウシフに一言残して私はその場を後にした。


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