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4. 追手の正体

 ティーリオはため息をつき、こちらへ手を差し出した。


「立てるか」


 たったそれだけの音に、覚悟したような怒りは含まれていなかった。


 助け起こされ無事を確認され、階下へと手を引かれて、何がなんだかわからないまま、彼の後について急な階段を降りる。


 アスタは騎士の一人に肩を押さえられたまま、階段の下から、心配そうにこちらを見上げている。ティーリオは階段を降りながら、その騎士へ、侍女殿を放してやってくれ、と言った。


「皆と砦に戻っておいてくれ。第五騎士団には面倒をかけた」


 騎士はアスタを離すと、ティーリオへ胸に拳を当てて礼をし、さっとコテージを出ていった。ドアが閉まると、急に号令や蹄の音が遠ざかる。


 ティーリオは私をソファに座らせ、ヘルメットを脱いだ。艶のある黒髪とバイザーの陰に隠れていた紫の眼が顕になる。それを見たアスタがはっと息を呑んだのが、離れていてもわかった。


「侍女殿、茶を淹れてくれるか。シェールビアの手が冷たい」


 アスタが不安げに私を見たので、私は彼女へ頷いてみせた。何がなんだかわからないが、逆らわない方がいいのは間違いない。アスタは一礼してキッチンへ下がった。


「さて」


 ティーリオは呟いて、私を見下ろした。


「理由を聞かせてほしい」


 なんと言って誤魔化せば、シェールビアらしいだろう。


 結婚式の朝、青い空を見ていたら急に王都が嫌になったとか、おべっか使いばかりの社交界に飽き飽きしたとか?


 全然シェールビアらしくない。


 彼女は生まれながらのお嬢様で、褒め言葉や華やかなもの、煌びやかなものが大好きで、誰よりも野心に満ち溢れ、それを隠す気も隠す必要もない、堂々たる女性なのだ。


 とはいえ、王都にいると世界を滅ぼしかねないので、権力から遠ざかろうと思いまして、と言うわけにはいかないし、と思った瞬間、何かに違和感があるのに気付いた。


 何に違和感があったのかもわからないが、何かが腑に落ちない。あれ、なんだろう。


「俺が嫌いか」


 黙ったまま考え込んでいると、ぽつりとティーリオの声が落ちてきて、胸の奥を貫いた。


 これはダメだ。ズルい。ダメだってば。


 何を隠そうティーリオは、私の最推しなのだ。口からこぼれそうになった萌えの呻き声を、なんとか押し殺した。


「そうか」


 萌えのあまり一言も発することのできないのを肯定ととったらしいティーリオは、小さなため息をつき、戸口へと踵を返した。


「ちがいます!」


 思わず大声で叫んだのが、間抜けにも思いきり裏返った。


 こちらを振り返ったティーリオは唖然としていて、キッチンから現れたアスタは、目が点、としか表現のできない顔をしている。


 一気に、顔面に血が昇って赤くなったのがわかる。


 どうしよう、と思った瞬間、とどめのように、ひっく、としゃっくりまで飛び出した。


 嘘でしょ、と心の中で叫ぶ。

 肝心な時のしゃっくりだってギャップ萌えを作るための定番ネタだけど、自分がやることになるとは思わなかった。


「ビア様、お茶を」

「ひっく」


 返事さえままならない。アスタはティーセットのお盆をソファのそばのサイドテーブルに乗せて、お茶を注いでくれた。


「ティ、っく」


 咄嗟にティーリオにもお茶を勧めようと思ったが、口を開けるとしゃっくりが出る。


 まだ呆然としていたティーリオは、ああ、とか何とかもごもご返事をして甲冑姿では窮屈な一人掛けのソファにおさまり悪く座り、アスタからティーカップを受け取った。


「ひっく」

「ビア様、ゆっくり、少しずつ飲んでください」


 アスタが心配そうに背中を撫でてくれるが、しゃっくりはなかなかおさまらない。


 なんだこの状況。


 こちらから婚姻破棄を一方的に押し付けた最推しが気まずそうにしている前でしゃっくりが止まらず、侍女に背中をさすってもらう悪役令嬢、の中の私は、ばつの悪さと情けなさと爆笑したさの間で揺れ動いていた。


 ごめん、シェールビア。


 私にカッコいい悪役令嬢は無理みたい。


 なんとか体裁が保たれているのはシェールビアの美貌のおかげだ。


 中学生の頃、初恋の相手を放課後の教室に呼び出して、好きです!と言いながら、ぎゅっと目を閉じて力任せに頭を下げたら、前にあったクラスメイトの机に頭を強打したことを思い出した。


 昔から間抜けだった。


 不細工な女がそんなことをしたところで、それが可愛げになるわけでもなく、笑いをとれるわけでもない。


 ただただ居心地悪そうに、ごめん、とだけ言って彼は立ち去った。大丈夫かとも言ってもらえなかったこともついでに思い出した。


 ラブコメにもならない、情けない記憶だ。


「遅い時間に失礼した。明日の朝、改めて来る」


 ティーリオは私の様子を見かねてか、そう言って立ち上がった。


「っく」


 見送ろうと立ち上がったが、しゃっくりにあいさつを封じられてしまう。


「気にするな、ゆっくり休んでくれ」


 グローブを外したティーリオの大きな手が、気遣わしげに私の背を撫でてくれた。それにびっくりして、またしゃっくりが飛び出してしまう。


 ティーリオは私の耳元へ唇を寄せると、小声で、もう逃げるなよ、と付け足した。


 変な悲鳴を押し殺したせいで、またしゃっくりが出る。真っ赤になっているだろう私の顔を見て、ティーリオの真顔が、本当に僅かだが笑みを含んでいる。あれは絶対笑っている!


「侍女殿、シェールビアを頼む。俺から逃げても無駄だから、そのつもりで」

「承知いたしました」


 頷いて礼をしたものの、納得のいかない顔をしているアスタへ、ティーリオは向き直った。


「王族の結婚指輪は、一種の魔道具でな」


 ティーリオは付けかけた左手のグローブを外し、薬指に嵌めた銀色の指輪を、アスタへ見せた。


 エッ何その設定、ゲームでも聞いたことないんだけど。


「小さい魔力石が嵌っているだろう。これは元々ニュートラルな、透明の石なんだ」


「お嬢様の目や髪のような色でございますね」


「ああ。互いの魔力に反応するもので、誓いと指輪交換で魔法が完成すると、相手の目の色に発色する」


 アスタが頬を赤らめて、まあ、と声を上げた。


 私は自分の左手に目を落とした。

 すっかり存在すら忘れていた結婚指輪の小さな石は、薬指の上で紫に輝いている。


 どうして存在すら忘れていたんだろう。あの時、なぜ外して鏡台の上へ置いてこなかったんだろう。


「それでは、殿下には、シェールビア様の居場所がおわかりになるんですね?」


「石の共鳴を辿ればわかる。シェールビアからも、俺の居場所がわかるはずだが」


「残念ながら、オレアンドの家系は魔力に対して鈍いんですの」


 どんな魔力もオレアンドを傷付けることもできない代わりに、どんな魔力も察知することができないし、魔法を使うこともできない。


 オレアンドの血の持つ力の全ては、一族の秘宝たる魔石に、魔王を封じるのに費やされているためだ。


 失念していた、とティーリオが言った。


「では、公平でなかったな」

「いいえ」


 私は指輪の石を指先でなぞった。


 この十日間、この指輪はまるで、私の一部であるかのようにずっとここにあったのだ。これを外すことを望んでいるのに、きっと外せば、自分の一部を失ったように傷付くだろうという気がした。


 そりゃそうだ、せっかく大好きなゲームの中で、一番大好きな推しと結婚したのに。そう思った瞬間、さっきの違和感の正体に気付いた。


 『太陽と月の王国物語』のシェールビアは、どのルートを選択しても、一度も、誰とも結婚しなかった。なぜなら、シェールビアは自らの処女の血を使って、魔王を解放することになるからだ。


 ということは、私が生きているこのルートは、完全新規シナリオなのだ。


 だからといって、安全だとは思えない。魔王の解放条件が、まさかシェールビアの処女の生き血だけ、ということはないだろう。


 私が警戒しているのには、立派な理由がある。


 それこそ、『太陽と月の王国物語』が隠れクソゲーと呼ばれる所以(ゆえん)である。


 どのエンディングを目指すにしろ、そもそもエンディングに辿り着くのが難しい上、恋愛シュミレーションRPGにしてはRPG部分のゲームバランスがシビアなので、高確率で世界が滅んでしまう。


 シナリオを知っているからクリアも楽勝、なんて思った私がバカだったのだ。

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