7 「みんな血の気が多い」
ウィルゴが目を覚ましたのは翌日のことだった。
「可愛い顔が台無しじゃねえか。もっと大事にしろよ」
ちょうど様子を見に来てくれていたジオの軽口は無視して「アレンとニアは」と開口一番尋ねたウィルゴに、彼は溜め息をついて教えてくれた。
ジオは昨日、町中を歩いていた。
途中でマルカら女性クルーと合流し、船に戻ろうとしていたところ、ニアがイェガを呼ぶのに使った呼子の音が聴こえたので捜していたのだという。すると市場にほど近い路地から物騒な声や音がするので顔を出してみたら、襤褸雑巾みたいにされているウィルゴとアレンを見つけた。
盗賊団の男たちはジオの姿を見て逃亡、そのときまだ意識があったアレンが咄嗟にイェガに指示を出してニアを追わせた。船に戻りグレイがぶつくさ言いながら治療してくれて、一夜が明けた。
追跡していたイェガは途中で見つかってしまったらしく、怪我をして道で倒れていたのを後からクルーが発見し連れ帰っている。
二人と一羽の命に別状はない。ただしアレンはジオにことのあらましを説明したあと気絶し、まだ意識が戻っていない。
いまは白兵第二隊を動員してヒルドレの街中を探っているところらしかった。
そこまで聞いてから体を起こしたウィルゴに、ジオがぎょっとして制止にかかる。
「おい待て、死んではないけどおまえも絶対安静だ」
「安静にしていられるか。俺も捜す」
「待て待て待て、意外と血の気が多い奴だな! グレイに怒られんのはオレなんだよ勘弁してくれ」
「だが――」
面倒そうな顔つきになったジオは容赦なく拳を振るった。
殴られた頬を左手で押さえながら、可愛い顔をもっと大事にしろとのたまった先からこいつ、血の気が多いのはどっちだこの野郎、とウィルゴはぐるぐる考えたが大人しく黙り込む。
ここで口答えをしたら迷わずもう一発降ってくるということは、ジオの構えから明らかだった。
「……イェルガ海賊団をなんだと思ってんだおまえは。死にぞこないの一人や二人が安静にしてたところで機動力は変わりゃしねェよ」
「…………」
「乗り込む先がハッキリしたら連れていってやるから、それまでしっかり養生しろ」
胸がどろどろして落ち着かない。
こんな状況でじっとしているなんて耐え難い。
目を閉じれば男に担がれたニアが浮かび、舌打ちを漏らしたアレンの後ろ姿が見える。深呼吸して、感情を抑え込もうとすればするほど、喉の奥の痛みが強くなった。
震えながら左の拳を握りしめたウィルゴの頭を、ジオがぽんぽんと撫でてくる。
「悔しいな。弱い自分が嫌んなるだろ」
「……こういうのが悔しいというものかな」
「それ以外の感情はオレは知らん。いいから大人しくしてろよ、じゃないともう一発殴るぞ」
怪我人に向かってどんな脅しだ。
グレイを呼んでくると慌ただしく退室したジオの足音が遠ざかると、ウィルゴは顔を歪めながら自分の体を見下ろした。
頭部、左肩、胸、右足と治療されているが痛みはひどくない。全身妙な怠さや地味な痛みはあるものの、打撲や寝ていたことが原因だろう。深刻なのは右手だった。
掌を剣で貫かれたことを憶えている。
思えばあれが決定打になって失神したようなものだった。包帯でぐるぐる巻きになっていてどういう状況かいまいちわからないが、しばらく剣は握れそうにない。
「……ニア」
何もできなかった。
――何もできなかったのだ。
ニアの捜索は捗々しくないまま夜を迎え、ウィルゴは医務室に一人横たわっている。
岩場に打ち寄せる波の音を聴きながらきつく目を閉じて眠ろうと努力するものの、すっかり目が冴えてしまって上手くいかなかった。
一日中寝ていたのだから当たり前だ。
かといって拾われた頃のように夜風を浴びに行くこともできない程度には体が重い。
アレンは夕方頃に目を覚ましたと聞いた。
こうして一人で眠れぬ夜を過ごすのも久しぶりで、ウィルゴはむしろ新鮮な気分だった。乗船当初は回復のためにとにかく寝てばかりだったし、最近は大部屋でみんな一緒にハンモックに揺られたり雑魚寝をしたりしていて、鼾や寝言や歯ぎしりがたいへん賑やかな中どうにか眠っていたのだ。やかましかったが、楽しかった。
こうしていると追われる生活になる前のことを嫌でも思い出す。
契約に近しい約束をしたのもこんな夜だった。
いつか己が望んだときにはこの身をその手で葬ってくれと、不相応に高級な寝台の上で、熱に浮かされた頭で、自分を殺しに来た相手と約束をした。
とても愚かで、けれどウィルゴにとっては何よりも尊い。
拾われた命を自ら投げ出すことができない優柔不断なウィルゴは、最早約束が刃を携えてくるのを待っているばかりだったが、ニアが攫われたいまとなってはそんなことも言っていられなくなった。
そういう気持ちの転換が自分でも少し意外だったが、気分は悪くない。
殺されるまでは死ねなかった。
だがいまはニアの無事な姿を再びこの目に見るまで死ねないと思っている。
いい加減、喪ったものの大きさを冷静に見極めるべきだ。ウィルゴはただのウィルゴになった。身軽になったのだと、あの日ジャスミンの店で、自分で言ったではないか。
ろくに動かない体で持て余した思考に一区切りついたところで、何に呼ばれたわけでもないが、ウィルゴはふと医務室のドアを見た。
するとノックとともに「起きてる?」と声を掛けられる。
絶対安静のはずのアレンの声だった。
これでまたグレイに見つかりでもしたら怒られるのは必至なので、なんとなく無言を以て返すと、やや逡巡したのちアレンはドアを薄く開いて顔を覗かせた。
ばっちり目が合う。
「……起きてるじゃないか」
「寝てるとは言ってない」
「なんだそれ」
力の抜けた笑みを浮かべた彼はそろりと部屋に侵入すると、静かに扉を閉めてこちらへ寄ってくる。枕元の椅子に腰かけ、アレンはどこか緊張した面持ちで、目を伏せたまましばらく黙りこんだ。
沈黙は苦手な方ではない。
むしろ生い立ち上慣れるべくして慣れたともいうが、アレンはあまり得意ではなさそうだ。気まずい雰囲気に堪えられなくなればそのうち口を開くだろう。
その挙動こそ普段通りに近かったが、顔に残る痣や治療の痕は痛々しい。半袖のシャツから伸びる両腕にはびっしりと包帯が巻きついていたし、ズボンの裾から見えた両脚も然りだ。そもそもウィルゴは起き上がることすら億劫だというのに、寝台から抜け出してここまで歩いてきていること自体が驚きだった。
もとの体力の差だろうか。
内心ちょっとへこむウィルゴの予想を遥かに上回る時間をかけて、ようやくアレンはぽつりと零した。
「ごめんな」
こんな夜中にわざわざ部屋を出て来てまで伝えたいことが、謝罪ひとつのわけがない。
ウィルゴが僅かな身じろぎで続きを促すと、彼は両手を膝の上で組んで指を遊ばせた。
「おれ、九歳の頃からここにいて、それなりに大事に育てられてきたんだ。海賊が大事に子育てっていうのも変なんだけど、つまりジオのお墨付きがつくまで、確実に強くなるまで実戦に出されたこともなかった。だから初陣以降、こと実戦においては負けなしだったんだよな」
「…………」
「大勢に囲まれて一方的に暴力を受けるなんて初めてだった。怖かったよ」
今回は本当に運のいいことにジオやマルカが駆けつけてくれたから、こうして二人は生きて顔を合わせられる。
もしも何か一つ、蝶の羽ばたき程も僅かな差異があれば、意識を失くすか命を落とすかしてすぐ傍の海に沈んでいてもおかしくはなかった。
幸運はそう何度も訪れない。死ぬときは一瞬だ。
「おれの判断がまずかった。あのとき戦うべきじゃなかった。合流してすぐ船に戻るべきだったんだ。やっと怪我が治ったばかりのウィルゴまで巻き込んで」
なんと言葉をかけたらいいか、ウィルゴにはわからなかった。
見当違いな謝罪だ。というか、アレンが何を謝りたいのかよく解らない。
「……おまえは何が言いたい?」
「何がって! だから怪我させてごめんって!」
「意味が解らない。おまえに怪我させられた憶えはない。むしろニアの手を放した俺の方こそ責められるべきだし謝るべきだ」
「ウィルゴは悪くないだろー! ああもう、あのときおれ何でウィルゴと背中合わせで戦うのが当たり前だなんて思ったんだろう!?」
「知るか。俺に言うな」
ぼふ、とアレンが布団に顔を埋めてくる。
アレンの顔の感触を膝上あたりに感じながら、ウィルゴは肩の力を抜いて口元を緩めた。
人の感情の機微に一喜一憂するような環境から長らく身を引いていたウィルゴにとって、メイヴェーラ号でのクルーとの関わりは、指先まで神経を張りつめてもなお足りないくらいの緊張の連続だった。
それほど緊張しているわりにうまくいかないことの方が多くて、上手に言葉を返せなかったり、考え込んでしまって戸惑わせたり、気を遣わせたり、若干一名にやたら嫌われたりしている。
ウィルゴにしては、今回どうにかアレンの説得に成功した方だろう。
生きていくことは難しい。
自分の生活力やら人間力のなさに落ち込みかけたところ、突然ドアが開いた。




