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マザー・アイ  作者: 淀川滓音
2/2

坂木という男

え、と言う間もなく、男が悠介の腕を引っ張り歩き出した。おい、やめろ、と必死で抵抗するが、男は動じない。口を開けたまま呆然とする隼人の横を通り過ぎ、ずんずんとフロアを横切っていく。受付のボーイがそれを見てあたふたし始めた。

 地上に出ると、びゅう、と容赦ない冬の夜風が吹きつけた。体の熱が一気に冷めていくのを感じながら、悠介はされるがままだ。心臓が高鳴っている。どく、どく、と鼓動を打ちながら、身の危険を案じ始めている。

「ここじゃあ、じきに警察が来る。研究所の奴らが来るのも時間の問題だ。場所を変えるぞ」

 警察、という言葉を聞いて、さらに身が凍る思いがした。研究所、という言葉が多少気になったが、今はそれに拘っている心の余裕がない。こいつは俺をどこに連れていくのだろうか。

「俺はお前の敵でも、味方でもない。安心しろ。危害は与えない」

 ビルの前に停めてあったオートバイにまたがりながら、男はこちらを見てはっきりと言った。立ちすくむ悠介をぐいと引っ張り、男は「またがれ」と命ずる。

「あんた、犯罪者かよ」

 仕方なしにヘルメットを装着し、バイクの後方にまたがった悠介がそう聞くと、男は「そう思うんならそう思えばいい」とぶっきらぼうに言った。

「俺を連れ去って、何になる。金だったら納得がいくけど」

「金?」

 はっ、と、馬鹿にしたような笑いが前から聞こえた。バイクが夜風を切って走り出す。男の腰に回した手が凍えて、感覚がなくなりそうだ。

「そんなもん、いらねえ。欲しいのはお前だけだ」

 至極真面目にそう言い放った男に、悠介は意味が分からない、と思った。

「なああんた、ICチップがある手前、すぐ見つかるぞ。ダーツ・バーで名前を書いただろ」

 挑戦的にそう言うと、男は「ああ、」と思い出したように言った。

「あんなのは、偽名で書いたに決まっている。それに、ICチップは完璧なようで、抜け目だらけだ。これから行く所は、データの追跡を跳ね返してくれる壁に覆われている」

 だから急ぐぞ、と男が言う。犯罪を防ぐ、ICチップ。国民の皆様に安心と安全を。そんなスローガンの下開発された国民保護ICチップに、抜け目があったとは。悠介は素直に驚いていた。

「あんた、もしや『国民自由会』?」

 悠介も少しは耳にしていた、その名前。ネット化する世界の監視化を目指し、個人情報徹底管理を進める政府に反旗を翻し、国民が立ち上げたグループ。連日マスコミで取り上げられるほど、その活動は活発化している、と聞いた。

「勘が鋭くて結構。だが俺は残念ながら違う」

 さらに訝しむ悠介を乗せて、バイクは夜の街を颯爽と走る。ぶるん、ぶるん。テールランプを光らせる車たちの横をすり抜け、鼠のように夜の街を駆け抜ける。

 三十分ほどバイクに揺られ、低層ビルばかりが並ぶ南西区へやってきた。あまり治安のいいとは言われない場所。母親がそのように言っていたのを思い出す。ふと、左側に建つ灰色の雑居ビルの横に、『こうらく通り』とネオンの看板が表に立った、薄暗い路地があった。

「ここ、入るぞ」

 バイクがするすると左折して、『こうらく通り』に入っていく。名前にしては、盛り上がりのかけらもない、ただの路地だ。ぽつぽつとスナックがネオンを灯しているだけで、人通りもない。

「こんなところにあるのかよ」

 不安そうにそう言った悠介に、「心配するな」と男が言う。

「スナックは、防音壁でできていることがある。俺はよくわからないが、その中にいるとICチップの追跡が困難になるらしい」

 男は、一番奥のスナックの前でバイクを停めた。ぽわぽわと光るピンクのネオンの看板に、『スナック おっかあ』の文字が優しげに浮かんでいた。心の奥がヒヤリとするような、嫌な感じがした。

「…防音なら、カラオケでもいいだろ」

 呟いた悠介に、男が眉を下げて「確かにな」と笑った。

「嫌味のように思えるか。俺はここが好きだがな」

 とにかく入ろう、と言って、男が木扉を開ける。カランカラン、と心地よい音がして、中から中年女性の声が聞こえた。

「こうちゃん! どこ行っての、遅かったから心配したわよ」

 さばさばとした大きな声の持ち主だ。隙間から覗くと、まるまるとした体の女性が、親しげに男に話しかけていた。

「ママ、大収穫だよ。やっと見つけたんだ、菱田悠介を」

 男が嬉々として言う声が聞こえる。すると扉の間からするりと血管の浮いた腕がでてきて、悠介の手を掴んだ。思いがけず、半ば転び込むようにして中へ入った。

「その子が、」

 驚いたような声に前を見上げると、『おっかあ』のママらしきその女が目を見開いたままこちらを見つめていた。

「…おまえら、俺をずっと探していたのか?」

 二人を交互に見ながら、そう問うた。バーカウンターが細長い店の中央まで伸び、奥にはボックス席が二つ置かれている。色褪せた赤を基調とした内装に、どこか懐かしさを感じた。

おかげで奥の壁に付けられている液晶テレビは、なんだか場違いなくらいにピカピカして新しく見える。

「こうちゃんはずっときみを探していたわ。それこそ気が狂うみたいに」

 困ったようにママが笑う。やめろよ、と男が言った。

「それに俺はこうちゃんじゃない。浩一だ。坂木浩一」

 初めて男の名を知った。悠介はますます混乱していた。何故こいつは俺のことをそんなにも探っていたのだろうか?

「詳しい話は、ここの地下でしよう。俺のことは、坂木と呼んでくれ」

 坂木が顎をしゃくってカウンターの隣の階段を「行け」と命じる。「サカギが先に行けよ」と文句を垂れると、「呼びすてかよ、ガキが」と馬鹿にしたように坂木が笑った。

 空き瓶のカゴやモップなどが散らばる薄暗い階段を、おそるおそる降りていく。らせん状になっている急な階段を十五段ほど下がると、卓球台が一台置けそうなくらいの広さの部屋が現れた。ぱちりと音がして、部屋が途端に明るくなる。てん、てんと音をたてて点滅する蛍光灯。それにぼんやりと照らされて、部屋の全貌が明らかになった。

「ママが特別に貸してくれているんだ。ここには俺が集めた様々な資料や本が置いてある。好きに手に取って、読むといい」

 地下空間ゆえか、じっとりとした空気が漂っている。坂木の言うように、四方の壁には隙間なく本棚が置かれており、本や書類がびっしりと並べられている。中央には小さな丸テーブルと赤い二人掛けのソファがひとつ。埃の積もったラジオが床に転ばされ、ソファの前でブラウン管テレビがひっそりと存在を主張していた。時代錯誤の塊だ、と悠介は思った。

「…とにかく、話をしようか」

 坂木にソファにすわるよう促されて、悠介は硬めのそれに腰掛けた。よく見れば、あちこちからスポンジが顔を出している。思わずため息をついた。坂木が悠介の前で床にあぐらをかいて座った。じっとこちらを見据えて、言う。

「これから話す話は、俺とお前の話だ。耳をかっぽじってよく聞け。俺のしたいことに賛成できないのであれば、お前はいますぐ帰っていい。…でも、俺についていくと決めるなら、覚悟をしろ。おまえはおまえの命を、ひとりで抱えて生きていくことになる」

 坂木の言葉はまったくもって理解不能だ。それでも、その強い瞳に、吸い込まれそうになる。ときを忘れる、そんな数舜。

「好きなように話せばいい。…俺はもとからひとりだ」

 ぶっきらぼうにそう言った悠介に、坂木が困ったような、泣きそうな表情をした。なぜそんな顔をする、と眉を顰める悠介の前で、坂木が話をし始めた。ママの運んできたココアの湯気が、空中に漂っては消えていく。

「俺はな、むかし母親を殺した。今から十三年前の、十三の時だ」


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