無理なく自然に
『黒翼』が運転する車に揺られているうちに、朱里は目的の場所へとたどり着く。
そこは、あの海辺の公園から少し離れたところにある、ショッピングモールの平面駐車場。もうすぐ四時になろうかという時だった。
「——行ってくる。よろしくね」
「任せてください。幸運を祈ります」
朱里は微笑みをひとつ残し、そして車からまるで鳥であるかのように軽やかに去っていった。
公園の時計が、四時を指した。
「あーあー、うん、大丈夫ね」
朱里は普段とは違う声で、呟いた。
そして、すっと息を吸い込むと、近くで鬼ごっこをしている子どもの集団に向かって、言った。
「薫!」
自分の名を呼ぶ声に、可愛らしく賢そうな少年——薫は振り返る。
「あっ、お母さん!」
朱里の元へと駆け出す薫。
そう、朱里は薫の母親に化けていた。
そして、薫の母親が毎日ここで遊ぶ薫を迎えにくることを、薫の動向を調べているときに知った為、それを利用したのだ。
そのために、薫の母親が着ている服や使っている化粧品を調べ、薫の母親が薫と一緒に帰るときには尾行して、口調や声の感じを真似る練習をした。
「どうしたの? いつもよりも来るのが早いね」
「今日、外食しよっかって話になってね。少し遠いところに行くから、早めに呼びに来たのよ」
これはもちろん、嘘だ。
「そっか! みんなー、僕、先に帰るね!」
朱里を母と思い込み、朱里の言葉が嘘だとは知らない薫が手を大きく振る。他の子達は鬼ごっこを一時中断し、声を張り上げた。
「気をつけて帰れよー!」
「また明日なー!」
朱里が手を差し出せば、薫はそれを母の手だと疑わずに握ってくる。
小さく、温かな手だった。
「ねえ、どこでご飯食べるの?」
「内緒。でも、とっても美味しいところよ。割と遠いけど、酔い止め、飲む?」
そう言って朱里が酔い止めを差し出すと、薫は首を振った。
「僕、酔わないもん」
「そうだったね。……お母さん、トイレ行きたくなっちゃった。そこで済ませてくるから、ちょっとここで待っててくれる?」
朱里はそこ、と言いながら公衆トイレを指差した。薫は何も疑うことなく「いいよ。そこのベンチで待ってるね」と言って、朱里の手を離した。
「ありがとね。そしたら、この飴あげるから、舐めながら待ってて」
「いいの? ありがとう!」
朱里が差し出したのは、ザラメ付きの飴。薫は嬉しそうに笑い、それを受け取ると近くのベンチへと歩いていった。
朱里は公衆トイレの中に入り、そして……何も用を足すことなく、時計を見つめていた。
五分後。トイレから出ると、薫は眠りこけていた。
朱里は慣れた様子で薫を抱き上げ、そのまま『黒翼』が待つ車へと歩いていく。
あの薫に渡した飴。あの飴にまぶしてあったのは、ザラメではなく、月菜に調剤してもらった眠り薬だった。
車にたどり着いた朱里は、車の窓を二度叩き、間を開けて一つ叩く。すると後部座席のスライドドアが開かれる。
「上手くいきましたか、『暗黒の疾風』」
「上出来。さ、組織に帰るよ」
「分かってますって!」
車は静かに走り去り、薫は攫われた。
本物の薫の母親がこの公園にやってくる一時間前に行われた、なんの不自然さもない誘拐だった。




