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浅葱

作者: 王生らてぃ

【第三回・文章×絵企画】(牧田紗矢乃さん主催)参加作品です。

ステキなイラストは、雪解つる木さん(みてみんのユーザーページ → http://17227.mitemin.net/)に提供していただきました。ありがとうございます。

挿絵(By みてみん)


 その夜は珍しく雪が降った。窓からそっと手を伸ばすと、雪の粒が次々に肌に触れて、ちくっと刺すような感触と共に、次の瞬間には融けて水になって、すぐ下の地面に落ちていく。――懐かしい感触だった。ほんとうに小さいころ、これと同じ感覚を腕に感じたことがある。冷たくて小さな結晶は、触っただけで透明な雫になって消えてしまう。

 私の肩を伝って、花菱(はなびし)がにょろ、と首をもたげた。

「おや――雪が降るなんて珍しいね。今日の予報には無かった」

 私の腕に器用に絡みついて、舌先の先端末を揺らした。真っ白な、作り物めいた鱗。赤い、宝石のような瞳。ひんやりとした肌触り。

 空を見上げると、五重塔のネオンと、街の明かりとに紛れて、はっきりと夜空に輝く星が見えた。月は雲に隠れて、姿を見せない。

「雪が降っているのに、星が見えるの」

「そう不思議なことじゃないだろう」花菱の瞳が二、三度、瞬いた。「狐の嫁入りってやつだ。地上では雨や雪が降っているのに、空には雲がかかっていないことをこういうそうだ、正式な気象用語じゃあないけどね。それらが到達する前に雲が消えてしまっていたり、突風にあおられて離れたところからそれらが運ばれてきたりした時に発生する現象だ」

「じゃあ、あの星は本物?」

「本物って?」

「私の目に見えている、あの星は――ちゃんと夜空に浮かんでいるの?」

 私の言っていることが分からない、という風に花菱は首をもたげた。わざと見ないようにしていると、やれやれと身体を這わせて、私の首の後ろ辺りにかみついた。舌先の先端末がうなじの受け口に突き刺さり、一瞬だけ身体がしびれるような感覚――何度やっても慣れない。

どのくらいそうしていただろう、次に気がついた時、窓の外に伸ばしたままの手には無数の水滴がついて、指から雪だったものがしたたり落ちていた。

「君の眼には特に異常はないみたいだけど?」

「そう」あわてて腕を引っ込めて、窓の縁に両腕をもたれさせた。花菱が咎めるような、飽きれるような口調で、

「ついでに、電脳の履歴も洗ったよ――また賭博場に入り浸っているのかい?」

「私の勝手でしょ。きちんと保証された合法的な権利よ」

「電脳は正常に運用されていても、君の身体には睡眠が必要なんだ。そのうち、脳じゃない、身体が悲鳴を上げるよ」

「分かってるったら」

 いつの間にか、空からほろほろ落ちてくる雪は止んでいた。窓を閉めると、花菱が私の腕を下りて畳の上でとぐろを巻いた。

「ほどほどにする」

「怒られるのは私なんだ」

「じゃあ、今日は取りあえず休むから。その代わり、なにか、面白い夢でも見させてよ」

「それじゃあ眠っていないのと変わらない。目を閉じて、外部からの情報をシャットダウンしないと」

 眠るのが怖いの。ちょうど十二畳の部屋の中心に据え付けられた、囲炉裏(イロリ)型デバイスの鉄瓶をこんと叩くと、ホロ・ウィンドウが広がった。それまで暗かった部屋に、電子の光がほのかに灯る。きっと本物の囲炉裏に火をくべた時は、もっと暖かくて、柔らかい灯りが周囲を照らすのだろう。

「二十一時三十八分――まだ寝るには早いのかしら」

「もう寝たほうがいい。浅葱(あさぎ)の身体は九時間の睡眠を必要としている。普段の君から考えれば、異常な数値だ」

「まだ、身体は生身よ」これ以上討論をするのも面倒なので、襖から布団を引っ張り出した。「分かった風に言わないで」

 囲炉裏(イロリ)の近くに乱暴に布団を投げて、身を滑らせる。ふかふかの掛け布団と、きりっとした太陽の匂いのする毛布。窓を開けたせいで、部屋全体が冷え切っている。

「大人しく寝るから――なにか、気持ちのいい音楽でもかけてよ」

 花菱が溜息をついたような気がした。そんな機能は積んでないくせに――囲炉裏(イロリ)から、安っぽい、雰囲気だけの料亭で良く流れているような音が聞こえてきた。不思議と、その音は耳によく馴染んで、すぐに私を眠らせた。



   ○



「今日はお顔がすぐれませんね」

 御花槌(みかづち)さんがにっこり、と対面の席で笑った。左手で熱い日本茶をすすると、私の胸元のあたりに飛車を滑り込ませ、ぱちん、と板に叩きつけた。

「矢倉の組み方も甘い。――なにか、心に引っかかることでも?」

「別に」銀を下げて、飛車を取り返す。「ちょっと、寝不足なだけで」

「目の下に、深いクマが浮かんでいますよ」

「こんな〈目〉で、ちゃんと寝ろっていう方が、無理な相談です」

 御花槌さんは顎に手を当てて、瞳の中に深遠な光を浮かべた。じっと、微動だにしない。三分たっぷり考えて、彼の手は持ち駒の桂馬に伸びた。そっと、料理の最後に、料理の脇に添える青い葉を添えるような手で駒を置く。

「それは、どっちの考えですか?」

「僕の考えです」

「ごまかしたって駄目です。私には見えてしまいました」

「僕の考えですよ」御花槌さんはふう、と溜息をついた。「人間がまだ、人間でいられるゆえんは――時に計算や理屈を超えた、大きな一手を打てることにあります。電脳に蓄積された膨大な戦術ネットワークは、確かに最善手を教えてくれる。でも、あなたの考えだけは読めないんですよ、浅葱さん」

 日本茶が空になるまでぐいっと飲み干すと、御花槌さんは不敵に笑った。

「機械が相手ならまだしも、いま、僕は、貴女と盤を挟んで、向かい合っているんですから」

 そう言ってくれるのは、嬉しい反面、複雑でもあった。まるで、自分が機械に近付いていると、まじまじと見せつけられるようだった。

 首の後ろに突き刺さる封印碇から、ぴりぴりと電気みたいなものが脳に駆け込んでくる感覚。私は、自分の頭で考え、自分の実力でこの人に向かい合いたいとずっと思っていた。私はいま、生の身体でこの人と対峙し、向かい合っているのだから。

「御花槌さん」彼はすっと顔を上げた。私がうなじのあたりに手を持っていき、「外してもいいですか。今さらですが」

 というと、静かにうなずいた。

 碇に手をかけて引き抜く。五感を超越した、直接、神経を叩くようなノイズ――目を開けると、目の前には御花槌さんの顔と、すぐ目の前には矢倉に襲いかかる桂馬と、虎視眈々と奥深くこちらを狙う角行。

〈目〉がひとつひとつの駒を捉え、動きを勝手に予測し、模擬棋譜を脳に叩きこんでくる。何百、何千、何万では効かないような、大量の盤面の情報。どこに何をどう動かすのか、そのとき相手がどういう対応に出るのか、それにこちらはどう対応するのか――網膜を駆け回り、血管が暴れるように痛んだ。一瞬、自分の肉体の感覚を喪失し、ぐらっと倒れ込む。慌てて身体を支えようと手をついたのが、盤の上だった。駒が弾けて床に散らばり、耳障りな音を立てる。猛烈な嘔吐感が込み上げてきた。

「浅葱さん」御花槌さんがすぐに私の隣で、肩を支えようと腕を回してきた。

「触らないで」

 私は思わず、その手を振り払ってしまった。ぐるぐる、視界が歪む。耳に、何か聞こえるような、聞こえないような音が響く。自分が今、どこに座っているのかもわからなくなってしまうような――

 唐突に脳に衝撃が走った。混じり合った世界に、いきなり輪郭という型をはめ込まれたような。

 無茶するな。

 花菱の声が脳に直接響いた。手を後ろに伸ばすと、舌の先端末がうなじに突き刺さっているのを感じた。

 情報酔いだ。まだ慣れていなんだから……

「ごめんなさい」

 散らばった駒、倒れた将棋盤。さっきまで私が座っていた、赤い座布団。畳。掛け軸。木造りの天井。縁側から見える緑と、鹿威しの音。水の流れる音。

「落ち着きましたか」

 御花槌さんが、私の方を心配そうな目で見ていた。私は畳の上に倒れ込んで、四つん這いで彼のことを見上げていた。胃の中がぐるぐるするような、情報酔いの感覚がまだ残っていた。花菱が私の腕を伝って、畳の上ににょろりと降りた。

「急に大量の情報を取得したからだ。電脳そのものに異常はないから――少し横になって休んだ方がいい」

「す、すみません……」

 御花槌さんは何を言うこともなく、安心したように微笑んだ。



 縁側で、座布団を枕に横になる。空は青く、緑色の匂いが鼻に入り込む。風を受けていたら、だいぶ気分は楽になった。御花槌さんは将棋盤を元通りに直してから、ひとりでひたすら駒を動かし続けていた。

「浅葱さん、だんだん強くなってきましたね」私の気が紛れてきたのを察してか、不意に、そんなことを言った。「さっきまでの棋譜を、再現していたんですよ。繊細で、隙を見せずに立ち回るのに、その攻め筋は時に大胆不敵だ」

 全部覚えているの、と言いかけて閉口した。彼は、私なんかよりずっと、電脳の扱いに長けている。

「どうすれば、御花槌さんみたいに強くなれますか」

「あなたは充分強いです。このまま、何度も打ち続けていれば」

「そうではなくて――」

「電脳の扱いも、同様です。何度も経験し、慣れていくしかない」

 御花槌さんは柔らかい手つきで駒を打ち続けた。その音が、水の音、風の音、鳥の声と同じように、妙にこの自然と調和していた。

「僕は、胎児の段階から既に電脳化を施されていました。僕だけではない――風祭の人間はみな、僕と同じような扱いを受けている。きちんと母の身体から生まれてきて、こうして肉体を持っているというだけでも、一族の中では異端者の扱いです。まるで、違う生き物を見るかのように」

「他の方々は、違うのですか」

「ええ、みな肉体を持っていません。遺伝子の情報から胎児を飼育し、電脳化を施した脳だけを義体に移し替える――そういう風に作られています。所詮は、本家の狗ですから」

「では、御花槌さんはどうしてそうではないの?」

「そういう目的で作られたからですよ。肉体が無いと、達成できない目的のために」そして私から目をそらしながら、「――貴女のような女性と結婚し、子を成すためです。それだけは、義体には為せないことですから」

 御花槌さんはずっと、私との婚約には賛成していると思っていた。だって、私と会う時の彼はいつも嬉しそうで、にこにこ人が良さそうに笑っていて、つらいことなんてなさそうだったから。

 所詮は、家同士が取り決めた、古臭い制度に則った政略結婚ごっこだ。

 日本有数の電脳企業、その分家筋に当たる風祭(かざまつり)家――その息子と、私とが結婚することで、母さんの事業への援助が得られる。共同開発による新型無人兵器の開発にも熱が入り、京都全体の経済的な発展へつながる――

 この、古めかしい懐古主義の保存に。

 私の頭のすぐ横では、花菱がとぐろを巻いて休眠していた。私が身体を起こすと、御花槌さんが鼻を鳴らすように、

「もう、落ち着きましたか? 無理をせず」

「大丈夫です」彼の対面に座布団を置き、向かい合って座りなおす。「さっきは、お見苦しい所をお見せしてしまってごめんなさい。続きをしましょう」

「ちょうどいい所でした」

 見ると、私が崩してしまう前の状態まで、盤面は復元されていた。

「貴女の手番です」

 うなじに、しっかりと封印碇を差し込んだ。この人と向かい合っている間くらい、自分の、ありのままで向かい合いたいと思った。



   ○



 夕方の京都を歩く。石畳で、きっちりと整備された碁盤の目状の町並み――道の両脇には、平屋造りの蕎麦屋だの、小料理屋だの、居酒屋だの……街を歩く人はみんな和服に身をやつしていて、洋装に革靴の人間を見ると、ちょっぴりもてはやされたりする。

 私は下駄を鳴らして、番傘を手に街を歩く。それが、私くらいの歳の女が、この街で暮らしていく上でのモードなのだ。

「御花槌のことを気に入っているのかい?」

 肩に乗った花菱が、からかうような口調でいった。

「お互いに、親同士が決めた婚約じゃないか」

「うん――別に彼のこと、嫌いじゃあないから」

「少し前まで、あんなに嫌がっていただろう」

「顔も知らない、名前も知らない人に身を預けるのが嫌だったの。でも――いざ会って、話をして見たら、別に悪い人じゃないっていうことが、分かったから」

 遠くから、からん、からん、と鈴の鳴る音が聞こえる。石畳に赤いホログラムが浮かび上がった。「進入危険」――すぐ目の前を、ちょっと走ったら追いつきそうな速度の路面電車が通り過ぎていった。ホロが消えるのと同時に、周りの人間たちと一緒に、私も歩き出す。

「それに、家にいるより、彼の所でのんびりしているほうが、居心地がいいもの」

 ふと、道のわきに積もった残雪を見た。今日は一日中晴れていたから、すっかり融けて消えてしまったものだと思ったので、つい見入ってしまう。すぐ隣の茶屋の主人が、ぬっと顔を出して私に微笑んだ。乱杭歯が所々欠けた、しわくちゃな顔の老人だった。

「お嬢さん、ちょっと休んでいかないかい?」

 断る理由もなかった。赤い布がかけられた木の長椅子に座り、日本茶と御手洗団子を注文する。服の裾から紙幣を取り出すと、主人は露骨に驚いた顔をして見せた。

「今どき、電子貨幣じゃなくて、生の金を持ち歩いてるなんてなあ……」

「これじゃ、駄目ですか?」

「いや! とんでもない、毎度あり」

 主人は懐にしまい込むと、私の前の席に座り込んた。服の裾から覗く両脚の義足は、真っ黒に汚れて、煤や泥で汚れていた。

「お嬢さん、えらく綺麗だなあ――特に、その〈目〉が綺麗だ。特注品か?」

「まあ」花菱は服の内側に隠れて、顔を出そうとしない。

「何年か前に、病気にかかって、仕方なく……」

「電脳義眼だろう?」

 うなずくと、主人は顔のしわをさらに深くして笑った。

「わしのこの脚は、何世代も前の筋電義肢だ――知ってるか? 肉と機械を直接つなげて、電気信号を読み取って動かすんだ。はやく電脳義肢に取り換えたいんだが、わしも歳が歳だからねえ。企業の連中は、歳のいったご老体には負担が大きいからと、電脳化をさせてくれねえんだよ……わしは、こう見えても戦時中には、国防軍に関わっていたんだ。こいつは、名誉の負傷って奴でな」

 大戦を経験した人は、よく若者にこういうことを話したがる。当時の記録はほとんど残ってはいないし、その後に相次いで起こった大規模な自然災害の影響で、住民情報から資料に至るまで情報が丸ごといずこかへ吹き飛んでしまったからだ。主人は、汚れた義肢をさすりながら、しみじみとつぶやいた。

「お嬢さんの、その〈目〉は――どこで作ってもらったんだ?」

「わからない」

「わからないってことは、ないだろう。自分の目だろ?」

「私の目じゃないです」目を閉じても、視界は闇に閉ざされることはない――電脳を介して駆け巡る情報が、視神経にまで作用して、ちらちら明滅する。「――眠らされている間に、勝手に目玉をくりぬかれて――それだけじゃない――頭蓋骨を切り開かれて、脳味噌を取り出された。新しい、合金製の頭蓋骨に脳味噌を収められて、端子を何千個も突き刺されて……この〈目〉には、見たくないものが見えるんです」

 主人は、ふん、ふん、と頷いていた。

「目の前にあるものが、本当にそこにあるのか分からないんです。空から、何気なく降ってくる雪の小さな粒だってそう――この〈目〉に映る、ほんの小さなノイズと何も変わらない……触ってみて初めて、それが雪だってわかる。でも、触ってみようと手を伸ばすのだって、こわいんです。それが、本当にそこになくて、ただ、目に浮かび上がるだけのものだったら、どうしよう?」

 もぞっと、服の袖に隠れた手首のあたりに、花菱が首をもたげているのを感じた。主人は、孫から難しい話を聞かされるような顔をしていた。こんなに人に、不安を吐露したのは初めてだった。ほんとうに小さいころ、まだ本物の目でものを見ていた頃に三度、会ったきりの祖父を思い出した――そのあと、すぐに死んでしまったけれど。

「触ってみて、雪が本物かどうか、分かるのかい?」

 主人の目は、真っ直ぐ、こちらを射抜いていた。若々しい光があふれていた。

「どういう、意味ですか」

「本物っていうのは、その時、その時で変わるもの――わしが子どものころに暮らしていた京都の町は、もう、どこにもない。けれど、今はこの町が、あたかも本物の京都のように扱われていて――お嬢さんのように、伝統的であるとされる服を着ている若者が、当たり前のように町を歩いている」

 まあ、と主人は立ち上がり、

「だんだん、わしの身体も、思うように動かなくなってきた。時代を感じるよ」

 日本茶を飲みながら、主人の顔のしわを、じっと見ていた。遠くから、からん、からん、と路面電車の音が聞こえる。

「ごちそうさまでした」

 主人は振り返ることなく、店の奥に消えていった。気が付くと、地平線の向こうに夕日が沈んでいくところだった。古めかしい京都の町が、赤く染められていた。



   ○



 家に帰ると、出迎え用のガイノイドが玄関で待ち構えていた。

「お帰りなさいませ、浅葱さま」

 質素な、薄緑色の和服に身を包んだ彼女を尻目に下駄を脱いでいると、次の一言で私を憂鬱にさせた。

「ご主人様と奥さまが、居間でお待ちしております」


 父さんは黒い着物姿で、どっしりと構えていた。母さんも同様だ。今日もどこかへ出かけていたのだろうか、よそ行きのための、慎ましくも華やかな赤い服を着ていた。

「浅葱。ずいぶん会っていなかったね」父さんが白いひげを、太い指で撫でた。「私が留守の間も、元気にやっていたかな?」

「まあ、それなりに」下座に着くと、奥の厨房からガタガタという慌ただしい音が聞こえてきた。母さんが笑った。

「最近、貴女はずっと部屋にこもっているか、どこかへ出かけているかだもの――御花槌さんの所へ行っていたの?」

「はい」

「お前には済まないことをしたと思っていた――会社のためとはいえ、お前の意志とは無関係に決められた縁談だったからな……だが、彼とうまくいっているなら、何よりだ」

 私の腕を伝って、花菱が畳の上に降りた。父さんが指を鳴らすと、身体を器用にくねらせて花菱がその音の鳴るほうへ向かって行った。

「花菱、娘のことをきちんと見てくれているようだな。助かっているよ」

 花菱は答えなかった。ただ、父さんの差し出す指先を、軽く甘嚙みしていた――なにかの情報でも交換しているのだろう。厨房から、同じ顔をしたガイノイドたちが次々に料理を運んできた。白く盛られたご飯と、湯気の立ちのぼる味噌汁、緑色の野菜炒めと、銀色に光る魚の切り身と。

「浅葱さん」母さんが私をこう呼ぶときは、いつも改まった態度で、それらしい話をする時だ。「最近――〈目〉の調子はどう?」

 箸を取ろうとした私の手が止まった。そんなことを聞かれるなんて、思っていなかったから。

「どう、というのは、どういう意味ですか?」

「もう、その〈目〉にしてから、三年経つでしょう? そろそろ、調子を見てもらった方がいいと思ってね」

「そういえば、もう、そんなに経つか」

 父さんは相槌を打ちながら、右手をこまねいて、早く食べよう、という仕草をした。母さんがそれを見て、しぶしぶ食事を口に運び始める。私は、自分の〈目〉について、両親が口を開く瞬間をはじめて見た。

「調子を見てもらうって、どこで……」

「明日の午後に約束を取り付けてあるわ。行ってらっしゃい」

「それは、誰なの?」

 思わず、強い言葉が出てしまった。父さんも母さんも、驚いたように私のことを見ていた。父さんはなにも言わず、味噌汁の茶碗を口に運んでいた。母さんは勿体ぶって咳払いをしながら、

「貴女の、その〈目〉を作った方よ」

「だれなの、それは」

「明日、行けば分かるわ。ここから、そう遠い場所じゃない――それとも、御花槌さんと約束でもしていた? こちらから連絡を入れておきますから、心配しなくていいわ」

「どうして、今まで教えてくれなかったの?」

「だって、貴女は聞こうとしなかったんだもの」

 母さんの言葉に、私は耳を疑った。

「覚えている? 手術のために入院した病院から、貴女、すぐに逃げ出したの。まだ義眼と電脳の調整がすんでいない頃だったから、見つけた時にはもうふらふら……危うく工事現場の重機の下敷きになるところだったのよ」

 入院していた病院のことなんて、私はすっかり覚えていなかった。小さいころのこと――病気になって手術を受けた時のこと――思い返そうとするたび、脳がびりびりしびれるような気がした。

「病院に連れて戻ろうとすると、貴女は凄い剣幕で嫌がって――お父さんの右腕は、その時、暴れた貴女が車に轢かれそうになって、それを庇ったときに……」

「よさないか」

 父さんの表情は、穏やかだった。

「せっかく、久しぶりに家族三人で食卓を囲んでいるんだ。辛気臭い話は無しにしよう」母さんは、しゅんと肩をすくめた。その後、父さんは私に向き直って、「浅葱、行けば分かる。詳しい行き先については花菱が知っている。明日、会って挨拶をしてきなさい。そして、今はゆっくりと食事を楽しもうじゃないか」

 私がうなずくと、母さんもようやく、ほっとしたような表情を浮かべた。そして、ゆっくりと、最近の会社がどうだとか、風祭の家がどうだとか、私の結婚式や新居はどうだとかいう、本当に他愛のない、結婚を控えた娘と、その両親の囲む食卓を過ごした。私はゆっくり、ひと口で何百回も物を噛みながら、ゆっくり、ゆっくりと嚥下し続けた。話の内容なんて、ほとんど頭に入ってこなかった。でも、久しぶりに母さんや父さんとする食事は、確かに、ひとりでガイノイドたちに囲まれて摂るそれよりも、ずっとおいしい気がした。



 食事を終えて部屋に戻ると、すぐに囲炉裏(イロリ)を起動した。〈(キョウ)〉に没入しようとすると、花菱が私を咎めるように、首に絡みついた。

「明日もまた出かけるんだろう?」

「昨日、ゆっくり寝たから大丈夫。今日くらい、夜更かしをしても」

「そうじゃない――今日のことで、君の電脳と身体は疲れている。これ以上、脳に負荷をかけたらいけない」

「それは、父さんに言われたからそう言ってるの?」

「そうじゃない。浅葱のことを心配して言っているんだ」

 心配――その言葉を聞いて、私は思わず肩を震わせて笑ってしまった。そんな機能なんて、搭載していないくせに。

「分かった――日付が変わるまでには、戻る。約束する。だから花菱、あなたもついてきて」

「また賭博場に行くんだろう?」

「そうよ」

「御花槌には、もう話したのかい」

「まだ――でも、きっと許してくれる。そんな気がするの」

 鉄瓶から伸びる端子を、うなじに突き刺した。視界にノイズが走り、次の瞬間には、魂が肉体から離脱して風と風の間を揺蕩うような、不思議な浮遊感に包まれた。



   ○



(キョウ)〉は、現実の京都を模した理想都市として構築された、仮想空間のコミュニティ・フィールドだ。町並みや、感じられる景色は、まるで古い屏風に描かれた洛中のようにのっぺりとしていて、そこに没入している人間たちの姿も多種多様だった。現実の京都のように、着物や和装に身を包んでいる者もいれば、西洋風の人形のようなドレスを身に着けている少女、古めかしい甲冑に身をやつした老人などがいる。

 意識が覚醒すると、私は水色の海軍服を着た、ごく普通の女子学生のような格好をしていた。その隣には、派手な赤い袴と、煌びやかな髪飾りをつけた、妖艶な美女の姿があった。肌は白く、うっすらと頬に差す桃色と、真っ赤な唇が、まるで作り物めいた美しさだった。

「いつの間にそんな姿に?」

 私が笑うと、花菱は袖を口元に運んできて、くすくす笑った。

「たまのお出かけだもの。おめかししなくてはね」

 真っ先に賭博場に足を運んだ。扉を叩いてエントリーしようとすると、からくり人形を模したセキュリティが私に割符の提示を求めてきた。何も言わなくても、花菱が裾から割符を取り出して押し付けるように示すと、扉が開かれた。私が入っていくと、顔見知りが何人か声をかけてきた。

「今日も来たね。何をする?」

「将棋――空いてる席、あるかしら」

 指で指示された席には、屈強そうな上半身の大男が座り込んでいた。私が対面に座ると、彼は強面な姿に似合わない、恭しいお辞儀をした。

「ここに来るのは初めてでね。よろしく頼むよ」

「よろしくお願いします」

 花菱はふらふらと、どこかへ歩いていく。ひらひら手を振る姿は、とても色っぽかった。ここは仮想空間のはずなのに、思わずドキッとしてしまった。

「あの女性は、貴女の連れですか?」

「まあ、似たようなものです」

 機械で自動的に、先手と後手が決められる――男が一打目を打って来た。互いに角道を空けて、様子を伺いあう。相手は飛車を四筋に降り、王将を早くも囲いのほうへ移動させ始めた。私の脳裏には、御花槌さんの顔が思い浮かんでいた。

「うむ……」三十手ほど突き合せた辺りで、男が腕を組んで唸った。瞬きが多くなり、目の中で火花が散るような光が弾けていた。思案に暮れているようだった。「どうすればいいだろうか? ……うむ、これを……こうして……うむ」まるで誰かと会話をしているようなひとり言が漏れた。もしかしたら、電脳を介して視覚を共有している何者かと相談しているのかもしれない。別に、ここでは禁止されていることではない。むしろ、公平な条件として認められているのだ。

 悩みに悩んだあげく、彼はこちらの陣地に銀を打ち込んできた。そうくるか、と思わせる手で、私は思わず虚を突かれたが、必死に考える。どのように打つと、どのような手が返ってくるのか――これを考えるのは、機械に任せるわけにはいかない。自分で答えを見つけだすことが、快感なのだ。

 私は、お金を稼ぐためにここに来ているのではない。

 より高度な勝負を学びたいから、ここに入り浸っているのだ。たぶん花菱は、私のそういう考えを分かっていない。あいつは元々が機械だから……

「王手」

 金を王将の隣に打ち込むと、相手はやってしまった、という顔をして、

「参りました」

 私の手元に、黒い木で作られたチップを五枚、置いて去っていった。それから私は、全部で彼を含めて四人と盤を挟んで向かい合った。三勝一敗で、チップは手元に十二枚残った。私を負かしたのは、私と同じくらい若い少女の姿だった。でも、一枚しかチップを取っていかなかったので、これだけの数が残ったのだ。

「あの人には、いつか必ず勝ちたいな」

 机の横の機械を叩くと、今日、この盤で行われた私の対局四回分の棋譜が吐き出された。電脳にインストールしていると、肩を叩かれる感覚。

「そろそろ、日付が変わるよ。部屋に戻ろう」

 花菱の手には、竹で編まれた籠が抱えられていた。そこには、溢れんばかりの何十枚もの木のチップが、なみなみと積み上げられていた。

「そんなに勝ったの? 何をしたの」

「花札――頭を使うのは、得意でね」並んで出口近くの換金所へ歩きながら、花菱はけらけら笑った。「ああ、楽しかった。たまにはこういうのも悪くないもんだね」

「あれだけ、私のことをこき下ろしていたくせに」

「ごめんよ。浅葱の気持ちが、ちょっとは分かった気がするよ」

 換金所で、チップを電子貨幣に換金し、私的口座に振り込んだ。花菱の分も、私の価値分として入金されていた。

「こんなにお金を持っていても、仕方ないよ」

「君もこれから、人の妻になるんだ。覚えておきな」花菱はどこから取り出したのか、白く細い指先で、派手な柄の扇子を広げながら、「だれかに会いに行くときに、菓子折りのひとつでも持って行かないとね――お店の情報は既に取得してある。明日、行きがてらにでも買いに行こうじゃないか」



   ○



 次の日はすっきりと目が覚めた。よそ行きの赤い着物に袖を通し、お気に入りの下駄を履いた。父さんと母さんは、もう家を出てしまったようだった。赤い番傘を持つと、その中に滑り込むように花菱がにょろり、と首をもたげた。

「路面電車に乗って、まずは朱雀通りを通って行こう。その途中で、とてもおいしいお饅頭のお店があるんだ――そこで買い物をして行こうじゃないか」

 花菱がやけに上機嫌なので、空がもっと透き通って見えた。

「花菱――これから会いに行く人のことを知っているの?」

「ご主人様から情報をもらったからね」

「いったい、誰なの?」

「会いに行けば分かるって、昨日言われただろう?」

 路面電車の駅には、私と同じように出かけようという人の姿がちらほらあった。今日は日曜日で、天気もいい。石畳を走る電車の、からん、からんという鈴の音が聞こえてくる。

「ふっと消えたりするような人じゃないだろうから、大丈夫さ。それに、君の〈目〉の調整をしてくれるんだろう? いい事じゃないか」

 乗り場に滑り込んできた電車に乗り込み、扉の近くの手すりに掴まった。明るい鈴の音と共に、電車が緩やかに動き出す。窓の外を掛けていく京都の町並みは、冬の日差しに照らされて、透き通っていた。でも、昨日見たような残雪は、すっかり消えてなくなっていた。

「まるで、雪が降った事なんて嘘みたい」

「今の京都じゃ、雪が降るだけでも、そうとう珍しいことさ。たとえ積もったとしても、一日や二日で融けて、消えてしまうよ」

 右手の感覚。私は確かに、空から降ってくる雪に、この手で触れた。もし、それも嘘だったとしたら――電脳が見せる錯覚だとしたら。そう思うと、たまらなく、落ち着かない気持ちになった。

「元気を出せよ。義眼の調整をしてもらえば。浅葱のその不安も晴れるさ」

 次に停車した駅でいったん降り、花菱の言う菓子折りを買いに行った。たかだか路面電車で何駅かの町でも、だいぶ毛色が違っていた。ここには女学校でもあるのか、黒い海軍服を身に着けた、若い少女たちの姿が目立った。ほかにも、教師と思しき洋装の男性や、ドレスに身を包んだ女性――和服姿の私は、かえって目立っていた。石畳で下駄が鳴る音を、出来るだけ抑えて静かに歩いた。

 くだんの和菓子屋は、路地を入った影に、ひっそりと隠れるようにあった。扉を開くと、十歳にも満たないような小さな女の子が出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」木の人形のようにぽっきりとお辞儀をしたその首の辺りには、私のと同じように、端子を差し込むための穴がいくつか空いていた。その子は店の奥に向かって、「おばあちゃん! おばあちゃん! お客さまが、お見えになりました!」

 やれやれと腰を叩きながら、割烹着姿の老婆が現れた。白髪交じりだが、まだ若々しい姿を保っていた。

「おや……見ない顔のお客さんだねえ。はじめてかい?」

 うなずくと、にっこりと笑った。

「好きなだけ買っていきなさい」

「花菱、どれにしようか」

 にょろ、と番傘から首を出した花菱をみて、女の子がしげしげと唸った。

「おばあちゃん、蛇だ! 蛇がいるよ」

「噛まないから大丈夫だよ」にっこり笑うと、その子は品書きを眺める花菱の頭を指でぶにぶにとつついた。「お嬢さん、綺麗な目をしてるねえ――作り物みたいだねえ」

「作り物、なんですよ」

 私が笑うと、そうかい、そうかい、と老婆がうなずいた。とても緩慢で、落ち着かずにはいられない仕草だった。

「珊瑚――奥で待ってなさい。宿題が残っているだろう?」

 はあい、と女の子は返事をして、小さな足で駆けていった。


「あの子は、産まれる前に母親を亡くしているんだ」

 老婆は会計台に腕をついて、私に、故郷を求めるようなまなざしを向けた。

「あたしの娘さ。危険地域の放射能にやられてねえ……母親が死んだとき、胎児のあの子にも危険があった。寸でのところであの子を取り上げたところまではいいけれど、そのあとすぐに脳を取り出して、あの義体に載せかえられた――もう九つになる」

 花菱は傘の柄にぐるぐると巻き付いて、舌をぺろぺろ弄んでいた。

「生まれた時から、あの子はああだった。今では、まるでそうとは思わないように――生身の女の子たちと、なにも変わらないように、ああやってはしゃぎまわっているんだ」

「私も、一見して義体には見えなかったです」

「珊瑚の身体は、最初から作り物だ。けど――」じっと、老婆は私の目を見た。「あんたのそれは、違うんだね?」

 どきっとした。「どうして、分かったんですか?」

「年寄りを馬鹿にしちゃいけないよ? 確かに、あたしの目はだんだんぼけてきてる。老眼鏡なんてものを作れるのは、ここから十分くらい歩いた、長村さんだけさ――そこのじい様も、老眼鏡をかけて老眼鏡を作っているくらいだ。あんたみたいな子が、あたしくらいの歳になるとき――老眼鏡なんてものは、きっと必要なくなっている」

 でもね、と立てた指の先には、白い粉がたくさんついていた。

「新聞も読めないこのあたしの目には、きっとあんた達には見えないものがたくさん見えている」

 うん、うん、と、目尻にくしゃっとしわを浮かべて笑う彼女は、とっても可愛らしい、小さな少女のようだった。

「この、お饅頭の詰め合わせをください」

「はいよ――いまからとってくるから、ちょっと待ってるんだよ」

 のしのしと、老婆は奥に引っ込んでいった。手近な木の椅子に座って待っていると、奥からきゃっきゃっと、珊瑚ちゃんが笑う声が聞こえてくる。

「私は、おばあちゃんに会ったことはないなあ」

 花菱がそうだね、と、傘の中でつぶやいた。

「ご主人様のご両親は、君が生まれる前に亡くなられている。奥さまの母君も、同様にね」

「会ってみたかった」

「記録なら、残っているよ――見てみるかい?」

「画像ファイル?」

 花菱がうなずくので、私は首を振って拒否した。

「それだったら、いらない」

 やがて老婆が、上等な紙袋に包まれた詰め合わせを持ってやってきた。

「はい、三六〇〇円だよ」

 換金した電子貨幣で支払うと、彼女はにっこり笑った。

「あんたの目は、やっぱり、とびきり綺麗だねえ」

 またおいで。

 その言葉にうなずいて、私はお店の外に出た。



   ○



 路面電車に揺られて、四十分ほど。

 京都の町と、外の町とのちょうど境目の辺りに、花菱の言う目的地はあった。私は右手に菓子折りの入った袋と、左手に傘を握って、緊張しながらその前に立った。そこは、のっぺらとした漆喰の壁に囲まれ、石塀と水の流れる堀に囲まれた、まるで武家の屋敷のような場所だった。入口の門にも、瓦と金で質素な力強い装飾が施されていた。

 鉦を鳴らすと、扉は勝手に観音開きに、私を招き入れてくれた。

 静かな場所だった。芝は短く刈り込まれ、石畳に私の下駄が鳴る音だけが響く。道に沿って歩いていくと、屋敷の入り口に辿り着いた。

「ごめん、ください……」

 扉を開けてそう呼びかけると、奥から長い髪を結い上げた、私よりひとつかふたつ、年の小さな男の子が掛けてきた。

「どちらさまですか?」

 不愛想な挨拶だった。

空宮浅葱(そらみや あさぎ)です。昨日、母から連絡が……」

「ああ――空宮さんですね! どうぞ、奥にお入りください」

 その通りに傘を置いて、下駄を脱いだ。するりと、花菱が器用に私の袖に入り込んだ。案内をしてくれた男の子の首の後ろにも、同じように端子を差し込む穴が開いていた。



「ご主人様」

 屋敷の一番奥の扉を開くと、そこは外見に似つかわしくない、消毒液の匂いの立ち込めた、病院のような部屋だった。壁は白く、清潔に過ぎる。そこに座っている人間の姿を見て、私は驚いた。

「花菱……?」

「おや、早かったね――浅葱」

 そこに座っていたのは、仮想空間で見た、花菱の姿そのものだったのだ。白い肌に、妖艶な目元。ただし、服装は豪勢なものではなく、質素で清潔な白衣だった。

「伊介、下がっていなさい」

「はい」

 男の子は扉を閉めて、どこかへ駆けて行った。袖の下から、にょろり、と花菱が顔をのぞかせた。

「いつもご苦労だったね、私」女性が蛇に言うと、蛇はするりと私の腕を抜けて、机の上に飛び乗った。

「だましてたのね!」

「人聞きが悪いな、浅葱。私とこの女性は、どちらも同じ――空宮花菱さ」

「さあ、座って」

 女性の花菱に促され、私は彼女の前に坐った。渡しそびれた菓子折りは、床にそのまま置いてしまった。

 蛇が机の上で、しゅるしゅるとぐろを巻いて眠っている。女性は、車輪のついた大きな器具を引っ張ってきて、私の前に置いた。

「義眼の調整だったわね? それじゃあ、ここに顎を乗せて。電脳の方もチェックするから、少し意識が飛ぶわよ。我慢してね」

 言われたとおりにすると、硬いベルトで頭を固定された。ふたつの目の前に、レンズのついた器具が覗きこむ。首の後ろに、フェルト地のような器具が当てられたと思うと、次々と端子がうなじの穴に突き刺さる感覚。

「はい、終わり」

 次の瞬間、その声と共に私の意識が覚醒した。

「もう、終わりですか?」

「あなたの認識だと、たぶんそうね。でも言ったでしょ、意識が飛ぶからって――」頭に取り付けられた器具を外され、首の自由が元に戻る。部屋に掛けられた時計を見ると、もう二時間以上も経っていた。

「流石に、放置し過ぎね。いくつか、不具合が見つかったわ。内と外の両方にね。だから、新しい義眼に交換したわ」

「えっ?」

「でも、機能自体はそれほど変わらないから、安心して――鏡、見る?」

 差し出された化粧用の手鏡を見ると、それまでの私と、なんら変わらない顔がそこに浮かんでいた。心なしか、視界がふわふわと、まるで水の中にいるように輪郭がおぼつかない。

「一時間もすれば慣れるわ。電脳との同期も、すぐに完了する。これからは、定期的に献身に来てね?」

「あの、」

「君の言いたいことは分かるよ」机の上から蛇が言った。「私と、この女性のことを知りたいんだろう? 説明してやってくれよ」

「私がか。一応、私と浅葱はほとんど初対面なんじゃないかな?」

 と、言いつつも、彼女は椅子にゆったりと座って、白衣の裾をゆらめかせた。

「改めて、自己紹介だ。私は空宮花菱(そらみやはなびし)――君の従姉妹だ。歳は二十四」

「いとこ?」

「君のお父さんの弟の娘。貴女の父親は、本家とは縁を切っているからね――たぶん、貴女の両親は、私と貴女が親戚だってことを知らない。花菱という名前も、聞き覚えのないものとして認識されているはず」

「じゃあ、この蛇は……?」

「元々は、貴女の父親が用意した動物型情報端末。そこに、私が自分の人格情報を、こっそり打ち込んだの。だから、その蛇も花菱。三年近く全く別の生活を送っていたから、ほとんど別の個体と言ってもいいだろうけど」

 蛇はとぐろを巻いて、なにも言わない。私は、目の前の女性――花菱に問いかけた。

「花菱――さんが、私にこの〈目〉を作ったんですか?」

「ええ、そうよ――貴女が病気になって失明するって言って、運び込まれてきたときは驚いた。私だけが、自分の従姉妹だっていうことを、前もって聞いていたから知っていたけれど――貴女の瞳は、とっても美しかった。名前の通り、浅葱色の、綺麗な目をしていたのよ」

 それを離しているときの花菱さんは、とても、悲しそうな表情をしていた。

「だから、負けないくらいの美しさを持つ義眼を作ってあげようと思った。だけど、貴女はそれが気に入らなかったみたい――病院を抜け出して、私の顔を見ようともしなかった」

「それは……違うんです。私はただ、怖かった――自分の目に、本物と偽物がぐるぐる混じり合った景色が浮かんでいるのが、怖かったんです。空に浮かぶ星、落ちてくる雪、聞こえてくる不思議な鳥の声……何が本当で、何が電脳の見せる幻なのか、それが分からなくて、混乱して……だから、花菱さんのことが嫌いになったわけじゃない」

 花菱さんは、うんうん、と頷いた。私はそれ以上、言葉が継げなかった。

「こう、考えてみて」花菱さんはやがて微笑んで、「確かに、貴女の〈目〉には、実際には存在しない、電子情報が見えるようになってしまっているわ。でも――じゃあ、本当っていったい何だと思う?」

「ほんとうって?」

「例えば、空から落ちてくる雪……じゃあ、雪って何? 手で触って、冷たければ雪なの? 本物の雪って言うのは、冷たくて、白くて、触るとじゅっと融けてしまう……そういう情報を持った物質なの」

 情報――その言葉が私には、どうしても受け入れられないような気がした。でも、花菱さんは指を組みながら、続けた。

「本物と偽物の区別なんて、必要ない。見たものを見たまま受け入れる――それは怖いことかもしれないけれど、とても大事なことよ。空に浮かぶ星なんか、そう。見えているからって、触れるとは限らない。星って言うのは、夜の空に浮かんでいる、小さな光のこと――それだけで十分よ。ほんものか、にせものかなんて、誰にも分からない。貴女の悩みは、ひとりで抱え込むようなことじゃないわ。誰もが感じている、誰もが不安に思っていること」

「花菱さんも?」

「もちろん――でも」そこで花菱さんは、おっとりとほほ笑んだ。「貴女の〈目〉は、誰にも負けないくらい綺麗よ。それに、貴女も綺麗。浅葱――もっと、自分の世界に自信をもっていいのよ?」

 それきり、花菱さんは難しい話をすることをやめた。

「何か、甘い匂いがする……それ、お菓子でも買ってきてくれたのかしら?」

 花菱さんはおもむろに立ち上がると、床に置いた紙袋を手に取って部屋を出ていった。私も慌てて立ち上がり、客間のような場所に案内された。そこで、さっきのお手伝いの男の子と、花菱さん、それから私の三人で机を囲み、お茶の時間となった。

 深く込み入った話はしなかった。お手伝いの伊介という男の子が、いつもお皿を割ってばかりで困っているとか、最近は仕事がだんだん増えてきて大変だとか、そういう、他愛もない話をした。一時間ほど経って、美味しかったお饅頭を全て食べ終わったころに、私は帰ることにした。

「またおいで。義眼の調整じゃなくてもいい、ただ、遊びに来てもいいのよ。浅葱」

「また来てよ!」

 二人に見送られて、私はなんだか新鮮な世界を、下駄を鳴らして歩きだした。

「随分、機嫌がいいね?」

 蛇の花菱が、傘の柄ににょろにょろ絡みついて、私に言った。

「どうだい、新しい義眼の調子は」

「うん――大丈夫」

 私は電脳通話を開いた。そして、路面電車の発着駅に向かって歩き出した。



   ○



「こんな時間に、どうしたんですか?」

 御花槌さんの家を訪れた時、すっかり陽が沈んでいた。彼は嫌な顔一つせず、ただ、会いたいと言った私を受け入れてくれた。彼の部屋にあげてもらうと、縁側に並んで座った。

「私、御花槌さんとの婚約を、嫌だって思っていた時もあったんです」

 彼はなにも言わなかった。

「御花槌さん、覚えていますか――最初に会ったとき、あなたは私の目を、綺麗だって言いました。それが、ずっと嫌だった……だって、目は私の身体の中では、唯一、生まれ持ったものじゃなかったから。でも、今日、ちょっとだけ――ちょっとだけ、そのことを前向きに考えられるような、そういうことがあったんです」

 並んで座っていることが、急に気恥ずかしくなってくるような、そんな言葉が私の喉から漏れ出た。

「親同士が決めた婚約でも、私は幸せになりたいです。あなたと一緒に」

「同感です――」御花槌さんも、そう言って笑ってくれた。「でも、これは譲りませんよ。貴方の〈目〉は、とても綺麗です。作り物だからじゃない――貴女の、浅葱さんの目だからです」

「思ったより、強情な人なんですね!」

「失望しましたか?」

「いえ――ぜんぜん」



 家に帰った後、蛇の花菱と一緒に、私は窓から外を見ていた。夜の町は慌ただしく、火が煌々と焚かれ、どこからかどんちゃんという合奏、大きく歌う声が響いてくる。

「つきものがとれたみたいだ」

「そうかしら」

「今日は、賭博場にはいかないのかい?」

「今日は、いい――明日は行くかもしれないけれど、今日はこのままがいいの。こうして、景色を見ていたい気分」

 花菱がにょろ、とからかうように、私の指先をかじった。

「随分、歯の浮くような言葉だったね」

「いいでしょ。婚約者だもの」

 将来、結婚し、正式に夫婦となって――

 それで私の役割は終わる。風祭家と空宮家の繋がりが生まれ、父さんたちの事業が上手く働くことだろう。そして、私は風祭御花槌の妻として、彼の子を産むことになる。それが、彼が私と結婚した意味なのだから。

 何もかも、決められた人生でも、不思議と私の心は曇っていなかった。

「あっ」

 思わず声が出た。空から、ひらひらと雪が舞い落ちてきていた。寒空には満天の星が浮かび上がり、まるで、星が空から落ちてくるようだった。

「今日も雪か――」花菱の赤い目が、ぱたぱた瞬いた。「ああ、今夜は冷え込むみたいだ。明日にはどっさり積もっているかもしれないね」

 夜風にこごえないように、私は窓をしっかりと閉じた。風に揺られる雪の粒を、いつまでも、いつまでも眺めていた。

最近SFしか書いていないので、どうしてもこうなってしまいました。

この挿絵の女の子を見て、どうしても、目の中の青い色が気になったんです。もしかしてこの子には、目に見えていないものが見えているんじゃないかと。

蛇も雪も女の子も、きちんと登場させることが出来ました。よかった。

ここまで読んでくださった方、そして主催のさやのんさん、イラストの雪解つる木さん、改めてお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

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