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#13 アンデル 結婚式の日

 式の当日、朝は曇天だったが、教会に到着したころには晴れ間が見え、教会から出て、芝生の庭で昼餐を振る舞うころには晴天になった。それを、イェシュカの父のケートリー氏は「祝福だ」と嬉しそうに挨拶に盛り込んだ。

 式は盛大で、たくさんの招待客がクラウシフとイェシュカを祝うためにやってきた。賑やかで晴れやかなひとときになるのは約束されたようなものだったのだ。


 新郎新婦は、この日のために仕立てた白色の衣装に身を包み、花と笑顔に囲まれ、自分たちも笑顔だった。希望に満ち溢れ、この晴れの門出にふさわしい。


 イェシュカのそれ自体が首飾りのように美しい鎖骨には、三角形の赤い宝石の首飾りが輝いていた。私の母も身につけていたところを何度か見ている、シェンケルの家宝のひとつだ。彼女が正式にシェンケルの人間になったという証である。


 私は、予定通りひとりで新郎側の親族用のテーブルにいた。父は、起き上がることはできなかったが、朝、出発前の報告で部屋を訪れた私たちに「しっかりやるように、お前たちなら大丈夫だ」と激励の言葉を寄越し、表情を和らげた。


 体に馴染みきってない正装は窮屈で、着心地はよくない。それでも、たくさんの笑顔に囲まれていると不思議なことに自分まで笑顔になってくる。


 離れたところにあるテーブルには、水色のドレスを着たハイリーもいた。その隣には、ドニーも。二人も、クラウシフとイェシュカを祝福してくれているらしい。ハイリーは目が合うと、にこりとしてくれた。


 

 歓談の時間、ようやく人心地付けると思ったが、あいにく、新郎の親族にはたとえ少年であろうと祝辞をという人たちが続々訪れたため、私は結局ほっとすることができなかった。その人の列が捌けて、肩の荷が降りたころ、ドニーが見計らったようにやってきた。ツヤツヤの頬にふっくらしたお腹の彼は、クラウシフとは別の意味で体格のよい男だ。


「アンデル、新郎新婦を知らないかい。挨拶しようとしたらいなくて」


 私は周囲を見回した。たくさんの客があちこちで談笑しているので、主役二人を見つけにくい。イェシュカはひとりだけ白いドレスを着ているが、色とりどりのドレスを着た女性客たちの影に隠れてしまったら、目立たないかもしれない。


「ちょっと探してみる」


 これ幸いとばかりにその場を離れた。私の方へ歩いてくる、淑女の団体を視界に捉えていたからだ。


 いくら教会の広い庭園を借り切っているとはいえ、歩く範囲は決まっている。ぐるりと回った会場には、主役二人の姿はなかった。控え室に戻ったのかもしれない。

 様子を見るため私は一度そちらに行くことにした。庭に人気が集中し、無人となった静謐な教会屋内の廊下は、遠くから聞こえてくる歓談の声や音楽が、なんだか寂しげだった。


 角を曲がり、もうすぐ控え室というところで、足を止めた。白いドレスの後ろ姿。もうひとつ先の角からこそこそ何かを見ている。背後から近寄って、腕をつついた。びくっと肩を震わせて、イェシュカが振り返る。


「アンデル? ……しーっ」


 白い手袋に包まれた繊手に、口を塞がれた。イェシュカとともに身を乗り出し、その先を見てみる。


 クラウシフとハイリーがいた。髪をなでつけ、この日のための衣装をまとったクラウシフは、我が兄ながら立派な紳士に見えたし、晴天の色のドレスを纏ったハイリーは、やっぱり輝くように美しかった。教会の廊下の、ステンドグラスを透かして差し込む光で、ふたりは一服の絵画のようだ。


 クラウシフがなんと言ったのか、低い声は拾いづらく、よく聞こえなかった。逆に、ハイリーの声は楽器の音のように廊下のタイルを滑ってここまで届いたが、反響してしまって聞き取りにくかった。明るい声音だということだけはわかった。イェシュカに後ろから抱え込まれているから、さらに聞き取りづらいのだろう。


 ハイリーが快活に笑って、クラウシフの腕を小突く。兄は――弱々しく微笑んで、目を伏せる。

 ふと、私の口を塞いでいたイェシュカの手が震え、次の瞬間、私は床に突き飛ばされていた。放り出されたらしいと気づいたときには、イェシュカはハイリーに思いっきり抱きついていた。泣きじゃくって。


「ハイリー! ハイリー……、ごめんね」

「抱きつく相手を間違えてるよ。それに、花嫁がこんなところで化粧をくしゃくしゃにしてはだめだ」


 そう言いながらハイリーも、イェシュカの腰を抱き締める腕を緩めなかった。自分の豊かな胸に顔を埋めて涙するイェシュカの背を、優しく撫でる。


 クラウシフが、床に尻餅をついたままの私に気づいて、やれやれと言った様子で肩をすくめた。苦笑い。それにしては、嬉しそうだったが。


 自分がその輪に参加するのは場違いだと感じていたが、私に気づいたハイリーが、手ずから服の埃を払ってくれて、しかも新郎新婦の対になるように手を握って離さなかったので、つい、逃げそびれた。


 クラウシフの腕をとったイェシュカが、ぐすぐすと鼻を鳴らす。


「幸せにな、イェシュカ。……クラウシフ」


 ハイリーの笑顔には一点の曇りもなかった。シトロンに似た彼女の香水がふわりと鼻をくすぐって、私はなぜか泣きたくなった。彼女が、決意を固めるように、私の手を握る力を強くしたからだろうか。



 式が終わり後始末でバタついたが、夕食は揃って我が家で摂ることになった。


 その晩は、バルデランとキッチンメイドが時間を掛けて用意してくれた、婚礼を祝う伝統的な料理に舌鼓を打った。兄弟二人だけの食卓はイェシュカを加え、会話も増え、ぱっと明るくなった。そのことがとても好ましい。次の食事の時間を楽しみにするのは、久しぶりだ。


 父も一緒に食べられればよかったが、起き上がるのすら難しい状態だった。

 イェシュカは、自分の祝い事より父の様子を気にしてくれて、食後には、彼に病人食を与える介助をしに、すすんでその寝室へ向かった。クラウシフもそれに同席したので、無事婚礼が済んだことを伝えただろう。

 

 くたくたに疲れた私は、早々に体を清め床についた。そして変な時間に目が覚めてしまった。まだまだ夜明けまでは時間のある真夜中、喉が渇いて仕方がなくて、朝までは到底我慢できないと、眠気をこらえてキッチンに向かった。


 冷えた水をコップに注いで飲み干した私は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。キッチンからの眺めは、低木が申し訳程度に植えられた裏庭しか見えない寂しさだ。それでも、頭が睡眠とは別の休息を欲しがっていたので、私は飽きることなく外を凝視していた。


 日中に見た、クラウシフとイェシュカの晴れ姿、ハイリーの美しいドレス姿、ドニーの笑顔。次々に瞼の裏に蘇ってくる。ふ、と自然と頬がゆるんだ。


 この半年でいろいろなことが起こって、私をとりまく人々の関係も、環境も大きく変わった。一度は悪い方向へ転がりかけたように思えたが、クラウシフとイェシュカの結婚式で、好転したように思える。


 ハイリーとイェシュカの抱擁を見て、私はほっとしたのだ。つまりそれまで、我々の、心地よい関係が崩れてしまうことを不安に思っていた。危ういところで、回避でき、胸をなでおろした。


 ……本当に?

 本当にそうなのだろうか。

 であればどうして、ビットは結婚式に参列しなかったのだろう。


「アンデル」


 呼び声ではっとした。寝巻きのクラウシフが、キッチンの入口にいた。


「おい、どうしたんだよ、こんな夜中にキッチンを徘徊して、老人みたいだな。……さては恋煩いか」

「目が覚めて眠れなくなってしまって。水を飲みに来たんだよ。兄さんこそ、珍しいよね、いつも朝まで目を覚まさないのに」

「俺はこれから眠るんだよ」


 兄も水を求めてここに来たらしい。コップに波々注いだ透明な液体を、がぶがぶ飲む。空っぽになったコップを置いて、彼は深く息を吐いた。


「いままで、イェシュカとおしゃべりしていたの?」


 クラウシフは、しばしばと私の顔を見つめたかと思えば、とつじょ破顔し、声を殺して笑い出した。


「ああ、そうだ、仲良くな」


 それから、彼は険しい顔をしてゆっくりかぶりを振る。疲れているのか、それともなにか考えることがあるのか。新妻を迎えて浮かれていてもいいはずなのに、そんな雰囲気は微塵もない。数秒前に笑っていたことも忘れたかのように、じっと空のコップを睨んでいたが、水差しと別のコップを掴むと、踵を返した。


「薄着でいると風邪を引くぞ。肺炎になったら、お前なんかすぐ死んじまうからな。ちゃんと上着は着ておけよ」

「もう、部屋に戻るよ」


 椅子から降りて、クラウシフと並んで廊下を歩いた。寝室前でおやすみを言うまで、無言を貫いた。

 部屋に戻った私は、ベッドに倒れ伏したが、睡魔には完全に嫌われてしまった。




 後日、ませた友人レブにからかわれて、クラウシフの「仲良く」という言葉の真意を知り、私は非常に恥ずかしい思いをしたのだった。

 

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