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アンコール・サーガ  作者: 天乃律
第二章 正しい図式
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1 「カンラに上陸した」

 厄介な拾いものが、誰にも気付かれずひっそりと、初めて拾い主の名を呼んだ翌朝――


 イェルガ海賊団は、カンラに上陸した。


 カンラは比較的治安の穏やかな港町で、アレンが入団するよりも前からイェルガ海賊団の庇護を受けている。南下してすぐの大きな都市には(海に船を浮かべているのが仕事とはいえ)一応かのキーリ帝国海軍が砦を構える、ダーコーヴァ軍港あるためおかしな海賊のちょっかいを受けることも少ない。


 アレンはこの町が好きだ。


 付き合いが長いため、町の衆はイェルガ海賊団のことを家族のように迎えてくれる。普段は東海一帯を巡っているため年に何度も寄ることはできないが、いつだって彼らは「おかえり」と笑ってくれた。


 上陸初日はまず、船体確認や物資の調達などの業務をこなす隊、また船の見張りとして留守を預かる隊などに分かれて行動することとなる。


 アレンたち白兵第一隊は買い出し担当だ。


 軍港が隣の都市にあるということで先遣隊が陸地の様子などを窺い、港に接舷したのは陽も高く昇った頃、船員たちが上陸できたのは昼を過ぎてからのことだった。


 初めて自分の足でメイヴェーラ号から下りるウィルゴをはらはらしながら応援するという、そして先に下りていた者もはらはらしながら受け止める用意をしているという間抜けな一場面もあったが、無事、港の桟橋に着地。


 先程甲板で第一隊副隊長から購入品のリストを受け取ったウィルゴに近寄り、アレンは肩を組みながら覗き込んだ。


「ウィルゴはなに担当だって?」

「自分の服と……武器」

「ああ、そっか。いつまでもおれやジオのお下がりじゃ可哀想だ」


 そういうことかと、アレンは昨日船長から受け取った袋を差し出す。


 きょとりとしているウィルゴにちょっと笑いながら「お金」と中身を教えてやった。


「昨日渡されたんだよ、ただ『あの新入りの分だ』としか言われなかったけど」

「……しかし……」


 ウィルゴは眉を下げて口ごもる。


 最初の頃はただ景色を反射しているだけのようだった黒曜石の双眸も、ここのところ随分と饒舌になってきた。ウィルゴが何に困っているのか手に取るようにわかる。


 大方、“瀕死の重傷で拾われて治療を受け、船員としてはまだまだ半人前のちんちくりん、ハンモックから引っくり返るわ梯子から落っこちるわ、水を零してマツリに殴られ樽を蹴飛ばしてジオに叱られといった状態で金など受け取っていいものか”と、その辺りのことをぐるぐる悩んでいるに違いない。


「船員への初期投資として最初にみんなもらうお金だ。服とか武器とか一式揃えたら船長にお礼に行こう。まだなんにもできないぺーぺーなんだから、お金返そうとか大層なことも考えなくていいよ」


「……ああ……」

「どうしてもお金を返さないと気が済まないなら、年に何回あるかわからない海賊との戦闘で頑張って首級を上げるとか」

「しゅきゅう……?」


 わかってないな。

「首級」繰り返して、世間知らずのぼんぼん(仮)に着々と海賊の知識を植えつけていく。


「敵の大将とか、それなりに名の知れた奴を倒すの」

「首を斬るのか?」

「必要があればね。おれはそこまでしたことない」


 海上で戦闘になった場合は、相手が戦闘不能になるまで叩きのめしてから海に放り込み、船を撃沈するのがセオリーになっている。国同士の戦であればわざわざ首を斬って勝利を示す必要もあろうが、イェルガ海賊団でそこまでする理由はないからだ。


 ――という説明を続けようとしたところで、ウィルゴの表情が強張っていることに気がついた。


「……それ、以外で、何かないだろうか」


 思わず言葉を失い、それから盛大に反省したアレンだった。


 敵を倒して成果を上げる。長年海賊をやってきているから染みついているこの理論も、内地のお偉い貴族には衝撃が大きかったのだろう。貴族だって騎士となって戦場を駆けることもあるだろうが、幸か不幸かキーリ帝国はここ数年大きな戦をしていない。


 謝罪の意も込めて、ウィルゴの肩をぽんぽんと叩いた。


「うん、そうだな、まあ急がず焦らず、まずは自分のおつかいをちゃんとこなすとこからだ」

「そういうこった!」

「うわジオびっくりした」


 気配もなく背後から忍び寄ってきたジオに二人して頭を掴まれる。


 そのままジオはぐしゃぐしゃと髪を撫で回し、からりと明るい笑い声を上げると、アレンたちを先導するように歩きだした。


「わかったら行くぞ、黒すけ二匹」

「くっ……くろすけ……」


 微妙そうな顔で呟いたウィルゴがおかしくて肩を揺らしてしまった。


「なに、ジオも来るの?」

「そっちの黒すけは陸じゃ一応追われてる身なんだろ。丸腰のお尋ね者抱えて何かあったらどうすんだ」

「おっ、ジオ兄貴やっさしー!」

「うるせェ茶化すな」


 耳をちょっと赤くしたジオが繰り出す拳をひょいひょい避けつつ、面倒見のいい白兵隊総隊長の背中を追いかける。


 戸惑った様子で硬直しているウィルゴを振り返り、ジオが顔を歪めた。


「なにやってんだ黒すけ二号! 追手がなくなったとは限らねぇんだろうが。はぐれて死んでも知らねぇぞ!」

「……黒すけはやめてくれ」

「聴こえねえ! もっとデカい声で!」

「ウィルゴだ」

「腹から声出せ黒すけ二号!!」

「――ウィルゴだ!!」


 一瞬、静寂が落ちるほどの声だった。


 煽った張本人のジオが目を瞬かせて立ち止まり、周囲で駄弁っていたクルーも思わずウィルゴを振り返る。港に堂々と停泊しているメイヴェーラ号の甲板からも何人かが顔を出した。


「……船長かと……」


 ジオが口の中で呟いたのに、言葉なく顎を引く。


 イリヤが戦場で張り上げる声に似ていた。あの華奢な体からどうやって発せられるのかと思うほど鋭く、低く滑らかで、地を這って足首を掴むような、『統べる者』の大音声。


 とはいえその驚きを即座に潜めて、ジオは口角を釣り上げる。


「デカい声出るじゃねーか黒すけ!」

「……だから黒すけではないと」

「拾われてひと月過ぎてんのにクルーの名前もまともに憶えねぇ奴の名前なんぞ誰が呼ぶかボケ」

「う……」


 楽しそうにかかかと笑いながら身を翻したジオを、図星を刺されて苦い表情のウィルゴが追いかける。


「別に憶えていないわけじゃなくて……」

「はいはい」

「呼ぶ機会がなかっただけで……」

「へいへい」

「……聞いているのかジオ」

「聞いてる聞いてる」


 なんだかんだでジオのテンポに振り回されているウィルゴだが、その表情はいくらか柔らかい。


 急がず焦らず、まずは自分のおつかいをこなすところから。


 いまは成り行き任せにメイヴェーラ号に乗っているウィルゴだが、彼自身の意思如何によってはこの船を降りることもあるだろう。イェルガ海賊団にどこまで染まるかはウィルゴに択ばせるべきだ。


 ウィルゴを連れて馴染みの市場へ向かうと、町の衆が口々に「おっ、ジオじゃねぇか」「アレン、おかえり」と歓迎してくれた。


 あまりの歓待っぷりに目を白黒させるウィルゴに二人して笑いながら、まずは衣服を購入する。これまではアレンたちの服を着せていたのだが、ウィルゴはジオよりも背が低く華奢で、アレンよりは少し長身なので、微妙に丈が合っていなかったのだ。


「ウィルゴこれどうだ」

「女性の着るワンピースに見えるが」

「『女性』って。言葉遣いがお上品すぎるんだよおまえ」

「言いながら俺に当てて見立てるな」

「おまえ女装似合いそうだな。やっぱ貴族じゃなくて芸者だったろ。それか踊り子」

「しれっとワンピースを買おうとするな!」


 ふざけて女物の服を着せようとするジオに、ウィルゴがいちいち言い返すので買い物はなかなか進まない。


 道中、焼き鳥やらイカ焼きやら飲み物やら酒やらと寄り道を経た一行は、満腹の状態でようやく最後の目的地へ辿りついた。


 町の中心から少し離れた路地にひっそりと構える陰気な店だが、品揃えがいいのでイェルガ海賊団もよく世話になっている、馴染みの武器屋だ。


「よぉジェム元気してっか!?」


 ジオが怒鳴りながらドアを乱暴に開けると、奥のカウンターに座っていた短髪の女性の手からダガーが放たれる。第一投を避けたジオが「相変わらず物騒な女だな!」とこともなげに笑うその耳の横に、すたたたた、と立て続けにダガーが突き刺さった。


「てめえこそ相変わらず下品なドアの開け方すんじゃないよ。壊す気か」

「ドアにナイフ投げる女の言うことかよ。ウィルゴ、こいつが店主のジャスミンだ」

「話聞いてんのか」


 流れるように紹介されたウィルゴは右往左往している。


 先代から五年前にこの店を継いだジャスミンは、女だてらにこの武器屋を切り盛りする凄腕の店主であると同時に、ジオの長年の悪友でもあった。勢いよく悪態を吐き合うのもいつものことである。


「新入り? またアレンが拾ったのか」

「ジャスミンなんでわかったの?」

「いつものことだろ。……好きに見ていきな」


 薄暗い店内には所狭しと刃物や銃器が並んでいた。


 短剣から長剣、諸刃に片刃、数えきれないほど豊富な種類の刀剣類が左手側の壁に掛かっている。反対側には弓矢や槍、棍棒などが雑多に並び、カウンターの奥には銃器が硝子棚の中に保管されていた。


 刀剣の壁に目をやって、ウィルゴが動きを止める。


 その横顔に、ついひと月前、夥しい刀傷を負って海へ飛び込んだ彼の姿が脳裡に思い返された。


「ウィルゴ……」


 痛みは教訓だ。人が過ちを繰り返さないための。

 だから忘れにくいし、ふとしたきっかけで簡単に蘇る。


「……砲撃隊なら剣を取らなくてもいいし、整備士や航海士になれば戦闘に参加する確率も下がる。厨房でマツリやニアと一緒に料理を作るのも、大事な仕事だよ」


 ウィルゴは静かに唇を噛んだ。


「情けないと思うか」

「恐れを抱くことは情けないことじゃない」

「……おまえはいつもそうだな」


 痛みや恐れが弱みたり得る世界に住んでいたひとなのだ。

 イェルガ海賊団にいればそんな必要はないのに。


 それでも択ぶのはウィルゴだ。陸に下り、衣服を手に入れた。武器を取って船に戻るのも――別れを告げてそのまま陸に残るのも――或いは何も言わずに姿を消すのも。


「痛みや恐れは自分と仲間を守るものだ。イェルガ海賊団で仲間とともに戦う限り、弱みになどならないよ」


 ウィルゴはふっと息を吐いて、切なげにというよりはむしろ不愉快そうにも見える形で目を細めると、自嘲的な笑みを口元に浮かべて壁に並ぶ刀剣の類いを見渡した。短剣の列を素通りして長剣の前に立ち、さらに細身で両刃の剣に目をやって一振りのスティレットに触れる。


 ぞんざいな手つきだった。


「……これにする」

「もっと重い剣がよければグラディウスならあるけど」

「いい。どちらにしろ前と同じ剣は手に入らない。前の剣は重すぎて満足に振れなかったし、これくらいで丁度いいと思う」

「あのとき剣なんて持ってたっけ?」

「アレンに拾われるより前に失くした。もうない」


 ジャスミンが下ろしたスティレットを右手に握り、感触を確かめるように刃先を見つめるウィルゴの淡々とした口振りに、どこか痛みのようなものが混じる。


「……これでもいろいろ苦労はしたんだ。海の民であるジオたちからすればきっと内地の貴族なんて総じてお気楽に見えているんだろうが」

「否定はしねえし大抵事実だろ」


 ウィルゴは答えなかった。

 侮辱にも似たジオの悪口雑言に腹を立てもせず、ジャスミンから提示された金額を払っている。


「それでも重かった……せっかく身軽になったんだから、武器も軽くてお似合いだろう……」


 ジャスミンが責めるような目つきになってジオを見やった。彼女からは、金を支払うウィルゴの表情が見えているのだ。


 背中を向けられているアレンたちには見えない『何か』が。


 この厄介な拾いものをしてからひと月が過ぎた。

 いまだにその後ろ暗い事情は明らかにならないまま。


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