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アンコール・サーガ  作者: 天乃律
第二章 正しい図式
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2 「三名、地面に伸びていた」

 さすがにジャスミンにまで窘められてばつの悪そうなジオが、がしがしと短髪を掻きながら「ったく」と舌打ちを零した。


「悪かったよ! 別に貴族全員脳みそつるつるだなんて思っちゃいねぇよ。うちにはそのへんの階級から出奔してきた奴も何人かいるしな」


「そうなのか? てっきり海の人ばかりなのかと思っていたが」


「まあ逃げてくるような奴らから聴く事情なんて帝国腐敗のネタしかねえし、お貴族様に好印象なんてひとつも持ってねぇけど」


「ジオー……」


 またそういうことを言う。


 ウィルゴが柳に風の性質であるため、大きなけんかに発展することはないだろうが、いたいけな新入りが兄貴分に言い負かされるばかりなのは見ていて可哀想になる。


 普段は面倒見が良くてウィルゴのことも可愛がっているのだが、こと権力や内地に関することとなるとジオはひどく攻撃的になる。彼の過去も関係しているのであまり強くは言えないが、大人げないのも考えものだ。


 やはり気にした様子のないウィルゴは、追加で購入したベルトでスティレットを吊って早々に腰に佩いた。


 少しの間寝たきりだった貧弱な体にはあまり似合わないものの、どこか立ち姿に険が増したようにも見える。


「……付き合ってもらってすまなかった。俺の用はこれで終わりだが」

「一旦船に帰って荷物でも置くか。……おまえはあんまうろうろしねえ方がいいだろうしな」


 最早ウィルゴに嫌味を流されることにも慣れているジオが腕組しながら息を吐くと、カウンターの中で煙草に火を点けたジャスミンがこてりと首を傾げた。


「なんだよ。お尋ね者?」

「……そんなようなものだ」


「気をつけな。そのうち耳に入るだろうけど、最近新顔の海賊団がでかい顔するようになってきてるから。どうもよその国からキーリに着いたみたいで、イェルガのこともあんまり知らないみたいなんだよね」


「はあ? 市場通ったけど誰も言わなかったぞそんなこと」


「誰も気にしてないもん。あんたらみたいのと付き合ってると大抵の海賊は小物に見えるから相手にしねえの。もしかしたらイェルガに喧嘩吹っ掛けるかもしれないし、お尋ね者ならドンパチにはあんま顔出さない方がいいかもな」


 他国の海賊。

 東海にイェルガ海賊団の名が知られるようになってから、帝国沿岸にはほとんど姿を見せなかった存在だ。


 ジオの顔色がどんどん険しくなっていくのに、ウィルゴが戸惑って瞬いた。


「……調子に乗ってデカい顔しだす前に潰すか」

「ジオ、先に船長に報告」

「わかってら! おまえら真っ直ぐ家まで帰れよ!」


 本当にわかっているのか定かではないが、ジオは足早に店を後にしていく。


「家……とは?」と神妙に呟いたウィルゴに「船のことだよ」と教えておいた。当たり前のことだが、ウィルゴにとってまだメイヴェーラ号は()ではないのだ。


「ジャスミーン。あんなこと言ったらジオがかっかするの解ってるくせに……」

「理由もなく手出しするほど餓鬼じゃねえだろ。向こうから吹っ掛けてきたら別だけどよ」


 ウィルゴよりも余程男らしい口調で吐き捨て、これまたウィルゴより乱雑な仕草で紫煙を吐きながら踏ん反り返る。


「悪いね、ウィルゴだっけ。あいつちょっくら海賊や海軍に恨みがあるからケンカ腰になっちゃうのさ」


「海賊や海軍……?」


「そう。特に、乱暴狼藉を働く海賊、それと貴族上がりの海軍だね。好き嫌いの多い奴だよ」


 ウィルゴは静かにジャスミンを見つめた。

 言葉無く問うその視線に、彼女は口の端から煙を零して目を伏せる。


「あいつの住んでいた村は他国の海賊の襲撃に遭って壊滅した。命辛々逃げ出して海軍に助けを求めたとき、そいつらは貴族上がりの士官連中で、『なぜ下賤の民のために出動しなければならぬ』と蹴り飛ばされたそうだ」


 は、とウィルゴが驚愕に吐息を洩らす。


「もう十何年も前だから先の皇帝の時代の話だよ。代が移ってからは少なからず海軍にもライヒアルド陛下の手が入るようになって、多少は変わったんじゃないかと思うんだけどね」


 ジャスミンの話を聴きながら、ウィルゴは眉を顰めて顎に手を当てた。


「そうか……先帝は海軍への査察は滅多に行わなかった……」


「よく知ってるな。そういう事情があってキーリ帝国海軍の腐敗はどんどこ進んで、あの時代は本当にどうしようもなかったし、いまでもまともとは言い難いが、海軍の頭が挿げ代わった分あの頃よりはましさ。それでも」


 ジャスミンはそこで言葉を切って頬杖をつく。


 ジオが出て行った店の扉を眺めながら、どこか気だるげに瞬きを繰り返した。


「……あいつはいまだに、両親が殺される悪夢の海の中にいるんだろう」




「十年以上も前のことだよ」


 あのあと、どこか沈痛な面持ちのウィルゴを連れて店を出たアレンは、メイヴェーラ号が碇泊している港への帰路を辿った。


 かつてジオの助けを求める声を振り払った海軍の兵士が自分と同じ貴族階級であったことに衝撃を受けているのか、あれからウィルゴの表情は晴れない。励ますわけではないが、帰り道の屋台でココナッツミルクを奢ってやった。


「ウィルゴがそんな暗い顔しなくてもいいの」


「ああ……いや、随分嫌われているなとは思っていたんだが、そんな理由があったとは知らなかったから」


「わかってると思うけど、ジオはウィルゴのことが嫌いなわけじゃないからな?」


「わかっている。そんなに愚鈍に見えるか」


「見えるから言ってるんだろ」


 呆れ交じりに笑うと、ようやくウィルゴも目元を緩める。


 まだ落ち込み気味だが、ジャスミンの店でこの世の終わりのような目つきになって絶句していたときよりはましだ。自分の痛みや向けられる悪意にはとことん鈍感だったくせに、他人の過去は悼まずにいられないらしい。


 性根が優しいと言えば聞こえはいいが、どこか背負いすぎの感もある。


 悪人には見えない。

 それなのに執拗に命を狙われていて、本名も名乗れない。


 事情を打ち明けてくれればまだ対策を取ることもできるかもしれないのに――と思わないでもなかったが、やはりこれもウィルゴが択ぶべきことだろう。


「それにしてもジオ、無事に船まで帰ってるといいんだけど」

「どういうことだ?」

「――上等だこの若造がッ!!」


 喧嘩っ早い兄貴分を憂えていると、ウィルゴの声を遮って、激しい怒号が聞こえてきた。


 そしてそれに怒鳴り返すジオの「三枚に下ろしてやるわクソオヤジ!!」。


「こういうこと」

「成る程……」


 最初に服を購入した市場の通りまで戻ってきたのだが、まさに同じ通りの少し離れたところで、何人かの男たちが威勢よく怒鳴っている。傍を歩いていた果物屋の店主が「あっ、アレン」と肩を掴んできた。


「おじさん。なにごと?」

「ジオが向こうでケンカしてんだよ!」

「ケンカ!? そりゃ大変だ……相手が」

「そうなんだ、心配だろ。相手が」


「相手が」ウィルゴがぼそっと呆れたように呟いた。


「この町でジオにケンカ売るって一体どこの莫迦?」

「なんか最近居ついてるよその海賊とかいう奴らなんだよ……このままじゃやばいぜ、相手が」

「あー、早速。下手すると死人が出るね。相手に」


「あくまでも相手がやばいんだな?」ウィルゴが疲れたように肩を落とした。


 ジオはイェルガ海賊団の白兵隊総隊長だ。第一隊から第四隊までを束ねる剣士、総勢一八〇名弱の隊員の中で彼に適う者はいない。つまりはこのキーリ帝国東海一帯で最強を名乗るイェルガ海賊団、その最強の戦士ということになる。


 よその国からちょっと前にやってきたばかりの、そこらへんの海賊など相手になるわけがないのだ。


 とはいえウィルゴを引っ張ってその輪へと近付いていく。


 日に焼けた黒い肌の屈強な悪漢たちがすでに三名、地面に伸びていた。残る二人のうち、一人がジオの回し蹴りの餌食になったので、アレンは背後から襲いかかろうとするもう一人の脇腹に蹴りを叩き込む。


「ンだよアレン邪魔すんなよ」

「ごめん。でもこんな通りの真ん中でやるからみんなが心配してるよ」

「オレを?」

「まさか。この人たちを」


 悶絶している五人を指さすと、眉間に皺を寄せているジオが「だよなぁ」と悪人めいて口角を釣り上げた。


 いくら喧嘩っ早いとはいえ、ここまで機嫌が悪そうであるからには、この男たちが何かやらかしたのだろう。こんなところに置いていっていいわけがないので、近場の港まで引きずっていき海に落としておくことにした。


 ジオが二人、アレンも二人、ウィルゴが頑張って一人。


 腕や脚を掴んでずりずりと連行する背中に、町のみんなの「ほどほどになー」「ありがとうなー」という歓声がかけられた。


「……何がどうなってこんなことに?」


「コルシュカのババアと揉めてたんだよ。『煙草が高すぎる安くしろババア』『こんな程度に金も払えない野郎に売る煙草はないよ出直しな』『このゴードン海賊団にケンカ売ってんのかババア』『知らないねえ。どんどこ海賊団だって?』『このババア短い老い先縮めてやろうか!』……いまに至る」


「コルシュカばあちゃんも気が強いからなあ……」


 煙管を咥えてフンと鼻を鳴らすこれまた馴染みの煙草屋店主を思い浮かべつつ、人気のない港の端っこで、そのゴードン海賊団の一味を海に放った。


 もちろん意識を戻してやったうえでのことなので、泳ぎが達者であればこのまま自分たちの船に戻るだろう。


「このッ……憶えてやがれクソ野郎!!」

「見事な負け犬の遠吠えだねー」

「“弱い犬ほどよく吠える”」

「ウィルゴそれいいね」


 ぷかぷか浮かびながら悪態をつく男どもを見下ろしながらウィルゴとそんなやり取りをしていると、隣でジオは「ああん!?」と大声でキレていた。


「クソ弱いくせに町中で騒いでんのが悪いんだろうが!! 憶えててほしけりゃこのイェルガ海賊団白兵総隊長ジオ様に勝ってから吠えろやハゲ!!」


「イェルガ海賊団だかなんだか知らねえが若造のくせに調子に乗りやがって……!」


「オイオイうちを知らねえってどんだけ辺境の田舎海賊だよ。悔しかったら海賊らしく船に乗って襲ってこいや! てめえらの船ァ木端微塵にして海の藻屑にしてやっからよお!!」


 途中から煽るのが楽しくなってきたのか、ジオはちょっと面白そうに肩を震わせている。


 果ては男どもが「死ねこの×××」ととても下品に罵ると、ジオが負けじと「やれるもんならやってみろ××××」と、とてもとても下品に言い返し始めたので、恐らくそんな俗語など聞いたこともないであろう箱入り貴族のウィルゴがはてなを浮かべていた。


 しばらく悪口雑言の応酬をしたところで、海に浮かんでいるところを見下ろされながら噛みつくのも格好悪いと悟った男どもは、「くそっ」と吐き捨てて泳ぎ始める。


「上等だあぁぁ憶えてやがれええぇぇ」

「早くしろよー! オレあんま頭よくねえから三日も経てば忘れるぞー!!」

「泳ぎ上手いなあいつら。ウィルゴ教えてもらえば?」

「……遠慮しておく」


 兄貴の気が済むのを待ってから、三人はようやくメイヴェーラ号へと帰還した。


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