第2話 手がかり
「仕事なら、館のメイドに求人があるんだけど、興味ないかい?」
「メイドですか?」
私がすべてを失ってから二年が経っていた。もはや故郷は遠い。あの男が報復に来ないとも限らないので、周囲に迷惑をかけないよう、様々な場所を転々としながら暮らしている。いや、そんなものは建前だ。私はあの男を殺そうと、血眼になって居場所を探している。
故郷から持ってきたのは、家族との優しい思い出とあの夜の記憶と、ミレニア・シスカという名前だけだった。
今は流れ着いた街で短期の仕事を探して、紹介所にやって来たところだった。
仕事を求める旨を告げると、気のよさそうな中年の女性が相手をしてくれた。そこで、メイドの仕事を紹介されたのだ。
「私は短期の仕事がいいんですが……」
「でも給料はいいよ、ここ。掃除とか料理とかをするだけでいいんだ。住み込みだから宿代もかからない」
「いや、短期で」
「お嬢ちゃん、メイドの仕事はしたことある? 体力は使うけど、慣れればいい仕事だよ」
「無理やり押し付けようとしていませんか。何か曰くつきの求人なんですか?」
まったくこちらの言うことを聞かない女性に、なんとか口を挟む。見据えると、少しきまり悪そうに髪を撫でた。
「そんな目で見ないでおくれよ。一応、短期って希望も叶えられるんだよ。……なにしろここ、どんな人間もすぐに辞めちまうからさ」
「とんだ事故物件じゃないですか」
危うくとんでもない場所に行かされるところだった。油断も隙もない。
私がため息をついて背を向けようとすると、慌てた様子で声をかけられた。
「待っておくれ! 話だけでも! 本当にいい求人なんだよ……給料が!」
私が路銀に困っているかいないかと言えば、困っていないとは言えない。端的に表現すれば、お金は欲しい。あの男を殺すときに、なにかをもみ消すために賄賂が必要となるかもしれない。
しぶしぶ足を止め、女性の前に戻った。
「話だけは聞きましょう。でも、引き受けるとは一言も言っていませんからね」
「そうこなくちゃ! あのね、この館は森の奥にあって、街の人間は気味悪がって誰も近寄らないんだよ。だからアンタみたいに外からやって来た人にしか紹介できないんだ」
「あけすけすぎませんか」
「求人票によれば、仕事内容は屋敷の掃除、洗濯。特に変なところはない、ごくごく普通の使用人の募集だね。でも給料は本当にいい。月に一万ゴルド。破格だろう? みんな釣られるんだ。ただ、紹介した人間は一月持たずに辞めてしまう。何があったのかを聞いても、だんまりなんだよ。だから、結局のところ、どんなことがあるのかは分からないね!」
「役に立たないにもほどがある情報をありがとうございます。お断りします」
確かに給料はよかった。普通に働いていたら一年はかかるだろう額だ。でも不気味すぎる。そんなことに関わる時間はないのだ。
女性が頬杖をついてため息を漏らす。
「ジルスコニオ伯爵も何を考えているんだか……こんなんじゃ集まるものも集まらないよ」
「それ……その館の主人の名前ですか」
「うん? そうだよ。ほら」
すっと頭の奥が冷えていく。ジルスコニオ、それはあの男が名乗った苗字だ。この二年間、一日たりとも忘れた日はなかった。
求人票が差し出される。依頼主は、クロード・ディルニス・ノルン・ジルスコニオ。名前は違うが、間違いない。あの男の親類だ。
思わぬところで得た手掛かりに、手が震える。私の雰囲気が変わったのを察知したのだろう。女性が身を引いて、おずおずと見上げてくる。
「えっと……ここに行くかい?」
「ええ、お願いします。私はそこで働きます」
にっこり笑って、女性の手に少し多めの紹介料を握らせる。ここから依頼先に、私の人となりが伝えられるのだ。心証を良くしてもらうことは重要だ。
女性は一つ頷くと、連絡を待つよう告げた。
*****
紹介所の女性から連絡が入り、今日の夜に館で面接をすることが決まった。なにがなんでも雇ってもらわなければならない。お湯を使って体を清め、髪を一つにまとめて清潔さを見せる。服も一番上等なものを選び、私は館へ向かった。
「と、遠い」
館は森の奥にあると聞いていたが、本当に僻地にあった。馬車を借りるお金はないため徒歩だが、歩いても歩いても木しかない。地面は当然整備されておらず、何度も足を取られた。しかも曇っているため、手に持ったランプ以外明かりもない。
得体のしれない獣の唸り声がときおり地を揺らすように響き、カラスか蝙蝠か、よく分からない飛行生物が枝を揺らす。街の人間が館を不気味がる理由がよく分かった。
持参した水が底をつきかけたころ、ようやく館が見えた。
「なにこれ……」
館を見上げ、息を呑む。荘厳な石壁、雲を貫きそうな尖塔、手入れの行き届いた庭、侵入者を阻む鉄の門。今まで見てきた中で、最も大きく豪奢な建築物だった。館というより城だ。
門に近づく。と、門から小道が伸びた先の、玄関の扉の前に、誰かが立っているのが見えた。
「お前がミレニア・シスカか」
その人物は小道を大股に歩いてくると、門を隔てて私の前に立ちふさがった。背の高い、短い銀髪の体格のいい男だ。ほりの深い顔立ちで、金の瞳が眉の下で光を放っている。
「はい。本日メイドのお仕事の面接に参りました。ミレニア・シスカと申します」
「オレはギオルグだ。入れ。ついてこい」
ギオルグと名乗る男は端的に告げると、門を開けた。背筋を伸ばし、境界を踏み越える。背後で門が閉まった。
「クロードのやつは書斎にいる。そこで簡単にこれまでのことを話してもらう。なんでここに来ようと思ったのか、とかな」
「かしこまりました」
つばを飲み込む。ランプの火を消して、鞄の取っ手を握りなおす。そもそも、あの男の親類ということは、ここの主人だって殺人鬼、もしくはそれに類する危険人物かもしれないのだ。だから使用人はみな逃げ出す。ここまで来て、現実味のある妄想に背筋が冷えた。
館の中は、なお一層壮麗だった。どこまでも続く廊下には毛足の長い赤い絨毯が敷かれ、閉め切られた扉は頑丈そうな樫の木で、ドアノブは金に精緻な模様の彫られたものだった。その間を、勝手知ったる足取りでギオルグは進んでいく。その背中を追いながら、緊張が高まるのを感じた。
「ここだ」
数えきれないほど廊下を曲がり、いくつか階段をのぼり、少し進んだ扉の前でギオルグが立ち止まった。途中まで道順を記憶しようとしていたが、あまりに複雑な行程に諦めた。どのみち彼らが私を帰すまいとしたら、来た道を辿れるはずもない。玄関の方角は分かるので、そちらに向かって走り、いざとなったら窓から飛び降りる算段だった。
ギオルグが扉を叩く。部屋の中から、「入れ」という若い男の声がした。館の主人というからなんとなく年老いていると思ったが、そうでもないらしい。
ギオルグが部屋に入り、私も後に続く。
書斎だという部屋の中は、確かに四方に本の詰め込まれた本棚が鎮座し、入口の正面に大きな書き物机があった。机の上には書類や本が散らばっている。その向こうに、館の主人らしき男が座っていた。重いカーテンが引かれた大きな窓を背にしている。
一目見た瞬間に分かった。この男は私の家族を殺したあの男と同類だ。
肩につくほど伸ばされた黒髪を、紅絹色のリボンで結び、貴族らしい衣装に身を包んでいる。だがなにより目を引くのは、その人知を超えた異類の美貌。あの男と同じ赤色の瞳が、立ち尽くす私をとらえた。
「ミレニア・シスカか。話は聞いている。メイドとしてここで働く意志があると」
「はい。今までにも南方の貴族のお屋敷でメイドとして働いた経験があります。掃除も洗濯も炊事もなんでもやります。読み書きも計算もできますので、蔵書目録の作成や、簡単な帳簿をつけるくらいならお任せを。ぜひここで働かせてください」
男はしげしげと私を見つめていた。部屋の隅に控えたギオルグも私を凝視している。隠されたなにかを解き明かそうとでもいうように。
沈黙が続く。やがて、男がそっと私から視線を外した。
「蔵書目録か。書庫の整理を頼むのもいいんじゃないか、あそこは散らかっているし」
「それはあんたが読んだ本をもとの場所に戻さないからでしょうが!」
ギオルグが噛みつく。玄関では主人をクロードと呼び捨てにしていたし、本人を目の前にしてもこの態度である。どうも一般的な主従関係とは少し異なる絆がこの二人にはあるらしい。
男が立ち上がり、私の前まで歩いてくる。黒い手袋に包まれた右手を差し出し、薄く笑った。
「お前を採用しよう。俺はクロード・ディルニス・ノルン・ジルスコニオ。この館の主人だ。こっちの男はギオルグ。使用人のようなことをやってもらっている。ミレニア、明日からよろしく頼む」
思わず笑みが漏れる。差し出された手を握り返し、クロードの顔を見上げた。
「ミレニア・シスカです。明日から精一杯働かせていただきます。よろしくお願いいたします」