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#15 アンデル 十四歳になって

 身体の不調が精神にも影響を及ぼしたようで、結婚式の後、父は呆けてしまった。ろくに言葉も発せず、ぼんやりと虚空を見つめるばかりで、ああもうじきだなと予感させた。その父が息を引き取ったのは、クラウシフたちの結婚式のわずか四日後だった。覚悟していたこととはいえ、やはり当日はバタついた。


 一番涙したのはイェシュカだ。クラウシフは忙しくて悲しんでいる暇もなかっただろう。

 私は、ああこれで自分とクラウシフだけになってしまったと思った。イェシュカもいるのに、なぜかこの広さだけは立派なシェンケルの屋敷に、兄弟二人だけで取り残されたような気がしたのだ。


 その年の暮れ、クラウシフとイェシュカの間に長男のユージーンが誕生した。さらに翌年もイェシュカは身ごもり、翌々年、双子の男児を出産した。あっという間に、兄夫婦は子供三人の親となったのだ。


 双子が歩き出す頃、私は十四歳になった。


 目方は増えず、背だけが伸びた。成長すればクラウシフのようになるかもしれないと期待していた分、早くもその軌道から逸れ始めている自分の成長過程に、正直絶望した。体を鍛えてみようと思って、剣技の達者な友人と打ち合いをした翌日は、外傷もないのに熱を出すし、クラウシフの助言に従って走り込みをしても、熱を出して講義を休むことになった。

 そのあたりで、どうやら自分は兄のようにはなれないらしいと悟った。


 生まれついた性質のなかには、どうやっても覆せないもの・矯正できないものがあることを、生物クラブの動物の飼育で学んでいた。

 歯並びの悪いウサギは治療してもまた歪んだ歯を伸ばすし、生まれた時は真っ黒な白馬もいずれはどうあがいても白くなるのだ。私は母似なのだろう。兄と同じ父の血を受け継いでおきながら釈然としないが、これはどうしようもない。


 そんな似ても似つかない兄より、イェシュカのほうが血を分けた姉なのではないかと思うほど、彼女と過ごす時間は心地よかった。彼女が、私に気遣ってくれていたのだろう。我々の関係は極めて良好で、明るく優しく、私を頼りにしてくれるイェシュカとの生活は、楽しかった。


 私は積極的に彼女の息子たちの面倒を見た。

 長子のユージーンは活発で、双子を抱えたイェシュカの手をすり抜けてやんちゃをするのが常だったからだ。彼の馬となり足腰が立たなくなるほど酷使されることもよくあった。


 くたくたになるまで子どもの相手をした私には、イェシュカのお得意のシナモンクッキーが振る舞われた。私の好きなお菓子のなかで一等おいしいのだ。報酬としては十分だった。

 どうしても食べたくなって、育児で疲れているところすまないなと思いながらも「イェシュカ、お願い、あのクッキーが食べたいよ」とおねだりすると、彼女は苦笑して手早く作ってくれた。「アンデルにお願いされて、作らないわけにはいかないわよね」と。


 手伝いがてらレシピを継承して、私もそれを作れるようになったが、どういうわけか、彼女のそれは私が作ったものより数段美味だった。焼き加減か、それとも隠し味をイェシュカが私に秘匿しているからなのか……。


 ユージーンたちの世話をしていて、どうしてハイリーが血のつながらない私を、実の弟のように可愛がってくれたかがちょっとだけわかった気がする。

 自分に全幅の信頼をおき、全力で甘えにかかってくる小さな生き物に、つい庇護欲を掻き立てられるのは人間の性だ。というか哺乳類はそのように作られており、他種族に対してでさえ庇護欲は掻き立てられる。本能なのだが、それに従って構っているうちに情や執着が湧いて、自然とそれが愛情に変化していくのだろう。私もご多分に漏れずその機能を備えていたので、どれだけ疲れているときでも、寝付けずに私の部屋のドアを叩き、泣きべそを掻いて絵本の読み聞かせを強請ってくるユージーンを拒めなかった。


 イェシュカの嫁入りを記念して建てられた立派な温室は、すっかり私の管理下に収まっていた。彼女は嫁いできてから懐妊まで間がなかったので、出産の準備に追われてそちらに手を回す余裕がなかった。せっかくだから使ってくれと、思いがけず私はその温室の使用権を借り受けたのだ。

 私は、小遣いをやりくりして入手した新しい種や苗も植えこんで、逐一、成長記録をつけていた。ユージーンの相手が必要ないときは、ほとんど温室にこもっていただろう。


 十五になれば、中等部の最高学年となり、高等部へ進学できるかの試験があったり、その後の進路を考える時期に差し掛かる。それまでに、やりたいことがあった。それが温室での栽培。

 シェンケルは代々外交を担ってきたが、私は将来、研究の道に進みたい。家長のクラウシフの許可と協力が必要不可欠なのは言うまでもなく、説得材料として形になるものが求められた。

 どこまでの結果を出せば、兄はうなずいてくれるだろう。彼の目は厳しいに違いないが、努力の結果はきっと見てくれる。そう自分を鼓舞し追い上げていた。


 クラウシフは、結婚後三年の間に誰もが認めるシェンケルの当主になっていた。父が一年近く臥せっていた間も彼は学業と兼業しよくやっていたが、めきめき頭角を表した。父という後ろ盾がない状態で、自力でどんな困難も乗り越えざるを得なかった過酷な状況が、彼の胆力と判断力を鍛えたのではないだろうか。


 議会に顔を出すため、クラウシフは連日、城に上がっている。国主ヨルク・メイズにも買われていて、なにかとお呼びがかかるようになっていた。家庭では、妻と息子たちをしっかり守る、理想的な父親になっている。甥たちは、私には甘え、わがままを言うのに、実の父親のクラウシフの前ではそんなこと一切しない。大きなイェシュカ譲りの鳶色の目をきらきらさせて、父の言うことをじっと聞くのだ。


 私は、甥たちとともに過ごしていると時々、自分の幼少期がくすんでいるように感じ、少しだけ寂しい思いをした。イェシュカに抱かれて笑っているユージーンたちを見ては亡くした母を思い、顔を輝かせてクラウシフの一挙手一投足に魅入っているのを見れば、自分には興味を示してくれなかった父を思い出す。


 そして、いつも思うのだ。私には、ハイリーがいてくれたではないかと。


 ハイリーは、軍に入ってすぐに実兄の部隊に付き従って臨んだ戦いで、さっそく大手柄を上げた。巨大な怪鳥を撃ち落としたのだ。彼女の武芸や用兵の冴えの評判が城に到達するのは早かった。


 国主ヨルク・メイズは冒険譚や英雄譚を特に好む。見目麗しく英雄の血を引く彼女の手柄を高く評価した。ハイリーは褒賞として騎士位を与えられたあと、すぐに自分の隊も与えられ、今では数百人を従えた隊の長だという。その隊を従えて、討伐困難な大物魔族を次々に打ち破っているというのだから、ある意味ヨルク・メイズの評価は正当だったと言えよう。


 それだけ聞けばまるで華やかな舞台のようだが、前線の真の過酷さは想像もできない。ハイリーが大金星を掲げたその年、イェシュカとクラウシフのよく知る人物、ビットが、西部基地付近の街道で魔族と交戦し落命した。訃報を受け取ったイェシュカは、相当な衝撃を受け、身重の彼女を周囲はかなり心配した。それもあってか、クラウシフとイェシュカは、ビットの葬儀には臨席せず、弔辞を送るにとどめたらしいが――。


 そんな危険な場所に、ハイリーはいる。帰ってきてほしかった。だが、誰がそう頼んだとしても、彼女は了承しないだろう。ここが自分の居場所だとばかりに、凛と笑うに違いない。強力なギフトと国主にも認められた実力があればこそ、その自信が湧くのだろうが、いっそそれがなければと何度思ったことか。……そのギフトのおかげで、少しだけ私が安心していられるのもまた事実だ。


 多忙なハイリーとは、結婚式以来一度も会えていないが、文通をしている。


 私の送る手紙の分量と頻度に比べ、多忙な彼女のそれは低いものだが、二月に一度は返事があるのだ、不満に思うことはなかった。私の送る手紙が彼女の負担になっていないか考えるという、当たり前の配慮に行き着くまで、しばらく時間がかかった。物理的な距離が開いても、むしろ以前より彼女と親密にやり取りできている気がして舞い上がっていたのだ。自分のためだけに彼女がペンを執ってくれている。そのささやかでどうしようもない特別感に浸っていた。



 その夜、私は届いたばかりのハイリーの手紙を広げていた。温室にいるうちに、執事のバルデランが机上に置いてくれたらしい。一気に元気が戻ってきた。


 彼女は、決まって文頭で自身の筆不精を詫びる。その予想が当たって、便箋を広げた私は、くすりとしたのだ。




 ――親愛なるアンデル。


 またも返事が遅くなってごめんね。


 もらった手紙は即日読んでいるのだが、落ち着いてペンを執る時間があまりないのだ。私が他の書類を仕上げるのが遅いからだと、副隊長などには言われるのだが、軍の書類というのはかなり面倒なものが多くて、未だに手を焼いている。面倒だからと横着して、子鬼と子蜘蛛の討伐数をわざと書かずに提出したら、揉めるからやめろと叱られてしまった。部下たちの報酬まで減ってしまうから、嫌われるぞと。


 たしかに、面倒だからと収入源を切り捨てられたら怒るだろうなあ。ただでさえ、猪のように突っ込むのはやめてくれと散々文句を言われているのだ、本当に捨てられてしまう。仕方なく、ちゃんと討伐数は書くことにした。もちろん、私の腕を折ってくれた妖狼の討伐はしっかり私の手柄として申請したよ――




 彼女の手紙を読む時は、わくわくしながらもハラハラする。ハイリーお得意の冒険譚の延長のようで。ただ、自身の怪我を面白おかしく書かれると、笑いよりも心配が先に立つ。そういう黒い笑い(ブラックジョーク)を受け止めるだけの度量は私にはない。




 ――イェシュカとクラウシフ、その子どもたちは息災かな。このところ、部下にも、妻が出産したという者が立て続けに出ていて、報告を受けるたびユージーンたちのことを思い出すのだ。

 といっても、顔を見たこともないから勝手な想像だがね。イェシュカの子供だ、さぞ可愛いのだろうなあ。祝いの品も渡したいところだ。近いうち、一度そちらに戻る予定があるので、都合が付けば、ぜひ顔を見せて欲しい。こちらから伺いを立てるから、そのときはよろしく。


 ところでアンデル。前線からほど近い森で、面白い植物の種を採集したんだ。確認したところ、毒性はないし、このままその近辺は伐採することになりそうだから、せっかくなので回収してきた。見たことない形状なので、生物クラブで観察するのも楽しいかもしれないぞ。同封するからよければ見ておいて。


 クラウシフの補佐と学業で忙しいとは思う、くれぐれも、体には気をつけて。次はもっと早く返信できるようにする。


 ハイリー・ユーバシャール――




 便箋と同封されていた小さな紙製の袋を取り出し中を検めたところ、細かなビーズのようなものが入っていた。光に当てると、紫がかった茶色に透ける、星のようなかたちのものだ。これが植物の種だというのだろうか。どちらかといえば、鉱物の結晶のような見た目だが。

 珍しいのは間違いないし、興味も湧いた。さっそく、次に図書館に行った時に、図鑑で調べてみよう。

 かばんの中に、小瓶をしまい込んだ。


 こうして戦地にいるハイリーと他愛もない内容の手紙をやり取りするのが、私の一番の楽しみになっていた。

 前線まで、手紙が届くには普通便で二週間ほどを要する。距離があるわけではなくて、いくつもの関を通っていくので、時間がかかるのだ。特急で届ければ、最短二日で到着するが、首都プレザの平均的な家庭の生活費一月分、料金を上乗せしなければならないから、よっぽどの火急でなければ、使用することはないだろう。


 前回手紙を送ってから、もうすぐ三週間経つ。行き違いでこの手紙が来たわけだが、ハイリーは辟易してないだろうか。まるで返事を催促するように思われていないだろうか。そんなことを心配しながらも、次に書く手紙の内容を考えるのが楽しかった。


 便箋を封筒に戻し、机上に置く。返事を書くのは明日にして、手元の明かりを消した。部屋は暗闇に包まれる。いつの間にか、走り回っていた子どもたちの足音も歓声も静かになった。とうに就寝時間は過ぎたのだ。


 ベッドに入り目をつぶった。明日は、クラウシフの付き添いで城へ行く。そのための準備は既に終えているので、あとはしっかり睡眠をとるだけなのだが、緊張か、ハイリーからの手紙で気分が高揚しているのか、長く睡魔の訪れを待つことになった。


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