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さよなら、優しい狼さん。~傷だらけの不死者が捧ぐ、一夜限りの逃避行~  作者: silver fox
第1章:16歳、夏。人狼(カミサマ)と逃避行。

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第10話:たとえ世界が、きみを容疑者と呼んでも

 外の空気は、さっきまでと同じはずなのに、まるで別物に感じられた。


 さっきまで、ただの「海辺の町」だったこの場所が、急に「敵地」に変わる。


「全国ニュースになったか」


 防波堤に向かう途中、カミヤがぽつりと言った。


「もう、逃げるだけじゃ、済まねえな」


「どういうこと……」


「親が、警察に届け出て、マスコミに泣きついた。ああやって『善良な被害者』を演じられたら、世間は簡単に味方する」


「でも、真実は違う……」


「真実なんざ、だれも興味ねえよ」


 乾いた声。


「必要なのは、『わかりやすい悪者』だ。誘拐犯、人身売買組織、暴力。そういうラベルだ」


「じゃあ、カミヤは——」


「わかりやすい悪者役だな」


 肩をすくめてみせる。


「お前を助けたって事実は、俺とお前しか知らねえ。世間から見りゃ、『未成年の女を連れ回してる怪しい男』でしかねえしな」


「そんなの、ひどすぎる」


「世の中、大体そんなもんだ」


 彼は、防波堤の上に音もなくひょいっと飛び乗った。


 助走もなく、体が浮いた気配すらない。

 気づいたときには、もう上にいる。


 私も真似しようとして足をかけた瞬間、

 バランスを崩して、思わず彼の手を掴んだ。


「おっと」


「……ありがと」


「ぼんやりしてるからだ」


「だって……」


「わかってる」


 短いやりとり。


 でも、その「わかってる」の一言で、少しだけ呼吸が楽になった。


 防波堤の上から見る海は、さっきよりもずっと眩しくて、どこまでも続いているように見える。


 でも、その広さが、今は少しだけ怖かった。


「カミヤは、どうするつもり……?」


「どう、って?」


「だって、このままだと……」


 言葉を飲み込む。


 このままだと、「犯人」として捕まる。ニュースで「身柄確保」とか、「逮捕」とかいうテロップが流れる。


 そのとき、私の名前がどう扱われるかなんて、想像したくもない。


「行くところ、増えたな」


「行くところ?」


「海沿いの神社と、山の奥と、人気のねえ橋と」


「なんで橋?」


「橋は、切れる」


 短く答えてから、彼はポケットから缶コーヒーを取り出した。


 さっきのとは違うやつ。微糖と書いてある。


 プルタブを開けて、一口飲む。


「……」


「どう?」


「甘い」


「さっきよりは、マシじゃない?」


「かもしれねえ」


 そんな他愛のない会話をしながらも、私の頭の中は、さっきのニュースのことでいっぱいだった。


「ねえ、カミヤ」


「なんだ」


「もしさ。今からでも、私が一人で警察に行ったら」


「ダメだ」


 即答だった。


「なんで」


「お前の話なんて、誰も信じねえよ」


「でも、私が誘拐されてないって言えば——」


「『犯人に洗脳されている』って言われて終わりだ」


「……そんな」


「世の中、『弱い立場の人間』の証言を、必ずしも信じちゃくれねえ」


 彼は、海を睨むように見つめた。


「しかも、お前の家庭環境は、外から見りゃ『普通』だ。親が泣きながら『娘を誘拐された』って言ってるのに、『あの家は虐待してました』なんて言っても、ただの言い訳にしか聞こえねえ」


「じゃあ、どうしたらいいの……」


「生き延びる」


 短い答え。


「今は、それだけ考えろ。世間とか正義感とか、そういうのはあとだ」


「あとなんて、あるのかな……」


 ポツリとこぼした声が、波の音にかき消される。


「ある」


 カミヤは、はっきりと言った。


「俺が、作る」


 心臓が、跳ねた。


「だから——」


 彼は、ゆっくりと、私のほうを見る。


 琥珀色の瞳が、射抜くように私を見つめる。


「……俺のこと、『誘拐犯』に見えるか?」


 ニュースが繰り返す言葉を、彼はわざと自分に突きつけるように呟いた。


「見えない。……絶対に」


 考えるより先に、言葉が溢れていた。


「さっきのニュースを見たあとでもか?」


「関係ない。……関係ないよ」


「——世間から見れば、俺は未成年を連れ去った犯罪者なんだぞ」


「それでも!」


 自分でも驚くほど強い声が出た。震える拳を握りしめ、私は彼を真っ直ぐに見返す。


「だって、私は分かってる。あのままだったら、私はどうなっていたか。あの暗い路地裏で、誰に捕まって、どこへ売り飛ばされていたか……!」


 私の叫びに、カミヤの瞳がわずかに揺れた。


 呼吸が、少し荒くなる。


 一瞬、喉が詰まった。


「カミヤがいなかったら、私、もうあそこで——」


 言いかけて、口を閉じる。


「カミヤは……

 私を売られる側から、引きずり戻した人」


 彼は、一瞬だけ目を伏せた。


 まつ毛に落ちた影が、夏の光の中で、かすかに揺れる。


「……」


 なにか、飲み込むような仕草。


 それから、わずかに肩の力を抜いて、ぽつりと言った。


「なら、いい」


「うん」


「その認識でいろ」


「うん」


「世間がどう言おうが、お前だけは、そう言ってろ」


「……うん」


 うなずいた瞬間、胸の中の何かが、かちりとハマる音がした気がした。


 世界中が、「カミヤは犯人だ」と言っても。


 ニュースのテロップが、「容疑者」と彼を呼んでも。


 私だけは、違う名前で呼ぶ。


「ねえ、カミヤ」


「なんだ」


「カミサマ、って呼んでいい?」


「やめろ」


「なんで」


「くすぐったい」


「神様っぽいのに」


「二度と言うな」


「じゃあ、心の中でだけ、呼ぶ」


「勝手にしろ」


 防波堤の上で、二人分の影が伸びる。


 私の影と、その隣の、少し背の高い影。


 その足元には、誰にも見えない、小さな狼の影が、そっと寄り添っていた。


 ——それに気づくのは、もう少し先の話だ。


 今はまだ、海風が髪を揺らし、ニュース番組のキャスターが「少女の安否が心配されています」と他人事みたいに言っているだけの、夏の一日。


 でも、この日から、私たちの逃避行は、「家出」とか「旅ごっこ」なんて言葉でごまかせないものになった。


 世間全部を敵に回してでも、守りたいものができたから。


 私は、その「敵だらけの世界」の真ん中で、彼の背中にしがみつきながら、生き延びる未来を、必死で探そうとしていた。


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