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さよなら、優しい狼さん。~傷だらけの不死者が捧ぐ、一夜限りの逃避行~  作者: silver fox
第1章:16歳、夏。人狼(カミサマ)と逃避行。

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第13話:『生きろ』という呪いと、銀色の粒子が消える川

 橋の中央付近が、限界に近づいているのがわかった。


 コンクリートに走るひび割れが、どんどん広がっていく。欄干の一部は、すでに川に落ちていた。


 影の狼たちが、そのひび割れを踏み越えて走るたび、橋全体がゆらゆらと揺れる。


「……やば」


 思わず声が漏れる。


 向こう側にいる警官たちも、危険を感じたのか、一時的に引き下がっていた。


 その隙に、私は橋のたもとまであと数メートル、というところまで辿り着いていた。


「ナギ!」


 また、名前を呼ばれる。


 振り返ると、カミヤが、橋の真ん中でこちらを見ていた。


 狼の姿のまま。血まみれのはずなのに、銀色の光がそれを全部覆い隠して、まるで月の化身みたいに見えた。


「行け!」


 彼が、叫ぶ。


「ここで止まったら、全部意味ねえ!」


「でも——!」


 涙が、視界をぼやけさせる。


「一緒に——」


「無理だ!」


 鋭い声。


「俺は、こっから先、行けねえ!」


「なんで!」


「見ろよ!」


 彼が、足元を指さす。


 橋の中央付近。大きなひび割れ。コンクリート片が、ぽろぽろと川に落ちていく。


「ここは、俺みたいなもんが暴れりゃ、崩れるようにできてんだよ!」


「カミヤが、壊したんじゃないの?」


「きっかけにはなったかもな。でも、もともとギリギリだった」


 彼は、息を切らしながら笑った。


「橋ってのは、いつか落ちるもんだ。設計したやつらは、『何十年先』って数字を見てたかもしれねえけど……」


「今じゃん!」


「そうだよ。今だ」


 彼は、ひとつ深呼吸をして、続けた。


「だったら、その『いつか』を、お前を逃がすために使う」


「……っ」


 胸の奥で、なにかがはじけた。


「やだ」


 子どもみたいな言葉が、口からこぼれる。


「そんなの、いやだよ」


「知るか」


 彼は、無茶苦茶なことを言う。


「俺の我慢の限界は、とっくに超えてんだよ。ここんとこ、人間に撃たれすぎた」


「だったら、なおさら——」


「ナギ」


 その一言で、身体がぴたりと止まった。


「なに」


「聞け」


 睨まれているのに、どこか優しい目。


「お前、あの家にいたころ、どうやって耐えてた」


 不意の質問に、一瞬、息が止まる。


「どう、って……」


「死ななかった理由だよ」


「……」


 少しだけ、考えた。


「本、かな」


「本?」


「学校の図書室で、いっぱい借りてた。ファンタジーとか、冒険物とか。知らない世界の話読んで、『ここじゃないどこかに行けたらいいな』って思ってた」


 答えながら、涙があふれてきた。


「でも、本の中の主人公たちは、みんな、すごくて。勇敢で。ちゃんと、自分で歩ける子たちで。私みたいに、逃げることしかできない子じゃなくて」


「そうか」


 カミヤは、少しだけ目を細めて笑った。


「じゃあ、今から、お前がそいつらになる番だ」


「え」


「物語の主人公」


「無理だよ」


「無理じゃねえ」


 彼は、拳を握りしめた。


「主人公ってのはな、最初から強いわけじゃねえ。怖くても、震えてても、『もう一歩』踏み出すから、主人公になるんだよ」


「……」


「お前は、もうあの家から一歩踏み出した。夜の繁華街から、一歩踏み出した。俺にしがみついて、一緒にここまで来た」


「それは、カミヤが——」


「違えよ」


 彼の声が、少しだけ強くなる。


「俺は、きっかけでしかねえ。選んだのは、いつもお前だ」


「……」


「だから、今も、選べ」


 橋の向こうを見る。


 川の向こうに続いていく、知らない街。つまらない日常。めんどくさい人間関係。うるさい大人たち。歪んだニュース。


 でも、その中に——。


「お前は、光の下で生きろ」


 さっきの言葉が、もう一度、彼の口からこぼれた。


「俺は、影だ。影は、光がないと存在できねえ。光のない場所に、一人で取り残された影なんて——」


 一瞬、言葉が途切れる。


「それは、影じゃねえ。ただの闇だ」


「……」


「お前が、光の下で生きて、笑って、飯食って、『生きててよかった』って言いながら唐揚げ食ってる限り——」


 彼は、微笑んだ。


「俺は、影でいられる」


 胸が、痛すぎて、呼吸ができなかった。


「そんなの、卑怯だよ」


 やっと絞り出せた言葉。


「そんなふうに言われたら、行くしかなくなるじゃん……」


「卑怯で結構」


 彼は、肩をすくめる。


「行け、ナギ」


 名前を呼ばれるたびに、身体の芯が震える。


「嫌われてもいいの?」


「とっくに嫌われてる」


「私にだよ」


「お前に、嫌われる道、選べるほど、器用じゃねえ」


「……ずるい」


 笑いながら泣く、なんて器用なこと、私にはできない。


 ただ、涙を流しながら、叫ぶだけ。


「カミヤ!」


「なんだ」


「私、カミヤのこと——」


「言うな」


 ぴしゃり、と遮られた。


「そういうのは、ちゃんと生き延びてから言え」


「でも——」


「フラグ立ててる暇があったら、足を動かせ」


「なにそれ、なろう脳?」


「うるせえ」


 橋が、限界に近づいている。


 あちこちから、コンクリートの砕ける音がする。


「ナギ」


「なに」


「約束しろ」


「……」


「生きろ」


 短く、はっきりと。


「俺がどうなっても、生きろ。勝手に死ぬな。勝手に消えるな。勝手に、物語を終わらせるな」


「——」


 喉が、きゅっと締まる。


「約束しろ。ナギ」


「……うん」


 やっと、それだけ絞り出した。


「約束する」


 涙でぐしゃぐしゃの顔でも、嘘だけはついてない。


「絶対、生きる。カミヤが、『生きててよかった』って思えるくらい、しぶとく生きる」


「上等だ」


 彼が、笑った。


 その笑顔は、狼の顔のままなのに、不思議と優しかった。


「行け、ナギ!」


 世界が、スローモーションになる。


 足が、地面から離れる。


 一歩。


 二歩。


 橋のたもとまで、あと数歩。


 そのとき。


「——ナギ!」


 また、名前を呼ばれた。


 さっきまでの怒鳴り声とは違う。


 必死で、掴みとろうとするみたいな、かすれた声。


「なに!」


 振り返らずに答える。


「ナギ・城ヶ崎ナギ!」


 フルネーム。


 彼が、私の名前をフルで呼んだのは、これが初めてだった。


「お前を——」


 銃声。


 轟音。


 世界が、崩れた。


 橋の中央部分が、ついに持ちこたえられなくなったのだ。


 コンクリートが、轟音とともに川に落ちていく。


「カミヤ!」


 思わず叫んで、振り返る。


 橋の真ん中で、彼が崩れ落ちる橋の破片と一緒に、ゆっくりと沈んでいくのが見えた。


 影の狼たちが、その周りを旋回するように走る。


 銀色の粒子が、滝みたいに溢れ出る。


「——っ!」


 声にならない叫び。


 伸ばした手は、彼に届かない。


 数十メートルの距離と、崩れ落ちるコンクリートと、渦巻く川の流れ。


 全部が邪魔をする。


「嫌だ! 行かないで!」


 無意味な言葉を、何度も叫んだ。


「カミヤ! カミヤ——!」


 彼は、こちらを見ていた。


 狼の顔のまま。


 琥珀色の目に、私の姿を映して。


「——ナギ」


 最後に、もう一度。


「生きろ」


 口の動きだけで、そう言ったように見えた。


 次の瞬間、橋の中央部分と一緒に、彼の姿は川の中へと消えた。




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