五十嵐隼と秋本幸子
五十嵐隼は、その日も不正を重ねていた。
幸子は彼のテーブルに珈琲を置きながら。
「またですか……いい加減その不正、やめませんか?」
「煩い! バレなきゃいいだろう!」
表では好印象の隼も、秘書の幸子と二人きりだとその化けの皮を剥がす。
「……何度も言いますが、『不正政治家殺人事件』みたく殺されても知りませんよ?」
「だからあんなのはお偉い様方の戯言だと言っただろう! いつまであんな馬鹿馬鹿しい話を信じてるんだ、秋本?」
その目の前にいる幸子自身が裏社会の人間と通じていて、自分を殺してもらう依頼をしているなんて、隼は夢にも思わない。
「それより、今後の予定は?」
苛立った声で問う隼。
「……今日は午後に近隣で行われる行事に御招待されておりますので、そちらに行っていただきます。一時間後にはその支度を始めるべきかと」
「ああ、あれか。あの行事は年寄りや子供向け感はあるが、近隣の高校がやる吹奏楽演奏は楽しみだな」
「……吹奏楽がお好きなのですか?」
「いや、ほかの年寄り方の舞や盆栽披露がつまらないだけだ。吹奏楽演奏の方は毎年、大体どの年代も楽しめる曲目だからな。——おっと、挨拶も頼まれるだろうし、それも考えないとな」
「……」
幸子はもう、我慢の限界だった。
最初は、隼はもっと良い人だと思っていたし、不正をしていたのには驚いたが、きちんと注意すればきっとやめてくれるだろうと信じて疑わなかった。
しかし、不正を始めたその頃から、だんだんと隼は化けの皮を剥がし始めた。醜い内面を暴露し曝け出し、きつい口調や上から目線の物言いをするようになった。
表では、誰もが好印象を抱く、期待の政治家。裏では、人を見下し、目上の人には媚び諂う不正政治家。
彼の性格を一言で言えば、自己中心的。自分がよければ全て良し、な男だった。また、弱者を見つければ見下して馬鹿にし、目上の人には媚び諂うその姿は、まるで畜生——獣のようでもある。幸子は口には出さないがそう思っていた。
——そんな人のもとで働きたくない。
それが正直言って、彼女の本音だった。
隼は紙に話すことの概要をすらすらと書き上げ、頭の中で文章の構成を大体で考えていた。
一方幸子は、隼の仕事に必要な書類とそうでない書類も仕分け、必要なものをファイリングする作業をしていた。
紙にペンで何事かを書き付ける音と書類を動かす音しかしない、静かな空間。
そこに、突然投げ込まれる声。
「——ああ、朝食後の薬を忘れていた。秋本、今持ってるか?」
「はい」
隼は鼻炎持ちだったため、いつも朝晩に薬を飲んでいる。飲み忘れてしまうとくしゃみや鼻水が止まらなくなるため、幸子はいつでも薬を渡せるよう、隼の薬を常備していた。
それを受け取ると、そばにあった珈琲でそれを飲み込む隼。
「……珈琲で飲むのはよろしくないのでは?」
「別に、今までなんともなっていないが」
「確かにそうですけれど……」
その約二時間後。
紙にペンで何事かを書き付ける音も、書類を動かす音もせず、ひたすら静かな、その空間。
そこには、どこかすっきりとしたような表情の幸子と、息絶えた隼がいた。




