天使のいる町
大人の童話……
その男は世の中を呪っていた。
年末の賑やかな街を歩きながら毒づいた。
――何がサンタクロースだ。いい子にしていれば、きっとプレゼントを持ってきてくれるだと。ふざけてやがる。
男はまじめに生きてきたつもりだった。勉学も部活も仕事も手を抜いたことはほとんどなかった。
しかしすべてが上手くいかなかった。志望校の受験も、就職でも希望がかなったためしがない。毎日行きたくもない会社に行っては嫌味な上司の相手をしなければならない。パチンコでも競馬でも大当たりしたことなんてない。家に帰れば、待っているのは家族の愚痴だけだった。
クリスマスあたりになると、数少ない友人と呼べるものは結婚しているか、恋人と過ごしているので、男はとりわけ孤独を感じていた。
――まったく、世の中は不公平だ。俺はなんのために生きているんだ……。
男は商店街にあるスーパーで掃除用具と煙草を買って歩いていると、アーケードの先に人だかりができていた。
――何をやっているんだ?
ガラガラとガラポンくじを回す音、カランカランとベルを鳴らす音、子供の泣き声が聞こえる。男は近づいて見てみると、福引をやっていた。
―― 一等はハワイ旅行か……。海外旅行なんて一回も行ったことないな。俺にも幸運はあるのだろうか?
男はスーパーのレシートを取り出して列に並んだ。
――この金額だと三回できるな。一等のハワイか、二等の商品券ねらいしかない。
一回目はポケットティッシュ、二回目は箱ティッシュだった。
――くそっ。あと一回か。どうせまたダメだろうな。
男がくじを回すと、カランカランとベルの音が鳴り響いた。周囲がどよめく。
「大当たりー。おめでとうございまーす。三等でーす」
男は大きな豆柴のぬいぐるみを渡された。小学一年生の子供くらいに大きい。
――俺が犬のぬいぐるみをもらってどうするんだ。こんなでかい犬、家に置き場もないぞ。ひょっとして来年の干支が犬だからか? ったく、ついてないな。
男は近くで泣いていた女の子にぬいぐるみを押し付けてそこを去った。泣いていた女の子はキョトンとして、去って行く男を見ていた。
男は商店街を歩いていた。男の前には年齢の割にせかせかとしている老婆が歩いていた。どこかに向っているようだったが、歩きながらカバンからポケットティッシュ取り出し、その拍子に何かを落とした。
銀行の預金通帳であった。男はそれを拾った。老婆を見ると、落としたことに気づいていないようだ。
――もらっちまうか?
あたりを見回すと、向こうに警官が立っている。
――ちっ、やっぱりついてないな…。
男は老婆に駆け寄り、声をかけた。
「おい、婆さん。落とし物だぜ」
「はっ? えっ! ああー、これはわたしの! ありがとうございます! ありがとうございます!」
老婆は拝むように通帳を受け取ると何度も、何度も頭を下げた。
「何かお礼を…」
「いいってことよ。気にするな。それより、また落とさないように気をつけろよ」
男はそう言うと老婆をおいてそこを去った。
――家に帰るにしては早すぎる。パチンコに行くお金もない。寒いからショッピングモールの休憩所に入って休むとするか…。
老婆は男が立ち去ると、銀行に入った。先ほどの親切な男のことを誰かに話したくて、顔なじみの案内の銀行員に声をかけた。
「へえー、そんなことがあったんですか。親切な男性ですね」
「ええ、本当に助かったのよ。もうこれがなかったら息子がどうなるか……」
「息子さん?… どうされたんですか?」
「ええ、実は何やら事故を起こしてしまったみたいで、すぐにお金を振り込まないといけないのよ。あの人のおかげで本当によかったわ」
「あ、ちょっと待ってください。それ、詳しくお聴きしてもいいですか?」
「ええ、いいわよ」
老婆と案内係は相談コーナーに入って行った。
ショッピングモールの三階、休憩所で休んでいるうちに、男は眠気をもよおした。ほどよい雑音、あたたかい暖房。男はスーパーのレジ袋を両足の間に置いた状態で、こっくりこっくり船を漕いでいた。
男がとりとめのない夢を見ていると、火災報知器がけたたましく鳴り響いた。
男は初めのうちは夢か現実か分からなかったが、目を開けて見ると天井に白い煙が立ち込めている。
――くそっ! 火事か。早く逃げないと。
男はレジ袋を持って休憩所を飛び出した。非常口に走っていく途中、五人ほどの幼児が、取り乱している若い女性と一緒にウロウロしているのを見つけた。
「何をしている! 早く逃げろ!」
「で、でも、どっちに!?」
女性の両手は子供の手でふさがり、あたふたと男を見つめた。
「非常口に決まってるだろ!」
「私たちそこからここまで来たんです。下はもう煙が立ち込めていました」
「ここにいても仕方がない。天井の煙はあっちから流れてきている。反対側の非常口に行くぞ! 付いてこい!」
「はい! みんな、このおじちゃんについて行くよ!」
男は二人の幼児の手を取ってひっぱった。
――ついてないな。子供を連れて逃げられるか……。
非常口の防火扉を開けると、そこからも白い煙が出てきた。女性から絶望的な声がもれる。
「ああー、もし子供たちに何かあったら、ああー」
「うるさい! 問題ない!」
男はレジ袋の中から大きな透明のゴミ袋を取り出した。そして袋を広げて、床の方から空気を集め、次々に女性と子供たちに被せた。胴のあたりで袋の口をしばり、左右に小さな穴を開けると、そこから手を出させた。最後に自分も袋をかぶった。
まるで屋台で売っている、わたあめの袋のようだった。子供たちは意外にも楽しそうだった。
「前は見えるか!? 苦しくないか?」
「はい!」
「一階まで急ぐぞ! みんな絶対に手を離すなよ!」
男と女性と子供たちは煙の立ち込める階段を踏み外さないように、はぐれないように、急いで下りた。
二階を過ぎ、一階に近づくにつれて煙は薄くなった。一階の扉を開けると、透き通った外の空気、明るい陽の光、消防車や救急車の音にあふれていた。
男は自分のかぶっていた袋を破り捨て、みんなの袋もむいた。
「大丈夫か!?」
「は、はい! みんな大丈夫みたいです」
「はーい」
「ダイジョーブ―」
子供たちも楽しそうに返事をした。
「あの、あなたは命の恩人です。お名前を教えてください」
若い女性は涙目になっており、男を見つめた。
「いいってことよ。気にするな。それよりも子供たちを早く家に帰してやりな」
男はそう言うと、ショッピングモールを立ち去った。子供たちと女性は手を振って、男が見えなくなるまでバイバイをした。
――ついてないな。慌てたせいで、せっかく買った掃除道具を置いてきちまった。あんな状況じゃあ取りに戻れないし……。まったくついてない。あのスーパーでまた買うか…。
男が家に戻る途中、スーパーの近くで女の子が男に近づいて来た。男は「何だ?」と思って女の子を見ると、彼女は一枚の画用紙を差し出した。
男は受け取って見ると、そこにはクレヨンで犬と男が描かれていた。
――下手だな……。
男はその絵を丁寧に丸めると、女の子の頭をクシャクシャっと撫でた。
「絵、ありがとうな」
「い、犬、ありがとう」
女の子は恥ずかしそうに声を出した。男は「うん」と言うと、女の子に背を向けて去った。後ろから「ありがとー」と声が聞こえた。
男は前を見ながら手を振った。男の左手は、絵が折れないように、やさしく画用紙を握っていた。
この町には天使がいるという噂があった。特に年末になると、だれもがその噂を耳にした。
ある日には、巨大なオレオレ詐欺集団が逮捕され、多くの騙された人たちにお金が戻ることになった。
また、火事の現場に現れて、五人の子供たちと女性を救ったとニュースにもなった。
天使の正体は不明である。
しかしその天使の噂が絶えたことは、この二十数年間、
まったくなかった。
メリークリスマス!
読んでくださりありがとうございました。