9. 意地悪王子と指輪の秘密
暖かい。揺れている。
誰かの背中に背負われているのだ。
「あ。目、覚めた?」
ぼんやりした視界に、ランプの柔らかな光に照らされた金色が映った。
「………ラウリオ様?」
「正解。はじめまして、シェールビア」
よくわかったね、と第二王子は笑った。
そうだった。私はゲームを通してよく知っているけれど、シェールビアとラウリオはほぼ初対面だ。
「ティーリオ様は」
「悪いお口を閉じさせに行ってるよ。空飛ぶ長虫どもは僕が殺しておいたから大丈夫」
さあ着いたよ、とラウリオはドアを開けた。団員用の個室の一つか何かだろう、余計なもののない小さな寝室だった。
ラウリオはベッドに私を下ろして、ランプの灯りを少しだけ明るくした。
明るい金髪に優しげな面差しの、正統派の王子様らしい容姿。双子だというのに全然似ていないけれど、ティーリオと同じ紫の眼をしている。
「気分は?悪くない?」
大丈夫、と答えると、ラウリオは良かった、と微笑んだ。
「ティールがいると思ったら君だったから驚いたよ。間に合って良かった。……ね、少しだけ話しても、いいかな」
私は頷いた。
まだぼんやりしていて声が出にくいけれど、一人にはなりたくなかった。
「ありがとう。なんだか噂で聞いてた感じと違うね。もっと高飛車で嫌な子だと思ってたのに」
私は力なく笑った。
「そう思われて当然でしたね」
「結婚式の直後、
……君が婚姻の解消を一方的に要求して逃げた後、ティールが慌てて探しに行くというのを、僕は止めたんだ。
君みたいな気紛れで勝手な御令嬢、放っておけばいいと思って」
「そうして下さってよかったのに」
「そうしなくてよかったよ。そうしていたらティールは第五騎士団に来なかったし、僕だって東部に向かってきていなかったし、君は死んでいたし、多分クラル城砦は陥落してた」
ラウリオはデスクの椅子を引き寄せて、ベッドの傍に座った。
「君の指輪」
そう言われて、私は左手を持ち上げた。
あたたかなランプの灯りに照らされた指輪に嵌め込まれた小さな石は、やっぱりラウリオの眼と同じ色をしている。
「そういえば、オレアンドの血筋は魔力が感じられないんだっけ」
私が頷くと、ラウリオはそっか、と残念そうに笑った。
「すごく綺麗な音だよ」
「共鳴するんでしたっけ。ラウリオ様には聞こえるんですね」
「石が呼び合うんだ。普通はお互いにしか聞こえないんだって。でも、僕とティールは一心同体の双子だからかな」
「だから、私を見つけて下さったんですか」
指輪が呼んでいたから、と私は聞いた。
「そうだよ。君がクラル城砦にいるなんて思わなかったから、ティールの指輪の音だと思ったんだ」
そう言ってラウリオはほんの少し、黙った。
「昔ね」
ラウリオはそっと手を伸ばして、指先で小さな小さな石を撫でた。私の指には触れずに、その小さな石だけを。
「祖父がよく言っていたんだ。
お前たちは、お前たちが心から愛せる人、同じように愛してくれる人、結婚指輪が歌うような人と一緒になりなさい、って」
「ロマンチックですね」
私は気恥ずかしくなって、はぐらかすようにそう言った。
「そうでしょう」
ラウリオは嬉しそうに笑った。笑顔が眩しい。灰になっちゃう。
「祖父母の指輪はよく歌ったんだって。それでね、父に聞いてみたんだ。お父様の指輪はどんな歌を歌うのって」
子供は残酷だね、とラウリオは言った。
現ラヴァンドル王国国王であるラーヘンと、北側の隣国イリシャ公国から迎えられた王妃アネトの間に、愛は生まれなかった。それは公然とした事実だ。
アネトは二人の王子を産んで役目を果たしたと宣言し、今は宮廷から離れて、王国南部の海辺の離宮に暮らしている。
「大人になってからわかったよ。両親の間に愛はなかったけれど、同盟者のような、友人のような関係があった。
それはそれで素晴らしいものだけれど、指輪が共鳴するような喜びはなかったんだろうね。だから、父の指輪は歌わなかった。
……祖父はそれを負い目に思っていたようだ」
ラヴァンドル王国とイリシャ公国は、共にロカイ帝国と国境を接している。
数十年前、ロカイ帝国内で内乱が起き、皇帝やその家族、有力貴族の多くが処刑された。新皇帝は帝国内部の勢力図を刷新するとともに周辺国家への侵略を繰り返したため、ラヴァンドルとイリシャは強い同盟関係を築く必要があった。
「では、私たちの婚約も気に入らなかったでしょう」
「ティールがそれを受け入れたことの方が、気に入らなかったよ」
王室と、国内最大の財力と権力を誇る公爵家との婚姻は、両者の強固な関係を内外に示すのが目的だった。
でもね、とラウリオは続けた。
「あの日、僕とティールは先に教会から王城へ戻っていた。バルコニーから国民に、結婚報告をする予定でね。
控え室に君の父君が転がり込んできた時の、ティールの血相と君の父君の泣き顔、見せてあげたいくらいだった」
「ラウリオ様は意地悪でいらっしゃいますね」
ラウリオはくすくす笑いながら、うん、そうなんだ、と頷いた。
「ティールは必要以上に真面目だし、僕が守ってあげなきゃって思ってた。だから、君を探しに行くのに反対したんだ」
ラウリオは屈んで、私の左手の上に耳を近付けた。金色の長いまつ毛が伏せられて、ランプの灯りにきらきらしている。
「ティールを止めようとして言い合っていた時に、音に気がついたんだ。鈴みたいな、小鳥の声みたいな、不思議な音だった」
目を閉じたまま、ラウリオは話を続けた。
「聞こえる?って聞いた時の、ティールの顔ったら!僕が言うまで、気付いてなかったんだ。ティールらしいよね。
だから僕は、そりゃまだ半信半疑だったけど、君を探しに行くティールを、もう止めなかった」
ラウリオは体を起こして、私を見つめた。
「ほとんど面識のない政略結婚なのにどうしてそうなったのかは、僕には理解できないけど、
……想いあっていなければ、指輪は絶対に歌わない。だから、僕は君を認めるよ」
ラウリオの言葉を飲み込むのに、瞬き三回分の時間が必要だった。
「えっ」
「えっ?」
ラウリオが首を傾げる。顔に血が昇って、赤くなるのがわかった。
「どうしよう」
「どうしよう?」
ラウリオが逆側に首を傾げて、愉快そうにしている。可愛い顔をして、私が困っているのをにこにこして面白がっているらしい。この意地悪王子!
あ、とラウリオが真顔に戻った。
「外が騒がしいね、ティールたちが戻ってきたのかも。迎えに行かなきゃ。すぐここに来たがるだろうけど、食い止めて丸洗いしてやらないと」
ラウリオは立ち上がり、君のためにもと笑って、私の肩へ毛布を掛け直してくれた。
「それまでゆっくりおやすみ。またね、義姉さん」
ラウリオが出て行って、ぱたん、とドアが閉まった。
この、ほんの数分間の情報量が多い。ヤバい。明日まで失神していたい。
ティーリオは、私が彼を嫌っていないどころか大好きなのだと知っていたのだ。
それでも不安だったから嫌いではないのかと確認したのだろうけれど、なんだか妙に余裕だなとは感じていた。
たびたび婚姻の破棄を要求したことをアピールしたし、王都に戻る気がないことも何度も告げたのに、ティーリオが引き下がる気配がなかったのは指輪が歌っていたからだったのだ。
指輪を外して投げつけてでもいれば本気だと示せたかもしれないし、ティーリオも引き下がるかもしれない。けれど、そんなことできるだろうか。
私は小さな指輪を眺めた。
角度を変えると、紫の石がキラキラと光を弾く。試しに外そうとしてみたけれど、胸が締め付けられるように苦しくて、外せない。
これを外せば全部終わりで、ティーリオともお別れなのだと思うと、余計に。そういう魔道具なのかもしれないと思うくらいに、ほんの小さな装身具に心を揺さぶられた。
なんだか、とても疲れた。
頭もまたぼんやり痛くなってきたし、急に眠気がやってきた。もういいや、なるようになったら死ぬかもしれないし、世界も破滅するかもしれないけど、とりあえず今はもう何も考えたくない。
抗えない力で引きずり込むような眠りに、身を任せた。