12 「約束の刃」
二階の最奥、主寝室の扉は開け放たれていた。
威勢のいいアレンとジオの怒声と、恐らく屋敷全体と同じく豪奢に調えていたであろう調度品が引っくり返る音、それから甲高い男の悲鳴が一緒くたになって聞こえてくる。
ずいぶん派手に暴れているらしいと息を吐きながら顔を覗かせると、目の前を見覚えのある禿頭が吹っ飛んでいった。
「お~~そかったじゃんウィルゴ。あんまり遅いから我慢できなくてやっちゃったよ」
「……いい。それは譲る」
ちょっと不憫に思えてくるくらいボコボコにされた禿頭の男は、顔全体が真っ赤に腫れ上がってしまい原形を留めていない。呻き声は聞こえてくるから死んではいまい。
予想通り、天蓋付きの豪華な寝台はめちゃめちゃで、触り心地のよさそうなクッションからは羽毛が飛び出ている。西域の名産品の織物で作られたカーテンも、毛足の長い最高級の絨毯も至る所が引き裂かれ、恐らく外国からの輸入品であろう花瓶は粉々になって転がっていた。
大体の値段が判ってしまうウィルゴは思わず「ああ……」と息を洩らしてしまう。
それ一つでメイヴェーラ号が一隻買える値段のチェストが、ジオによって豪快に引き倒された。倒れてきたその高額な鈍器を、眼帯の男が剣で真っ二つに斬り捨てる。ウィルゴは息を吸いながら顔を逸らした。
とてもではないが正視できない。
「……ニアは保護した。地下室に子どもたちもいた」
「よし、お手柄! ジオ、あとは首領だけだ! さっさとやっちゃって!」
「無茶言うぜアレン!」
「うひゃああああ」という情けない悲鳴にアレンと顔を見合わせると、ずたぼろになった寝台の傍で剣を交わす二人の間で、蒼白い豚のような男が頭を抱えて震えていた。
身につけている衣服からして彼がオレイシオ・マズウェルであることは間違いないだろう。
マズウェルを挟み剣を咬ませながら眼帯の男が吐き捨てる。
「ったくとんだ貧乏籤だったぜ……なにが実入りのいい仕事だ……!」
「いーや? イェルガ海賊団の縄張りじゃない、程々に海軍が仕事をしないこの町で、そこの白豚の別荘に隠れて人身売買の使いっ走り、正直うまくやればもっと稼げたと思うぜ。わざわざ西のお山から下りてきたんだろ。ご苦労なこって」
「ああそうだよ! そこのハゲが阿呆をしでかしたおかげで全部パアだクソッタレ!!」
ヴォルグス盗賊団の首領は咆哮とともにマズウェルを蹴った。
ころころ転がったマズウェルに足をとられてジオがすっ転ぶ。咄嗟に剣を抜いたアレンと剣戟を結ぶが、続いてウィルゴが助太刀に入る前に男は後退していく。マズウェルに潰されたジオは「っざけんな退けこの白豚野郎!!」と怒鳴り散らしながら立ち上がる。
「アレン、ウィルゴ、この豚縛り上げろよ! くそ邪魔!!」
そのままジオと首領の一対一が再開した。年少二人組は肩を竦めて剣を納めると、転んだまま甲高い悲鳴を上げてがくがく震えている男爵のもとに歩み寄った。
マズウェルを座らせて両手を背中で拘束したアレンが「縄がない」と零すのを聞きながら、ウィルゴは剣の切っ先をその弛んだ顎に突き付ける。
「ひいいいい、助けて、助けてくれ、わたしは脅されていたんだ、野蛮な海賊に屋敷を乗っ取られて……」
「ウィルゴ?」
「二、三貴様に訊きたいことがある」
「なんでも答える。答えるから命だけは……」
は、と嘲笑が口からまろび落ちた。
これだけ血と悪意と死臭の満ち満ちた屋敷で、人の命を売った金で贅を尽くしながら、この期に及んでそんな言葉が出てくるこの生き物と近しい身分だなんて反吐が出る。
「『命だけは』……それを、貴様が、言うか!!」
意図して腹から声を出すと、マズウェルはびくりと肩を竦めて縮こまった。
「――三年前ヒルドレ港にて大規模な麻薬取引と荷流しが摘発されたな。多くの商人が逮捕され商会は二つ潰れた。最終的に貴様の部下が首謀者として投獄されたが、あれも貴様の手引きだったのか」
「ど、どうして三年も前の……はいいいいわたしです、わたしがやりました!」
怪訝そうな表情になった男爵の首筋に剣を押しつけるとあっさり自白する。
ウィルゴは思わず舌打ちを零した。――こんな小物のために、三年も駐屯させたカトリーナ部隊。海軍との癒着の説が濃厚になってきた。
ジオと盗賊団の男が本棚を引っくり返したり壁に穴を開けたりと盛大に戦っている中で、ウィルゴの尋問は続く。
「二つ目。野蛮な盗賊に屋敷を乗っ取られたと言ったな。ヒルドレでの女子どもの失踪は半年も前から起きている。この半年の間、一瞬の隙なく一度たりとも外出する機会がなかったとは言わせない。本当に乗っ取られていたというのなら何故、駐屯するカトリーナ部隊や関所の陸軍に助けを求めなかった。貴様はヒルドレを牛耳る東域カリン地方の領主だ。その程度の手足もなかったとはまさか言うまい」
「それは……!」
男爵が狼狽えて言葉に詰まる。
ふくよかな頬が蒼褪めていくさまがいっそ哀れだった。
撫でつけた白髪やたっぷりと蓄えた髭が浅ましい。上質な布で仕立てられた衣服も、身に着けた高価な宝石も、全てあの地下に捕らわれていた女子どもの命で購われているものだと考えると、吐き気がするほど汚らわしい。
「守るべき民を売り払った金で誂えたその服はさぞや着心地が良いのだろうな……」
――でも、もしかしたら、ウィルゴも同じなのかもしれない。
「それでもこの帝国の領地を預かる領主か! 痴れ者が……!!」
腸が煮えくり返る感覚は久々だった。
ウィルゴの絶叫にマズウェルは言葉と顔色を失い、アレンは呆気に取られてウィルゴを見つめて、戦闘中だった二人さえも動きを止める。
盗賊団の首領よりも一拍早く我に返ったジオが両手で握った剣を揮った。
胸のど真ん中を貫通した剣を「くそ」と零しながら掴んだ男は、ごぷっと血を吐いて真っ直ぐ後ろに倒れ込む。
唇を噛んで剣を鞘に収めると、ウィルゴは頭に巻いていた薄紫のスカーフを解いて投げた。はっとして受け取ったアレンがマズウェルを拘束していくのを眺めながら、おぞましく早鐘を打つ心臓を押さえる。
嫌悪感に殺されてしまいそうだ。
「……三つ目だ。貴様も商人なら取引先の顧客一覧は残しているだろう。これまでに売られた“商品”の買い手の情報を出せ……」
マズウェルが戦慄く唇を開いたのはそのときだった。
「まさか」
その声に瞠目する。
「その黒曜石の双眸、漆黒の髪、右頬の刀傷……! 貴方さまは!」
遅いと知りつつ頬を隠した。返り血を左手で無造作に拭った、あのとき化粧まで落としてしまったのだ。
咄嗟に剣を抜いた。
逃げるためにアレンと背中合わせで戦ったあのときとは違う、マルカに助太刀するために盗賊の男を斬り捨てたあのときとも違う、ただ口を塞ぐためだけに。
言ってはいけないことを言おうとしているこの男を始末するために。
「ライヒアルド陛――――」
ごしゃり。
ウィルゴの一閃よりも疾く、マズウェルが呼んではならない名を呼んだとき、頭上から降ってきた何者かがその脳天から顎までを剣で貫き踏みつける。
ウィルゴは息もできないでいた。
聞かれた――。アレンにもジオにも。ウィルゴと名乗る前の、この帝国で誰よりも何よりも知られている、同じ名を名乗ることすら不敬とされるこの名を。
時が止まったように静まり返る主寝室の沈黙をものともせず、突然の闖入者は被っていたフードを脱いで亜麻色の髪の毛を露わにする。
「遅くなりました。主」
アーモンドの形をした美しいエメラルドの双眸。
不敵に微笑んだ口角と、ほっそりとした顎をした、性別不詳の元暗殺者。
「あなたの剣が参上致しました」
ウィルゴの胸に去来したのは、とうとう己の身分が暴露されてしまったことに対する衝撃よりも、もっと簡素で鮮やかなものだった。
安堵だ。
約束が、刃を携えてやってきた。
「……生きていたか――メアリ」
「あなたを殺して差し上げるまで死にません。そういう約束ですからね」
にこりと麗しい笑みを浮かべたメアリは、マズウェルをまるで鼠の死体のように踏み躙りながら立ち上がり、ひらりと外套を翻して一礼してみせた。




