プロローグ
「知ってるか? 白神村って」
場末の居酒屋で、ふと耳に入った言葉。
仕事帰りのサラリーマン、常連らしき老人たち、スーツ姿の男女。
誰もが疲れた顔をして、酒をあおっている。
俺もビールを片手に、テレビのスポーツニュースを眺めていた。
隣の席で、二人の男が話していた。
一人は50代後半の冴えない中年、もう一人は30代のスーツ姿。
「白神村? どこそれ」
スーツ男が、つまらなそうに聞き返す。
「山梨県の山奥にある、もう廃村みたいなもんだよ。でもな、30年前に40人がまとめて消えたんだ」
俺はグラスを持つ手を止めた。
(40人が消えた?)
それを聞いた瞬間、頭の中で何かが引っかかった。
普通の人間なら、「ふーん、怖い話だな」で終わるだろう。
けれど、俺はそういうのを放っておけない性分だった。
(面白い)
そう思ったら、もうダメだった。
知りたくなる。
細部まで、隅々まで。
「原因はいまだにわかってない。警察も動いたけど、何の手がかりもなかったらしい」
「オカルト話ってこと?」
「いや……変なことに、当時の新聞記事が異様に少ないんだよ。まるで『この事件自体を隠そうとしている』みたいに」
(隠された事件か……)
ますます興味が湧いた。
以前も似たようなことがあった。
ある地方都市で起きた未解決事件を調べて、偶然、重要な証言に辿り着いたことが。
「たまたま見つけた」なんて言い方をすると、運が良かっただけみたいだが、俺はそうは思わない。
世の中には、「探す人間しか見つけられないもの」がある。
そして、それを「どうまとめるか」はもっと重要だった。
会話はそれで終わり、二人は別の話をし始めた。
俺はビールを一口飲み、スマホを取り出した。
(白神村……)
検索してみると、驚くほど情報が出てこない。
確かに○○県の山奥にあるらしいが、観光地として紹介する記事は皆無。
失踪事件についても、公式の報道はほぼない。
唯一、地元の歴史をまとめたサイトに、こう書かれていた。
「白神村は、30年前に人口の半数が失踪したことで知られる。
事件の詳細は不明で、公式記録もほとんど残っていない。
その後、村は急速に過疎化し、現在は数世帯が残るのみとなっている。」
たったこれだけ。
(情報が少なすぎる……)
普通なら、40人が消えた事件なんて全国ニュースになっているはずだ。
なのに、当時の新聞記事もニュースサイトのアーカイブも、ほぼ何もない。
不自然だ。
あまりにも、不自然すぎる。
俺はスマホのメモアプリを開き、簡単な箇条書きを残した。
•白神村(○○県)
•30年前、40人失踪
•事件の詳細不明、新聞記事が少ない
•今も村には数世帯残っている
指を動かしながら、頭の中で整理する。
こうして、無意味な情報を積み上げていくことに慣れていた。
あとで文章にするときに、順番を入れ替えたり、いらないものを削ったり。
(さて……どうするか)
いつものクセで、そう考えた。
「これは面白い話だ」と思うと、つい形にしたくなる。
取材——というほど大げさなものじゃないが、現地に行けば何かがわかるかもしれない。
そして、何かがわかれば、それを——
俺はグラスの中のビールを見つめた。
(……まあ、行くしかないか)
翌日、俺は県立図書館へ向かった。
白神村の事件について、30年前の新聞を調べるためだ。
しかし、そこでさらに奇妙なことに気がついた。
白神村の名前が載った記事は、たったの二つしかなかった。
【1つ目の記事(事件発生直後)】
「○○県の白神村で、村人の一部が行方不明になっているとの通報があった。
県警は捜索を進めているが、現時点で詳細は不明。」
【2つ目の記事(1週間後)】
「白神村の失踪事件について、県警は『状況を把握した』として、捜査を打ち切った。
住民の安全は確認されており、今後の調査は不要との見解を示している。」
(たったこれだけ?)
40人が消えた事件にしては、短すぎる記事だ。
しかも、明らかに不自然なのは2つ目の記事。
「住民の安全は確認されている」?
40人が行方不明なのに、どうしてそんなことが言える?
たった1週間で「調査を打ち切る」?
さらに調べると、奇妙な証言を見つけた。
当時、村で暮らしていた数少ない生存者のひとり、「桑田仁志」 という87歳の老人の発言。
10年前のローカルニュースに、こんなコメントが載っていた。
「警察は何もわかっちゃいねえ。
あのとき、村で何が起きたのか、本当に知りたいなら……
今も残ってる村の連中に聞くこった。
けど、あんた、気をつけな。
あの村は、外の人間に優しくはねえぞ。」
桑田仁志は、すでに亡くなっている可能性が高い。
つまり、真相を知るには、自分で村に行くしかない。