受験生に役に立つかもしれない行動経済学入門
この日本では、受験生が受験勉強をすることは当たり前のようになっているが、実際には受験生が「ほんとうに受験って何の意味があるんだろう?」と考えることも少なくない。そのたびに、先生や親はあれこれと「将来のため」なり「人生の選択肢を増やすため」なりと説得を試みるが、近来の行動経済学の研究によれば、受験生における受験勉強の有意性は次のように証明されている。
「単純に100点が取れて嬉しい」
一番単純なパターンであるが、一番楽な解決方法である。受験勉強をして模試や学校のテストで100点を取るという "短期報酬" を得ることができる。これは行動経済学においても先行きの報酬よりも目先の報酬のほうに囚われやすいという結果と一致している。これは受験勉強をすると「将来的な~」という未来の報酬を考えた上で、「じゃあ、直近の遊びを我慢するのは何か意味があるのか」と問われてしまうと「うーむ」と悩んでしまう先生や親にとっても有効な根拠だと言える。
しかしだ。問題は、
「100点を取っても全然嬉しくない」とか
「そもそも100点が取れない」とか
「内申点が悪かったら、テストで100点を取っても学校に合格しない」とか言う間もなく
という受験生がいることだ。100点が取れないのは仕方がないとして、内申が悪い場合にはどうしようもないので、別の手段を考えねばならない。勿論、考えるのは文部科学省とか学校側とかなので受験生やその親が何かできるものではない。
しかし「100点をとっても全然嬉しくない」というのは場合には考慮のしようがあるし、他の方法を考えることになる。もちろん、他の答えでも同様ではあるのだが "嬉しくない" のだから、行動経済学における直近の報酬効果が効いていないのである。つまりは、報酬関数のミスということになる。
チンパンジーのように天井から吊るしてあるバナナとか、鳩が数字を順番に押すと木の実がでてきるボタンとかでもいいのだが、受験生はチンパンジーでも鳩ではない。ヒトであるので、バナナとか木の実では十分な報酬とはいえないだろう。
もっとも、この時点で報酬としてバナナが有効であるならば、目の前にバナナを吊るすか人参を吊るすかして受験勉強に専念させるという方法もある。これでうまくいくのであれば、1年間分の365本のバナナを用意するだけで十分ではあるのだが、現実問題としてはなかなか難しい。バナナはそんなに日持ちはしないし、バナナをためておく倉庫の敷地も必要となってくる。近年の東京の住宅事情からバナナを置くための倉庫を確保しておくのが物理的に難しい事から、別の手段を考えねばなるまい。
「大学にはいるとモテるかもしれない」
「大学に入ると楽しいサークルがあるかもしれない」
「大学に入ると好きな教授の授業が受けられるかもしれない」
という、大学を目標にするのも(高校受験ならば高校であるのだが)ひとつの方法ではあるが、ここで問題になるのは「かもしれない」という不確定要素が入ってしまうことである。行動経済学においては、不確定要素が入ると人はその報酬を過小評価する傾向があることが知られている。つまりは「大学に入るとモテるかもしれない」というのは、受験生にとっては「大学に入ってもモテないかもしれない」という不安要素が付きまとう。これは解消しなければいけない。もっと具体的であり確実な報酬を用意する必要がある。
なお、「好きな教授の授業が~」というものがちらほらと聞こえることもあるのだが、これがあれば受験生としては問題ない。既に目標となるものがあるのだから受験生みずからが目の前に人参を置いているようなものである。
一方で否定的な報酬、つまり懲罰を与える方法もあるのだが、これは受験勉強においてはマイナスとなる。たとえば
「この答えを間違えたら、電撃が走るぞ」
「この問題が解けなかったら、この家から出さないぞ」
「このテストをクリアしなかったら、スマホを没収するぞ」
このようなマイナス報酬の場合は、パブロフの犬のごとく、電撃に慣れてしまうことが多い。諸星あたる効果とも言える。マイナスの刺激は現実に何度も発生すると慣れてしまうのである。「電撃が走るぞ」という脅しは実際に電撃が走るよりも、それを想像するときの痛みのほうが大きい。これは拷問も同じであり、実際に拷問を受けるよりも、拷問への恐怖が犯罪を抑制する効果が大きいのである。これは、ヒトがあらかじめ危険を予測することに能力が発達し、その危険予知能力を過信するあまり、実際に脳に対してマイナスの報酬が与えられるためだろう。しかし、現実的にマイナスの報酬、つまり、電撃があたえられたときは、その仮想の予測よりも小さい痛みであることが判別し(あるいは、電撃自体が大したことがないとわかり)、その後のマイナス報酬である電撃がさほど怖くなくなるという現象となる。
しかして、受験勉強においては、マイナス報酬はあまり効果的でもなく、更に言えば受験勉強を行うという行動自体になんら寄与しない。刑罰による抑制効果は最初しか効果がないのだ。
「で、結局のところ、どうすればいいのさ?」
「いや、ぶっちゃけ言えば、受験勉強には "意味" はない。むしろを意味を求めてはいけないと思うね」
「え? そうなると受験勉強する意味はないということ?」
「いやいや、なんらかの形で受験に失敗するとマイナスになるから、受験自体が受かっておいたほうがいいのがは確か、すくなくとも現代の日本においてはね。だけど、受験そのものになんらかの意味を求めても仕方がない。そこは、クリアすべきゲームだと思えばいい」
「いや、ゲームというか...ゲームにしては面白くないよね?」
「まあね。幸いにして受験勉強ってのは一定期間でしかないから、その時間だけ我慢するということを覚えればいい。いや、自分の中で何か "意味" を見出して我慢するのではなくて、ただ、単純にその時間を受験勉強として過ごすということさ」
「ふーん、何か納得がいかないけど、その間に遊びを禁止しないとだめ?」
「いや、そんなことはない。学習効率や効果なんてひとそれぞれだからね。先に言ったように 100 点取れれば嬉しいってヒトもいれば、100 点とっても嬉しくないってヒトもいる。だから、無闇に受験勉強の時間を取ればいいというわけでもない。逆に言えば、時間を区切ったほうがいい。効率が悪くても、効果がでなくても、一定時間は受験勉強をする。そういう仕組みが歴史上学校教育としてあるからね。これは、効果的だったのだろうということさ」
「うーん、なんかよくわからないけど、まあ、いいや」
「エッジ的なヒト、つまりは、一種の天才を発生させたいのならば別だけど、学校教育あるいは集団教育というスタイルは経済学的にも合理的なんだろう。集団進化論としても有効なわけだし、過度な受験勉強...つまりは受験戦争の過熱化は実験中だから、まだ結果ははわからないけど、知識の蓄積としては有効なんじゃないかな」
「ああ、なるほど、じゃあ、神の啓示はやめておくか。もうちょっと、このまま受験勉強スタイルを続けておくほうがよいかな」
「そうだね、下手に啓示を授けてしまうと、将来的に何かに目覚めてしまって、へんな方向にいくからね。ここの地球ではやめておいて、別の星系ので試してみたら?」
「じゃあ、記録レポートのほうはよろしく。ちょっと面倒だけど」
「了解」
【完】
「実践行動経済学」リチャード・セイラー、キャス・R・サンスティーン著、東洋経済新報社




