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アンコール・サーガ  作者: 天乃律
第三章 あなたの剣
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6 「路地裏大乱闘」

 アレンの黒曜石の双眸に静かな怒りが浮かぶ。


 普段温厚な人間ほど怒らせると怖いとはよく言うが、いまのアレンはまさにそれだった。面白いことがあってもなくても常に朗らかに立っているような人が、表情を消して足元の男の胸倉を掴み起こす。


 先程まで震えていたニアがあわあわと慌てだすほどの怒りっぷりだ。


「この町、人が消えるんだってな。おまえらが黒幕か。それにしたって白昼堂々いい度胸だな。あの子がイェルガ海賊団の一員と知ったうえでの暴挙なんだろうな。どんな目に遭っても文句は言えないよな。そうだよな?」


「ハッ……所詮海賊だろうが! 内地の変態貴族どもに売られて可愛がられるのと大差ねえだろ!」

「へえ。余程この歯いらないらしい」


 目にも留まらぬ早業でアレンの拳が男の顔面に叩き込まれる。


 べきゃ、と可哀想な音が響くより早く、ウィルゴはニアの顔を自分の腹の辺りに抱き込んだ。ひえええ、というニアの声が聴こえてきそうだ。


 一見ただの活発な少年であるアレンがまさか迷いなく歯を折りにかかるとは思っていなかったのだろう、殴られた男は茫然としたまま口からだらだら血を流している。


 握りしめた右拳に男の血をつけたまま、アレンは「うん、静かになった」とうなずいた。冷静なその様子が逆に怖い。


 つまりニアは逆鱗なのだった。

 東海一帯に最強の名を轟かすイェルガ海賊団、有数の戦士にとっての。


 顔を上げたニアにぺしぺしと叩かれ、はっと我に返る。


 いつの間にかかなりの客の視線を集めてしまっていた。このままでは海軍に通報されかねない。


「アレン……こんな町のど真ん中でそれ以上は……」

「それもそうだ。じゃあ人通りのないところでゆっくりお話を聞こうか」


 その歯じゃまともに喋れないと思うぞ。


 ――と言ってやりたいのはやまやまだったが、自分がニアから目を離したせいで引き起こされた事態なので、口出しせずにそっと白兵第一隊隊長の激しい怒りを見守ることにする。


 アレンが男を担いで広場から出ようとしたとき、甲高い指笛が鳴り響いた。


「ウィルゴ!」

「あいつ――」


 アレンの声に背中を押されて、客に紛れて指笛を吹いた男の姿を追いかける。アレンと男の流血騒ぎで野次馬が集まっていて思うように走れず、すぐに雑踏の中に消えていく。


 いまのは恐らく仲間を呼ぶための合図だ。


「惜しいけど逃げるか。ニア、ウィルゴの手を絶対に放すな」


 ぎゅっと眉を顰めたアレンがそう言うと、ニアは唇を引き結んでひしっと腕にしがみついてきた。「手を放すな」に対する「了解」の意であろう。


 担いでいた男を地面に下ろし、港方面へ先導するアレンの後について歩きだしたウィルゴの肩に通行人がぶつかった。


「すまない――」

「やぁぁっと見つけたぜクソガキども……!」


 顔面を大きな手で掴まれる。

 そのせいで相手の顔は見えなかったが、声には聴き覚えがあった。


「あの生意気な小娘は一緒じゃねえのか。残念だなあ!!」


 三日前。

 アレンとマルカに伸された連中のうち、偉そうに喚いていた禿頭の男だ。


 男は軽く掴んだウィルゴの顔を通りの店めがけて放り投げる。咄嗟に離そうとした手をニアが強く握ったので、二人はまとめて吹き飛んだ。


 辛うじてニアの体を抱き込んで転び、その勢いのまま起き上がる。ここでニアと離れてしまうことだけは絶対に避けなければならない。――この小さな少女が人質にとられでもしたら。


 ウィルゴとニアが体勢を整える間に、路地の間から柄の悪い屈強な男たちがぞろぞろと姿を現した。潮風の香るヒルドレの町に似つかわしくない、西域訛りの山の男たち、ヴォルグス盗賊団。


「……クソガキ相手にずいぶんと警戒してんだね?」

「ヘディの野郎がビビっていやがったせいで礼に来るのが遅くなって悪かったな、クソガキ? どうも海じゃそれなりに名の知れた奴らなんだって?」

「今更気付いたの。遅いよおじさん」


 アレンが不敵に笑って挑発しながら、右手で鞘ごと剣を持つ。ウィルゴはニアの頭を抱え込んだまま唇を噛んだ。


 一般人の往来の多い街中の通りで、二人を庇いながら十人以上と戦うのは、いくらアレンが手練れでも厳しすぎる。


「ウィルゴ、ニア。港で」


 アレンもここで流血沙汰に持ち込む気はないらしく、端的な指示だけ飛ばすと臨戦態勢に入った。ウィルゴはニアを肩に担ぎ上げると得物を握りしめ、一番人の壁の薄い箇所へ向けて疾走する。


 ウィルゴは彼女の安全を任されたのだ。

 責任は重大だった。


「追え、あっちも逃がすな!」


 立ちはだかろうとした男の脇を鞘で打ち横をすり抜ける。突如始まった物騒な乱闘に戸惑う雑踏へ突入すると、ウィルゴは身を低くして辿ってきた道を逆走していった。


 時折ニアに方向転換や右左折を指示されながら、追手に捕まることなく中心地を離れていく。彼女の道案内は驚くほど正確で、ウィルゴはさしたる苦労もなく港に程近い市場の通りへとたどり着いた。


 ひと月半前に死線を彷徨ったばかりのウィルゴが、ぜーはー肩で息をしながらニアを下ろすと、小さな体で一生懸命に背中をさすってくれる。


 息を整えてニアの手を握ると、彼女は胸元から小指ほどの大きさの呼子を取り出した。


 ピィ、と一息ぶんだけ吹く。


 これでは誰にも聴こえない。アレンと合流するにしたって音が短すぎる――と思っていたウィルゴの視界に、曇り空を切り裂く一羽の鷲が飛び込んできた。


「イェガを呼んだのか……」


 ウィルゴはあまり間近で見たことはないが、イェルガ海賊団の重要な情報伝達役である鷲のイェガだ。アレンが死にかけのウィルゴを拾ったときにグレイを呼んできてくれたと聞いている。


 いつもアレンがそうしていたように左腕を差し出すと、当然のように降り立ってきた。


 爪が食い込んでけっこう、いやかなり、痛い。


「アレンと合流したい。捜してきてくれないだろうか」


 賢そうないろをした薄茶色の眼を覗き込むと、イェガは小さく鳴いてからウィルゴの腕を蹴りつけ羽ばたいた。爪が引っかかっていた辺りから血が出ている。


 服の裾で血を拭いながら、狭い路地の店の看板の裏にニアを隠した。


 追われるのは久しぶりだ。


 嫌な感触を思い出しそうになってきつく目を閉じる。腰に手を当てて大きく息を吐き出すと、ニアがひょこっと顔を出して眉を下げた。いくら喋らなくても心配されていることくらいは解る。


「……桃と、ぶどうのジュースを買ったんだ。店主が気を利かせて花まで載せてくれたのに……全部棄ててしまったな」

「……、……」

「船が出港する前にまた買いに来よう。付き合ってくれるか」


 すると、灰色の雲が近付いて翳ってきた路地で一人、まるで快晴の海を見渡すかのようにきらきらした笑顔になったニアが、ぶんぶんと勢いよく首を上下に振った。


 これはおじさん連中が骨抜きにされるのも解る……。


 こんな状況だが緩みそうになった口元を押さえたところで、イェガの羽音とともに身軽な足音が近付いてきた。


「あ、いたいた良かった。ごめんな、撒ききれなかったよ。ニアは隠れてるんだな、そのまま待て」


 息ひとつ切らしていないアレンだった。


 顔を覗かせてにこにこしていたニアはうなずいて再び身を隠し、ウィルゴはアレンの隣に並び立つ。


 どやどやと下品な足音と罵声が聞こえてきた。禿頭の男を先頭に、心なしか倍ほどの数になった気がする男たちが、ずらりと円を描いてウィルゴたちを取り囲む。


 死角のないようアレンの背中側へ回りながらついぼやかずにはいられなかった。


「……撒いたどころか増えてないか」

「なんか途中で戦力合流させちゃったみたい」


 てへ、と茶目っ気たっぷりな物言いのアレンが抜剣する。


「ウィルゴ、戦える?」

「人を斬ったことはない」

「えっ」


 スティレットを抜いて右手に構えた。鞘はベルトに差し込む。


 かつて佩いていた細身のバスタードソードのことを思い出した。


 飾りに近いものではあったが、稽古に使用していたのでよく手に馴染んだ。追われる生活が始まった頃は振るっていたが、イルレイの前の町でうち棄てて逃げた。甘さを捨てられなかったウィルゴはその剣で追手を斬り伏せることもせず、ただ相手の武器を叩き落とすことだけに使って、よく「そんなに立派な剣なのに」と叱られたものだった。


 立派なのは装飾ばかりだ。

 持ち主が腰抜けだったから、相応しく活躍させてやることができなかった。


「――だが、度胸だけなら」

「ま、瀕死で海に飛び込む強心臓だもんな」


 アレンが楽しそうに笑ったのが、見なくともわかった。


「上等っ。初陣だ、思っきし暴れろ!」

「……二度と表を歩けないように叩きのめせ!! 身ぐるみ剥いで鮫の餌にしてやる!!」


 額に青筋を浮かべた禿頭の男の怒号一発、柄の悪い海の男たちがまとめて襲い掛かってくる。


 先頭を走ってきた男の懐に腰低く飛び込み、まずは斜め上へ一閃。返す刀でその横にいた者の腹を薙ぐ。振り下ろされた剣は前転で避け、消えたウィルゴを捜すその後姿を蹴り飛ばした。


 息を吐く間もなく横から斬りかかってきた男は左手に抜いた剣で止め、がら空きになった胴を右手の鞘で一閃する。もう一人、二人と足を引っかけ転ばせながら、数人を斬り伏せたアレンと背中を合わせて対峙した。


 一瞬の攻防では半分も減っていない。


「もしかして二刀使い?」

「手解きを受けたことがある程度だ」

「いいなぁ、帰ったら教えてよ」


 正面から飛び込んできた男と剣を咬ませて競り合い、横から気配を感じれば受け流して蹴り飛ばす。鞘で剣戟を受け止めながら斬り倒し、足を引っかけて転ばせ、相手同士の自滅も狡猾に狙った。


 ときに剣を左手に持ち替え、鞘を握り、蹴りを入れる際は重点的に男も女も容赦なく股間を狙う。

 一撃で相手を斃せるほどウィルゴは強くない。

 斬るなら狙いはできるだけ脚と腕だ。

 脚を斬れば立てない。脚は無理でも腕を斬れば剣を握れない。刺突は躊躇せず内臓を狙え――。


 いつ使うんだ、そんな戦闘理論……。教えられていた頃は、心底そう思っていた。


 ――「いつか、私があなたのお傍を離れることがあったとき、私が駆けつけるまで持ちこたえてもらわなければなりませんからね」


「……、……」


 あの剣の師とはぐれて死にかけたいまでも尚、その教えに身を護られている。

 吐き気がするほど忌々しくて、泣きたいくらい心強かった。


「……動くなよ!!」


 さぁ……と細い雨が降り始めたのと同時に響いたその怒声に動きを止める。


 禿頭の男がニアの体を抱えて、その白い首筋に短刀を突きつけていた。


「動いたら可愛い妹に傷がつくぜ」


 ニアは目を白黒させながらもきゅっと唇を引き結び、両手を握りしめて、体を小さくしたまま男に抱えられていた。


 じりじりと後退してきたアレンと背中合わせに男を睨みつける。視界の端ではイェガが路地の建物の屋根に止まっていたが、合図を出して襲わせるよりも男の短刀の方が早いだろう。


「剣を下ろせよ。怪我させたくねえよな?」


 男の腕に捕らわれたニアの眦に涙が溜まっていく。

 いつも穏やかなアレンの口から盛大な舌打ちが漏れた。


「ニア、必ず迎えに行く。それまで信じて待ってられるね」


 少女はうなずきもせず、ただじっとアレンの黒曜石の瞳を見つめ返す。その表情を見てアレンはにこりと笑った。


 剣が地面に落ちる音が響く。


「ごめん。ウィルゴ」

「……謝るな。おまえに拾われた命だ」

「そういう言い方は嫌い」


 肩を竦めながらスティレットを放り投げた。


 からん、とうら寂しい音がして、なんとなく心の中でジャスミンに謝った。


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