序章・始まりの車両
この列車は、どこまで続いているんだろうか…―――
白と黒のモノクロの世界。
ガタン、ゴトンと揺れながら線を走る。
見えない終着点を目指して。
黒い太陽が強く照り、あいつらの鳴き声はこの暑さを色づけるようで。
ふと、カンカンカン、とけたたましい警報音が鳴った。
それに合わせるようにして、相も変わらず白と黒の遮断桿が下がり始めているのが見える。
そう。下がり始めていたんだ。
なのに、俺は見てしまった。
白く描かれた車が、人を乗せたまんま突っ込んでくるところを。
はっと息を飲む。
「ねえ」
「なんだよ!」
つい声を荒げてしまった。
声の主も確認しないままで。
あ、と咄嗟に口を抑えるも、瞬時先ほどの光景を思い出し、それを免れるかのようにギュっ、と固く目を瞑った。
しかし、衝突した時の振動さえなければ音も何もない。
かわらず流れるのは、警報音だけだ。
「君、何をしているの?変な子…」
くすくすと笑い声が聞こえる。先ほどの人物だろう。
話しかけてきた人物を今度は正面から見つめた。
「やっと目、合わせてくれたね。」
聞いていた高音では予想もできない長身。
黒い短髪に深くニット帽を被り、まるでそれらを打ち消すかのような、悪戯が成功した子供のように笑う愛らしい顔と雰囲気。
心の奥が、スウ、と溶けていく感じがした。
「僕は誰でしょう。」
「はあ?」
満面の笑みのままでされる突拍子もない質問に、間抜けな声がでる。
相変わらず、車内は静かだ。
なんせ、乗客は俺だけだったはずだから。
「君は僕を知らない、でも、僕は君を知っているよ。」
「どういう意味、ですか?」
丸く弧を描く口に人差し指で「静かに。」というジェスチャーを伝える。
それに答え、こくりと頷くと、彼はまたにやりと笑った。
「君が、殺人犯だっていうこと。」
あいつらは、この暑さに腹を立てているんだ。
そうでなければ、たかだかメスの気を引くためにこんなに騒々しく鳴けるものか。
鼓膜に張り付いたあいつらの鳴き声が離れない。
そうやった俺の思考回路を見下すように、再び、やつは笑った。
***
列車は走り続ける。
何も知らない、俺を乗せて――――
「なあ、本当に信じていいのか。」
「さあ。僕はただ、秘密を守ると言っただけだよ。」
俺が問うと、やつは答える。
俺が問うと、やつは笑う。
なんなんだろう。
頭に焼きついたまま離れないあの白色。
やつのせいでどうなったのか知らずじまいだ。
首を回して、窓の外を眺める。ぽき、と首関節に溜まった空気が弾けた。
目に見える景色は田園のみ。
視力のいい俺でさえ、遠くに町並みが霞んで見えるだけだ。
永遠と続き、変わることのないそれには、変な気分にさせられる。
そして、ふと思った。
「俺、いつから列車にいるんだっけ?」
夕日なのか朝日なのか分からない光が、眩しく車内を照らす。
ガタンと揺れたと同時、俺の対面に座っていたや(、)つ(、)が立ちあがった。
突然のことにビクリと反応する。
すると、やつは俺の目の前までゆっくりと歩いてきて口を開いた。
「君、覚えていないの?」
はじめて、やつ――否、彼と目をじっくり合わせたかもしれない。
綺麗な、吸い込まれるような黒だった。
「覚えてないも何も…。」
嘲笑気味に答える。
目を見開いて、彼は続けた。
「僕、ううん。私だよ、ゼン。」
「名前、なんで…」
「私はユカリ。一緒に、帰って来たんだよ!もう、自由なんだよ!」
彼と思っていた人物が、私と自分を呼ぶようになったこと。
俺を知っているような口調に変わったことに、俺は唖然と口を開けていた。
目を潤ませながら、自らが「ユカリ」であることを懸命に伝えようとする彼女をぼう、としながらと見つめる。
なんでこの人は、こんなに懸命なのだろうか。
ああ、俺はなんでここにいるんだろう。