表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さよなら、優しい狼さん。~傷だらけの不死者が捧ぐ、一夜限りの逃避行~  作者: silver fox
第1章:16歳、夏。人狼(カミサマ)と逃避行。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/21

第14話:『犯人死亡』の裏側に、たった一つの真実を隠して

 そのあと、どうやって橋から引きずり降ろされたのか、あまり覚えていない。


 警官たちの怒鳴り声と、救急車のサイレンと、ヘリのプロペラ音が、ぐちゃぐちゃに混ざっていた。


 誰かが「少女確保!」と叫んだ。


「大丈夫か」「怪我はないか」と、矢継ぎ早に質問される。


 私は、ただひとつの言葉しか、口にできなかった。


「……カミヤは?」


 誰も、答えてくれなかった。


 代わりに、テレビが答えを出した。


『橋崩落、犯人の男死亡か』


『少女保護、誘拐事件は解決へ』


 画面の中でアナウンサーが、淡々と言葉を紡いでいく。


「犯人死亡」


 そのテロップが、頭の中で何度も点滅した。


 ***


 季節は、冬になっていた。


 あの夏の日から、何度も何度も、朝が来て、夜が来て。


 私は、あの家には戻らなかった。


 保護されたあと、事情を話した。


 父親に殴られていたこと。母親が止めなかったこと。夜、逃げ出したこと。


 全部本当のことなのに、「盛ってない?」と疑う視線も、確かにあった。


 でも、病院の診断書や、近所の人の証言や、学校での担任の話で、どうにか「虐待」は認められた。


 父は、いなくなった。どこに行ったのか、誰も教えてくれない。


 母は、テレビに映らなくなった。


 代わりに、私は「保護された被害者」として、児童相談所やカウンセラーのところを何度も回った。


「怖かったでしょう」


「でも、もう大丈夫よ」


 その言葉に、私は笑ってうなずいた。


「はい。もう、大丈夫です」


 そう言うたびに、胸の奥で、なにかがちくりと痛んだ。


 怖いのは、あの家じゃない。


 怖いのは、「犯人死亡」という、軽いテロップ一行で、あの人の存在が片付けられてしまったことだ。


 あの橋の上で、銀色の粒子を撒き散らしながら、私を逃がすために戦っていた人が。


「犯人」の一言で、全部、終わってしまったことが。


 ***


 冬の風は、骨の中まで冷やしてくる。


 アパートの外廊下に出ると、吐く息が白くなった。


 私は、両手をポケットに突っ込んで、自分の部屋の前まで歩く。


 二階建ての、古い木造アパート。家賃は安いけれど、壁は薄い。上の部屋の人がくしゃみをすると、なんとなくわかるレベル。


 でも、ここには、あの家の臭いはない。


 タバコと焼酎と油の臭い。


 怒鳴り声と、泣き声の残響。


 代わりにあるのは、電子レンジの音と、風呂の湯気と、誰かが笑いながらテレビを見る音。


「ただいま」


 小さく呟いて、鍵を差し込む。


 六畳一間の部屋。キッチンと、小さな居間と、押し入れと。


 テーブルの上には、バイト先のスーパーでもらってきた惣菜のパックと、格安のペットボトルのお茶。


 窓辺には——。


 一本の、缶コーヒーが置いてある。


 ブラック無糖。


 あのとき、神社の前で、彼が飲んでいたのと同じメーカー。同じデザイン。


 私は、毎朝それを一本だけ買ってきて、窓辺に供えている。


「今日も、ちゃんと生きてきたよ」


 独り言みたいに呟きながら、コートを脱いでハンガーにかける。


 制服じゃない。


 安物のデニムに、バイト先から支給されたポロシャツ。首には、社員証じゃなくて「パート」の名札。


 高校には、戻らなかった。


 戻ろうと思えば、戻れたのかもしれない。


 でも、どうしても、あの玄関をくぐる気にはなれなかった。


 その代わりに、通信制の高校に申し込んで、週に何回か通うことにした。


 教室は、小さい。クラスメイトも、少ない。みんな、なにかしら事情を抱えている。


 学校帰りに、そのままスーパーのバイトに行く。


 レジを打ったり、品出しをしたり。


「いらっしゃいませー」


「ありがとうございましたー」


 その言葉を、あの人は、どんな気持ちで言ってたんだろう。


「夜勤、大変?」


 ある日、社員さんに聞かれて、私は笑って首を振った。


「そんなに。夜のほうが、落ち着きますし」


 あの日のコンビニを、ふと思い出す。


 深夜のレジ。白い蛍光灯。誰もいないイートイン。


 そこに立っていた、ぶっきらぼうな店員。


「いらっしゃいませ」


「ありがとうございました」


 あの、何気ない一言一言の裏側に、あんな世界があったなんて。


「ねえ、カミヤ」


 窓辺の缶コーヒーに向かって、話しかける。


「今日ね、レジ打ちミス、ゼロだった」


 誰も答えない。


 当たり前だ。


 カミヤは、橋の下に消えたんだから。


「あとね、学校のほうも、レポート一個出した」


 誰も褒めてくれない。


 でも、それでいい。


 あの日、彼が言った。


『フラグ立ててる暇があったら、足を動かせ』


『生きろ』


『勝手に物語を終わらせるな』


 その言葉が、今も背中を押している。


「ちゃんと、しぶとく生きてるよ」


 小さく笑って、テレビの電源を入れる。


 ニュース番組では、今日もいろいろな事件が流れている。


 誰かが死んで、誰かが逮捕されて、誰かが涙を流している。


 でも、あの夏の日の橋のニュースは、もうどこにもない。


 過去の事件として、アーカイブの中に押し込まれている。


「犯人死亡」


「少女保護」


 それだけ。


 私の記憶の中では、まるで違う物語なのに。


「……ありがとう、カミヤ」


 呟きは、窓ガラスに吸い込まれていく。


 そのときだった。


 窓の外で、ふっと光が揺れた。


「……え?」


 雪だった。


 いつの間にか、外は白い粒で満ちていた。


 街灯の光を受けて、雪片がひらひらと舞っている。


 その中に——。


 一瞬だけ、銀色の粒子が混じった気がした。


「……」


 目をこする。


 見間違いかもしれない。


 でも、もう一度、外を見る。


 街灯の下、駐車場のアスファルトの上に、銀色の粒子がふわっと浮かび上がった。


 それは、数秒だけ、狼の形をとった。


 小さな、小さな狼。


 子どものイラストみたいに、簡略化されたシルエット。


 でも、目だけは、ちゃんと光っていた。


 琥珀色。


「……っ」


 息が詰まる。


 胸が、ぎゅっと締め付けられる。


「カ、ミヤ……?」


 名前を呼んだ瞬間、その小さな狼は、すっと消えた。


 代わりに——。


 足元に、違和感が走る。


 部屋の蛍光灯が作る私の影。


 その中に、何かが混じっていた。


 小さな耳。


 小さな尾。


「え?」


 影の中で、小さな狼が、首をかしげた。


「……」


 瞬きをしても、消えない。


 足を少し動かすと、一緒についてくる。影の濃さに合わせて、輪郭が少し変わるけれど、ちゃんと「そこにいる」。


「うそ……」


 足元にしゃがみ込んで、そっと手を伸ばす。


 触れない。影だから。


 でも、小さな狼は、私の手のひらに鼻先を押し付けるみたいな仕草をした。


 くすぐったいような、あたたかいような感覚が、掌に広がる。


「……シロ?」


 試しに、あの名前を呼んでみる。


 影の狼は、嬉しそうに尻尾を振った。


「じゃあ、きみは——」


 言葉が、喉の奥で震える。


「カミヤ、からの、プレゼント?」


 誰も答えない。


 でも、それで十分だった。


 涙が、ぽたぽたと畳の上に落ちる。


「ずるいよ……」


 笑いながら、泣く。


「そんなの、また、生きるしかなくなるじゃん」


 彼は、本当に卑怯だ。


 でも、そんな卑怯さに、何度も救われている。


「ねえ、これで、少しは、影になれた?」


 窓の外には、相変わらず雪が降り続いている。


 街灯の光の中で、白い粒と、ほんの少しの銀色の粒子が混じり合っていた。


「ありがとう、カミヤ」


 今度は、はっきりと言えた。


「私、ちゃんと生きるから」


 影の中の小さな狼が、こくんと頷いた気がした。


 私は、涙を拭いて、立ち上がる。


 バイトに行く時間だ。


 スーパーのレジの前で、「いらっしゃいませ」と言う。


 夜のコンビニとは違う。でも、どこか似ている。


 誰かの日常の中に、私は立っている。


 それが、今の私の「光の下」だ。


 影は、足元に寄り添っている。


 小さな狼の影と一緒に。


 物語は、あの橋の上で終わらなかった。


 これからも、きっと、いろんなことがある。


 嫌なことも、楽しいことも、怖いことも、嬉しいことも。


 その全部を抱えながら、私は今日も、「生きててよかった」と言えるように、しぶとく歩いていく。


 ——そのたびに、足元の影の中で、小さな狼が、こっそりと尻尾を振っていることを、私はちゃんと知っている。




最後までお読みいただき本当にありがとうございました。


満月の夜、崩落する橋の上でカミヤが叫んだ「お前は光の下で生きろ」という言葉,。

彼は濁流へと消えてしまいましたが、凪の足元には、彼が遺した小さな狼の影「シロ」が寄り添っています,。

たとえ離ればなれになっても、凪は彼との約束を胸に、この世界でしぶとく生きていくことを決めました。


物語は、ここから数ヶ月後。社会的に「死んだ」ことになったカミヤが、一台の原付で新たな街へと流れ着く第2章へと続きます。


もしこの第1章を読んで「切ない」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや下の評価欄から【☆☆☆☆☆】で応援いただけますと、執筆の大きな励みになります!


また次の街でお会いしましょう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ