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アンコール・サーガ  作者: 天乃律
第三章 あなたの剣
27/29

10 「一方その頃のニア」

 ……外が騒がしい。

 身を小さくしてずうっと恐怖に耐えていたニアは、訪れた変化にそっと顔を上げた。




 あの日、アレンたちに対する人質として捕まってしまったニアは、目隠しをされてどこかの邸へ運ばれた。最初はどこか飲食店の倉庫みたいなところ。食材や油のにおいがしていた。


 そのあと麻袋に入れられて、荷馬車に乗って移動した。道を曲がった回数や移動時間などを、ジオが見せてくれたヒルドレの地図と照らし合わせてみても、町から出ていないことは間違いない。


 どこかの敷地の中で馬車は止まり、麻袋に入ったまま建物の中に運ばれた。ニアを運ぶ男は少し歩いたあと、扉を開けて、階段を下りる。地下だ。


 ニアのせいで抵抗できずに黙って傷つけられるアレンたちの姿が目に焼き付いて、運ばれている間も閉じ込められたあとも震えが止まらなかった。


 自分のせいであの二人が、心優しい兄二人が、もしかして、ひどい怪我をしてしまっていたら。そう思って目隠しの下ではらはらと泣く彼女に、誰かが話しかけた。


「泣いても誰も来ないよ」


 そう言って目隠しを外してくれた少年は、名をエリアスといった。


「誰も来ない。泣くだけ水分が勿体ない。どうせこれから先まともな食事なんてもらえないから、水分はとっといたほうがいい」

「……、……」


 返事はできなかったが、少年のその言葉でいくらか冷静になった。


 ニアたちが閉じ込められているのは窓のない小さな部屋で、彼女らを含めて十名程が項垂れている。エリアスは二つ三つ年上のようだが、五、六歳くらいの子どもがいれば、マルカくらいの女性もいるようだった。ドアの横に蝋燭が一本だけついているが、光源がそれだけなのでひどく暗い。


 ヒルドレでは人攫いが起きていて、特に女子どもが失踪しているらしいから、外に出るときは必ず誰か戦える人と一緒に下りなさい。――砲撃隊の女性クルーの言葉を思い出し、自分はまんまと攫われてしまったのだと自覚した。


「だから――……海賊団には手を出すなとあれほど……」

「うるせえな……所詮海賊だろ? 何がそんなに……」

「東海のイェルガ海賊団は! 貴様らのお山で言うところの西峰のゾルターンのようなものなのだ! 海軍でさえやり合うのを避ける勢力だぞ!?」


 怒鳴り合う男たちが階段を下りてくる。


 やがて牢越しにニアを見に来たのは、アレンたちを襲ったあの禿頭の男と、よく肥った豚に似た蒼白い顔の男だった。こちらは貴族のような服を着ている。乏しい蝋燭の灯かりを反射する金の縁取りが、ちかちか光って目にやかましい。


「……何だってよりにもよってイェルガ海賊団に……。奴らが攻めてきたら貴様らが相手をするのだぞ! いいな!!」


 鼻息荒く吐き捨てた肥った男が、ふんっと顔を背けて階段を上がっていく。


 その後ろ姿を鼻白んだ様子で見送った盗賊団の男が、小部屋の隅っこで膝を抱えるニアを見て厭らしい笑みを浮かべた。


「はっ……東海最強ねえ。そのわりにどいつもこいつもヒョロヒョロしてたけどなあ! あの黒髪のガキ二人なら今頃海に葬られてる頃だろうよ」


 ……そんなはずはない。


 確かにウィルゴは途中で倒れたし、アレンも血を流していたけれど、ジオたちがやってきて盗賊団が逃走を始めた瞬間にアレンはイェガの名を呼んでいた。死んでなどいない。船に戻ればグレイがいる。グレイが、あの二人を死なせるはずがない。

 胸元をぎゅっと握る。


 ここで泣けばこの男に屈するのと同じ。


 ニアだってイェルガ海賊団のクルーだ。こんな卑怯で下劣な男に、心まで屈してなるものか。


「明後日にゃ船がつく。そうすりゃおまえらみーんな、内地の変態貴族どもに買われて一生可愛がってもらえるさ。いい飼い主に買われるよう精々祈っとけ!」


 男は最後に唾を吐き捨ててから去っていった。


 精一杯ニアなりに怖い顔をしてその後ろ姿を睨みつけ、完全に姿が見えなくなったあとはアレンがよくしているようにイーっと歯を剥き出しておいた。アレンが本気になったら、ニアさえ人質にされなければ、あんな禿げ頭よりアレンの方が強いに決まっている。


「……おまえ、イェルガ海賊団のクルーなの?」


 あからさまに疑っているような目つきのエリアスにこくりと肯いた。


 こんな小さな自分が、かの有名な海賊団の一員だなんて信じられない気持ちは嫌というほど解るので、できれば言葉を尽くして説明し安心させてあげたいけれど、生憎自分には声がない。


 さて困った事態になってしまったぞ、とニアは眉を下げた。


 イェルガ海賊団の面々はニアを捜索してくれている。


 だからそんなに絶望的な気持ちにはならなかった。だってこれまでも、仲間に何かあったときはみんなで助け合ってきたのだ。きっと今頃、小さなニアが怖い思いをしているに違いないと、寝る間も惜しんで捜してくれているはず。


 困った事態というのは、思ったよりも大ごとに巻き込まれてしまった、ということだ。


 単に海賊同士の小競り合いならいざ知らず、ニア救出には人身売買現場の摘発というおまけまでくっついてしまうことになった。


 海軍部隊の駐屯地だからあんまり派手な動きはできないとマツリが教えてくれたことを思い出し、ちょっとしょんぼりしてしまったニアだった。


 自分がいる場所がどこかまでは判らないけれど、ヒルドレからは出ていないことは確実だ。明後日の船でここを出るというのなら、恐らくそれまでにはみんなが来てくれる。


 ニアにできるのはいち早く居場所を知らせることだ。


 アレンがくれたニアの『声』――胸元に提げた呼子に指先で触れる。吹くタイミングを外してはならない。慎重にならなければ。


 ――「船が出港する前にまた買いに来よう。付き合ってくれるか」

 ――「ニア、必ず迎えに行く。それまで信じて待ってられるね」


 大丈夫。ニアだってイェルガ海賊団のクルーだ。売られるのだって、初めてじゃないし。


 むんっと気合を入れて膝を抱えたニアを見て、エリアスがほんの少し目元を緩めた。



 そんなわけで、ニアは案外、精神的には元気だった。


 エリアスが教えてくれた通り食事は満足でなく、十人で分け合うにはあまりに少ない。衰弱した女性はもう食べものも喉を通らないようで、いいから食べなさいと与えてくれた分を小さな子どもたちにあげたものの、ここにいる日数が多い子から順に体力も衰えてきているようだった。


 早くグレイにこの子たちを診せてあげたいな。


 それにしてもあいつらは奴隷の扱いがなってない。


 ここから船でまた移動させられるというのに、陸地の時点でこんなに劣悪な扱いを受けていたら、売られる前に力尽きてしまうではないか。変態貴族たちとやらだって、見た目からして衰弱している子どもたちに高い金を払おうなんて思わない。


 これなら前回売られたときの方がまだ奴隷商人として成立していた。


 そんなことを真面目に憤慨しつつも、窓がないため日にちの移り変わりもわからぬまま、眠気が訪れるに従って寝ることしばらく。


 食べ物を小さな子に分けてくれた女性が、身じろぎをしなくなった。

 最初は誰も気付かなかったけれど、エリアスが声をかけたことでわかった。


 ようやくニアは、自分が本当に恐ろしい――恐ろしいほど考えなしの人たちに、捕まってしまったのだと理解した。


 小さな子どもが不安で泣き出すと、見張りの男が怒ってその子を殴り飛ばす。男は手当たり次第に子どもを蹴ったり殴ったりしたあと、食事を引っくり返して部屋を出て行った。


 エリアスは近場にいた子どもたちを庇って何度も蹴られて、いまは眠っている。


 胸元の呼子を握りしめた。


 かつて似たような状況にあったニアを救けてくれたアレンは、痩せっぽちの少女を抱きしめて「自由に生きような」と笑ってくれたのに。


 “この世界の誰も、誰かの自由を奪って生きちゃいけない”。


 そう教えてくれたのはメイヴェーラ号のみんなだ。


 アレン。ウィルゴ。マルカ。ジオ。マツリ、グレイ、サザ、モルガン、船長。思いつく限りみんなの顔と名前を脳裡に思い浮かべながら、エリアスを助けて、みんなを助けて、と繰り返し祈っていた……。




 するとやにわに部屋の外が騒がしくなったのだ。


 顔を上げて外の気配に集中してみると、どうやら何者かの襲撃を受けているらしい。気がついたらしいエリアスが身を起こして、「なんだ、この音」と呟く。


 さすがにまだ、なんの確証もなくイェルガ海賊団のみんなだと喜ぶことはできない。


 やがて部屋に向かって乱暴な足音が近づいてきた。扉を開け放ったのは何度か食事を持ってきたことのある男だ。


「おい! 黒髪の……そこの餓鬼ッ!!」


 ニアを指さし、唾を撒き散らしながら狂ったようにがなり立てる。


 周りの子どもたちが怯えたように身を寄せ合い、エリアスは彼らを庇うように前に出た。


「見せしめに目の前で殺してやる……!!」


 エリアスが息を呑んだのが、隣に座っていたニアにも聞こえた。


 ニアを選んでわざわざ「見せしめに」殺すということは、この襲撃はやはり仲間たちによるものなのだ。すっくと立ち上がり、怒りか怯えか顔を真っ赤にしながら牢の鍵を開けようとしている男の目の前で、胸元の『声』を口に咥えた。


“ここにいるよ!!”


 吹き込んだ息の強さに応じて、耳が痛くなるほど甲高い音が響き渡る。


「テメエ! クソガキ!! 何を呼びやがった!!」


 男が扉を蹴り開けた。

 その手に黒髪を無造作に掴まれても、呼子を吹くことだけはやめない。


“アレン! ウィルゴ! わたしは此処!!”

「やめろ!! その笛寄越せ!!」


 男が平手を振りかぶる。



 ぎゅっと身を縮めたニアの頬を引っ叩こうとした男の首筋に、そのとき音もなく、ぎらりと光る刃が添えられた。



「――その汚い手を離せ。言語は理解できるな。もう一度言う、その汚い手を離せ。死にたくなければいますぐに」



 腹の底から這いあがって首筋を絞められるような、低い、獣の唸り声がする。


 いつも穏やかで少し悲しかった新しい兄が、前髪の隙間から男を睥睨するその様に、ニアは一瞬だけ驚いた。彼にこんな顔ができるとは思わなかったのだ。


 瞼の際の限界まで両目を見開いて硬直した男は、ゆっくりと、自らの無抵抗を示すように、ニアの髪や服から両手を退けていく。


「賢明な判断だ。……行け。二度と俺の視界に入るな」

「ひ……」


 初めて、ウィルゴの殺気に触れた。


 ウィルゴはとても怒っていて、だからあんなにも低い声でいるはずなのに、腰を抜かして這う這うの体で地上へと逃げていく男を見送る横顔は、どこか痛みを堪えるようないろをしている。


“ウィルゴ”

「……ニア」


 呼んだのが聴こえたわけでもなかろうに、彼はニアを見下ろして膝を折った。


 まるで初めて会ったときにそうしてくれたように、ごく自然に、絵本に出てくる王子様みたいに。


「――遅くなってすまない」

「……!」


 怪我は目立つもののしっかりと自分の足で歩いていたウィルゴに、ニアは勢いよく飛びつく。一瞬驚きに動きを止めたものの、ウィルゴはぎこちない手つきで左手を背中に回してぎゅっと抱きしめてくれた。


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