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#14 サフィール 道すがらの星空

「サフィール。こちらの果実酒なら、酒精もきつくないし君も気に入ると思うよ」

「ありがとう」


 血のように赤い液体を、木をくり抜いて作った粗末で壊れにくい器に注いで、ハイリーが差し出してくれた。飲んでみれば、後味も軽くて、ほっと体があたたまる。


「美味しい」

「よかった。それを飲んだら、休んだほうがいい」


 弟たちは木陰に止めた馬車の幌の中で毛布にくるまって寝静まっている。昼間の長距離移動は彼らの体力を容赦なく削ったのだろう。

 体力の限界を感じているのは私も同じで、本当なら今すぐに眠りにつきたかった。肌寒いのに眠気で手足がぽかぽかしているし、まぶたが重い。


 ハイリーとふたり、毛布にくるまって焚き火を囲んでいる。今晩はここで野宿だ。野宿にもそろそろ慣れてきている。

 路銀を失ってからは、いくらハイリーが貸してくれると気前よく言ってくれたとしても、節約を心がけるようにしてきた。野宿も厭わず。この先いつ、いくら金が必要になるか、見通しが立たないからだ。幸いなことに、今晩は天気もよい。水場も近く、野宿にしては好条件である。


 プーリッサからルジットまでは馬でも三ヶ月以上かかる。しばらく馬車の用意もできなかったから、少なく見積もっても出発から四ヶ月、ここからあと二ヶ月はかかるのではないだろうか。地図を見たところ、ハイリーも同じような事を言っていた。


 空っぽになった器を置いて、私は首を横に振った。


「ありがとう。でも、あなたが先に寝る日だ」

「私はまだ元気だから、見張りを交代しよう。起こしに行くまで休んで。なんだったら、移動中に眠るだけでもじゅうぶんなんだ、私は」

「……それじゃあお言葉に甘えることにするよ」


 毛布を抱えて立ち上がり、私はハイリーに目礼して、馬車の幌の垂れ幕を持ち上げ、寝息をたてる弟たちの横に滑り込んだ。

 焚き火に照らされたハイリーの横顔は穏やかで、あの日、鬼のような剣戟を見せつけたのと同一人物とは思えなかった。


 横になって、目をとじる。すぐに心地よい眠気に体が、頭が支配される。眠りの淵に落ちながら、いつも思うことを反芻する。


 彼女は何者なのだろう。

 不思議な人だ。

 

 人を探して、ルジットまで行くのだと彼女は言った。彼女が探している人とは誰なんだろう。……家族? 友人? 恋人?


 それは知らないが(こちらからも深く尋ねたりしないからだ)、彼女が元からこういう流浪の生活をしている人ではないと、二月ほどの同行で気づいていた。


 立ち寄った街で買い物をするとき、しげしげと品物を見て「こんなにするんだなあ」と首を捻っていることがある。日用品でそれだ。そして相場から考えて、さほどその店が高価ということもない。おそらくは彼女は自分で買い物をしない人なのだ。それが許されてきた人。


 私もつい癖で、宿で食事をするときなんかに、彼女の椅子を引いてしまうことがある。するとハイリーはためらうこともなく、優雅に一礼して、洗練された所作で腰を下ろすのだ。そう扱われるのに慣れている態度だ。おそらくは日常的にそういうことをされてきた。


 彼女は手跡も美しい。宿帳に記す名前は、きちんと教育を受けたのだとわかる達筆さ。

 時々、私の持っている数少ない書籍を、見張りの間の暇つぶしに貸してほしいと言われるが、とくに困った様子もなく難解な文章もスラスラ読んでいる。それに、地図に関して言えば、私などよりよっぽどその把握力に優れていて、詳しい。

 発音も、よい教育を受けたのだなと、そして彼女もプーリッサの出身なのだと教えている。


 彼女はどういう人なんだろう。近頃は、それが気になって仕方がない。はじめは警戒していた。急に現れた剣の達人の美女が、同行させてほしいなんて言い出したら、裏切りにあったばかりの人間は当たり前だが警戒する。

 一緒にいてみると、彼女は弟たちにも優しく朗らかで、私にも友好的に接してくれて……距離感が心地よいのだ。弟たちも自然となついている。


 もし、尋ねてみたら彼女は自分の事情を教えてくれるだろうか。

 知りたい。もう少しだけ彼女のことを聞いてみたい。

 だが、それには自分たちの事情も話さなければならないだろう。卑怯だが、私にはその勇気がなかった。


 ため息をついて、睡魔に意識の手綱を譲ろうとした時だった。


「お兄ちゃん」


 声を出したのは、眠っているはずのユージーンだった。その弟たち二人は、未だ夢の中。


「どうしたんだい、目が覚めてしまった?」

「夢を見たんだ。お母さんの夢。お母さんのお葬式の夢」


 私は手を伸ばして、毛布を被って小さくなっている弟の頭を撫でた。八歳になる直前の彼にも、過酷な人生を歩ませてしまっていることを詫びるつもりで。


「覚えているの? あの日のこと」

「うん。雨が降っていて、とっても寒かった。お兄ちゃんは腕を怪我していて」

「そうだったね」

「……僕、そこでハイリーに会ったよ。お母さんとお別れしていた」

「……え?」


 思いがけない言葉に、私は身を起こしかける。一瞬にして睡魔は去っていった。

 ユージーンたちの母親の葬儀を大急ぎで思い出すが、ハイリーのような人を見かけた記憶はない。


「いや、そんなことはないよ、きっと似ている人だよ」

「そうかなあ……」


 あくびをして、ユージーンはまた寝息を立て始める。

 そののどかで規則正しい呼気を耳で拾いながら、私はそっと幌の垂れ幕を手でめくってみた。

 焚き火に照らされているハイリーの横顔が、わずかに見える。


 きっと、ユージーンの勘違いだろう。そうに違いない。

 そう思うのに、彼女の様子を遠目で盗み見るのをやめられない。


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