19話
19話
「ただいまです」
店内へと続く木の扉を開ければ、忙しなくお客さんの対応に追われるおばさんが顔だけこちらに向けて出迎えてくれる
「おかえり、怖いことなかったかい?お昼は食べたのかい?」
早朝から薬草採集へと出掛け今帰ってきたトコなのだ
朝ご飯代わりのフルーツしか食べていないので、ふるふると首を小さく横に振る
「そうかい、一段落したらあたしもお昼にするつもりだったんだ、もう少ししたら下に降りといで」
そういいながら、にっこりと優しい笑顔を浮かべながらおばさんが言ってくれる
ひとまず採集で服も汚れているし、荷物も部屋に置きにいかないといけない
嬉しいお誘いに、笑顔で『うん』と伝えて2階の自室へと足早に駆け上がる
俺は少しだけ顔を覗かせて、おばさんとだけ目を合わせていたから気づきもしなかったけど、店内では数名の男達が『いいモノ見たぜ……』だの『通い続けて21回、笑顔なんて初めて見たぜ!』だの騒いでるなんて知りもしないことだ、ぺっぺっ
階段を駆け上り、2階の右奥がいまの俺の部屋
少し前までは『俺たち』の部屋だった
扉を開ければ、いつも気だるそうに寝っ転がっていた奈々さんの姿はない
荷物を棚に置いて、今では1人で使っているベッドに腰掛ける
2人のときはあんなに狭くて寝苦しかったのに、いまでは広すぎて寝付きが悪くなってしまったほどだ
その変わりといってはなんだけど、寝起きはすばらしく快適になったけどね
「ワン!」
ベッドに腰掛けているとヒザに前足を乗せたライが尻尾を振り回しながら顔を舐めてきた
ここ最近、キモチが沈みがちな俺をこうやって励まそうとしてくれる
嬉しくなってひとしきりじゃれ合っていると、心配気にノドを鳴らしながら顔を窺うようにライが俺の顔をまっすぐに見つめている
「そうだね……、ごめんね。1人じゃないよね、ライがいるもんね」
「クーンクーン」
ライをぎゅっと抱きしめてから、身支度を整えるために水桶で手足の汚れをキレイに落とす
それほどでもないけど、多少は砂埃などで汚れてしまった服を脱いでキレイなものに袖を通す
香料を髪に撫で付けて整え、『ドモホルン○ンクル』的なものを顔や腕に塗る
こういった基礎化粧品はコミュニティのみんなで、元々この世界にあったものを改良して作ったのだ
いまいち効果は体感できてないんだけど、コミュニティのみんなが
『あんたたちはそうやって若さで乗り切ってるつもりでもね、そのうちくるのよ!いつかくるのよ!今のうちなんだからね!』
『今からキチンとやっておかないと、いつか後悔する日がくるんだから!!』
肌ケアなんて気にしたこともない俺と奈々さんを捕まえて、恐ろしいまでの気迫で手入れの仕方をご教授してくれたのだ
あれは、ものすごくこわかった………、なにこのほっぺ!?とかいって数十人につねられたのはイジメだと思う
そういえば、いつも髪を1つにまとめて伸ばし放題だったのも怒られたっけ
教えてもらってるうちに今では色々な髪型でも1人でできるようになってしまった
なにせ、日が沈んでからは外に出ることもないし、おじさんとおばさんのお手伝いがあればいいけど、することがない時には髪を編み込んだりするのがいい暇つぶしになるのだ
肩口くらいだった髪も今では背中辺りまで伸びた
今日は数箇所を編みこんでから1つにまとめて、左胸に回している
姿見の鏡で身なりをチェックしてから、1つ軽くため息をつく
奈々さんと離れて、1人での生活が始まってもう10日が経つ
当初はラグナロク本部でコミュニティのみんなと過ごすことになっていたんだけど、結局は変わらずおじさんとおばさんの家にお世話になっている
元々家賃なんて払っていなかったし、薬草採集の依頼も1人でこなせるようになっていたから、大きな問題はなかった
以前から奈々さんと2人で申し訳がないから……と、何度も家賃的なモノを渡そうとしても、薬屋の夫婦は決して受け取ろうとはしなかった
むしろ機会を見つけては食事に誘ってくれたり、お土産を買ってきてくれたりと負債ばかりが溜まってしまっている程だ
これではダメだ!と店番やら薬草作りやら配達やらを手伝えば、やれ店番をするには相応の服も必要だろうだとか、配達に行こうとすればやれ荷馬車を新調しようだの、店のイメージアップだといっては髪飾りやかわいい洋服を買ってくる
さらに薬草採集もおじさんの怪我が治ったものだから、今や配達などの忙しさがない時には2人で採集にいってるのだ
益々役に立てる場面が減ってしまって、どうしたものか真剣に悩む日々だというのに
薬屋の夫妻は満面の笑みを浮かべながら、あやにあれやこれやと世話を焼くのである
その一方で、好意を受け止めきれずにオロオロする少女を見ては、子宝に恵まれずに暗鬱とした日々を送っていた夫婦はこれ以上ない幸せを感じているのだが
この少女はそんな気配には露ほどにも気づくことはないのである
夫婦にとって愛娘といって憚らない少女が店番に立つようになってからというもの、店の売り上げは10倍などでは追いつかないくらいに膨れ上がった
わざわざ他都市から買いにくる冒険者がいるくらいで、いくら作っても足りずにアヴィニヨン在住の冒険者への優先販売措置を取らなければならなくなってしまったのだ
夫婦としては可愛いこの子をできるだけ人目に晒したくはないので、店番からはなるだけ遠ざけるのだが、薬草の仕込みや食事の支度や諸々の家事をこなす時間はどうしても人手が足りない
自然と店番をする時間が日に1~2時間だができてしまう
その時間帯は日によってまちまちなために、店内にはチラチラとカウンター奥の扉をみる男の客が居座るようになる
まあ、そんな不届きモノは薬屋の主人に叩き出されるのだが……
少女はそんな状況などまったく知らずに、慣れない接客とお金の計算に四苦八苦しながら、なんとか無事に店番をやり過ごすことに必死なため、男たちのまったくもって不衛生極まりない視線と思考には気づくことはない
この薬屋夫婦を中心としたアヴィニヨン商工会ギルドの後ろ楯によって、彼女がこの街で害が及ぶ可能性は0に限りなく近い1%なのだが、そんなことは知る由もないのである……
コンコン
扉を軽くノックして、お店の手伝いをするべく店内へと入ってゆく
薬草採集へ赴く際に多少汚れても良い服から、普段着にしている白を基調とし、軽くフリルで縁取られたひざ下まで隠れるワンピースに薄い肩掛けを羽織って、足にはおばさんにもらった黒のショートブーツを履いている
店内にはあと5人ほどのお客様が残っていた
「表の看板を変えてくるからね、いまのお客が帰ったら一旦店仕舞いしてお昼にしようね」
そういっておばさんはカウンターを出て、店の前の看板を≪OPEN→CLOSE≫へと裏返す
俺はカウンターでお客様が品物を持ってくるのを待つばかり
『それじゃあ頼むよ』と、頭をぽふぽふと撫でられながらおばさんに言われれば、俺は笑って頷く
おじさんがいる時には、俺もおばさんにくっ付いて食事の支度にいくんだけど、今日は配達が混んでてもうしばらくはおじさんは戻れそうにないみたい
お客様がレジにくるまでは、椅子に座りながらライとじゃれ合いながらいい子に店番をする
それから数分掛けて1人、2人と薬草を買い込んでいくお客様を見送って、最後の1人がレジにきた
ここ最近はなかったからすっかり安心していたのに、久しぶりに『休みはいつ?デートしない?』とかあれこれと言い寄られてしまった
足元ではライが唸り声を上げつつあるので、店内で暴れさせるわけにもいかなくて必死に抑える
この数ヶ月でライは本当に強くなったのだ
目の前のナンパ野郎なんか一瞬で消し炭にできるくらいに強くなった
事を荒げないためもあるし、お店に被害を出すわけにもいかないので、結果としてナンパ野郎の身の安全も守ってあげてる訳だけど
『ごめんなさい、誰とも親しくなるつもりナイです』と必死にライを抑えつつお断りしている俺の苦労に気づきもしないで、ナンパ野郎はしつこく食い下がる
その時、男の手がカウンターの中に伸びて、俺の腕を掴もうとした
『あ、やばい……』
と思った
さすがにこれはライが怒るだろう、良くて手を噛み砕かれるか、悪くて消し炭だなー
なんて思ってたら、男の手が寸前で止まっている
ライがやったか?と思い下を見れば唸り声は上げつつ臨戦態勢をとってはいるものの、未だ行動には移っていない
男を見れば固まっている
なんだろう?
顔どころか首筋から腕から汗が滴り落ちている
なにこれ、ヤダ、キモイ
うわあ……、と嫌な顔をしていたらブリキのような動きで男が店の外へと出ていく
なんだったんだろう、取り合えず一難去ったところで一息ついてしゃがみ込む
ライが心配して顔を覗いてくるのを、そっと抱きしめて笑ってみる
ノドを鳴らしながら顔を摺り寄せてくる仕草に思わず嬉しくなって、しばらくいちゃいちゃしていたら、扉が開けられておばさんが覗く
「おや、2人でなにしてるんだい?もう支度ができたけど……。お客もいないみたいだし、鍵かけてこっちおいで」
店内にお客様の姿がないことを確認して、再び扉の奥へと姿を消した
言われた通りに店内から鍵をかけてから、少し雑然と乱れてしまった店内の品物棚を手直ししてからキッチンへいく
扉をくぐったところで、外扉が開きおじさんが顔を覗かせた
「ただいま」
「おかえりなさい、いまお店を閉めたところです」
「おお、そうか。こっちも配達が終わったところだよ」
「おつかれさまでした」
汚れを落とす水桶で手足を拭いながら、おじさんはその大きな身体で壁にもたれている
濡れた手足を拭くタオルをおじさんへと手渡せば、お互いににっこりと笑顔になる
ライを見やれば、尻尾をブンブンと振り回している
警戒心の強いライにしては珍しく、おじさんとおばさんには最初からまったくといっていいほど警戒しなかった
奈々さんにもしなかったといえばしなかったけど、半分くらいは恐れていたところがあるからなんともいえないところではある……
おじさんと連れ立っておばさんのいるキッチンへと入れば、シチューのいい匂いが漂う
ミルクたっぷりの俺の大好きなヤツだ、具の野菜がおっきくてものすごくおいしい
パンを焼いてつけながら食べれば、言うことない贅沢すぎるご飯なのだ
ライには肉を多目に入れたシチューが随分早めにお皿に盛られて冷まされている
席に座ったおじさんに冷えたハーブティーを出しながら、おばさんのよそってくれたシチューをテーブルに並べる
こうして3(+1匹)人で食事をとるのは、この10日間の中で日常といってもいい
忙しくておばさんと2人になってしまうこともあるけど、夜は毎日こうして食卓を囲んでいる
その日あったことをそれぞれが話し、笑顔と笑い声の絶えない食卓だ
けれどこんなに楽しい時間も、部屋に戻って奈々さんの不在を思い知れば寂しさに覆い包まれてしまう
2人で話合って決めたことだし、今の自分にできることは沢山あるのだから、悲観するような事態ではないのだけれど
やはりこの異世界へときてからずっと2人で頑張ってきた大切な友人であり、誰よりも信頼する相方だった奈々さんがいないのは、心にぽっかりと穴を開けてしまうのだ
ベッドに横になり、投げ出された手がはみ出て下にぶらーんと垂れ下がれば、ライが嬉しそうに飛びついては手に甘噛みしてくる
ぼーーーっとした意識の中で、時折手でライの鼻を摘んだり口の中をぐりぐりしてやれば喜んで更に噛み付いてくる
果てはお腹を撫でて欲しくて、仰向けになって、きゃんきゃんいいながら身をよじってくる
やれやれとベッドから起きてお腹を乱暴に撫で繰り回せば、止まるところを知らないかのようにライのテンションはピークへと達する
朝から昼近くまで、あれだけ外を駆け回ったのに、まだ元気が有り余っているライに思わず首を傾げてしまう
できれば午後は店の手伝いをしたかったのだけど、これでは到底無理そうだと予定に見切りを付けて、ラグナロク本部へといき討伐パーティーにでも混ぜてもらおうかと思案する
それとも、在庫がいくつあっても良い薬草採集に出掛けてもいいかもしれない
奈々さんとの別れが決まったあの日から3ヶ月以上が経って、俺はこの世界に1人生きている
当然、おじさんやおばさんやコミュティのみんなに助けてもらってのことだけど……
なんというか、キモチ的には1人で頑張ってるつもりなのだ!
毎日することを自分で決め、1人で薬草採集だってこなしちゃうし
ライがずっといてくれるから外を出歩くにも不安は余りない
男が近寄ると唸り声を上げて牽制してくれるので、随分助かってる
それにもめげずに近寄ってきた男は噛まれて医者の世話になるのだけれど
その後はいつも消毒の為に水で口を洗ってあげる俺は優しい飼い主といえる
などと考えていればいよいよライのテンションが室内では収まりきらないところまできたので、あきらめて外出用に着替えて1階へと降りてゆく
食後の休憩をしていたおじさんとおばさんに数時間出かけてくると伝え、お手伝いができなくてごめんなさいと謝れば、おじさんには如何に男が危険だの甘言に乗ってはいけないなどなど、もう100回くらい聞いた気がするお小言を言われ、おばさんにはせめて髪飾りくらいは付けなさいと、リボンで胸の前に垂らしていた髪を結われてしまった
裏口から表に出れば、まだ日も高いこともあって街には活気があり、通りを人が行き交っている
いまいち行き先を決めていなかった俺は、ひとまずラグナロク本部へと向かって歩を進める
奈々さんたちの様子も聞きたいし、パーティーがあれば参加させてもらって、なかったら薬草採集して帰ろうと思い決めた
今日も天気は上々
風も心地よく吹き抜ける
今頃、奈々さんはなにしてるのかな?
お昼食べ終わってお昼寝したいーなんて言ってそう
そんな彼女の姿を思い出してはクスクスと笑ってしまう
愉しげに笑う主人を見上げてライも愉しそうにノドを鳴らす
たまに物資の補給などで街へと戻ってくる奈々さんに会えるのは、1月に1~2度だ
次に会った時に、成長した自分をみせてあげたい
きっと驚くに違いない、いつもいつも小さな子扱いされてたけど、もうそんなことは言わせない
晴れ晴れとした大空を見上げながら、遠くの地で戦っているであろう友人を思う
(どうか無事で、元気で帰ってきてね、奈々さん……)
そんな少女の想いを乗せて、風はそっと横を通り抜けてゆく
「ぶうぇっくっしょい!!!!!!」
大剣を肩に引っ掛け、魔獣を打ち砕いた彼女は、肉体労働のオヤジも確たるやという豪快なくしゃみを洞窟内部に響かせた
しょい……しょい………しょい…………しょい……………
反響でくしゃみの語尾が遠くへと飛んでゆく
「エステル……、あなたね……」
「ズズーーー……、あによ」
「女の子なんだから手で押さえるとかしなきゃ」
「しったこっちゃないわねー、見られて困る相手もいないわけだし」
男なんてその辺の石ころくらいにしか思っていない彼女に、女としての慎みなど求めるのは困難極まるのは重々承知なのだが
注意を促した彼女、種族ドライドであり回復補助を一手に引き受けるパーティーの要である
生来の優しい性格と、元々現実世界では保母をしていたこともあってついつい人の世話を焼いてしまうのだ
エステルというこの少女といってもいい年齢の彼女は、如何にもバランスが悪かった
類稀な容姿を持っていながらそれに頓着がなく、冷静で合理的な思考ができると思えば感情に流されて短絡的な判断をすることもあるし、人嫌いかと思えば1度気を許した相手にはとことん甘えたりする
アンバランスさに危うさを感じていたけど、一緒に行動をするようになって気づいたのだが、その不安定さすら彼女の武器となり力となっている
敵だと認識した相手に対する猛烈果敢な攻撃はまず間違いなくこのパーティー内では最高戦力といえるだろう
だが安定感や信頼度といった点では、宮島の右に出るものはいない
彼の人の数十手先を見越した思考能力からくる作戦立案能力、それを体現する器用さと技能と知能、状況判断能力はなんど見ていても芸術的といえる
詰め将棋の如く確実に相手を追いやっていくのだ
一方でエステルはといえば、時に敵に押し込まれることもあるし、命の危機に晒されることもある
戦いのおおよそが力押しというかゴリ押しというか……、だが、彼女は最後には必ず勝つ
それがパーティーを組んでからというもの、ずっと続いているのだ
宮島をして『彼女をコントロールしようとすることは神にでもならなければ無理だ』と言わしめる
何故なのかは分からないけど、エステルは敵を打ち倒すのだ、必ずといって良い程に
気づけばパーティーの先頭に立つのは彼女のポジションになった
宮島もそれをエステルに任せて、常よりも1歩下がってパーティーの体制維持と前後へのフォローに徹している
彼ほどの男がサポートに回れば、このパーティを瓦解させることは万が一にも有り得ないといってもいいほどの安定を見せる
いま、全ての歯車がいい方向に回っているように思えるのだ
ただ1つの懸念事項を覗けば……だが
まさに今、それが目の前で繰り広げられている
戦闘においての注意を宮島に受け激昂するエステル
日によっては10回以上も起こるこの事態に、他のメンバー7名は当初は右往左往して宥めたりしていたのだが、いまでは休憩時間ができたとばかりに腰を下ろし飲み物を回したりしている
ドライドの彼女は、戦闘からの緊張感が抜けやらぬ我が身を休ませるために、近くの岩場に腰掛けて水を一口含むふと、エステルといつも一緒にいたあの少女がいてくれたら、もう少しこのパーティーも和やかになるのかしら?などと思ったりしてみる
エステルが承知するわけもないのだけれど、そんなことを考えてしまうほど宮島とエステルは火と油というか、衝突が多いのだ
自分にすらフォローができないのだから、他の誰にも難しいだろうと思う
そんな日常となってしまった光景に、一瞬にして緊張が走る
こちらに向かう魔獣の気配があたりに漂い始めたからだ
誰もが冒険者としては一級品の者たちだ、あっという間に体制を築き近づいてくる相手を迎え撃つ
あやが心配する奈々は、これ以上はないといって良い程に元気であった
むしろ有り余っているといって良い程に………




