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さよなら、優しい狼さん。~傷だらけの不死者が捧ぐ、一夜限りの逃避行~  作者: silver fox
第1章:16歳、夏。人狼(カミサマ)と逃避行。

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第8話:ブルーシートの屋根と、銀色のギャップ萌え

 神社を降りたあとは、現実的な問題が、容赦なく襲ってきた。


 お金。


「なあ、ナギ」


「なに」


「お前の持ってる現金、いくらだ」


「えっと……四千円ちょっと」


「少なっ」


「しょうがないじゃん! 家出するとき、冷蔵庫のとこに置いてあったの、こっそり持ってきただけだし」


「親の財布から抜いてこなかったのか」


「それはさすがに……

 置いてあったのと、財布から抜くのは違うでしょ」


「偉いのかバカなのかよくわかんねえな、お前」


「あんまり褒められてない気がする」


「褒めてねえからな」


 カミヤは、ため息をひとつついてから、自分の財布を開けた。


 中には、くしゃくしゃになった千円札が数枚と、小銭が少し。


「……やば」


「人狼のくせに、全然お金持ってないじゃん」


「深夜コンビニバイトをなめるな。時給は人間と一緒だ」


「もっと、こう、人ならざる財宝とかないの?」


「ねえよ。あったらとっくにニートやってる」


「神様っぽくない」


「神様じゃねえつってんだろ」


 でも、笑っていられたのは、そのときまでだった。


 商店街の外れにある小さな不動産屋で、「一週間だけでもいいから、安い部屋ありませんか」と聞いてみたら、「保証人は?」と一言で撃沈された。


 ビジネスホテルの看板を見て、「一泊くらいなら……」とフロントに行ってみたら、料金表を見て絶望した。


「一泊七千円……」


「二人で一泊、食事なし」


「無理」


「だな」


 カミヤは、受付の前で踵を返した。


「野宿、かな」


「夏だし、まだマシなほうだろ」


「虫、出るよ?」


「お前、人狼舐めてんのか」


「虫くらい、影の狼でどうにかできない?」


「贅沢な使い方させんな」


 そんなやりとりをしながら、私たちは港の裏手にある防風林にたどり着いた。


 松の木がいくつも並んでいて、その間に、地元の子どもたちが作ったのか、小さな秘密基地みたいな場所がある。ブルーシートと木の板で囲っただけの、簡単な空間。


「ここ、誰かの場所じゃない?」


「夜は空いてる」


「勝手に決めた」


「ダンボールとブルーシートがあるだけ、マシな寝床だ」


 たしかに、そのへんのベンチで寝るよりはずっとマシだった。


 ブルーシートの上に、コンビニ袋を枕代わりに置き、トートバッグを抱きしめるようにして横になる。


 松の枝の隙間から、夜空が少しだけ覗いていた。さっきまで青かった空は、夕方を過ぎると急に群青色になって、やがて星がひとつ、ふたつと増えていく。


「ねえ、カミヤ」


「なんだ」


「影の狼、また見せて」


「やだ」


「なんで」


「エネルギー食う」


「どれくらい?」


「焼き鳥十本分くらい」


「意外と具体的」


「あと、あいつら使うと、眠くなる」


「じゃあ、寝る前に少しだけ」


「交渉すんな」


 でも、彼はそれ以上拒まなかった。


 防風林の地面に、静かに影が伸びる。


 月は、まだ完全じゃないけれど、少しだけ太ってきていて、その光が地面に濃い影を落としていた。


 カミヤが、指を軽く鳴らす。


 その合図に応えるように、影がぐにゃりと揺れた。


「——」


 息を飲む音が、自分のものなのか、世界のものなのか、わからなくなる。


 黒い影から、狼がひょい、と顔を出した。


 昼間の海辺で見たときと違って、防風林の薄暗い中では、そのシルエットが一層はっきりしている。


 毛並みの一本一本まで、細かくは見えない。輪郭は、ところどころ煙みたいに揺らいでいるのに、不思議と「確かにそこにいる」って実感があった。


 一匹、二匹、三匹——。


 気づけば、五匹の狼が、私たちの周りに座り込んでいた。


「わ、近い……」


「噛まねえよ」


「わかってるけど」


 一番近くにいた一匹が、すん、と私の足先の匂いを嗅いだ。


 鼻先が、かすかに冷たい。


 透明な存在だと思っていたのに、ちゃんと、温度がある。


「きみも、カミヤの仲間?」


 問いかけると、狼は首をかしげた。


 まるで、「まあ、そんなところ」と言っているみたいで、思わず笑ってしまう。


「こいつらは、俺の影に住んでるだけだ」


 カミヤが、木の幹に背中を預けながら言った。


「本物の狼ってわけじゃねえ。俺が小さいころから一緒にいる、疑似人格みたいなもんだ」


「小さいころから?」


「生まれつき、こういう体質でな。影が、増えた」


「増えたって」


「子どものころに、山で迷って、死にかけたことがあってな。そのとき、自分の影に話しかけてたら、こいつらが出てきた」


「なにそれ、かわいい」


「可愛くねえよ。最初は勝手に出てきて、勝手に暴れて、人を傷つけそうになった」


 彼の目が、一瞬だけ遠くを見た。


「だから、躾けた」


「躾けた?」


「噛むな。殺すな。俺が『行け』って言うまで、動くな。俺が『戻れ』って言ったら、消えろ」


 簡単に言うけれど、その「躾け」にどれだけの時間と苦労がかかったのか、想像もつかない。


「……それ、誰かが教えてくれたの?」


「教えてくれるやつなんかいねえよ」


 少しだけ、笑う。


「人狼ってのは、だいたい、ひとりだ」


「群れないんだ?」


「群れたら、目立つだろ」


「そっか」


 影の狼の一匹が、私の膝の上に、そっと頭を乗せた。


 重さは、それほどない。でも、確かな存在感がある。心臓の鼓動が、膝を通して伝わってくる気がして、胸がきゅっとなった。


「名前、あるの?」


「ない」


「かわいそう」


「必要ねえ」


「じゃあ、私がつけていい?」


「勝手に呼べ」


 私は、膝に頭を乗せている狼の目を覗き込んだ。


 銀色の瞳が、ぼんやりと光っている。


「じゃあ、きみは——」


 少しだけ考えてから、口を開く。


「シロ」


「黒いのに?」


「逆にね。ギャップ萌え」


「……センスねえな」


「うるさい。カミヤは?」


「何が」


「名前、つけられたことある?」


「ねえよ」


「じゃあ、私が最初?」


「やめろ」


「やめない」


 寝転びながら、松の枝の隙間から覗く星を数える。


「ねえ、これってさ」


「なんだ」


「修学旅行みたいだね」


「どこがだよ」


「ほら、知らない土地に泊まって、夜まで起きて、おしゃべりして。変なテンションになって、朝になったら眠くて死にそうになるやつ」


「野宿だぞ、これ」


「それはそれでレア体験」


 笑いながら言ってみせる。


 でも、本心だった。


 あの学校の修学旅行では、きっとこんな自由はなかっただろう。決められた時間に起きて、決められた時間にバスに乗って、先生に怒られないように、みんなと同じ行動をして。


 そんな「正しい修学旅行」より、今のほうがずっと、私には「青春」に思えた。


「楽しい?」


 不意に、カミヤが聞いてきた。


「楽しい」


 即答だった。


「怖かったけど。でも、今は楽しい」


「そうか」


「カミヤは?」


「ん」


「楽しい?」


 少しだけ、間が空いた。


「……悪くねえ」


「それって、けっこう最高の褒め言葉じゃない?」


「調子乗んな」


 彼の声は、少し眠そうで。影の狼たちも、ひとり、またひとりと、影の中に戻っていく。


 最後に膝に頭を乗せていたシロも、名残惜しそうに私を見上げてから、するりと地面に溶けた。


「おやすみ、シロ」


 誰に向かって言ったのか、自分でもわからない。


 防風林に、静かな夜が降りてきた。


 松の葉が、風にざわざわと揺れる音。遠くの波の音。虫の鳴き声。


 その全部が、子守唄みたいだった。


「ナギ」


「ん……?」


 もう意識が半分夢の中に沈みかけているとき、名前を呼ばれた。


「何」


「明日、起きても、この旅が続いてても——」


 言葉が、一瞬途切れる。


「怖がるな」


「……」


「お前が怖がったら、俺のほうが困る」


 なんて勝手な、と言い返そうとしたけど、口が動かなかった。


 代わりに、小さく、「うん」とだけ言う。


 それが、約束みたいに空気の中に溶けていった。


 その夜、私は、久しぶりに、父親の怒鳴り声も、母の泣き声も聞かずに眠った。


 夢の中で、海の音と、狼の遠吠えが、遠くで重なっていた。




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