2 「喧嘩っ早さはジオ譲り」
町中の店に向かう道すがら漁港周辺の市場に差し掛かると、日に焼けた褐色の肌の人々がごった返していた。テントの張られた店先に今朝方獲れたばかりの魚介類が雑多に並んでいる。昼前ということもあってかなり品薄にはなっていたが、それでもまだ買い物に来た人の往来が激しい。
怒鳴りつけているのかと思うほど威勢のいい掛け合いがあちらこちらで繰り広げられているせいで、ウィルゴにはひどくやかましく感じる。
東域訛りの強い語調や口にするのも憚られるような俗語が飛び交い、ややくらりとした。
「帝都のお店もこんな感じ?」
アレンが振り返った。
「……ああ、似たような感じだな。ヒルドレの方が少し……活気があるようだが」
「帝都はもうちょっと上品ってこと? そりゃそうか」
アレンは悪戯っぽく笑う。その通りだった。
当初の予定通り、まずは腹を満たすことになった。
マルカが適当に「じゃああそこ」と指さした港に面している店に入ると、若い女性が出迎えて席まで案内してくれる。昼食にはまだ少し早い時間なので、店内はちらほらと客がいるだけで混み合っていなかった。
店の出入口に近い四人掛けテーブルの壁側にマルカ、その向かいにアレンとウィルゴが座る。
マルカが貝と海老のパスタ、アレンがカレーを頼み、ウィルゴはよくわからなかったのでアレンに勧められるまま海老煮込みスープというものを注文した。
「ウィルゴ、今日は買い物が終わったらどうする? 明日の朝までは自由時間だよ」
「自由時間……外泊も可能なのか?」
「宿代がかかるからみんな船に帰ってくることが多いけど、隊長に言付ければ外泊も可。ま、ウィルゴはしない方がいいだろうね」
もとより下手な動きをするつもりもない。
「今日は、というかヒルドレにいる間は、できるだけ船にいようと思う。人の多いところでは……」
「見つかる確率も上がるし、向こうが剣を出してきたら周りに被害があるかもしれないし。うん、おれもそれがいいと思う」
こくりとうなずいたところで料理が続々と届いたので、ウィルゴは温かいスープを頂くことにした。
「ウィルゴそれおいしい? 一口ちょうだいっ」
あっ、と無防備に口を開いたアレンに少し呆れつつ、匙に海老のかけらを載せて突っ込んでやる。
幾度も毒見を経ることなく直接届けられる料理に、正直まだ慣れていない。
しかし帝都入りする前に食べていたものを思い出して懐かしくなるし、もはや毒殺されることを危惧しなくてよい身分なのだと嬉しくもなる。
そして、喪ったものの大きさとあまりのあっけなさを痛感するのだった。
「――オルラルド城が襲撃されたって?」
ウィルゴの後ろから聞こえてきたその言葉に、アレンが視線をそよがせて僅かに反応する。
しれっと聞き耳を立てはじめた彼とは対照的に、パスタを巻く手に不自然な力を込めたマルカは、まるで親の仇でも見るかのような目になって俯いた。その様子に、自分が嫌われている理由をなんとなく悟る。
帝都の情勢について声を潜めてやり取りしているのは出入りの商人ふたり、新聞を広げて昼食をとっているところだった。
「ああ。三ヶ月ほど前に不逞の輩の襲撃を受けて皇帝陛下が生死不明って噂だよ。元老院の正式な発表はまだだそうだが、城下の民がオルラルド城に攻め入る少数の軍を見たらしい」
「はあ……? 陛下が生死不明? まだ若かっただろう、確か。十六や七やそこいらの」
店内の僅かなざわめきに紛れて聴こえてきたのは、そんな話だった。
「だなぁ。……生まれて十年は無き者として扱われ、先帝がご崩御なさった途端に祀り上げられ、摂政をつけて史上最年少の皇帝として即位した挙句、二十歳も迎えずに……可哀想なこった」
「ここんとこじゃマシな皇帝だったのにな」
「アラム派の手引きがあったんじゃないかって、そういう話だぜ」
「いやいや、内部からの手引きもなしに城を直接襲撃できるわけねえよ」
「ということは……次の皇帝はアラムか?」
アレンがぱちくり瞬いて、蟹の脚をボキリと折る。マルカはパスタを食べ終えてフォークを置いた。
「さてな。誰になったっておれたちはいつも通りものを売るだけさ」
「仰る通りで」
「――お客様……」
今度は三人とも同じタイミングで反応した。
お世辞にも素行が良さそうには見えない男が三人、若い女性に絡んでいた。店に入ったときに席まで案内してくれた店員だ。
「いいじゃねえか! 俺たちつい半年前にヒルドレに来たばっかりでよぉ、案内してくれよ」
ん、とウィルゴは眉を顰めた。
男たちの発音は、先程市場で聴いた東域訛りとは少し違った。むしろ西域、ウィルゴがかつて住んでいた山岳地帯のそれに若干似ている。
三人のうちの一人、禿頭の男の太い腕が女性店員の腰に回っていた。「あの、は、放してください……」と消え入りそうな声で呟いているが、男たちの下品な濁声で掻き消される。
耳障りな笑い声に眉を顰めた瞬間、向かいに座っていたマルカが立ち上がった。
つかつかとヒールの踵を高く鳴らしてそのテーブルへ歩み寄ると、店員の腰を掴む男の丸太のような腕を一瞬で捩じり上げる。
「痛ェな! 何すんだ!」
「嫌がる女性の腰に無遠慮に触れる手なんて必要ないわね。安心しなさい、上手に折ってあげるから」
きれいな顔をしたマルカから発せられた物騒な台詞に、男たちが呆気に取られて言葉を失った。
ついでにウィルゴもびっくりした。
どうにか腕を振り払った禿頭の男は、日に焼けた顔を真っ赤にして口の端を引き攣らせている。
「小娘、俺たちが誰だかわかってて偉そうな口を利いてんだろうな!!」
マルカはすっと顔を逸らして店員の女性の背中を抱いた。
無視。
無視である。
「助けに入るのが遅れて悪かったわね。今日はよくよく体を洗うといいわ」
「あ、ありがとうございます、ありがとうございます」
眺めているこちらがはらはらするほど完全な無視だった。
マルカが店員を男たちから離してやるのに一瞬遅れて、禿頭の男がテーブルを勢いよく引っくり返す。皿や料理が無残に散らばり店内に悲鳴が起きた。
ウィルゴは隣で蟹の脚を啜っているアレンを窺うが、助けに入るつもりはなさそうだ。
「西域を支配するヴォルグス盗賊団の名を知らんとは言わせんぞ! てめえみたいな小娘すぐにでも売っ払って奴隷に――」
「そう」全く興味なさげに相槌を打ったマルカが、波打つ金髪を掻き上げながらヴォルグス盗賊団なる男たちを睨み上げる。
「ちなみにあたしは東域イェルガ海賊団白兵第一隊のマルカというのだけど、西域からわざわざお山の方々がお見えとは驚いた。山の蛮族が海に何の用? 悪いことは言わないからとっとと尻尾巻いて山に帰ってお布団被ってねんねしな」
威勢よく怒鳴り散らしていたが、マルカの怒濤の名乗りと悪態が脳に届くと口を閉ざした。
つられたように店内にも沈黙が下りる。
空気を読まないアレンがカレーを食べる音が響いた。
「イェルガ海賊団……だと……?」
男たちはマルカの姿を、金髪の天辺からヒールの爪先まで、じろじろと視線を三往復させた結果、
盛大に吹き出した。
「かの有名な海賊団にこんな小娘がいんのかよ!!」
「そりゃあ傑作だな。所帯がデカくなりすぎて血迷ってんのか?」
「羨ましいねぇ、規模がデカけりゃ娼婦も船に乗せられんのかいイェルガ海賊団は!」
最後に口を開いた小太りの中年が、鈍い音と共に失神して床に倒れ伏す。
アレンがその顎を蹴り抜いたのだ。
その接近に全く気付いていなかったヴォルグス海賊団の残りの二人が、突如現れた黒髪の少年へと視線を移す。
見られた当の本人はけろりとした表情だった。
「船ごと沈められたくなきゃあ、言葉には気をつけた方がいいよ、おじさん」
ちなみにアレンが席を離れたことに気付いていなかったウィルゴは、これから始まるであろう大喧嘩を予感して頭を抱える。
メイヴェーラ号の面子が揃いも揃って血気盛んなのはいい加減悟っていたのだが、まさかこんなところで発揮されるとは思っていなかった。
あー、と心の中で嘆くウィルゴをよそに男たちが口の端を引き攣らせる。
「上等だ小僧……。このクソ生意気な小娘と一緒に二度と日の目を見られない姿にして海に沈めてやるわ!」
アレンの右腕がしなやかに伸びる。
店内の誰も、彼が抜刀した瞬間を視認すらできなかった。いつの間にかアレンの右手に握られていた両刃の長剣が、長々と挑発していた禿頭の男の布一枚、左肩から右脇にかけて切り裂いている。
はらり、男のタンクトップが前開きになって、古傷の残る躰が露わになった。
「ちなみにおれは、イェルガ海賊団白兵第一隊隊長のアレンっていうんだけど、おじさん。おれが誰だかわかってて、そんな口利いてる?」