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アンコール・サーガ  作者: 天乃律
第三章 あなたの剣
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11 「太陽のレリーフ」

 アレンとジオを筆頭にマズウェル男爵の別邸へと突入すると、屋敷の中には元々雇われていたはずの衛兵のほか、ヴォルグス盗賊団の連中がたむろしていた。


 衛兵は降伏すれば危害は加えないと大声で触れ回り、逆に剣を抜いた者とは容赦なく切り結ぶ。イェルガ海賊団の本隊二〇名に対するはヴォルグス盗賊団がざっと見て四〇。最前線の二人が人数の不利をものともしない戦いっぷりを見せたが、さすがに戦闘は一時混乱を極めた。


 アレン・ジオの二人は真っ先に首謀者の確保へ向かうべく二階への階段を上がり、ウィルゴは地下へと降りる入口を捜し始めた。


 東海を臨む岩壁の下方に、船が接舷するための簡単な桟橋がある。そこへつながる道は岩壁を刳り貫いて作られた人口の地下道のはずで、そうなると攫われた女子どもを閉じ込めるのには地下室が一番都合がいい。


 隠し扉のありそうな場所を洗いざらい捜して走り回った。

 大広間、晩餐室、応接室、書斎にギャラリー、どの部屋も凝った調度が設えてあり目に煌びやかだ。使用人の多くは戦う術を持たず、民間人への被害は最小限に抑えるという船長の方針のため、部屋の隅にまとめて集められていた。


 そんなとき、ニアの『声』が聴こえてきたのだ。


 甲高い呼子の音。最初は高く長く伸びやかに消えていき、次いで短い間隔で何度も何度も繰り返される。アレン、ウィルゴ、わたしは此処、そう叫ぶように。


 音を辿って走っていくと、遊戯室の壁が開いていた。二段飛ばしで石の階段を下り、黒髪の少女に掴みかかっている男の背を見つけて――


 ひどくかっとなった以外はよく憶えていない。


 腕の中に飛び込んできた小さな塊の体温を確かめるように、小さな頭に頬をすり寄せた。


 浅くなっていた呼吸を、意識して深めていく。

 生きている。


「無事でよかった」

「……、……」


 ニアはうんうんと肯きながら頬ずりをしてくる。人質にとられた彼女としてもウィルゴとアレンの安否が気がかりだったろうと思うので、照れくさくてもしばらくやりたいようにさせていた。


 いくらか顔色が悪かったが、怪我をしている様子も、ひどく乱暴された様子も見当たらない。思っていたより元気そうだった。


「ウィルゴー! どこだ!」

「ニアー!」


 船員たちの大声が聞こえてくる。彼らもニアの声を聞きつけて大慌てで捜索にかかっているのだろう。ニアを左腕に載せて抱きかかえると、彼女が先程まで閉じ込められていたらしい部屋を一瞥した。


 衰弱した様子の子どもたちが怯えた表情でウィルゴを見ている。部屋の隅に一人、この騒動にも全く反応のない女性が項垂れていた。


 どれだけ急いでいれば彼女を救えたのかはわからない。

 だけど今のウィルゴには、手の届かない人を救えるほどの力がない。


「じき通報を受けた軍が出動してくる。それまではここで待っていろ。入口に人をやって、もうこれ以上誰も入れないようにする……」


 頭を切り替えて一声かけてから、階段を上がって顔を出す。


「ニアがいたぞ」


 廊下の先からばたばたと走ってきたウォンに声をかけると、うおおおおと野太い歓喜の声を上げながらヴォルグス海賊団の男たちをぶっ飛ばした。二、三人まとめてどちゃっと床の上に倒れ込む。


「地下室に他にも子どもがいる。陸軍の到着まではここに誰かいてほしい」

「オーケイだ! じゃあニアと子どもらはこっちに任せて、おまえは隊長んとこ向かえ」

「わかった。有難う」

「ウィルゴがありがとうって……詰まらずに言えただと……! 明日は雨か!!」


 一体なんの感動だ。


 いちいち噛みついていたらこちらの身が持たない。抱えていたニアを床に下ろし、諦念の溜め息をついてから駆け出した。


 邸内ですれ違う船員たちにニアを保護した旨を伝え、その度に野太い歓声を浴びながら、階段を上がって二階へ向かう。


 ゲストルームや寝室と思しき扉が立ち並ぶ廊下の只中で、マルカの金髪が翻った。


 盗賊の男と戦闘になっているらしく、幅広で湾曲した形状の剣を構える敵に対して、洗練された動きで息つく暇もなく斬撃を繰り広げる。さすがというべきか男に対しても引けを取らない見事な戦いっぷりだ。


 だが、と抱いた違和感に目を細めつつも抜剣する。

 あれは貴族の剣術だ。内地の貴族が騎士団で身につけるそれに酷似した、直線的で無駄を排した剣筋。


 男がこちらに背を向けてマルカに斬りかかった。その刃を細身の剣の平で受けた彼女に目で合図しながら、スティレットを大上段に振り下ろす。


 皮膚を裂き、筋肉を切り開き、骨に掠って、男の右肩から左脇までを血で染めた。


 その隙に剣を弾き飛ばしたマルカの一閃で、さらに首筋からぱっと大量の鮮血を散らした男は、悲鳴も上げずに斃れた。


 返り血が顔にかかる。

 左手の甲で血を拭いながら、右に握った剣の血や脂を払った。


「……、……」


 同じように男の血に濡れたマルカはけろりとした様子で死体の服を破り、それで剣を拭っていた。こんな重苦しい鉄の臭いが充満する中でよくも平気でいられるものだ、年もさほど変わらぬ少女が。


「……死んだかな」

「死んだわよ。頸を斬って生きてる奴にはまだ会ったことない」

「そうだな……」


 細かく震える右手を背に隠した。


 人をこの手で弑した途方もない絶望と、人の命を売って金を得る下賤な男どもなど死んで当然という思いは、簡単には折り合いがつかない。


「……ニアは保護した。これから男爵の顔を拝みに行く」

「そう。無事ならよかった」


 ――震えるな。

 剣の柄を強く握りしめた右手に鈍い痛みが奔る。


 このまま立ち竦んでいたら足まで動かなくなりそうだったから、無理やり神経を叩き起こしてマルカの横をすれ違おうとした。


「マルカも早く下と合流した方がいい。だいぶ片付いただろうから――」

「ねえ、ちょっと」


 マルカはいつかと同じように、ウィルゴの肩を掴んで強引に振り向かせる。


「あんただいじょうぶ?」

「……マルカに優しくしてもらおうと思ったら、少し調子が悪いふりをした方がいいらしいな?」

「餓鬼くさい言い訳してないでこっち見なさい」


 ぴしゃりと頬を叩かれた挙句、髪の毛を引っ張られて顔の向きを正された。嘲るように細められた空色の双眸が、ウィルゴの隠したがった苦衷を暴く。


「誰にだって初めてはあるわよ」

「…………」

「ずいぶん解りやすくなったわ。アレンやジオが喜ぶわけだ」


 言葉を切ったマルカがじっと見つめてくるので、再び顔を逸らして身を竦めた。

 静かな彼女の呼吸がふたつ、みっつと響いたところで口を開く。


「マルカは貴族だったのか」


 我ながら最悪の切り返しだった。


 至近距離に立ってウィルゴを見透かす空色の瞳がすぅっと底冷えしていく。体を離したマルカは、剣を鞘に納めて腰のベルトに吊り直すと、触れれば切れそうなほど鋭利な殺気を立ち昇らせた。


「……ある日、母に連れられて屋敷を出たわ」


 それが彼女の答えだということに気付くまで、数秒。


「何が何だか解らないまま生まれ育った家を出て、追ってくる何者かから逃げ続ける日々だった。父は首を刎ねられ、使用人たちもいまとなっては生死不明。後でことのあらましを聞いて笑ったわ」


 マルカは笑った。

 底のない絶望を湛えた凄絶な笑みだった。


「アラム付き近衛兵士だった兄が、護衛中にアラムの服の裾を踏んだのよ」

「……アラムの!?」


「兄はその場で首を刎ねられた。死体はわざわざ西域の片田舎にあったうちの敷地内に投げ入れられたそうよ。父は晒し首。他の兄と姉とは逃亡の最中にはぐれた。母も程なくして死んだ。逃亡生活に耐えられる性格の(ひと)じゃなかったから」

「…………」


「ちょうどユルグス帝が崩御したあとのことだった。一年後に新しい皇帝が即位したと聞いて母は病床でいつも泣いていたわ。『いまに新たな陛下が迎えを寄越してくださる』『お兄さまとお父さまの名誉をきっと回復してくださる』『アラム殿下を諌めてくださり、わたしたちがお屋敷に帰れるよう計らってくれる』……当然、迎えなんてものは来なかったわけだけど」


 かぶりを振ったマルカが廊下の端に視線をやり、なにかを見つけて動きを止める。手を伸ばして拾い上げたものを掌中で転がしてから投げつけてきた。


 左手に受け取ったそれを見てみると、東海から昇る太陽を模ったレリーフだった。上部に穴が開いて紐が通っているが劣化で切れてしまったらしい。


「アレンのだから渡しておいて」


 踵を返したマルカの背にかけられる言葉など、持っていない。


 ()()()()()()()()()ウィルゴには、マルカの身上に触れて気休めを言うことさえ許されない。


 ただアレンの落とし物を強く握りしめて、彼女と背中合わせに進むことしかできなかった。――自らの手落ちで奪われたニアを救う? どれだけ急いでいれば彼女を救えたのかはわからない? いまのウィルゴには、手の届かない人を救えるほどの力がない?


 いま、どころか。


「……俺にはなにもない!」


 苛立ち紛れに低く呻く。


 ずきんと鈍い痛みが右手に奔った。剣の柄と縛りつけた腰布に血が滲んでいる。自分のものか返り血なのかも解らない。人を殺した絶望に似た罪悪感も、人身売買で懐を肥やす卑劣漢に対する軽蔑も、胸の中で折り重なって汚い澱になってしまった。



 ただ一つ確かなのは、いまも昔も無力な自分に対する怒りだけだった。


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