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アンコール・サーガ  作者: 天乃律
第一章 厄介な拾い物
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2  「死ぬなー! 生きろー!」

 夜の海は暗い。


 近くに灯台や陸地が見えていればまた違うかもしれないが、特に今夜のような新月の日は、灯かりを持たなければ足元さえ覚束ない。


 だが月が出ないぶん、夜の帳に針を刺したような星々は美しく見える。


 緩やかな潮風の吹き抜ける船上を散歩していたアレンは、船首楼の一番端っこに、先日拾った不思議な少年を見つけた。


 彼が目を覚ましてから明日でようやく一週間を数える。


 まだ安静期間にあるはずのウィルゴがここにいるのがグレイに見つかったら、アレンともどもどやされるのは確実だ。


「どうしたんだよ、ウィルゴ」


 まだ傷の治りきらないその身体に夜風はよくない。部屋に戻るよう促すべく声をかけたが、反応は返ってこなかった。


 ウィルゴはこちらを振り返りもせず闇を見つめている。


 聞えていないわけがないだろうから、無視しているか言葉を探っているかのどちらかだろう。しばらく待っていると、ややあって答えを寄越した。


「夜を見ていた」

「……夜を?」


 アレンは小首を傾げながら反芻する。海を、とか夜空を、とかならまだわかるのだが、夜ときた。


 とりあえずウィルゴの背後に立って彼と同じ方角を眺めてみるものの、いつも見ている暗い海が広がっているだけで特に変わったことはない。むしろ何も見えない。


 頬を撫でる潮風はべたべたする。灯りのない夜の海は星を美しくしてくれるが、近付く不審船の影は捉えにくい。今日は新月だから余計に見張り番は警戒しなければならないだろう。


 アレンの感想としてはそんなものだった。


「忘れていた。長い間」


 ウィルゴがこうして会話をつなぐことは珍しい。


 夜の闇にも溶け込んでしまいそうな彼の黒髪を見下ろしながら、「うん」と小さく相槌を打つ。


 この船にこうやって誰かが拾われるのは、実はよくあることだった。


 アレンだってそうして乗船したくちだ。グレイもそうだし、船員のおよそ七割はそんな感じでここにいる。そして、こうやって拾われる人々は高確率でなんらかの厄介な事情を抱えているのだった。


 往々にしてそういう奴らはその事情を語りたがる。自分の武勇伝を添えて。


 しかしウィルゴは真反対だった。事情どころか、傷口が痛いとかお腹がすいたとかそういう最低限のことすら自発的に喋らない。見舞いに訪れても会話が弾まないからアレンもちょっと困っているところだった。


 その彼がいま、独白にも似た響きだが、アレンに何かを伝えようとしている。

 驚くべき成長だ。


「あの頃は、夜空がこんなにも暗いことすら、うまく思い出せなかった……」


 遠い思い出に耽るようなその物言いでは、ウィルゴの抱える事情を察してやることもできない。


 ただその声は苦しげに聴こえた。


 背中合わせに腰を下ろし、聳え立つマストをなんとなしに見上げながら、ウィルゴの頼りない背に体重を預けた。


 三本の帆柱を持つメイヴェーラ号は夜間、帆を畳んで眠りについている。


 この船がアレンの家となって久しいが、ウィルゴにとっては落ち着かない空間なのだろう。彼はここ数日眠りが浅かったのか隈がひどく、「海に放り込んじまえ」とか言いつつも結局根っこは医者であるグレイに心配されていた。


 もしかしてアレンが気付いていないだけで、彼はずっとこうして夜風を浴びていたのかもしれない。


 自分が乗船した頃に抱いていた孤独や寂寞がふつふつと思い返された。


 知らない人ばかりのおおきな船。自分の居場所もまだない。地面に足をつくことが叶わない。とんでもなく広い迷路のような船の中を彷徨って、迷子になっては、年上の船員に見つけ出されて頭を撫でられた。


「……あの日、おれ、崖の途中に生えるっていう薬草を取ってこいってパシられたんだ。前日の飲み比べでグレイに負けてさ」


 ウィルゴから相槌はない。

 想定の範囲内なので構わず続けることにする。


「薬草を摘んでたら、頭の上で戦闘の気配がした。何を怒鳴ってんのかまでは聞こえなかったけど、とりあえず物騒な感じだったんで、いなくなるまで待ってようと思ったんだ。それでしばらくじっとしてたんだけど――」


 アレンは頬杖をつき目を閉じた。二週間前のことをゆっくりと思い出す。



***



 厄介ごとは、御免だった。


 ただでさえ面倒ごとを持ちこむのが特技かとみんなに揶揄されているのに、またやらかすわけにはいかない。幸いアレンのいるところは崖を抉り取ったような地形になっているから、上にいる人間から見えることはないだろう。どれほどかかるか知れないが、大人しくしていればそのうち去るはずだ。


 そう判断して無心で薬草を引っこ抜いていると、頭上の人々がざわめいた。


 一瞬のことだ。


 黒い何かが目の前を落ちていく。遅れて、アレンの頬に飛沫がかかった。最後に海中へ何かが落ちる音が響く。頬を拭うとそれは血だった。


 息を飲んで眼下を覗き込むと、先程まで澄み渡っていた海水がどす黒い血の色に染まっていた。


 反射的に海の中へ飛び込みそうになる足をぐっと堪えて、頭上の複数名の気配が立ち去るのを待った。あとを追って飛び込めばアレンの入水音が聞こえてしまう。


 崖の上の数名はしばらくアレンと同じように海面を観察していたが、やがて人も死体も浮いてこないと判断をつけると、物々しい気配だけを残したまま立ち去っていった。


 完全に人気がなくなったのを確認してから、薬草を入れた麻袋の口をぎゅっと縛って腰紐にきつく結びつける。上にいた物騒な連中がこの場所を知っているかはわからないが、海へ落っこちたものの生死を徹底的に確かめに来ないとも限らないので、注意深く自分の痕跡を消してから海に飛び込んだ。


 透明な海の中、赤い血を止め処なく流すものの後を追うのは簡単だった。


 力なく底へ沈みゆくそれの服を辛うじて掴むと、飛び込んだのとは別の地点を目指して水を掻く。見晴らしのいい浜辺は避ける。しかし二人がひとまず上陸できる岩場へ。それでいて、メイヴェーラ号の近くならなおいい。


 水の中で体勢を立て直し、掴んでいた服を手繰り寄せて片腕にその体を抱いた。

 意識はないようだ。


 あれだけ出血する傷を負って海水に落ちたのだから痛みで気絶したのかもしれない。ぐったりと力の抜けた体は重たいが、痛がったり混乱したりして余計な抵抗をしない分、気を失っていてくれてよかった。


 ようやく船が見える岩場に到着した頃には、拾った人間は死体のように温度をなくしていた。


 左胸に耳をつけると恐ろしく弱々しいが僅かに心臓が動いていた。


 こんな惨憺たる状況でこの若い男がまだ生きていることに感動よりもむしろ憐れみを憶えたが、せっかく拾った命をむざむざ死なせる気はない。身に纏っている黒い外套が邪魔だったので脱がせると、荒事にはそれなりに耐性のあるアレンが絶句するほど、凄まじい斬り合いの痕がそこにあった。


「これでよく生きてるな……!」


 外套を裂いて適当に体に巻きつける。最早どこを縛れば血が止まるとかいう次元の話ではなかった。


 指で輪をつくり呼び笛を吹くと、メイヴェーラ号の舳先にいた鷲がすぐさま飛んできた。


 見上げるほども大きなガレオン船の先端から、翼を広げて勢いよく滑空してきたその影は、伸ばしたアレンの左腕に着地する。


「イェガ、グレイを呼んできて。大至急! 叩き起こせ!」


 叩き起こすというより突いて起こすことにはなろうが、イェガは速やかに船へ戻っていった。


 その間にアレンは瀕死の少年の頬を叩く。


「おい、聞こえるか!」


 耳元で声をかけながら何度か叩いていると、一度大きく噎せて水を吐き出した。

 水の逆流がないよう顔を横に向けさせて口の中に指を突っ込む。少年は咳を繰り返し、何かを訴えるように唇を動かした。


 指を引き抜いて、「なに? 痛いって? そりゃ痛いだろうな。すぐ医者が来るからそれまで死ぬなよ」とひっきりなしに話しかけ続ける。


「……、……」

「なんだ?」

「……め……」


 蒼い唇が意志を持って動く。口元に耳を寄せてやると、ほとんど吐息に近い囁きで、彼は「メアリ」と口にした。


 今際の際に名を呼びたいほど愛しい女なんだろうか、と若干アレンが呆れた瞬間、少年は再び昏倒したのだった。


「あっ……おいこら! 死ぬなー! 生きろー!」


 そして、イェガに突き起こされたグレイが不機嫌を隠しもせず岩場へやってきて、アレンが拾ったものの出血量を見て顔色を変え、急いで船へ連れ帰って処置を施し──現在に至る。




 アレンが長い語りを終える頃、ウィルゴは項垂れて盛大に息を吐いた。


「どうしたんだよ、この世の終わりみたいな溜め息」

「いや……自分の弱さに呆れている」

「弱さっておまえ。あれだけの大人数に囲まれて瀕死の重傷を負いながら生きてる自分の悪運の強さに感謝しろよ」

「そうではなく……」


 ウィルゴはしかし、そこで黙ってしまった。


 そうじゃないならなんだと首を傾げるが、彼はそのまま何も応えなくなったので、アレンも深く追求しないことにする。


 メイヴェーラ号の船体に波がぶつかる音が、遠く響いた。


 東海随一の機動力と戦闘力を誇る大型帆船・メイヴェーラ号──


 全長五十五メートル、全幅十三メートル、メインマスト高は海抜四十メートル。武装は大小合わせて三十の砲門と、船体の規模に対しては少な目だが、砲の数が少ないぶん船が軽く逃げ足も速い。


 見張り台は三本の帆柱の中ほどに設えてある。夜間は六名体勢、各マストにそれぞれ二名ずつがつき三時間交代で見張りに当たる。


 今夜の担当の顔を思い浮かべていると、ウィルゴが見張り台の方を仰ぎ見た。


「おおきな船だな」

「だろう。東海で最強の船だよ」

「……東海で最も強い船は、マレフィカ号ではないのか」


 一々敵船の名前まで憶えていられないアレンですらその船の名は知っている。


 メイヴェーラ号は東海でそれなりに名を知られているが、陸ではなんの影響力も持たない。しかしマレフィカ号は平地でも有名なはずだった。


「キーリ帝国海軍の大型艦船だっけ。メイヴェーラよりは一回り小さいよ」

「見たことがあるのか?」

「昔やり合ったことがある。さすがに強かったけど逃げきったよ」

「…………」


 背中に触れているウィルゴの空気が険しくなった気がした。


 どうかしたのだろうかと彼の方を振り返るが、ウィルゴは相変わらず夜の海を見つめている。


「……まさか」


 ぽつりと彼が呟いたその言葉に、思い当たる節があった。


「あれ、言ってなかったっけ? うち、海賊」

「…………聞いてない……」


 がくりと項垂れたウィルゴに笑いが零れた。意外と反応は正直な奴だ。


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