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学校帰りのいつもの道、ふだんなら友達とたわいもない話をしながら歩く道
今日は息を切らしながら家路を急ぐ、しかもイヤイヤ急ぐものだから億劫なことこの上ない
「はあ…はあ…はあ…」
まだ5月とはいえ、20℃を越える中で10分も走れば汗もかくし蒸し暑くもなるのだ
「なんで……俺が……なんで……!!」
すでに当初の走るスピードは見る影もなく、もはや゛早歩き゛といった感じではあるがなんとか歩を先に進める
振るほど動かなくなっている腕をがんばって持ち上げて、この春の高校入学の祝いに父から譲り受けた時計に目をやる
「うあ、もう14時53分だし……っ!」
約束の時は15時ジャスト。1分たりとも遅れることは許されない
用意も含めて5分前には家についておきたい
自宅まであとは2つの信号となだらかな下り坂のみだ。なけなしの力を振り絞り一気に駆け抜ける
「げはっ…!げはっ…!……うえ!ごほっ!!」
42.195キロを走りきったマラソンランナーのように震える足でもたつきながら、家の鍵を取り出す
ガチャガチャ……ガチャ…
(なんだよ…手まで震えてる…、運動不足にもほどがあるって!)
急ぐ中、おぼつかない手元に軽くイラつきながら、なんとか家の鍵をあけ目的の部屋に向かう
2階に上る階段が止めとばかりにふとももにプレッシャーをかけてくる
「うおおおおおお!!!!」
誰もいない家であることだし、存分に声を振り絞りながらようやく、やっと、たどり着いた
「はあはあ…時間……時間…は……げほっ…」
時計は14時57分をさしていた
「やっばい!急がないと!!」
おもむろにポケットから1枚の紙を取り出し
前日に何度となく繰り返した練習どおりに、あいつの指示手順が書かれた紙をみつつ、準備をすすめる
パソコンの電源をいれる。デスクトップにおかれた『エデンオンライン』のアイコンをダブルクリック
ゲーム起動の時間がもどかしい。時計をなんどもみつつ、せかすようにマウスをうごかしカーソルをクルクルまわす
(はやくたちあがってよ、時間が!!って、15時になってるし!!)
きつく何度もいわれていた時間がきてしまった、まずいまずいまずいまずいまずいまずい
「はやくっ!」バンっっっっっっっ!!
失敗したときのことを考えて、おもわずキーボ-ドをたたいてしまう
だが無常にもなかなかゲームは起動してくれず、数分経ったころにようやく画面に変化があらわれた
時計が15時4分を指したそのとき、ようやくゲームがはじまる、と、おもったその時だった
「………え?」
ありえないモノがそこには写っていた
思わず目をこする、まばたきをして2度見する
『ゲームデータのアップグレードを行います。しばらくお待ちください』
な……なんだと……こんな事態は聞いてない、思わず指示手順を見るがなにも書かれていない
ノドがゴクリと鳴る、汗が吹き出て顔や背中やもうたいへんなことになっている
以前にあいつが半年分のおこずかいを貯めて買ったバックを台無しにしたとき、2週間は土下座し続けた
それでも許されず親におこずかいの前借をして弁償させられたんだ
今日の、このミッションを、失敗したら……
その比ではないほどに追い詰められる、まちがいない、14年あいつの兄をしてきた俺が言うのだからまちがいない
高校受験当日に上りと下り電車を乗り間違えたときがかすむほどの焦燥感
やばい……
あせが………
止まらない…………
時計が15時30分を指したころ、俺はもう無我の境地にたどり着いた。いまなら悟りでも開けそうな気がする!
右ほほでも左ほほでもバッドで強打されたとしても微笑んであげるよっ!あっはっはっは!
そんなこと考えていたらアップグレードさんが一仕事終え帰っていった
「おつかれさまでしたアップグレードさん」
パソコン画面に一礼して頭をさげる。慌ててはいけないのだ。1つ1つ丁寧におこなうべし
さて、ではやりましょうか
エデンオンラインのゲーム画面をたちあげると、オープニングの動画がはじまった
「おお…すごいなこれ」
いままでゲームなんてほとんどしたことなかったけど、さすが最新技術のゲームだ
ファンタジーな世界の中で幻想的なキャラクターたちが動いている
あ、いまの女の子のキャラかわいかったなー、男はむさいけどね、プッ
おっといけない、見とれている場合ではなくてミッションをこなさなければ
スタートボタンをクリックして、指示手順通りにすすめていく
キャラの作成画面で指定された髪型やら目の色身長などを選んでいく
そして、あいつが1番強くいっていたこと
キャラクターの名前『あや』を入力し、キャラクター新規作成ボタンを押す
そう、このミッションとは≪新しいゲームで『あや』の名前を確保すること≫なのだ
よくある名前だから取れないことが多いらしく、俺に指示手順なんて用意してまで確保に躍起になっているのだ
今日に限って東京のばば様から呼び出しが入ってしまって、両親と一緒にいまごろは高速を走っていることだろう
こうやってうちの家族がばば様の突然の呼び出しに従わなければいけないのは俺のセイでもある、みんな決して口には出さないけどイヤな思いをしているはずだし、あいつに全部おしつけてしまった罪悪感が今日のミッションを引き受けさせた
でも…、ああ…、心臓が痛い……
『すでに使われている名前です』とか出やしないかと思うとこう、キュッと心臓がつかまれる感じがするのだ
悟りはやっぱり開けそうにないなーなんて考えつつゆっくりと神様に祈りつつ目を開ける
そこには、2歳年下の妹に指示されたとおりのキャラが、名前もそのままで立っていた
「はああああああああああ……」
体中の力が抜け、その場にくずれおちた
この時、妹の指示手順には『作成完了後はゲーム終了し、PCの電源を落として、結果をわたしにメールすること』と書かれていた
そうするべきだった
俺はあいつとちがってゲームにはさほど興味はなかった
でも、親や俺が引き気味に顔が引きつる程にこのゲームのことを話す時の妹は熱かった
Oβのテスター?に受かった時も普段は冷静で落ち着いているあいつがキャーキャー叫びながら部屋で踊ってたしね
正式サービスが始まるときなんかは高額な必要機材を買うために数ヶ月にわたって親を説得して、20万近い金額を出させた
ときどき遠い目をしてクスクス笑うあいつは、ちょっと怖かった……
だから、ちょっと、興味がわいてもしかたないよね?どんなものなのかな?その程度のものだったんだ
まさか、こんな事態になるなんてだれにもわかるはずもないんだ