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アンコール・サーガ  作者: 天乃律
第二章 正しい図式
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5 「大きな罪を犯した」

 そんな根っからの海の生き物であるジオは激情のまま船長室を後にして、甲板の隅っこで手摺りに凭れて激しい自己嫌悪に苛まれていた。


 激しすぎて、他のクルーが(なんかやばそうだからそっとしておこう……)と身を引くほどであった。


「あ~~~……大人げなさすぎるオレ……なんだよ『家族を殺されたことも理不尽に奪われたこともないくせに』って……そんなの訊いてないんだからわかんねぇじゃんよ……あんな人生ハードなガキに向かって……」


「ンなとこでなにやってんだぼうず」


「……グレイ、オレもう二十六歳な。ぼうず呼びはさすがに勘弁して」

「また大人げないキレ方して落ち込んでんのか? おまえ確かウィルゴの乗船が決定した日も同じようなことしてへこんでなかったか?」

「なんで知ってんだよクソグレイ!!」

「お? クソ? なんつったいまコラおいこの口かゴラ」

「いででででごめんなさい」


 ギリギリと耳を引っ張られたので即座に謝罪すると、グレイは火のついていない煙草を咥えたまま器用に溜め息をつく。


「今度はなにやらかした」


 相も変わらず面倒くさそうな顔つきは崩さないが、一応年上として話を聴く体勢でいてくれるらしい。


 有難いやら恥ずかしいやらでどうにもグレイの顔を直視できなかったので、そっぽを向いて、ジオはゴードン海賊団の一件から先程の船長室でのウィルゴとのやり取りを白状した。ウィルゴの胸倉を掴んで投げ飛ばしたことを喋ると医者であるグレイがぴくりと顔を引き攣らせたので、こちらが殴られないうちに謝罪の先手を打っておく。


「すまん……ウィルゴの怪我まだ治ってなかったのか」

「昨日どっかの誰かさんが海に突き落としたあと、クルーに小突かれたときに開いた傷があんだよ」

「おお……なんて不憫なんだあいつ……」


 そんな負傷者に暴力を振るってしまったことにまた頭を抱えるジオを、呆れたように横目で眺めながらグレイは腕を組んだ。


「マルカにも一言も文句を言わんかったそうだ。腹ぁ小突かれて傷が開いたことも、アレンとおれしか知らん。どんな育ち方すりゃ、あんな風に痛みを堪える餓鬼が育つんだかな」

「…………」

「おまえに投げ飛ばされてよしんばどっか怪我したとしても、誰にも言わずにひっそり治療に来るんだろうなァあいつぁ……」

「オレが悪かったよ!!」


 ちくちくと医者目線で厭味を浴びせられるのに耐えかねて怒鳴ると、グレイはくつくつと喉の奥で笑いながら、「おれはな」と首を傾げた。


「あんな後ろ暗い厄介なお尋ね者、海に放り込んじまえばいいのにって本気で思ってんだが、乗船してからのあいつを見てると少なくとも悪人じゃねえんだろうなって気にはなった」


「そーだよ。ウィルゴいいやつなんだよ。ちょっと世間知らずでお間抜けだけど」


「ついでに頭はよさそうだ。内地の事情に関しては特にな。そんなやつが、おまえを怒らせるのも承知で申し出たことの意味をもっとちゃんと考えろよ」


 ジオは唇を尖らせて黙りこくる。


 考えろと言われても、ジオは頭を使うのは滅法苦手でそういうのは同年代の航海士長であるサザに任せてきた。ウィルゴの提案を反芻して、やはり苛立ちを募らせながらも、とりあえずグレイを見上げて訊ねてみる。


「……海軍があの頃に比べてけっこうましになったのは本当ってこと?」

「阿呆か」

「いでででで」

「脳みそつるつるかおまえは。……ジオのこと心配してんだろ、あの能面彫刻野郎が、一丁前に。町に報復があるかもしれないこともそうだが、そうなったときに傷付くおまえのこと、ついでに頑なに海軍や貴族を憎み続けるおまえのことも」


「えええ……ウィルゴが心配……? 想像つかなすぎて」

「おれも全面的に同意だが、アレンが言うにはそうらしい」


 どうにも実感がわかないが、基本的に引くほど勘が鋭い――なにせあのニアと会話が成立するアレンだ――弟分なので、恐らく間違いはないのだろう。


 それでもやはり納得できなかったので唸りながら夜空を見上げた。


 すっかり夜の帳に包まれた空には、光る砂粒みたいな星が煌々と輝いている。あの日、村を焼く炎に飲まれて消えたのではないかとさえ思っていた星だ。


「……わかってんだ……ウィルゴの言う通りだ。オレたちは陸でずっと町を守ってはいられない。みんなが襲われたときすぐに駆けつけてはやれない……」

「…………」

「海軍に保護を求めて部隊を派遣してくれるならそれでいい。その方が安全だ。でもさあ、ならなんで八歳のオレは助けてもらえなかったんだろうって、そう思っちまいそうなのが怖いんだよな」


 助けてもらえなかった八歳のジオを知るグレイは、無言でどことなしに視線を彷徨わせる。


「弱い犬ほどよく吠える。……さっきウィルゴが呟いてた」

「へえ」

「その通りだ。オレはいまでも吠えるばっかりの犬だ」

「海の犬か。泳ぎが上手そうだ」


 デッキで騒ぐクルーの声と、波が静かに打ち寄せる音が遠く反響していた。頬を撫でる風は生温い。その風に乗って潮のにおいが届く。


 ジオの家となってはや十余年を数えるメイヴェーラ号が、波に乗って僅かに揺れた。


「上手いもんかよ。オレはいつまで経っても八歳のあの日の悪夢の海にいるんだ。情けないったらありゃしねえ」

「……ま、人間そんなもんだろ」


 ふと昼間、ジャスミンの店で剣を見て体を竦ませたウィルゴの姿が脳裡に浮かんだ。


 あのときはアレンがすぐに声をかけてやっていたが、痛々しくてなんだか目を逸らしたくなったことを憶えている。


 ウィルゴにもジオがあんな風に見えたのかもしれない。執拗に誰かを憎むジオの姿が痛々しくて、もしかしたら殴られるかもしれないことを承知で、いままでイェルガ海賊団の誰もがそっと見ないふりをしてくれていたこの痛みに手を出した。


「ウィルゴも悪夢の海の中にいるんだな」


 痛みは人が過ちを繰り返さないための教訓だ。だから忘れにくいし、ふとしたきっかけで簡単に蘇る。


 それでも剣を取ることを択んだ、華奢な新入りの横顔。


「あいつ泳ぎ方知らねえからジオより性質悪いだろうな」

「うわ溺れてそう……」

「しっかり助けてやれよ兄貴」

「わかってる。……明日、町長ん家行ってくる……」


 グレイが無言でジオを一瞥した。


「海賊に迷惑している町の民は海軍に通報する。それが世界の、正しい図式だ」



***



 翌朝になると、ゴードン海賊団とやり合ったという報告は新たに五件ほど上っていた。


 やはり昨日ジオが高らかに名乗ったのが効いたらしく、彼らはイェルガ海賊団のクルーと見るや否や問答無用でケンカを売ってきたという。幸い戦闘員ばかりが絡まれたので問題なく撃退したようだった。


「ウィルゴ、今日おれたち一日自由行動だからまた降りようよ」

「いや……」


 昨日は結局、ウィルゴの日用品の購入と屋台の買い食いだけで一日が終わってしまった。もともと陸で生活していたウィルゴだから少しは地面に足をつけた方が安心するかと誘ってみたが、意外にも渋い顔で立ち止まる。


「昨日船長に言われたばかりだし、少し控えようかと……」


「あーあれそういう意味じゃないよ。見つからないように心掛けて、迂闊な発言もしないように気をつければ問題なし! 地上に下りてちょっとくらい情報収集しないと自分の追手がいまどうなってるかも解らないんだから、むしろ積極的に下りるべきだ」


 若干乗り気でないウィルゴをぐいぐい引っ張って、甲板から掛けられている梯子を下りる。二度目の上陸なのでウィルゴもまだおっかなびっくりといった様子で足をかけ、先に下りていたクルーたちがまたはらはらしながら受け止め準備をしていたが、今回も無事上陸。


 イリヤに指摘されたせいでどこか周囲を警戒しているウィルゴを連れて、アレンは昨日訪れた市場の奥にある化粧品店に向かった。


「マリー久しぶり! ちょっとお願いがあるんだけど!」

「あらアレン、いらっしゃい。どしたの美人さん連れちゃって。彼女?」


「びじ……」ちょっと納得いかなそうな顔になったウィルゴを突き出す。


 マリーはこの町唯一の化粧品を営む女性で、アレンが知る限りでは四十を越えているはずなのだが、出会った頃から全く見た目が変わらないという恐ろしい人である。クルーの中には「マリーは実は魔女」とか「娘が瓜二つでいつの間にか店長を交代している」とか真偽不明の噂を囁く者もある。


 甘ったるい匂いの漂う店内で、アレンには何がなんだかわからない化粧品を物色する女の子たちがきゃっきゃと楽しそうに笑っていた。


「男だよ?」

「わかってるわよ。ちょっとからかっただけでしょ」


 マリーは長い睫毛を瞬かせながらウィルゴを見た。


「この傷跡、隠せるかな。目立って可哀想でさ」

「古い傷ねえ。ちょっと待ってなさいね」

「ってことだからウィルゴちょっと待っててね」

「おい、アレンどこに……」

「買い物! すぐ帰るから!」


 女性ばかりの店内に一人残していくのは少々不憫だったが、顔見知りのもとに預けるという以上に安全な措置もない。


 マリーならウィルゴの右頬の傷跡をうまく白粉で消してくれるだろうから、あとはいっとう目立つあの黒髪を隠せば上等だろう。衣料品を扱う店で、上半身をすっぽり覆い隠せそうなほど大きなスカーフを購入すると、来た道を戻りはじめた。


 そのときである。


 背後から突然肩を掴む者があった。


「……、なに?」


 咄嗟に腰の剣につがえそうになった手を理性で抑えて振り返る。


 アレンの肩を掴んでいたのは、まさにウィルゴにそうさせようと思っていたように、フードで顔を隠している男だった。


 前髪の隙間から見える琥珀色の瞳が、どこか驚愕のいろを浮かべてアレンを見下ろしている。口元も布で覆っているようで顔つきがわからない。フードからつながる外套で服装も隠されているが、身のこなしを見るに帯剣していることは確実だった。


 アレンの顔を見て、男は目を丸くする。

 昨日からやり合っている海賊団の一味というわけではなさそうだ。彼はそっと手を離すと、くぐもった声で謝罪してくる。


「すまない。……人違いをしたようだ」

「そう? もしかしてこの髪のいろのせいかな」


 黒髪の毛先を摘まんで笑いかけると、フードの男は僅かに首肯した。


「キーリ帝国で黒髪って珍しいもんね。俺、船に乗ってよく色んなところを回るから、見つけたら人が捜してたよって伝えてあげるよ。どんな人?」

「結構。……大きな罪を犯した人なのだ。逃げられては困る」

「そっか。じゃあ、見つかるといいね」

「忝い」


 アレンに一礼するその言葉の発音、仕草、きびすを返して歩き出すその後ろ姿。

 きれいな帝都訛り。武人然とした歩き方。


 どこかウィルゴを彷彿とさせる。


 恐らく彼は後ろからアレンの黒髪を見てウィルゴと間違え、振り返った顔を見て人違いだと悟った。ウィルゴの顔を知っているということだ。――それなら、傷跡を化粧で隠しても髪のいろを隠しても、ばれる可能性の方が高いのではないか。


「まずいな……」


 思っていたよりも追手が迫っているらしい。


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