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25. 二度目の支度

 申立ては、受理された。


 冬の残りは、支度に暮れていく。証しの書付が揃えられ、証人の顔ぶれが固まり、封の外の段取りが組まれる。台所の卓には封蝋の赤い滴が点々と増え、彼の指は近ごろ、いつもインクの色である。ズザンネの誓約の書付には、几帳面な繕いのような字が並んだ。字は人に似るのである。年越しの鐘は、市場で聞いた。ペトロネラの音頭で、市場の仲間と、生者と故人のごちゃまぜで聞いた、騒がしくてあたたかい鐘である。鐘の数は、数えなかった。数えなくても、隣の賑やかさで足りていたからである。


 年が明けて、教会から一周忌法要の召集が出た。召集は教会の名で出る。親族一同、欠席はできない。法要の席が、そのまま糺しの場になることを、伯爵家側はまだ誰も知らない。知っているのは、こちらの帳面二冊と、当局と、証人の顔ぶれだけである。


「評定官どのの同席も、整いました。エーヴァルト様という、沙汰の口上しか喋らないと評判のお方だそうです」


「まあ。頼もしいこと」


「ええ。沙汰に、余計な言葉は要りませんので」


       ◇


 仕立て屋の鏡の前に、私は立った。


 (あつら)えるのは、一周忌の日の一枚である。畳んできた喪服を出しかけて、やめた。あの日着ていくのは、喪の黒ではない。春の色である。芽吹き前の若い緑に、山査子の白を差した、明るい春色の一枚。


 喪服は、丁寧に畳み直して仕舞った。春のあの日、古着から二日で仕立て直した、故人生活の一着目である。ずいぶん世話になった。世話になったから、そろそろ休ませて差し上げるのである。


「ご不幸の、明けで?」


「ええ。わたくしの、ですの」


「……はあ」


 仕立て屋は分からない顔のまま、寸法を取った。物差しが肩を渡り、袖を下り、そのたび鏡の中の輪郭が、少しずつ春の形になっていく。鏡の中の女は、春に喪服を仕立て直した女と、同じ女である。同じ女なのに、頬の色が違う。四年の別邸で薄れていた血の色が、花市の一年ちかくで、ちゃんと戻っている。生き返りというものは、書類より先に、頬から始まっていたらしい。


       ◇


 その晩の台所で、彼は帳面を閉じたまま、長いこと黙っていた。


 段取りは、もう(そら)んじられるほど詰めてある。詰め終わった夜に、言葉が残っているとすれば、それは段取りの外の言葉である。私は急かさず、茶を注いだ。この人の一拍は、いつも誠実の長さである。


「……白状を、ひとつ」


「伺いますわ」


「立証が進むほど、怖かった。あなたを生き返らせることが、あなたをあの家へ返すことになるのが。……わたしの沈黙は、あなたのためだと思っていました。半分は、わたしのためでした」


 蝋燭の火が、彼の手元で小さく揺れた。


「故人のままのあなたなら、金曜は、ずっと来ると思っていたのです」


 金曜。書類の山と、焦げた菓子と、二冊の帳面の金曜である。この生真面目な人は、その金曜を失うのが怖くて、封の重さを一人で抱えて、春からずっと黙っていたのである。私のためが半分、自分のためが半分。上等な帳尻だと、私は思う。片方だけの帳面より、両方載っている帳面のほうが、よほど信用できる。


 四年、待つことすら求められなかった女に、毎週欠かさず来る金曜があった。その金曜が、この人の怖さの中身だったのだ。怖さの中身まで、正直な人である。


「子爵様。わたくしの戻る先は、家ではございませんの。予定ですわ」


 手帳を開いて、見せた。一周忌の日付の下に、新しい一行を書き入れる。


『生き返る』


「生き返っても、金曜は金曜ですの。……お約束いたしますわ」


 彼は頁を長いこと見て、それから、生真面目にうなずいた。


「では、その次の金曜の分も、いまから予定に」


「あら。気の早いこと」


       ◇


 リンデンタール伯爵邸では、一周忌の「厳修(ごんしゅう)」の指図が飛んでいた。聖歌隊を倍に、燭を倍に、花を倍に。石屋には墓石の磨き直しまで申しつけて、当主は費えを惜しまない。母が「喪は静かに済ませるものです」と諫めても、聞かない。盛大に詫びれば、幽霊は鎮まると信じているのである。詫びる相手を、最後の最後まで間違えたまま。石屋の請求書が、また一枚増えた。


 ――そして、一周忌の朝が来る。


 山査子の家の窓に、大聖堂の鐘が届く。春の匂いのする風が、生垣の若芽を揺らしている。まる一年前、黒枠の触れを三度読み返した朝と、同じ季節の匂いである。


 今日の欄には、朝のうちに書き込んである。『生き返る』。去年の春、弔いの日付しかなかった帳面の、いちばん新しい一行である。


 私は春色の一枚を着て、その上に、濃い喪のヴェールを重ねる。会場までは、去年と同じ「遠縁のヴェラ」である。会場からは――。


 鏡に一礼して、家を出た。鞄の中の予定帳が、静かに重い。重いのは紙ではない。書いた字のほうである。


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