24. 救世の乙女と呼ばれて
地上へ戻る時は、再びリンネの魔法で第一騎士団の倉庫まで一瞬で送ってもらえた。
私はフロックスに連れられて騎士団の詰所を通り過ぎた。王城内ではあるが、構造も間取りも石造りのそっけない内装も、クラル城砦によく似ている。
何度か、金の鎧を身につけた騎士たちとすれ違った。すれ違うことができないほど狭い廊下というわけではないのに、大抵の騎士が立ち止まり、胸に手を当てて軽く礼をしてくれる。好奇や嫌悪の目線を感じることもなかった。彼らはアルマン卿の配下だから、きっと礼を欠かぬよう厳命されているのだろう。
時折立ち止まり、八本の脚のせいでずれ上がってくるスカートの裾をなおしていると、見かねたフロックスがその都度手伝ってくれた。
「スカートも改良が必要ですね」
フロックスが裾を引っ張りながら私を見上げ、にやりと笑った。馬車の座席の試行錯誤がうまくいったからだろう。作り付けの椅子を使わないというのはそもそも、フロックスが思いついてくれたのだ。
「一応糸で何ヶ所か脚に固定してみたんだけど、あんまり上手くいかないのよね」
「流行の型でもないですしね」
「というか、本物の骨董品寸前レベルなのよ」
初めてこの姿に変化した時に着ていた木綿のドレスは、脇が大きく裂けてスリットになっていた。サルヴァ村の女性たちの普段着も大きく裾の広がる形ではないし、だから裂けたのだろうが、それでも王都の最新スタイルよりはマシだった。そもそもいかにも歩きにくそうなので試してみてさえいないが、すっきりしたAラインみたいなドレスの中で脚がボコボコ動いて気持ち悪くて最悪だろうと思う。
いつまでも破れた服を着ているわけにもいかず、第五騎士団に頼んで着られそうなものがないかサルヴァ村中を探し回ってもらったところ、百年くらい前のドレスが仕立て屋に数枚あるというので売ってもらった。ラヴァンドルでは『鳥かごドレス』と呼ばれていたらしいそれは、いわゆるクリノリンスタイルだ。数代前の仕立て屋が手本にするために王都から買った古着と、ウェディングドレスの試作品だったらしい。
黄ばんだ白のドレスを黒く染めてもらい、厳重に口止めされて緊張した仕立て屋のおかみさんがクラル城砦にやってきて、採寸して手直ししてくれた。八本の脚がクリノリンの役を果たすし、歩く邪魔になったので軽い蔓で編まれたクリノリン本体は返したのだが、あれをつけておけば裾がずり上がってはこなかったかもしれない。とにかく着られてはいるが、とんでもなく流行遅れだし着心地だって良くはない。
「元に戻る見込みが立たないなら、新しいドレスを仕立ててもらった方がいいですよ」
「そんなにダサい?」
私が恐る恐る聞くと、フロックスは笑った。
「ダサい以前に、ちぐはぐなんです」
試作品だからだろう、布が足りなかったのか、確かにボディにもスカートにも質感の違う別布のパーツがある。
「ドレスはともかくとして、今のシェールビア様のお姿、僕は好きですけどね」
フロックスは後ろのスカートをきちんと下ろして引っ張り終えると、これでよし、と立ち上がった。
「気持ち悪いと思うけど」
「いいじゃないですか、強そうで。実際強いんですし」
「……フロックスは優しいね」
そんなにまっすぐ褒められると気恥ずかしくて、茶化して誤魔化したくなってしまう。ありがと、と呟いてにんじん色の癖毛を撫でてやると、子供扱いしないでくださいと膨れてしまった。
「本当は口止めされてるんですけど」
「え、何」
振り返った私が食い気味に言ったせいだろう、フロックスはあからさまにしまった、という顔をした。
「……僕はそもそも、城砦外で口外するなというのも気に入らなかったんです」
行きますよと先に立って歩き始めたフロックスは、ぼそぼそと言い訳めいたことを言っている。
「ねえ、何のこと?教えなさいよ」
「やっぱり嫌です。怒られるのは僕なんだし」
逃げるように早足になるフロックスを追いかけていると、階段から降りてきた騎士と鉢合わせした。
「王子妃殿下」
私の顔を見た騎士は心底ほっとしたように微笑んで、さっと壁際へ避けて礼をしてくれた。
「ねえ、あなた」
私が騎士へ声をかけると、階段に足をかけていたフロックスがぎょっとして振り返った。それを視界の端で確認して、横目でにやりと笑ってやる。
「この子が何か隠し事をしているの。私について口止めされてるらしいのだけど、何か心当たりはない?」
騎士は急な問いかけに心底困った顔をして、私とフロックスを見比べた。
「ビア様、そんなことより早くティーリオ様のところへ行かないと」
フロックスが急かすと、騎士はそれを聞いて微笑んだ。
「お願いします。騎士たちにも救世の乙女がより輝かしく見えましょう」
「きゅ……?」
私は耳を疑った。おい!とフロックスが騎士へ焦ったように小さく叫んだ。慌てたフロックスは小声で、それ言うなってラウリオ様に言われなかったのかよと騎士へ耳打ちしているが、この距離では丸聞こえだ。
救世の乙女、とは『太陽と月の王国物語』のヒロインの二つ名だ。
「救世の乙女にしては禍々しいわね」
私はヒロインを思い出して言った。ほんのり桃色が乗せられた唇、長い睫毛に縁取られた大きな茶色の瞳。まっすぐでさらさらした栗色の長い髪に赤い花の刺繍の入った白いスカーフを巻き、暖かみのある茶色の清楚で愛らしいエプロンドレス姿で肩越しに振り返っている、ゲームのパッケージの真ん中に描かれた少女。ラヴァンドル西部の小さな村出身の彼女はこの世界にもいるのだろうか、とふと思う。
シェールビア王子妃殿下、という騎士の声に、ぼんやりした一瞬の考えごとから引き戻された。騎士は鎧が大きな音を立てぬようゆっくりと跪き、呆気にとられている私をまっすぐに見上げた。
「そのように卑下されてはなりません。貴女はクラル城砦で、奇跡を起こしてくださったのです」
聞けば、第一騎士団から第五騎士団へ応援に出ていた者たちが、私たちが王都へ来るより先に帰城していたらしい。
「騎士は皆、死を恐れぬ王国の盾として忠誠の誓いを立てております。とはいえ、皆恐れているのです。先の見えぬ戦の中、騎士が一人、また一人と死ぬことで、王国の盾が少しずつ小さく、弱くなることを」
「私一人では盾に代われないわ」
騎士は笑って首を横に振る。騎士の話を止めようと騒いでいたフロックスも、今は黙っていた。
「王子妃殿下、貴女は盾ではありません。暗闇に差す、新たなる一筋の光なのです。これまでティーリオ殿下、ラウリオ殿下がたった二筋の希望の光であったように」
私は首を横に振り、蜘蛛足を屈めて騎士と目線を合わせた。王子妃が一介の騎士の前で膝をつくべきでないのは理解しているが、蜘蛛足に膝はないし、膝をついているわけではないから許してもらおう。
「五つの騎士団はラヴァンドルの輝く盾。あなた方こそが希望の光であるべきです」
騎士の目に困惑が浮かび、それから微笑みに変わった。
「第一騎士団はラウリオ殿下より王子妃殿下となるたけ接触せぬよう厳命を受けておりますが、この名誉のためならば喜んで罰を受けましょう」
ありがたいことに、シェールビアの身体はこういう時の適切なふるまいをきちんと覚えている。先に立ち上がった私は騎士へ右手を差し出し、彼は私の手の甲へ敬愛の口付けを贈ってくれた。ほんとに怒られても知りませんからねとぶつぶつ憤慨しているフロックスを横目で見て、騎士は苦笑しながら立ち上がった。
「ティーリオ殿下からは妃殿下へ礼を尽くすよう命令がありました。敬意を表することが礼を失することに当たらねば良いのですが」
「ラウリオ殿下の命令にはもう背いてるけどね」
僕を巻き込まないでくださいよとフロックスが投げやりに呟いたので、私は笑った。
「では、内密に」
第一騎士団がある程度私の存在と容姿を受け入れてくれているらしいという実感は、確かに安心をくれた。廊下の向こうから誰かが来るたび逃げたり隠れたりしたくなる気持ちにならなくなり、私は足取りも軽くフロックスより先に立って階段を上った。
フロックスはまだむすっとして黙っているが、彼だって騎士の言葉を止めようとはしなかった。そもそも、戒厳令が不満だったと言っていたのだから。
とはいえ、ラウリオが第一騎士団に必要以上の私との接触を禁じた理由も、なんとなくだが理解できる。
オレアンド公爵家はラヴァンドル随一の資産家で、王家に次ぐ地位と名誉を守ってきた。それはオレアンド公爵家が魔石を守り魔王を縛るために与えられた特権だったが、貴族たちの多くは今、自分達の領地が魔獣に荒らされているのは、オレアンド公爵家の不始末だと思っている。
王子妃になった私が魔獣のキメラみたいな姿で現れたら、オレアンド公爵家を妬み虎視眈々と排斥を狙ってきた彼らは、大喜びするに違いない。
そのうえで、私が魔王の力で第一騎士団を誑かしたと言われたら?彼らはアルマン卿を王から引き離す、格好のチャンスを得ることになる。
彼らがオレアンド公爵家を失脚させて、第一騎士団と第五騎士団を排斥したら、魔王の力からこの国を守ることはできないだろう。私がこの姿で説明しても彼らには説得力がないだろうし、祖父が無策だったとも思えないが、貴族たちは理解してくれなかったし、今も理解しようとはしないのだとしか思えなかった。




