佐藤くんの終わらない一日
【前書き】
「生まれてきた理由?」
古びたアパートの自室で掃除を始めた佐藤が、押入れの奥で見つけたのは、一冊の本と「あり得ないはずの記憶」だった。平穏な日常が、音を立てずに崩壊する。
築30年の木造アパート。
単身ここに住む一人の男、佐藤。
大学を中退してから、もう何年経っただろうか?近所のコンビニで深夜のアルバイトをしながら食いつなぐ生活を送っている。量販店の洋服を好み、特徴がないのが特徴といった具合の男だ。
隣人との関わりは希薄。そのかわりにといってはなんだが、トラブルの類が起こることもない。良くも悪くも他人と付かず離れずの距離を保って生きてきた。
夜勤の仕事の前や休みの日といえば、もっぱらゲームをしたりスマホをいじったり小説を読んだり。いささか退屈ではあるが平穏な生活を送っている。
半年、いや、一年に一度ほどだろうか。
そんなものぐさな彼だが、天啓を受けるが如く、おもむろに大掃除をはじめることがある。
そして、本日がちょうどその日。何かに急かされるように、彼は押入れの清掃を決意する。
ガサツなこの男が引っ越してきた際「とりあえず的に」押し込んだ荷物の数々。
もはや最前列の視認できる物以外は、何が眠っているのか見当もつかない。
佐藤は意を決して押入れのふすまを、ガタガタと力任せに横に滑らせ、全ての荷物を押入れから出す作業にあたる。
6畳の部屋に、湿った木材の放つ不快な空気がじっとりと充満する。
たまらず、部屋の窓を開ける。差し込む夕日の光の中に、舞い上がるほこりが鮮明に照らされる。
湿気でふにゃふにゃになった、最奥の段ボール箱のへりを掴み、やっとの思いで引き摺り出す。
ムズムズとする鼻先の不快感に耐えながら、怪訝そうな表情で箱の中身を覗く。
ガラクタの中に埋もれる一冊の本。
書店で販売されていたであろう、変哲もない文庫本。歳月に侵食され、背表紙は寝ぼけたように変色していた。
何の気なしに手に取ってみると、佐藤は妙な好奇心を覚えた。
本の中身を調べずにはいられない感覚。
「まあ、作業も一段落、ちょっと休憩ということでいいよね。」
ついぞ、先ほど天啓だの宣っておきながら、掃除なんてもはやどうでもよくなってしまっていた。
「我ながら相変わらずの気まぐれだよなぁ。たまに自分で自分がわからなくなる時があるよ。」
佐藤はそんなことを考えながら、小さな一冊の本を片手に、畳の上に腰を下ろしあぐらをかいた。
全く記憶にない古びた本。
だけど、なにか懐かしいような感覚。
湿気で波打ち硬く固まったページを、一枚一枚剥がすようにめくる。
読んだことはないが既視感のあるような物語。しかしながらペリペリとページをめくり、読み進める佐藤の指が止まることはなかった。
文字を追う意識を遮るように、本の隙間から一葉の写真が佐藤の太もも上にスルリと滑り落ちた。
写真を拾い上げる。
本に比べて状態が良い。
写っているのは二人の人物。
まず目を引いたのは、黒髪で凛とした表情の綺麗な女性だ。
「誰だっけ?見ず知らずの人のようだけど。」
その女性の隣には親しげに肩を組む男。野暮ったいが嫌に見覚えのあるような顔だった。
佐藤は息をハッ!と飲み目を丸くする。
「この隣の男、、、これは3年ぐらい前の僕じゃないか。
でも、女性と肩を組んで写真を撮った覚えなんか全くないぞ。
あ。
いや、待て。」
断片的な情景や感覚が佐藤の脳内に蘇る。
「彼女の名前は、、、たしか、ニーナ。
場所は、、、中央公園だ。噴水の前でこの写真を撮ったんだ。」
その瞬間から、あの日の出来事の断片が頭の中でジグソーパズルのように噛み合っていくのを感じた。
それらは決して思い出したくない類のものだった。
腹の奥底からむかむかとした胃液が込み上げる。
「頼む、思い違いであってくれ。」
佐藤の心の底から搾り出させる、一縷の望みだった。
まるでその強い念に呼応するかのように、古びたアパート全体がガタガタと音を立てて揺れ出した。窓からすぐの線路を走る電車だ。
しばしの喧騒ののち、再び部屋には静寂が訪れた。
まるで再起動するかのように佐藤はようやく動きを取り戻す。本を畳にふせ、先ほどの古びた段ボール箱の中を覗き込む。
むせかえるようなジメジメとしたにおいの中、ガラクタを掻き分け底の隅を確認する。
その中で佐藤の視線がついに「それ」を捉えた。
「、、、、!」
やはり、あった。
存在してしまった。
佐藤の祈りも虚しく。
封印した記憶は、単なる思い違いなどではなく、実在する過去だったのである。
黒のビニールテープでぐるぐる巻きにした、平たく短い棒状のようなものが箱の底に横たわっている。
観念したような気持ちで、そっと手を伸ばす。
その鈍い光沢を放つ黒い塊は、見た目以上の重量を持って佐藤の手のひらに沈み込んだ。
ひんやりと冷たく、妙に指に馴染む。
それもそのはずだ。扱い慣れた道具なのだから。
ダガーナイフ
一時期、通り魔が振り回したかなんかでニュースになり、話題になったことがある両刃のタイプの刃物だ。
背中に冷たい汗が伝う。
うるさいほどに心臓が高鳴る。
「完全に思い出した。
僕は
この写真の彼女を
殺したんだ。」
さらなる記憶がフラッシュバックされる。
ナイフを突き立てた手に伝わる鈍い感触。
生ぬるく手のひらに残る、ぬるりとした感覚。
鼻をつく鮮烈な鉄のニオイ。
耳の中にこだまする、声にならないような呻き声。
「、、、ん?、、、あれ?」
佐藤は奇妙な感覚を覚えた。
荒ぶる呼吸や心拍が嘘のようにピタリと落ち着く。
「僕が殺し?ナイフ?
なんの話だ?
そんなわけがない。
女性?
バカな、勘弁してくれ。
生まれてこの方、独り身で過ごしてきたんだ。ガールフレンドはおろか親しく触れ合う女性なんて、僕の人生には皆無だったんだぞ。
肩を組んでいる写真?そんな写真、あるわけがないじゃないか。」
先ほどの写真を再び覗き込む。そこには噴水の前に一人の男、つまり佐藤だけが写っている。
「ほらね、僕一人の写真だ。女性なんて写っているものか。」
先ほどの動揺がなかったかのように感じられ、驚くほどの落ち着きを取り戻している。
しかし、何か大事なことを忘れてる気がしてならない。
佐藤はキッと本の方に視線を返し、本を読み進めてみる。
そこには多くの衝撃の事実が綴られている。
「そうだ、、、。今度こそ思い出した。」
佐藤は呟く。
「僕には超能力があって、人の心が読めるんだった。だから、こうして人と関わらず、一人で生きていくと決めたんじゃないか。
いやいや、違うよ。
あれ?なんだっけ?」
まただ。気持ちが悪い。
再びの奇妙な感覚に苛立ちながらも、佐藤は真相を知るべく、さらにページをめくる。
すると、これまで雰囲気にはおよそ似つかわしくない文章が、佐藤の目に飛び込んできた。
「あーあ、やっぱダメだなぁ。
あっ、突然で驚かせたね。僕はね、君の設定や物語を考えている「作家」なんだけど、ちょっと込み入ったことをここに書いて君に伝えてもいいかな、佐藤くん?」
まさか、本の中の文章が自分に語りかけてきている。この事実に気づき佐藤の表情が強張る。
汗でにじんだ指でページをめくり、文章の続きを目で追いかける。
「佐藤くん。君の物語は、どうにも盛り上がりにかけてしまってね。
もしかしたら、話が大きく展開するかと思い、後付けで君の隠された半生の設定なんかを加えてみようと思ったんだ。
けど、やっぱり無理があったみたいだね。
だって、どう考えても君みたいな平凡な青年が、殺しとかするのおかしいもんな。
挙げ句の果てに超能力なんて、自分でも恥ずかしくなる。迷走もいいところだ。
いいかい?物語というものはね、『主人公』のキャラクターが一人歩きさえしてくれたら自然と良いものに仕上がっていくものなんだ。
でも、どうやら今回の試みでも、うまく化学反応が起こらなかったみたい。
これまで君は、僕のプロット(筋書き)通りに動いてくれたけど、もうこれ以上の展開を期待することはできない。なのでキミの物語は、ここで打ち切りにすることにしたよ。」
突然の奇怪な文章に動揺する佐藤。
「え?ど、どういうこと?」
と口元おさえながら、思わず独り言を呟く。
、、、はずだったが。
この「言葉」を読み終わるのを待たず、佐藤の眼はビー玉のように無機質なものとなり、呼吸は音もなく途絶えていた。
微動だにすらしない姿はさながら、洋服屋の店頭にディスプレイされているマネキン人形のよう。
「、、、。
さて、今のやり取り、君も見ていたね?
たったいま、佐藤にも話した通りだ。
今この文章を読んでいる君もまた、私の作品として今日まで忠実に動いてくれているね。
君が今日何時に起き、何を思い、今なぜこの文章を読み込んでいるのか。
そのすべては私が用意したプロットなんだ。
もちろん、君の名前や出生地、家族構成から性格なんかも私が考えた設定なんだよ。
ただ 安心するといい。さっきの佐藤と違い君のこれからの人生は、すでにおおむね書き終えてある。
なので、これまで通り。
余計なことは深く考えず、私の考えたプロットの通りに生きていってくれればそれでいい。
君の物語は今のところ順調だから、、、今のところはね。
……さあ、準備はいいかい?
物語の続きを始めようか。
これからもよろしく頼むな。
私の愛すべき『主人公』よ。」




