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アンコール・サーガ  作者: 天乃律
第一章 厄介な拾い物
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3  「贅沢な悩みだ」

 三つの大陸と、大小二〇〇の島々から成る諸島。それらを五十一に分けた国家のうち、特に強大な六国を六大国と呼ぶ。


 キーリ帝国はそのうちの一国として名を連ねていた。


 帝都を中心に、国の北東に面しては広大な海を抱き、西側から帝都北部にかけて雄大なギガン山脈を戴く。山脈に背後を守られた帝都に、太陽神カルカスの魂を継ぐ皇帝が君臨し、他国との戦により国土を拡大していきながら、約一〇〇〇年の勇壮な歴史を歩んできた。


 イェルガ海賊団は、帝国東部沿岸の大部分を縄張りとしてその名を広く轟かせている。


 不落の艦船メイヴェーラ号を母艦とし、船員およそ二〇〇名、配下の海賊団の数は二〇を超える。船長のイリヤを母と仰ぐ船員たちの不屈の忠誠心と、帝国海軍の足許を見る操舵技術、そして何よりも縄張りの海域に住まう人々からの根強い支持を得て、三〇年の長きに渡り「最強」の名を恣にしている海賊団だ。


 この海の荒くれ者どもを統率する船長は、齢七〇を超えた老女である。


 ここ数年は「最強」ゆえ戦闘から遠ざかり、船長自ら前線に立つこともなくなったが、アレンがこの船に乗り込んだときは現役の頃であった。直々に拳を揮うさまもよく見ているし実際殴られたり吹っ飛ばされたりしたので、彼女の恐ろしさは身に染みて知っている。


 ウィルゴは一週間の昏睡状態から起きたあと、一週間の安静期間と四日間の療養期間を過ごし、ようやくまともに動けるようになった。まだ元気とは言いがたいものの、船医からも「起きてよし」の許可が出たので、アレンはウィルゴを連れて船長のもとを訪れた。


 船長室のドアをノックする。

 四度、二度。これ以外のノックでは船長室のドアは開かない。


「なんだい」


 分厚い扉の向こうから低く滑らかな声が返ってくる。

 深呼吸をして、アレンは答えた。


「アレンです。ウィルゴの処遇について相談が」


 静かにドアが開いてグレイが顔を覗かせた。


 船長室の壁には、東海周辺の海図や世界地図がびっしりと張ってある。壁沿いの本棚に並んでいるのは五〇年を越える長い航海の日誌だ。部屋の中心にあるテーブルには海図が広げてあった。どうやら副船長のグレイと航路について話していたらしい。


 船長イリヤはテーブルの傍らの揺り椅子に腰かけていた。


 七〇を超えているようにはとても見えない風貌の老女が、海賊船の船長とは思えない上品な踝丈のワンピースに身を包み、海図を見つめている。灰色の髪の毛は隙なく整えられていて、一見すると暖炉の脇で編み物をしていそうな普通のおばあちゃんだ。


 ただしその、鋭い常葉色の眼光を除いて。


 厳かな空気を纏う老女その人が、メイヴェーラ号船長、海の男を統べる伝説の女海賊イリヤ。


 船乗りの間ではもはや神話にも近いという。


 横に立つウィルゴの肩が強張ったのを感じた。


「……『拾いもの』についてはアレン、一任するとグレイに伝えた筈だが」


 深い海のようなこの声が好きだ。

 アレンは緊張を解きながら、「そうなんですけど」と頭を掻く。


「船長の意見だけほしくて。ウィルゴはどうしたいって言わないし、グレイは海に放り込めって言うし、でもおれはせっかく助けたのにまた放り込むのもなぁって思って」


 正直困ってしまった。


 今後どうしようか、そう尋ねるとウィルゴは静かに「救われた命だから、おまえの好きに使うといい」なんて人任せなことを言う。アレンとしてはそこまで恩義に感じられるのも困るし、彼が厄介な事情を抱えているらしいことはわかっているので、迂闊に船に乗れとも提案できない。


 イリヤの静謐な双眸は、つとウィルゴを見据えた。


 彼の黒髪、漆黒の瞳、彫刻のようなかんばせ、右頬に伸びる古い刀傷、少し華奢だが均整のとれた体躯を順に見下ろしていく。身長はアレンより少し高い。年齢は同じくらいだろう。けれど、年齢に釣り合わない諦観した物言いや表情が、やたら老獪に見せている。


「死にたいのかい……」


 船長の短い問いかけにウィルゴは目を伏せて、それでも首を横に振った。


「死にたいわけでは。だが、生きようとは思わない」

「ふん……贅沢な悩みだ」


 嘲笑を浮かべたイリヤへ、「いや」と再び首を振ったウィルゴは、両の拳をぎゅっと握りしめて低く呻いた。


「……死ねない。殺されるまで」


 イリヤと相対して体を強張らせていた隣の少年は、引き続きの緊張かその一言に対する執念の深さか──恐ろしく険しい表情をしていた。


 俯き気味な額に翳がかかる、その前髪の隙間から覗く黒曜石の物騒なきらめき。



 まるで手負いの獣のような殺意。



 船長は何かしら思うところがあったようで、しばらく沈黙して厄介なアレンの拾いものを見ていた。


 グレイは黙して語らずただ船長の意思を待っている。

 やがて彼女は瞬きを三度すると、軽い吐息を零した。


「命を拾ってもらった代金くらいはアレンに返してから死にな」

「船長」


 眉を寄せて抗議しようとしたグレイをイリヤは右手の一振りで止めた。


 その婉曲な言い回しにウィルゴへの乗船許可を読み取り、アレンはそっと安堵する。よかった、いますぐ海に放り込めとか言われなくて。


「ただしアレン。その厄介な拾い物の責任はおまえがとるんだよ」

「了解・船長」


 右手の拳を胸にトンと当ててアレンは破顔する。何を言われているのかわかっていない彼の頭を引っ掴んで、強引に下げさせた。


「ほらウィルゴもお礼。船に乗ってもいいってさ」

「……、有難う、ございます」


 ぎこちないお礼だ。


 この先どうしたいという望みさえはっきりとないウィルゴにとって、乗船を許されるということが礼に値するかどうかわからない。もしかしたら余計に彼の事情がこじれるかもしれないが、とにかく放っておいたらふらりと消えてしまいそうなこの拾いものを、しっかりと掴んでおかなければならないと思った。


「まったく相変わらずぎこちないなあ。おまえはまずまともに人と会話するとこからだな。よし甲板行くぞ、いまならみんないるだろ!」


 怒涛のように捲し立てながらウィルゴの手を取って船長室を出て行くアレンの後ろ姿へ、


「おーい、まだ無理させるなよー、傷が開いたら死ぬぞー」


 とやる気なさげなグレイの忠告が投げつけられたが、すでに二人の背中は遠ざかりつつあった。振り返りもしない。


「ったく聞いてねえなあのクソ坊主ども」


 アレンに半ば引きずられるようにして駆けていったウィルゴの後ろ姿を見送って、溜め息をついたグレイが開けっ放しにされていた扉を静かに閉める。


 ウィルゴの傷を診ている主治医からすればあくまで動けるようになったというだけなのだ。アレンに振り回されて飛んだり跳ねたりしていればいつ傷が開いてもおかしくない。


 あの拾いものが厄介だと勘付いていて、海に放り込んでしまえと口では言うものの、医者としての悲しい性か気にかけずにはいられないようだった。


「……あんたの酔狂に救われた船員は多いが、あれはとびきり厄介だと思いますけどね」


 グレイのひねくれた文句にふふと笑いながら、イリヤは壁に嵌められた窓から甲板を見下ろす。


 二人が昇降口からデッキに下りようとしているところだった。


 黒い髪、黒い眸。


 顔立ちはまるで似ていないのに、隣同士に並ぶと鏡写しのようだった。そもそも黒い眼の子はキーリ帝国には生まれにくい。恐らくアレンのことだから、お揃いの黒の取り合わせに運命でも感じたのだろう。


 彼が面倒事を持ち込む天才なのは乗船当初から変わらないことだが、グレイの言う通り、今回のこれはもう世界でこれ以上ないというほど厄介な面倒だ。アレン本人もウィルゴと名乗るあの少年も、気付いてはいまいが。


 その巡り合せの途方もない残酷さに、眩暈がしてくるようだった。


「……これもまた、神託のうちなのかね……」


 彼女が口の中で零した声は、グレイには聞こえなかったらしい。




 船尾楼の右舷側に位置する船長室を飛び出したアレンは、ウィルゴを伴って甲板へ躍り出ると、昇降口のから第一デッキへ下りた。


 梯子が掛けてあるのにも構わず飛び降りると、新入りがおっかなびっくりあとをついてくるのを待ってから、ずっと堪えていた笑いを零す。急に笑い始めたアレンを見てウィルゴは変な顔になった。


「……なんだ、急に」

「だってウィルゴ、がちがちに緊張してるからおかしくて。あー、笑うの堪えるの大変だった」

「海賊船の船長を前にして緊張しない……一般人が、いてたまるか」


 苦虫を噛み潰したような表情のウィルゴが吐き捨てる。


 有難うございます、とぎこちなく頭を下げた少年の姿を思い出しながらひーひー笑っていると、なんだなんだと船員たちがわらわら集まってきた。


 笑ったのは、緊張していたウィルゴがおかしかったからだ。


 そして笑い飛ばしてしまえば、あの一瞬が嘘になるのではないかと浅はかに願っていた。


 ──死ねない。殺されるまで。


 黒い石のようだった双眸にあの一瞬だけ、焔が灯った。


 多分イリヤも見とめただろうし、グレイもきっと気付いたはず。厄介ごとの塊で、自分の意思さえほとんど口にしないウィルゴが、初めて露わにした執着だった。


 なんと声をかければいいのかわからなかった。


 生きることへの執念が殺されることへの拘りに直結する、そんな人間には会ったことがない。


「あ、もしかしてコイツあれか? 瀕死の拾いものか」

「まーたアレンは拾い人をして……犬や猫じゃねぇんだぞ」

「なんだやたらキレイな顔してんな、芸者か?」


 珍しいもの見たさに集まってくる船員たちに押され気味のウィルゴに代わって、アレンはにっこり笑って親指を立てる。


「今日からうちの家族になるウィルゴ! ちょっとぶっきら棒だけど! よろしく!」


 船員たちが「おおまじか」「これまたひょろいのが入ったなァ」と歓迎の意を表してウィルゴの頭を撫でたり小突いたり肩を組んだりしているが、傍目には華奢な少年に絡みまくっている悪漢にしか見えない。


 ウィルゴは目を白黒させながら「よ、よろしく……」とされるがままになっている。


 日に焼けた海の男たちは海賊だけあって見た目が厳ついし、柄が悪く、気も短い。しかし気のいい輩ばかりだし、アレンの『拾いもの』はこれが初めてではないから、みんな対応も慣れたものだ。


 もみくちゃにされるウィルゴを眺めつつ、多少怖かろうがこれも通過儀礼のようなものなので、しばらく放置を決め込むことした。


 頑張れ頑張れ。今日から家族である。


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