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#10 アンデル 予期せぬ来客

 新月祭からは、一月が経ち、あと二月で、クラウシフたちは卒業する。私は学年が一つ上がる。

 そんなある日、珍しく起き出してきた父が、掠れた声で私に告げた。


「アンデル、明日は客が来る。失礼のないように」


 落ち窪んだ眼窩に、白茶けた肌、ぱさぱさの髪。げっそり痩せて死相が浮いた父の姿は、不吉さを覚えるに十分だった。

 彼は、その日は好調で、理髪師を呼び身なりを整え、夕食を一緒に摂った。

 たまに咳き込みながら、すするように病人食を口に運ぶ父と、硬く唇を横一文字に引き結んだ兄、それらをなるべく見ないようにさっさとフォークを動かす私。その三人の食卓が楽しいものであるわけがない。給仕係とバルデランが行き来するときに起きる衣擦れの音が大きく響くほど静かだ。


「クラウシフ、明日はぬかるなよ」

「はい」


 親子の会話は以上だ。そこに私への言葉はない。そのことを気に病むこともなかった。むしろ、その会話をきっかけに父が席を立ち、気詰まりな食事の時間が終わったことにほっとした。


 苦手な野菜ばかりのスープの皿を眺めて思うのは、いつかのハイリーとの食卓である。それはまだ彼女が、休息日のたびに来てくれていた時分のことで、もう随分昔のような気がした。


 ハイリーは、いつも私の世話を焼いてくれた。私が自分のいちごを食べてしまい、なくなったと目に涙を浮かべると、彼女が自分のそれを分け与えてくれる。(あつもの)で口を火傷したといえば、手ずからふうふうと息をかけて冷ましたものを与えてくれた。


 もうじき十一歳になる子供にも、それがどれだけ甘ったれで恥ずかしいことかという客観的な視点は出来上がっている。だが、それは過去、もっともっと子供だった頃のことなのでと言い訳しながら、懐かしいような寂しい気持ちに浸った。いつか、この家の食卓に、あのときのような優しい空気が満ちることがあるのだろうか、と。


◆ 


 翌朝、来客は三台の車に分乗してやってきた。一台ずつ、生身の人間の運転手がついて。


 工業国マルートの発明品の自動車は、魔力を循環させ動力を生み出し、金属や木材を組み合わせた車輪つきの箱を走らせる機械の一種だ。核となる、魔力を貯めておく動力装置の製造工程は完全に秘匿されている。非常に高価な機械で、プーリッサではそれの所持が社会的地位の証明になるような贅沢品である。ちなみに、永久的に魔力を増幅して循環させられる上位性能を持つ動力装置も研究されているというが、たぶんそれは商用にはならないだろう。定期的に買い換えられた方がマルートの収入になる。……と、クラウシフが言っていた。


 プーリッサは、近隣国ほど自動車が行き渡っていない。道の整備が遅れているだけではなく、機械類はどうしても、魔族の近くにいくとその魔力に当てられ、挙動が不安定になるからだ。常に魔族の影のあるプーリッサでは、機械やそれに準ずるものは、有事には関係ない贅沢品にのみ求められた。前線で兵士の機動力となるのは、今もって馬のまま、ある程度裕福な家庭に普及しているメイドがわりの機械人形(オートマタ)は、人間のメイドを置くより、長期で見れば安い金額でその仕事をさせられるから置いているのである。生身の人間のサーヴィスのほうが質がよく柔軟であり、ティーセットにこぼさずお茶を汲むことすらできない機械人形(オートマタ)たちは、初期費用こそかかるが贅沢なようでその逆なのだ。

 我が家も裕福な方だとは思うが、バルデラン以外の生身の人間の使用人は二人しかいない。機械人形(オートマタ)に運転できないから自動車は一台しかなく、通常の移動手段は馬である。


 となれば、相手の財力がそこで計れる。もちろん、この日のために大枚はたいてどこからか車を借りてきたという可能性もあるが、大きな記念日でもないのにそういうことをする人間はほぼいないだろう。


 事前に私が得られた情報は「ケートリー家の方々が、昼餐をともにする」ということ。その客人は、父と兄の大事な友人で、この昼餐にはケートリー家のご令嬢もいらっしゃるということ。ご令嬢は、クラウシフと同い年で、学舎でよく知った間柄だということだった。父は私にそれ以上を語らなかった。

 これはクラウシフの婚姻に関係ある会食なのだ。クラウシフと同い年の兄を持つクラブの友人も、近頃、毎週の休息日に、家に女性が家族とともに懇談しにやってくると言っていたからきっとそういうことだ。


 ケートリーがどういう家なのか、父もクラウシフも私には教えてくれなかった。普通、家族の結婚に関する話があったのだったら、もっと詳しく聞かせてくれてもいいような気もしたが、私はまだ子供だったし、父は病床、兄はそれを支えるのに忙しく、私のことなど構っていられなかった。父が亡くなる前に話をまとめたいのだろうなとわかっていたし、私は失礼ないようにと言われれば、そのとおり静かにできる子供だった。邪魔になると察して、忙しい父や兄の手を煩わせることもない。愛嬌があるとは言えないが、大人を悩ませることも少なかったはずだ。


 私たちは、相手方の到着時間に合わせ玄関で待機していた。朝から窮屈な服に押し込められ辟易しながら。正装とまではいかないが、かなり改まった格好だ。クラウシフは服を新調した。父も、髪もひげもしっかり整え、しばらく見なかった元気なときの姿を思い出させる格好だった。


 ケートリー家の車からまず降りてきたのは、仕立ての良い服に身を包んだ紳士だった。歳は父より多少上だろう。白いものが混じりはじめた髪を丁寧になでつけ、片眼鏡をかけている。そして次に最後尾の車から降りたのは、同じ年頃の婦人だ。灰色がかった紫のドレスに身を包んでいる。生地は美しく高価そうだが、意匠は落ち着いていて、趣味がよかった。

 最後に、真ん中の車からは見知った顔。バルデランのエスコートで、靴の踵を鳴らして降り立ったのは、黄みがかった青色の、可愛らしいドレスを着込んだイェシュカだ。巻いた髪にパールを散らし、後ろは結い上げている。

 イェシュカが優雅に礼をすると、すかさずクラウシフが歩み寄り、バルデランから彼女の手を受け取った。そのときには、紳士と婦人は父に挨拶を済ませていた。


 その段になって、私はイェシュカの姓がケートリーだということを思い出した。彼女の姓を聞いたのは、最初に彼女がうちに遊びに来た時だったのではないか。普段は姓など意識もしなかったので、ぴんとこなかったのだ。


 大人たち――伴侶を求めているクラウシフもイェシュカももう大人だ――はにこやかに挨拶を交わしながら、屋内に踏み込んだ。

 私はしばらくそこに立ちつくした。


 新月祭でイェシュカの羽根をもらったクラウシフは、本気で彼女と結婚するのか。親同士が顔を合わせこういう席を設けられたのだ、当然そのつもりだろう。

 あれだけ決定的なできごとがあったにもかかわらず、愚かにも私はあれが遠い夢のような現実感のないなにかで、実際にクラウシフがイェシュカを妻に迎えるつもりだとは、今日このときまで考えてなかった。自分がまだ結婚を意識する年齢に達してなかったからだろうか。


 急に心細くなってきた。知らない場所に一人、取り残されているような。


「アンデル様」


 私の背を軽く押してくれたのは、老執事バルデランだった。彼は、慈しみの笑みを浮かべていた。処理しきれないことに思い悩む少年を、年寄りならではの安定感で包み込むように。父の少年時代からこの屋敷にいる彼は、もし私に祖父がいたらこんな感じだろうかと思わせる、控えめな優しさを持っていた。


「さあ、じきに食事がはじまりますよ。食堂へ参りましょう。なに、今は馴染めなくとも、日が経てばしっくりくるものです」


 この老人は、たとえ交わす言葉は少なくとも、的確に私の心中を把握していたのではないか。うなずき、私はとぼとぼ、食事の場へ向かった。


 

 食事中、イェシュカとその両親は、概ねこのようなことを言っていた。クラウシフは才気に溢れ、前途有望で、家柄もいい。このような良縁に恵まれることが誇らしい。我が家は歴史が浅いから。

 一代で財を成し、宝石商としてのし上がってきたケートリー氏には、シェンケルのような歴史だけは十分な家が魅力的だったのだろう。美しい娘も、ちょうどよくそこの嫡男と()()()()

 話はとっくにまとまっていたのだ。

 イェシュカは始終うきうきわくわくしていた。クラウシフもそれを歓迎するように頬を緩めて、彼女の話すことにいちいち相槌を打っていた。

 

 食後のお茶の時間も、話は弾んでいた。その内容は至って平凡で、今年の小麦の値段についてだったり、前線の維持費についてだったり、宰相閣下の目指すマルート鋼の輸入量増加への意見だったりと、世間話といっていいものだった。要するに、重要な話はもう決まってしまったので、あとは親睦を深めようという意図だろう。


 私はぽつんとソファの端に座って、窓から見える楡の木を観察していた。あの木陰で、剣を競い合った後のハイリーにハンカチを差し出していた日が、随分遠くに感じられた。きっともう二度と、同じ光景は見られない。


「アンデル、お隣いいかしら」


 ソファの座面を滑るようにして寄ってきたイェシュカが、にこっと私の顔を覗き込んできた。クラウシフが席を外したので、黙り込んでいる私を気にかけて声を掛けてくれたのだ。近づくと、甘い花のような匂いがした。かすかに、シナモンの香りもする。


「イェシュカ、新月祭のではクッキーをありがとう。とっても美味しかったよ」


 お礼を言うのがすっかり遅くなってしまった。

 今更だったのに、彼女はぱっと顔を明るくして、胸の前で手を打ち合わせた。


「本当? よかった。自信作なの、あのレシピ。クラウシフも美味しいって言ってくれたのよ。また作るから食べてね」


 驚いたのは、兄の名を口にした途端、イェシュカがとろけるような目になったのだ。かつて、ビットと仲睦まじくしていたころでさえ見せたことのない彼女の表情に、戸惑わずにはいられなかった。それを見る限りでは、先日私が少ない語彙を総動員して罵ったような「裏切り者」というような言葉が似合う人ではなかった。心底クラウシフを想っている純真無垢な娘。だから、ガチョウの羽根を彼に渡すのも当然と、力技で思い込まされるほどに。まるでビットという青年の存在はなかったかのよう。そしてそれを疚しいとも思ってない。


 私に覚えがあるのは、ハイリーへの恋心だけだ。だから、心変わりを経て、前の相手をすっかり忘れて新しい人にどっぷり浸かるその心の変化がどういうものか想像もできなかった。しかも、勝手に私がハイリーを慕っているのとは違い、イェシュカはビットと明らかに恋人関係にあったのだ。そこに後ろめたさや抵抗はないのだろうか。


 それとも、ビットとは納得ずくなのか。……おそらく、そうなのだろう。歴史が浅いと彼女の父が言っていたが、ケートリー家だって十分名家と並ぶ名声を備えているはずだ。そこの娘が、きちんと躾けられているだろうに、あちこちの男と浮名を流すわけがない。どういうことがきっかけだったのか、互いの心変わりか、はたまたビットの都合があったのかわからないが、イェシュカはもう彼に未練がないに違いない。もしくは、そうなろうとしている最中で、私よりも世知に長けている年長の彼女は、巧妙に本心を隠しているのか。気持ちを切り替えようと試みるのは、私も最近経験したばかりだ。結局なし得ず宙ぶらりんの状態になってしまっているが。

 

 イェシュカは、おしゃべりの下手な私も上手く盛り上げて、嫌味のない感じに会話に混ぜてくれた。もともと明るく優しい性格なのだ。話しているうちに、私は彼女への拒否感というか、抵抗感を薄めていた。

 

 ケートリー家の人たちが我が家を去るときには、こう思うようになっていた。私のような子供にはわからないなにかがあって、クラウシフとイェシュカは結婚するのだ。それは祝福されるべきだ。たとえ、その後ろに何があったとしても、私の出る幕はないと。


 そして、その二週間後、正式にクラウシフとイェシュカは婚約し、そのことは学舎でもあっという間に知れ渡るに至ったのだ。


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