珈琲一杯と閃き
ぱたり。
首領室から出た朱里はそのまま寮棟に戻り、自室に入った。
「——不慮の事故……か。不慮の事故って言っても色々あるし……ま、要するに秘書さんが疑われなきゃいいだけの話だよね」
朱里は言いながらバインダーをテーブルに置き、水の入ったやかんに火をかける。
「方法は色々あるけどね。交通事故か毒殺か……でも薬だと秘書さんがやったって疑われるかもね」
そのまま、テーブルに放置されていたマグカップの中の、わずかに残っていた珈琲を飲み干し、テーブルの上にある小さな籠から小包装の袋を取り出すと、おもむろに開けてその中にあったドリップパックをマグカップにセットする。
「あとは……自宅を探り出して強盗殺人に見せかけるとか? いや、それはめんどくさい。他には……」
しゅんしゅんと音を立てるやかん。朱里は火を止めるなりやかんを取って、少量の湯をマグカップに注ぐ。
「うーん……あ、いい匂い。これ、試供品でいくつか貰ったやつだよね。もし美味しかったら、今度はこれのドリップ用の豆買ってこようかな……」
しばらく待って豆を蒸らした後、珈琲を淹れた。ドリップパックを外して捨てた後、朱里は椅子に腰掛けて珈琲を飲みつつ、再びバインダーを手にした。
これは、一種のルーティーン。
朱里が任務を遂行するための手段を考える時の、お決まりの行動だった。
珈琲を飲む度、様々な考えに溢れていた頭がすっきりとする。思考力が上がり、少しばかり興奮していた頭が冷静になる。
「取り敢えず、まあ普通に考えたら事故か毒殺かな。でも毒殺だとなぁ……秘書さんが疑われたら元も子もないし……」
朱里は席を立ち、ぐいっと珈琲を飲み干した。
マグカップをシンクに下げるなり、バインダーを手にしたまま部屋を出た。
向かう先はただ一つ。
コンコン。
「どなたですか?」
「私、如月。中入るよ」
相手の答えも聞かずに朱里は部屋に入る。
「ああ、如月さんだったんですね。で、どうかしました?」
そこにいたのは、原田翔。
「依頼が来たよ。だから翔にちょっとお願いがあってね」
「はいはい、何でしょう?」
にこにこと笑いながら応え、紅茶を淹れようとする翔に「あ、紅茶はやめて」と制し、そのついでにバインダーを渡す。
「ふんふん……政治家の暗殺ですか。これはまた難しいのが……流石ですねぇ」
「その政治家について調べて」
私一人じゃ到底無理なの、と朱里が言うと「分かってますって。調べときます」と彼は笑った。
「頼むよ、『伝書鳩』さん」
「分かってますよ、『暗黒の疾風』さん」
二人は戯けたように言い合い、「それじゃ」と朱里はその部屋を後にした。
朱里は部屋に戻ると、テーブルの上にあった本に手を伸ばした。その本は先程、首領に呼び出される前に読んでいたものだ。
この組織内では、基本的に仕事の無い時は自由に過ごしていいことになっているため、朱里は専ら自らの技量を上げる為の訓練か読書に時間を割いていた。
読みかけだった薄めの文庫本を読み終え、別の厚めの単行本を読みおえた、その時。
不意に、朱里の手が震えだした。
暑くもないのに、汗がつうっと流れる。
朱里の目線はテーブルの上の籠、その中の試供品でもらった珈琲にあった。
掠れた声で呟いた。「そっか……あれ、普通の珈琲だっけ」
いくつか深呼吸を繰り返し、そして数刻の後「ふう」と一つ溜息を吐いた。
目を見開く。
「——もし対象に持病があれば?」
すぐ近く、籠の中の試供品の珈琲を見つめる。
「——持病があれば、秘書さんに疑いをかける事なく毒殺も、可能……」
朱里は手の震えが収まるのを待った。
そしてその直後、引き出し付きの机に向かうなり、その引き出しの中からルーズリーフとシャーペンを取り出し、椅子に座る。
机の上に充電器に挿したまま放置されていたスマホを朱里は手に取り、そのままネット検索を始める。
そして計画は、少しずつ動き出す。




