表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アンコール・サーガ  作者: 天乃律
第二章 正しい図式
12/29

3 「船長室を訪れた」

 ゴードン海賊団なる一味の男たちをこてんぱんに伸して多少すっきりしたのか、いくらか顔色がよくなったジオを伴って船に戻ると、アレンたちは帰還報告も兼ねて船長室を訪れた。


 恐らくは物資を調達した足で逃げ出し船に帰ってこない可能性も想定されていたウィルゴが、ひょっこりとアレンの後ろから顔を出すと、イリヤが僅かな仕草でそちらに視線を寄せる。戻ってきたことが意外だったのかもしれない。


「船長。おかげで衣服と剣が調達できました」

「……戻ってきたんだね」


 イリヤの言葉に、アレンとジオは肩を竦めた。或いは逃げるタイミングがなかっただけかもしれないが。


 ウィルゴはそんなことを考えられているとはつゆ知らず、こてりと首を傾げたあと、はっとなって「ただいま戻りました」とぺこりと頭を下げた。呆気に取られたイリヤが珍しく目元を緩めたので、アレンたちもつい笑ってしまう。


「ああ……おかえり」


 船長も、ゆっくりながらウィルゴが成長しているのを感じたのか、まるで母か祖母のような視線を新入り息子に向けていた。


「ところで船長、さっき町でジェムに聞いたんだが、そんでついでに実物に会ってブチのめしてもきたんだが、最近ゴードン海賊団とかいう奴らが居ついてデカい顔してるらしい」


「ああ、みたいだね……マツリやモルガンからも報告が上がってきた。もうやり合ってきたのか、気の早い」


「コルシュカのババアに絡んでやがったんだよ。いたいけな老女助けて何が悪りィ」


 けっ、と悪びれないジオを一瞥すると、イリヤは窓から見える町を見渡す。


 町の向こうに沈みゆく夕日が濃い翳を落としていた。馴染みの店がある者は夜にかけてそこへ繰り出していくだろう。ジオのように喧嘩っ早いクルーは多いから、翌朝になればまた報告が増えるかもしれない。


「そのことなのだが」


 口を挟んだのはウィルゴだった。


 まさか寡黙な彼が進んで発言するとは思わなかったので、三人の視線はぱっと集中する。


 居心地悪そうに身じろぎ、ジオの方を見て後ろめたい様子で眉を寄せたが、ウィルゴはしっかりとイリヤを見据えた。


「町の衆に話をして、海軍に通報するようにした方がいいのではないだろうか」

「はあ!?」


 激昂したのは無論、ジオだ。


「てめえ話聞いてたのか!? 海軍なんぞ――」


「海軍は海に船を浮かべているのが仕事で、ろくなことをしないし、腐敗は根強く、民衆からはこれっぽっちも信用されていない。確かにそうあなたに教えられたし、そして他のクルーの様子や、カンラの皆がイェルガ海賊団を迎える様子から見ても真実に近いのだろうとは思う」


 詰め寄られても冷静なウィルゴの声に、片目をすがめたイリヤが問う。


「……それならなぜ?」


「確かに、この町にいる間にあの海賊団を撃退することは、イェルガ海賊団ほどの規模であれば可能だろう。だが海賊はあくまで海賊だ。陸に居を移していつまでもこの町を守れるわけではない。この船がこの港を離れた隙に、恨みを晴らすため逆にこの町が襲われることは考えられないだろうか。……いくらジオが海軍を嫌いだとしても、ここはむしろ『陸の生き物』である彼らに任せた方がいい。少なくとも海軍ならこの町に隊を派遣して常時監視することができる」


 アレンは陸の政治に全く詳しくないが、先程ジャスミンが言っていたことくらいは憶えている。


 軍の腐敗が酷かったのは前の皇帝の時代の話で、今上のライヒアルド皇帝陛下が六年前に即位してからは海軍にもその目が届くようになった。さらに海軍のトップである海将がいまの人になってからはましになってきているようだと、そういう話だった。


 もちろん完全に清廉潔白とはいかず賄賂や横暴が目につく士官や兵士は多い。アレンたちはそういう奴らに苦しめられる民をこの目で見て知っているし、そんな人たちを助けてきた。しかし緩やかに確実に、帝都に新たに現れた年若き賢帝の政治の手が、キーリ帝国をよくしようとしていることは判る。


 だがジオに通じる話では、もちろんない。


 胸倉を掴まれたウィルゴが壁に押しつけられたのでイリヤを見るが、目を伏せて顎を振られた。――“放っておけ”。


「隊を派遣だ?……まともな隊を派遣してくれるとでも思ってんのか。楽観が過ぎるぜ坊ちゃん」


「派遣してくれる。いまの海将は多少知っている。民の声を無碍にする人ではない」


「甘いんだよくそ餓鬼……! 家族を殺されたことも理不尽に奪われたこともない貴族のお気楽息子が!! 知った風な口で海を語るんじゃねえ!!」


「イェルガ海賊団を恨んだあいつらがこの町に理不尽な報復をしないとどうして言える? それとも報復される可能性を知ったうえでこの町を離れるのか。すでにあいつらは町の皆がこの海賊団を崇拝していることを知っている。この船にとって何が一番効果的な復讐であるかもだ。俺があいつらなら、なんの罪もない、抵抗する力もない、強大な力を知りすぎてそんじょそこらの海賊には怯えることもない町の人々を、完膚なきまでに蹂躙する」


「ウィルゴ、そのへんに……」


 なまじ言っていることに一理あるため止めようとしたとき、ジオがウィルゴの華奢な体を投げ飛ばした。


 船長室の机を巻き込んで床に吹っ飛んだウィルゴを、ジオは音がしそうなほど鋭い目つきで睨みつけると、床を踏み抜く勢いで部屋を出て行く。


 乱暴な足音が遠ざかっていったあとで、身動きもせずそれを聴いていたウィルゴはふっと息を吐いた。


「俺は何か間違ったことを言っただろうか、船長」


「いいや、間違っちゃいないね。陸の者としては至極真っ当で、当たり前の意見だよ」


「……『海賊としては』不正解なんだろうな。いや、それはわかっている……」


 ゆっくりと身を起こしたウィルゴが「すまない、机が傷付いていないだろうか」と呑気なことを言いながら、机や散らばった海図を元に戻していく。


「だが、あまりに痛々しかった……執拗に海軍や貴族を憎むジオが」

「だからって海軍に通報しようなんてよく言えたな……おれ絶対無理」


「だろう。アレンたちは彼の憎しみを知っているから。言えるとしたらジオの方の事情を詳しく知らず、陸の事情の方に明るい俺しかいないと、そう思った。長期的に、本当に町の安全を考えるなら、ましになってきた海軍に任せる方がまだ確実だ」


 だからって進んで逆鱗に触れに行かなくてもいいのに。


 そう思ってしまうのは、アレンがジオの家族で、ウィルゴは外からその家族を見ているからなのかもしれない。


「ただいま戻りました」と船長に頭を下げたウィルゴが、一度もイェルガ海賊団を指して「自分たち」や「俺たち」とは口にしなかったことに、アレンは気付いてしまった。


 机を元通りに整えたウィルゴが、先程のイリヤと同じように窓へと目をやり、夕闇に沈みゆくカンラの町を見下ろす。


「この国は歪んでいる。俺が思っていたよりも、俺が知っていたよりももっと、遥かに」


 ぽつりと呟く横顔に、声が掛けられなかった。


「……ああは言ったが、判断するのはあなた方だ。偉そうな口を叩いてジオの機嫌を損ねたことはすまない。失礼する」

「ウィルゴ」


 足早に部屋を後にしようとしたウィルゴをイリヤが呼び止める。


「海賊が海軍に保護を求めさせるなんて間抜けな話をわたしから通してやることはできないが、ジオにはいい薬だろう」

「船長……」


「ただしだ。ジオのことやこの町を気にかけるのはいいが、おまえも自分自身が追われている身だということを忘れるな」


 ウィルゴの呼吸がひゅっと音を立てて途切れた。


 少しの間唇を噛みしめた彼はやがてぺこりと頭を下げ、「肝に銘じておく」と低く呻いて退室していく。最後に残されたアレンがイリヤを見ると、嘆息して首を振った。


「一人にしておけ。あの莫迦も、その莫迦も、頭を冷やさせろ」

「ジオはまああれだけど。ウィルゴも?」

「お尋ね者の身で顔も隠さず町をうろつく阿呆がいるかい。おまえの責任でもあるからね」

「うっ……」


 ぎくりと肩を強張らせたアレンだった。


 キーリ帝国に黒髪の子は生まれにくい。さらに言うなら黒曜石のようないろをしたこの双眸も珍しい。ウィルゴの場合は右頬に目印となるような大きな傷跡もあるのだ。加えて端麗な容姿、見つけやすいことこの上ない外見的特徴である。


「名前は本名とは別だろうからいいとしても、身分を匂わせるような発言も控えさせろ。『いまの海将は知っている』だなんて発言、少し内地の事情に詳しい者に聞かれただけで特定されかねん。全く、阿呆かあいつは」

「否定できない。了解・船長……」


 右手の拳でトンと心臓の上を叩き、アレンも猛省しながら船長室を後にした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ