20話
20話
「またかい!?」
「ああ‥‥‥‥」
「それにしちゃ、あの子なにもいってなかったじゃないか」
「まあ、扉越しに睨んで追い返したからな」
「なにやってんだい!畳んで捨てちまえばいいんだよ!!」
「‥‥‥馬鹿いうな」
「なにが馬鹿なのさ!」
「そんなことしたら俺があの子に怖がられるだろうが」
「あきれたね、そんな理由で悪い虫を逃がしたのかい」
「顔は覚えた、次はないさ」
「そう願うよ、なにかあってからじゃ遅いんだからね」
「ああ」
楽しいランチを過ごしてから少女が2階へ上がっていった後に、薬屋の夫婦の間ではこんな会話が繰り広げられていた
可愛い愛娘と公言して憚らないあの子の店番する姿をこっそり覗こうと、配達を終えて帰宅し静かに扉を開けてみれば、どこぞの馬の骨が愛娘に手を伸ばしていた
地獄の鬼も裸足で逃げ出すと言われた強持ての自分の顔が怒りに染まって、殺意をもって睨み利かしたのだ
冷や汗を通り越して脂汗が全身から噴き出していた
次に見かけたときにキッチリ脅しをかければ、もう愛娘に悪さをしようとは思わないだろう
微かにでも愛娘への執着が残っているようなら、アヴィニヨンの崖から奈落の川底に捨ててしまえばいい
これまでも、いったいどれだけの馬の骨を葬ってきたか知れない
ある日は店の中で、また別の日は配達の途中で、またまた別の日は薬草採集の真っ最中に、またまたまた別の日は夜這いをかけてきた阿呆もいた
アヴィニヨンの街中では薬屋の夫婦を中心とするアヴィニヨン商工会ギルドが身辺警護を請負い、街外では冒険者の仲間たちが護衛についてくれているからそっちに任せている
あの子は人の悪意だとか害意に対する察知能力が極端に低い
良く言えば純真で清らかといえるが、悪い見方をすれば単純で能天気だ
放って置けば一日と持たずに悪意を持って近づくモノの餌食になるだろう
それは人かもしれないし魔獣かもしれない
冒険者であるならば魔獣と戦う危険は致し方ないのであろうが、世の男どもの爛れた思惑になど晒して堪るか!というのが、薬屋の夫婦の想いだ
しかし今更ながら思うのだが、2人の少女が必死に頑張る姿をみて思わず手を差し伸べた自分はなんと素晴らしい判断をしたのだろうかと自画自賛したくなる
決して不幸ではなかったが、毎日が楽しかったわけではなかった日々
ただ静かに夫婦で時を過ごし、ささやかな趣味であった紅茶を夜に2人で嗜むのが楽しみといえなくもなかっただろう
そんな毎日は、2人が家にきてからというものガラリと変わった
気づけば女房の顔には笑顔が浮かんでいることが多くなった
やれ2人がどうしただの、こんな会話をしただの、一緒に買い物にいっただのと飽きもせずに話し続けた
それを聞く自分はといえば、悔しさと羨ましさによるストレスで胃に穴があく直前だった
顔が怖くて身体が人一倍デカイために、中々2人に懐かれるまで時間がかかってしまったのだ‥‥
それが今ではどうだ?
笑顔で帰宅を迎えてくれるし、仕事帰りや力仕事の後には冷たい飲み物を手渡しでくれる
配達の馬車などは最高だ
荷馬車の揺れに慣れないあの子は、俺の腕にしがみ付いてくるのだ!
乗り降りも難しい為に俺が身体を持ち上げたりしてやっている
まさに至福の時といっていいだろう
女房のやつは一緒に風呂にいったり服やらアクセサリーを見に行ったりと、女性同士ならではの楽しみをもっている
一度くらい背中を流して欲しいものだが、口に出していえば首が飛びかねないので、そっと心の中にしまっておく‥‥
前にいちど冗談で
『どうだ、たまには俺とお風呂にはいるか?』
と聞いたことがあった
120%冗談で、顔を赤らめるか慌てるかすると思っていたあの子は、別段気にする風でもなく頷いたものだから、俺たち夫婦が慌ててしまった
その後、女房に8発は拳骨くらったものだ、アレは痛かった‥‥
奈々曰く『女の子としての自覚が足りてない』のだそうだ
まさか、他の男に言われても頷くんじゃあるまいな!?と、あの子に問いただせば
『おじさん以外の人とはヤダもん』
と、ちょっと恥ずかしそうに言われ脳ミソが破裂しそうになった
その後なぜか女房に2~3発拳骨くらったものだ、なぜだろう‥‥?
と、昔の思い出に浸っていたら2階からあの子が降りてきて、奈々が出張っているギルドとやらにいくという
なんでもライの元気が有り余っているから狩りか薬草採集に散歩がてら出掛けるのだそうだ
まだ日も高いし『暗くなる前には帰ってくるんだよ』と言いつけていつも通りに見送って送り出す
外扉に夫婦で並んで見送る俺たちを、なんども振り返りながら手を振ってくる
そうして道行く人に当たりそうになったり、転びそうになったり、進む方向間違えたりするあの子をハラハラしながら見送るこの瞬間が、たまらなく幸せだったりするのだ
そうしている内に徐々に姿が小さくなっていくあの子の後ろを、冒険者仲間の数人が付いていく
あの護衛は、あの子には内緒で行動しているのだそうだ
奈々からこっそりと聞いた話では、女性が必ず1人はいる護衛パーティーで、常時あの子をつけている
詳しいことは知らないが、難しいミッションをこなす為の報酬として護衛をつける権利をもらったらしい
まあ、そのおかげで劇的にあの子の身の回りの安寧は確保されるようになったのだから、我々としてはなにも文句はないのだけど
それにあの奈々が信頼して頼んでいるのだから、間違いはないのであろう
「さて、そろそろ午後の準備にかかるかね」
「ああ、そうだな」
「あんたは午後配達かい?」
「いや、あの子が戻ってきたら薬草採集についていくから、ひとまずは仕込みでもしてるさ」
「そうだね、しばらくしてもどってこなかったら仕込みのあと店番頼むよ」
「そうだな、今夜は久しぶりに魚を焼くか」
「あの子の好きな、アレだね」
「うむ」
薬屋の夫婦は外扉を閉めいつもと変わらぬ午後を過ごす
それは何ものにも変えがたい宝物のような時間
『あの子が帰ってくる家』
それに住まう幸せを今日もひしひしと感じながら夫婦は過ごす
『あの子の帰りを待つ為の時間』を‥‥‥
表通りを抜け、郊外へと続くなだらかな坂道を上っていけば、ラグナロクギルドのホームが見えてくる
アヴィニヨンからオーヴェルニュへゲートを抜け、ココまで歩いてくるのに30分はかかってしまう
あやにとってはこれだけで軽い運動なのだが、ライに至っては元気いっぱいである
『狩りにいける!』と身体中で喜びを表しているのは分かるんだけど、人通りが少なくなってからというもの落ち着きなく走り回っているのをみると、ついつい苦笑いを浮かべてしまう
ホーム入り口にはいつも通りに門番の当番であろう、冒険者の人が立っている
出入りするには、身分通行証を見せてギルドの一員であることを示さなければならないのだけど、俺と奈々さんはラグナロク所属ではないのだ
そこで宮島さんが俺たち2人だけ特例として出入りの自由を約束してくれた
奈々さんはものすごい美人で背も高くて2人といない大きな大剣を背負ってるし、俺は平均よりはちょっとだけ低い身長と珍しい召喚士でライを連れてるから、間違えられることはないだろうって言ってた
門番の人のそばまでくると、くいっと首をこちらに向けて俺を見てくる
大丈夫だと分かってはいても、怒られるんじゃないかと思わず下を向いてしまう
何度も来ているのだけれど中々に慣れるものではないのだ……
今日も咎められることもなく門を無事に通り抜け、目的の建物へと向かう
そこでは女性コミュニティ独自の依頼などを取りまとめていたり、コミュニティ内での物販もやってたりする
当初は宮島さんが発案して作り上げたらしいけど、いまでは女性陣の手によって運営がなされていて、ラグナロク所属以外のコミュニティのメンバーも多くが利用している
ちなみに、外部のコミュニティメンバーが出入りする際には、ラグナロク所属のメンバーの付き添いで内部に入ることができるのだ
「こんにちわー」
「あら、こんな時間にどうしたの?」
「あの、わたしでも参加できるパーティーあるかなーって……」
「うーん、もうお昼過ぎだし今は見当たらないかな。依頼も取り急ぎのモノは無かったわね」
「あう、わかりました……」
「ごめんねえ、午後だと遠出か泊まり込みの依頼が多くて」
「ですよね、いえ、こんな時間にすみませんでした」
軽くお辞儀をして依頼受付所を後にする
予想通りとはいえ、やっぱり参加できるパーティーはなかった
ギルド内での依頼なら色々とあるんだろうけど、コミュニティでの依頼となるとどうしても数に限りが出てきてしまう
かといって馴染みのない男の人と一緒にいるのは、ちょっと無理がある
ここはやっぱり一度家に戻って、おじさんと薬草採集にいくのが1番かな?と思案しつつラグナロクギルドを後にする
再び門を通り抜けると、門番の人から声をかけられた
「気を付けてな」
突然のことと、初めて門番の人に声をかけられたものだからビックリした
軽く会釈をしてそそくさとその場を後にしていると、ライが「グルルルルルル」と唸り声をあげ始めたから魔獣でもいるのかと周囲を伺う
………うぬー、街中だしいるわけないよね
誰にも見えないように木陰に隠れてからしゃがみ込んで、ライを撫でながら落ち着かせようと声をかける
「どうしたのー、なんかいた?ここは街中だから魔獣はいないと思うし、ラグナロクのホームだから不審者もいないハズなんだけど」
「わん!」
「もうだいじょうぶ?さっきはどうしたの?」
「くーんくーん」
「もう、なんだったのー?」
さっきまでの警戒感なんてまるで無かったかのように、尻尾をブンブン振り回している
ホントになんだったんだろう?
そんな思案顔の俺を急かすかのように、ライはゲートの方向へと歩き出そうとしている
はやく薬草採集に出かけたいのだろう、まったく!
やれやれと軽くため息をつきながら、アヴィニヨンへと戻るためにゲートの方へと歩を進める
もう日も登り切っているし、外に出ていられる時間もそう長くはないと思う
採集に必要な道具や荷物を頭の中で揃えながら歩くものだから、自然とその歩みはゆっくりしたものになってしまうのだけれど、ライがキャンキャンと吠えながら必死に急かそうとする様を見せられてはどうしようもない
「よーし、ライ!いくよー!」
1人と1匹は、青々とした空の下なだらかな坂道を駆け下りていく
まるでその行く末が光り輝くことを疑ってもいないかのように
暖かな風が心地よく吹き抜けては周囲に生い茂る木々を揺らす
そのすべてが少女とオオカミの旅立ちを祝福するかのように……
ベシャ!!
下り坂を駆け下りたものだから、足がもつれて盛大にこけた
とっさにライが身体を投げ出してくれたから顔が地面に直撃するのだけは避けられたけど
服も汚れたしヒザはすりむいちゃったし手のひらには血がにじんでる
結局テンションが奈落の底まで落ちてしまって、家に戻って薬を塗って安静にしましたとさ!




