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さよなら、優しい狼さん。~傷だらけの不死者が捧ぐ、一夜限りの逃避行~  作者: silver fox
第1章:16歳、夏。人狼(カミサマ)と逃避行。

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第4話:秘密を乗せて、夜を駆ける二人の距離

 原付は、街の灯りを次々と背中に置き去りにしていった。


 コンビニの白い光も、カラオケボックスの派手なネオンも、いつの間にか見えなくなって、代わりに、オレンジ色の街灯と、遠くの国道を走るトラックのヘッドライトだけが、夜の景色に点々と刺さっている。


「ねえ」


「……今は黙って掴まってろ」


「でも——」


「落としたら面倒だ」


 狼谷の声は、相変わらず低くてぶっきらぼうだ。


 私は、腰に回した腕を少しだけ強く握る。怖いとか、そういうのじゃなくて——こうしていないと、現実感がすぐにふわっと消えてしまいそうで。


 何度も瞬きしてみる。まつ毛の先が、湿っているのがわかった。


 怖かった。


 さっきまで、本当に、怖かった。


 駐車場の冷たいアスファルトの感触も、黒川の指の圧力も、耳元で囁かれた声も、全部、まだ皮膚の裏側に残っているみたいで。


 それを、無理やり上書きしてくるのが——。


 原付の振動と、前に座る彼の背中の硬さと、体温。


「ねえ」


「……なんだよ」


 観念したように、ため息混じりで返事が返ってきた。


「さっきの、狼。なに?」


「見なかったことにしろって言ったの、忘れたのか」


「忘れてない。でも、見たもん」


「面倒くせぇな、お前」


 ぽつりと漏れたその台詞に、なぜか少しだけ救われる。


「じゃあさ、せめて教えて。なんで飛び降りても死なないの?」


「死なねえわけじゃない」


「え?」


「死にづらいだけだ」


「日本語、難しい」


「お前の頭が悪いだけだ」


 ひどい。


 でも、口調とは裏腹に、彼は速度を少しだけ落としてくれた。会話ができるくらいの、程よいスピード。


 国道沿いのコンビニが見えてきて、私は思わず身を乗り出しそうになる。


「コンビニ! 寄りたい!」


「トイレなら、さっきのとこで行っとけ」


「ちがう。お腹すいた」


「……」


 沈黙が、数秒。


「お前、さっきパン食ってたろ」


「半額のやつ一個だけだし。その前は、昨日からほぼ何も食べてないし」


「あのクソ親」


 ぽそっと漏れた悪態は、風にかき消された。


「わかった。寄る。だが、時間はかけねえ」


「やった!」


 思わず声が大きくなる。彼の腰に回した腕に力が入って、「おい、落ち着け」と小さくたしなめられた。



 コンビニの白い光が、真夜中のオアシスみたいに眩しく見えた。


 自動ドアが開くと、冷房の冷たい空気と、フライヤーで揚げ物を揚げる油の匂いが、どっと押し寄せてくる。


「五分だ。選べ」


「え、むり。迷う」


「迷うな」


「でも——」


「三分」


「減ってるし!」


 私は慌ててお弁当コーナーに駆け寄った。棚にずらりと並ぶ、プラスチックの箱たち。唐揚げ弁当、のり弁、ハンバーグ弁当、ナポリタン——。


 どれも、中学のときにクラスメイトたちが「昨日のおかず、コンビニの○○だった」と自慢していたやつらだ。私が家で食べていたのは、大抵、冷蔵庫に残っていたもやしと、特売の鶏皮を炒めた謎の料理だったから。


「からあげ弁当……」


 ごくり、と喉が鳴る。


「唐揚げは譲れない。でも、ハンバーグもおいしそう……」


「一個にしろよ」


 背後からの低い声に、びくりと肩が跳ねる。


「え、狼谷も食べる?」


「俺はいい」


「食べなよ。さっき、飛び降りたし」


「飛び降りたから腹が減るって理屈はねえだろ」


「なんか、すごいエネルギー使ってそうだし……。さっき、手から変なキラキラ出てたし……」


 そこまで言うと、彼の眉がぴくりと動いた。


「見てたのか」


「目の前で、あんなの見せられたら、そりゃ見るでしょ」


「……お前、本当に、見なかったことにする気ねえんだな」


「助けてくれたから、内緒にはする。でも、知りたい」


 彼は、しばし無言で私を見下ろした。


 視線が、唐揚げ弁当と私の顔の間を何往復かする。


「……二つ買え」


「え?」


「一個はお前。もう一個は俺」


「食べるんじゃん」


「うるせえ。腹減ってきた」


 そう言って、彼は冷凍食品コーナーに足を向けた。プラスチックの扉を開けて、冷たい空気を顔に浴びながら、中をのぞき込む。


「肉まん……は、もうやってねえか」


「夏だしね」


「夏でも売ってるとこは売ってるんだよ」


 小さくぼやきながら、代わりに冷凍の焼き鳥パックを手に取る。


 肉、だ。


 私にとっての「ごちそう」がコンビニ弁当なら、彼にとっての「ごちそう」は、こういう肉なのかもしれない。そんなことを、なんとなく思った。


 レジに向かう途中、私はついでに、お茶のペットボトルと、レジ横で光っていたコロッケをひとつ、トレーにのせた。


「お会計、千八百二十円になりまーす」


 財布を開く。


 五千円。


 このお金が、どれくらいで尽きるかなんて、考えないようにした。今考えられるのは、目の前のごはんのことだけ。


「……貸しとく」


 支払おうとした私の手を、彼が大きな手で横から遮った。


「え」


「今、全部使うな。あとでどうすんだよ」


 狼谷が、代わりに自分の財布から二千円札を取り出して、レジに差し出す。レシートとお釣りを受け取って、ポケットにねじ込むと、こちらを一瞥した。


「あとで、ちゃんと返せよ」


「……うん」


「口だけじゃねえだろうな」


「返す。絶対返す」


「ならいい」


 彼の言い方はぶっきらぼうなのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 誰かに「貸しとく」なんて言われたの、初めてだった。


 今までの人生で、「お前のせいで金が減った」とか「どれだけ食うんだ」とか、そんな言葉しかもらったことなかったから。




 コンビニの駐車場の端っこ。自販機が並んでいる横の、コンクリートの段差に腰を下ろす。


 アスファルトはまだ昼の熱を少しだけ残していて、お尻がほんのり暖かい。


「いただきます」


 小さく呟いてから、唐揚げ弁当のフタをぱかっと開ける。


 湯気と一緒に、甘辛い醤油の匂いが立ちのぼってきた。白いごはんの上に、こんがりと揚がった唐揚げが四つ。横には卵焼きと、申し訳程度の漬物。


「やば……」


 唐揚げをひとつ、箸でつまんで、口に運ぶ。


 カリッ、と衣が歯に砕ける音。中から、熱い肉汁がじゅわっと溢れ出す。鶏肉の旨みと、醤油とにんにくと生姜のバランスが、完璧すぎて。


「おいしい……」


 思わず、涙が出そうになる。


 いや、ちょっと出た。


 味なんて、普段そこまで気にしたことはなかった。空腹なら、なんだって美味しく感じる。でも、この唐揚げは、そういうレベルじゃなくて——。




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