月と太陽の薬屋
朱里はいちいちぶつぶつと声に出しながら、パソコンに文章を打っていく。朱里はもともと独り言が多く、口に出して言いながら作業をする方が落ち着く人だった。
「えーっと。『依頼者と接触したその翌日、私は薬屋に行きました。』……」
幸子と接触したその翌日、朱里は裏社会の薬屋「モナット」へと向かっていた。
そこは小振りなお店で、大掛かりな看板など無いが、扉に三日月の形のプレートが掛かっていて、そこに「Open」とお洒落な字体で書かれている。
ちりりん。
扉を開ければ、扉にぶら下がった鈴が慎ましく鳴り、そこにいた女の人がふっと振り返る。
振り返る時に揺れる、その茶髪のボブカットが綺麗だな、と何時も思ってしまう朱里だった。
「いらっしゃい、朱里ちゃん。今日もお仕事用の薬かな?」
「うん、そう。あのね、薬を飲んですぐじゃなくて、二時間後ぐらいに効き目が出る薬が欲しいんだ」
「へえ、どんなの?」
「アナフィラキシーが起こったときみたいな症状で死に至らしめる薬が欲しいんだけど……ルナ姉、そういう薬ある?」
「勿論! この私、薬丸月菜に任しときなさいよ」
得意げに笑う彼女こそ、この薬屋の女主人。二十八歳と若いながら、裏社会では知らぬ者はいない程の有名な薬屋だった。
「あ、あとね。溶けやすい粉薬にしてくれる?」
「はいはい。何に溶かすつもりなの?」
「珈琲」
「なるほどねー、分かった。調剤してくるから待ってて」
「うん。あ、私隣に行くね」
「はいよー」
対象者の毒殺に使う薬を依頼した後、朱里は一度モナットを出て、その隣にある建物に入った。
カランコロン。
朱里が扉を開けると、今度は太陽の形に「Open」と書かれたプレートが揺れ、カウベルが明るく鳴った。
「すみませーん、陽子さーん」
朱里が店内に向かって叫ぶと、「聞こえてるってば」と文句を言いながら、月菜にそっくりな女性が現れた。それもそのはず、彼女は月菜の双子の妹だ。
月菜と違うのは、その髪の毛。長くゆるく巻かれたその黒髪が、さらさらと流れている。
「……あのねえ。カウベルだけで分かるんだから、そんな大声で呼ばなくたっていいんだよ?」
「分かりましたってば。それより陽子さん、いつもの疲れ目に効く目薬ふたつください」
「はいはい」
——裏社会の薬屋「モナット」の隣は、これまた薬屋だった。
しかし、モナットとこのお店では売っている薬の種類が違う。
モナットで売っているのは、人を殺めたり一瞬で眠らせたりする為のもの、つまりは裏社会での仕事用の薬だ。
しかし、このお店で売っている薬は、基本的に表社会の薬局でも売っているような、正しく使えば安全な薬だった。
隣にあるのに、全く正反対な薬を売るふたつの薬屋。その性格は、お店の名前にもよく表れている。
月菜が店番をする店「モナット」——意味は、月。
陽子が店番をする店「ソレイユ」——意味は、太陽。
「——はい、これ。目薬よ」
「ありがとうございます。これ、お代です」
薬の値段はもう覚えてしまっている朱里が小銭を出す。しかし、それを見た陽子は困り顔。
「あー、朱里ちゃん知らないのか。実はこないだね、薬、値上がりしちゃったの。だからこれは、九百九十六円。九十六円足りないよ」
「……てことは……ああ、ひとつあたり七十円の値上がりですか……僅かなように思えても、これがかなり痛いんですよね」
「塵も積もれば山となる、って奴かねぇ、本当に」
朱里は百円玉を追加し、四円のお釣りをもらってから「それじゃあまた」と陽子に別れを告げる。
「お隣に行って、頼んだ薬貰ってきます」
「あー、その必要は無いよー」
突然降ってきた声は、隣の薬屋にいたはずの月菜のもの。朱里が振り返ると、いつの間に来たのか、月菜は陽子の隣に立っていた。その手には紙の小袋が握られている。
実は、モナットとソレイユの間には、従業員専用の二つの店を繋ぐ通路があり、モナットとソレイユの行き来はすぐ出来るのだった。
そしてその通路がある理由は、元々二つの店の経営者が同じだから。
実は、モナットもソレイユも経営者は月菜で、その双子の妹の陽子はあくまでもお手伝いをしているだけだった。その為、昔陽子が手伝いをしていなかった頃は、月菜が両方の店舗の店番を一人でしており、すぐに店を移動できるようにと作ったのだった。
「これ、頼まれた粉薬。間違って他の人が飲まないようにね」
「分かってるって。いくら?」
「えーっとね……」
月菜はポケットに入っていた手帳に値段を書き込み、その紙を朱里に見せる。朱里はそこに記されていただけのお金をその場で払った。
「また来てね」
「はい!」
朱里は目薬と毒薬を手に、月と太陽の薬屋を後にした。
——そんなことを思い返し、朱里はパソコンに向き合って文書を打ち込む。
「『薬屋で毒薬を買い、』……」
朱里の報告書は、まだまだ続く。




