15話
15話
いつの頃からだろうか
あきらめたわけではないけれど
期待することをやめたのは
自分の価値を見出すのは自分自身であり
己の力で手にいれられるモノだけを糧とし
他者からの施しなど全てを蹴退けた
後ろ向きな孤独ではなく
自分が強くあるために
何者にも侵略されないために
己の弱さを心の中に閉じ込めるために
1人であることを望んだ
求め叶わず失意を覚えるのだ
望み得られず失望するのだ
信じ裏切られ傷つくのだ
あたしは他の人たちとは違うのだと
同じような言動をとってはいけないのだと
何もかも1人でこなさなければならないのだと
あらゆる局面で人々はあたしに訴える
いつの頃からだろうか
夢見ることを忘れたのは
いつの頃からだろうか
誰も何も信じることをやめたのは
いつの頃からだろうか
1人を寂しいと思わなくなったのは……
あたしはフランスで生まれた
パリの郊外にある父親の別邸で幼少期を過ごした
週末にしか帰ってこない父親と
家に引き篭もっていた母親との3人の暮らしは
人生で唯一の安息の日々だった
温かみや優しさに包まれていたわけではなく
他人の目がなかっただけのことなのだけど
今思えば父親と遊んだ記憶もなく
母親は日がな一日編み物や読書をしていた
家政婦が全ての家事をこなしてくれていたし
あたしは様々な分野の家庭教師と過ごす毎日だった
家には多くの言語の本が沢山あったから
字が読めるようになる頃には時間を潰す苦労はなかった
3歳でおおよそ英語とフランス語は解していたから
家庭教師との勉強が終われば読書に没頭した
母親と会話することも余りなかった
自分の知能がおかしいことに気づくこともなく
7歳になるまでただ与えられる知識を吸収し続けた
知識として知っていはいたけれど
同年代の子供たちが通う『学校』に初めて行ったときは
多くの期待や夢に胸を膨らませた
家の敷地から出ることのなかったあたしにとって
学校は小説の中の大冒険にも似た輝きを持っていた
人との会話をほとんど知らないあたしにとって
なに気兼ねなく話しかけてくるクラスメイトの存在は
驚きの連続ではあったが決して嫌悪するものではなかった
最初の数日は鬼ごっこやおしゃべりなど
いままでしたことのない遊びで過ごした
余りにも楽しく光り輝く日々に
あたしは我を忘れて夢中になった
家に帰るのが嫌で仕方なかった
早く夜になって寝てしまいたかった
朝が来て学校へいくことがあたしの全てだった
そんな楽しい日々はあっけなく終わりを告げる
クラスメイトの女の子たちが通うバレエ教室への勧誘があった
母親に許可を求めればいつもの言葉と共に許しを得た
週末にクラスメイトの母親たちに連れられて教室を見学に行った
初めて目にするバレエは美しく華麗で
あたしの目は釘付けになった
食い入るように見学を続けるあたしに講師は
『休憩中だし少し踊ってみないか?』と言った
休憩していたクラスメイトやその母親たちも
口々に応援する言葉を投げかけてくる
見ているだけで心踊るバレエを踊らせてもらえる
そう思うだけで足が宙に浮いてしまいそうだった
簡単なレッスンを受けて講師が曲を流し始める
『うまく踊れなくてあたりまえだから思うように身体を動かして』
頭の中で1度だけ教えられた振り付けを思い出す
その日ずっとみんなが練習していた振り付けの一部だった
指先の形から足を伸ばす角度まで
事細かな講師の注意点が重なって思い出される
『だいじょうぶ踊れる!みんなほど上手くはいかないだろうけど踊りたい!』
1つ1つの動きを思い出しながら講師の注意点と合わせつつ
イメージを身体に伝えながら曲を耳から身体へと響かせて
気づけば曲が止まることはなく最後まで踊りきることが出来た
いままで難しい問題を家庭教師に出されて
解くのに数ヶ月を要したこともあった
庭から見える風景を絵に収めたくて
これまた数ヶ月かけて描き上げたこともあった
けれどそんな達成感など吹き飛ぶほどに
この時のあたしの充足感は凄まじかった
今にして思えば7歳のあたしには仕方のないことだったと思う
責められても困るし謝罪する理由と言葉も見当たらない
けれど事実として多くのクラスメイトの心を折り
半分以上が教室を辞めるに至って講師の職を失わせ
気づけば学校であたしと仲良くしてくれる子はいなくなっていた
1つ気づくことが出来ていたのなら
この事態は回避できていたかもしれない
あれほど仲良くしてくれていたクラスメイトたちは口々に言う
『あの子キライ』
『なんか怖いよねー』
『一緒に遊びたくない』
クラスメイトの母親たちは白い目であたしを見ながら言う
『うちの子の悪影響だ』
『同じ学校に通わせたくない』
あの頃の自分が如何に周囲の同年代と比べて異常だったか
あたし自身それを知ることができていなかったから
もし自覚があれば多少の改善は期待できていたのかもしれない
『あたしは普通じゃない』のだと
その後の日本でいう中等部教育へと進むまでの間には
概ね容姿と知能の問題が大きく影響を与えてきた
あらゆる機関からの勧誘があったし
歳を重ねるごとに周囲から存在が浮いていった
何度も学校側から転校を勧められた
『お嬢さんは特別な教育を受けられるべきです』
と聞き飽きる言葉を聞き続けた
もう2度と帰ってはこないのだと知ってはいても
学校に初めて通った時のあの記憶を忘れることが出来ない
14歳になってあたしを巡ってのトラブルで警察沙汰になったとき
いままで金銭などで多少の揉め事を抑えてきた父親の実家も
ついにあたしをフランスから追い出すことに決めたらしく
母親の実家のある日本への留学が決まった
これまで父親の実家への我侭など言ったことのなかったあたしだけど
女子高で尚且つ女子寮のある学校を
規律厳しく男のいない場所へ行きたいと願い出た
それは父親の親族の望むところでもあったので
日本の高等部を卒業するまでの5年間はおおよそ平和に過ごすことが出来た
日本では徹底した排他主義を貫いたおかげと
学校への多額の寄付でなんとか大事には至らずに済んだ
それでも大なり小なりの揉め事はあったけど
フランスではあたしの容姿は周囲の女子と比べられがちだったが
日本のクラスメイトは黒髪黒目で顔立ちも東洋人のそれだったから
あまりにも浮き過ぎて逆に余計な羨望や嫉妬に晒されずに済んだ
卒業後も日本へと留まり大学の付属高校だったこともあって
そのまま4年制の大学へと進学を決めた
女子寮を出て都内のマンションでの1人暮らしが始まったけど
父親の実家から出向いてくる家政婦とは名ばかりの
監視役兼ボディーガードに囲まれる息の詰まる生活だった
父親も母親もそのそれぞれの実家も
かつてのクラスメイトたちも
これまでの生活で出会うことのあった人たちも
誰もが気づけば離れていってしまう
恐らくはあたしにも原因はあるのだろう
人を近づけさせない雰囲気をだしている自覚はあるし
そもそも会話を続けること自体が苦手なのだけど
心の奥底で渇望する想いがあることをあたしは知っている
でもそれは気づいてはいけない自覚してはいけない
強くあるために1人でいることを良しとする為に
父親の実家のしがらみを断ち切るには
まだあたしの力は小さく弱すぎるのだろう
けれど誰にも何者にもあたしは負けたくない
前を向かなくてはいけない
下を向いて後ろを振り返り
過去に思いを馳せて
己の内に引き篭もるのは簡単だ
けれどあたしは負けたくない
誰にも話したこともない
決して見ることもしなかった想い
心の奥底で求め続けた願い
決して叶うはずもないと知りながら
全てを自分の内に秘めて
あたしは今日も1人でこの世界を歩き続ける
その日あたしは大学での講義を終えて迎えの車に乗り込み
父親の実家から定期的に来る監視を兼ねた様子見のものたちと
ホテルの1室で変わらない会話をこなして母親の近況を聞いた
あの郊外の別邸でいまも1人で過ごす母親は健やかだそうだ
『お父様のご迷惑にならないように』
いつもの言葉を伝言として預かっておりますと
これもいつも通りのやりとりだ
なに1つあたしの心には響くこともない
だがこの日のあたしは少し違っていた
自宅へと帰れば以前より待っていたものが待っている
他人に迷惑になることを嫌って
スポーツなどの他人と関わることから距離をとっていたあたしには
趣味と呼べるものは読書とランニングとか1人でできるものばかりだ
いままでゲームなどはしたことがなかった
けれどある広告を目にして思わず゛それ゛を手にしてしまった
『エデンオンライン』
の特集記事が数十ページ書かれたゲーム雑誌だった
現実を忘れるだの別人になれるだの誰も何も知らない異世界だの
現実主義のあたしには縁のない文句のはずなのに
記事を読み進める内に気がつけば
このばかばかしい物語に引き込まれていった
Oβ(オープンベータ)テストのテスターに選ばれて
初めて降り立ったその世界は
バーチャルだと分かっていても驚きだった
様々なシステムが視界に広がり
まるでガラス越しに見ているような感覚
五感はひどく鈍く感じるし
風景の擬似感もひどい
けれど
あたしは歓喜していた
だって
あたしは別人になることができていたから
黒髪黒目の男になった
身長も170くらいに設定した
ものすごく平凡な容姿になった
最高に気持ちが良かった
誰もあたしを見ないことなんて
いままで味わったことのない経験だから
どこにいても誰といても
あたしはいつだって特別だった
それ以外の扱われ方を知らない
だのに
いまあたしは
誰にも見向きもされない
どこにでもいるような
ありふれた存在なのだ
なにするわけでもなく
同じテスターたちが様々な冒険へと進んでいくのを横目で見ながら
その周辺をうろうろと歩き続けた
端から見れば怪しいことこの上ない男だろうけど
視界にも捉えられないということが
誰にも振り返られることもないということが
背後から聞こえるひそひそ話をきくこともないことが
こんなに気持ちの良いことだとは知らなかったから
表情は変えずに心の中では開放感に満たされていた
多くの問題点が見つかり本サービス開始まで随分と待った
けれどバーチャルシステムが進歩したこともあって
風景はだいぶ綺麗になったし五感もリアルになったらしい
この日はついにあの素晴らしい世界に再び降り立つことが出来る日だ
ただの現実逃避だと笑いたければ笑えばいい
あたしにとってあの感覚は現実世界では一生得ることの出来ないものだ
そして
部屋には誰も入るなときつく言い渡してから
あたしはエデンオンラインの世界へと再び降り立つために
地味すぎる容姿のキャラクターを作る
バーチャルシステムの起動音を聞きながら
そっと目を閉じて意識を手放した
次に目を開けた時には別人のあたしがいるはず
まさか
あんな事態に陥るなんて思いもしなかったけれど




